第4章 正妻に都合のいい愛人
昼休み。王立アルムニア学院の中庭には、昼食を楽しむ生徒たちの賑やかな声が響いていた。貴族同士の社交の場でもあるこの時間は、教室以上に人間関係が色濃く表れる。そして、その輪の中心にいるのは今日もまたナサリオ・シガンダだった。
「それでよぉ」
芝生に寝転がるように腰かけたナサリオは、得意げに笑う。
「フロレンシアのヤツ、俺が誰と歩こうが何も言ってこないんだ」
周囲には気の置けない悪友たちが集まっていた。侯爵家や伯爵家の令息たちではあるが、揃いも揃って学業も実務も中の下程度、共通しているのは家督を継ぐ責任感よりも遊びを優先する愚かさだった。尤もナサリオ以外は嫡子ではないが。
「流石の公爵令嬢も形無しだな」
「惚れられる男は辛いねぇ」
「女なんて、結局は男に従うしかないんだよ」
好き勝手な言葉が飛び交う。ナサリオは鼻を鳴らした。
「当然だ」
誰一人として疑問を抱かない。この国では男が上、女は下。それが常識なのだから。
「それにしても」
一人がニヤニヤと笑う。
「最近のお前の恋人、随分可愛いじゃないか」
「マカリアか?」
「そうそう」
「顔だけなら婚約者より好みだな」
悪友の言葉にナサリオは大きく頷いた。
「ああ、あいつは可愛い」
「胸はフロレンシアのほうがあるけどな」
「それは認める」
下卑た笑いが広がる。自分よりも身分が上の、婚約者のいる令嬢を呼び捨てる無礼も認識しない悪友たち。まさにナサリオとは類が友を呼んだ関係だった。
「まぁ、結婚したらフロレンシアも抱くさ」
ナサリオは嫌らしい笑みを浮かべる。
「あいつ身体はいいからな。そそるだろ。胸デカいし、腰細いし、尻はドレスで判んねぇけど」
「確かになぁ。あの澄ました顔がどんなになるか見ものだ」
「見せねぇよ。ま、子供が何人か出来たら、後はマカリアを屋敷へ呼べばいい」
ナサリオは自分に都合のいい未来を思い描き笑う。
「仕事なんかフロレンシアに任せて、俺はマカリアと遊んで暮らす」
「はははっ」
「最高じゃねぇか」
「流石次期公爵」
誰も止めない。寧ろ称讃する。何処までも似た者同士だ。或いは嫡子であるナサリオに嫉妬し、貶めようとしているのかとも勘繰りたくなる愚かさだ。
そんな会話を、校舎2階の渡り廊下から見下ろしている複数人の令嬢がいた。
「……最低ですわ」
ロシータが吐き捨てるように呟く。
「ええ」
フロレンシアも否定しない。
「想像以上ね」
「仕事を押し付けると堂々と言い放っておりますわ」
「そうね」
「止めなくてよろしいのですか」
フロレンシアは静かに首を横に振った。
「必要ないわ」
「ですが……」
「ロシータ」
静かな声だった。
「人は、自分の本性を誰にも見られていないと思うほど、油断するもの」
「……」
「今の発言を聞いていたのは、わたくしたちだけではないもの」
ロシータが周囲を見る。確かに、渡り廊下にも中庭にも彼方此方に生徒がいる。表立って口にはしない。しかし、聞こえている。皆、聞いているのだ。
「評判というものは、1日では出来ないわ」
フロレンシアは静かに微笑んだ。
「毎日の積み重ねです」
ナサリオは自ら、その評判を積み重ね続けている。止める必要はない。寧ろ──。
「そのままでいて下さるほうが助かるというものよ」
その言葉にロシータは少しだけ首を傾げた。何か含みがある。だが、それ以上は聞けなかった。
そこへ『ナサリオ様ぁ』と甘えるような声が中庭に響く。マカリアだった。彼女は両手で小さな包みを抱え、パタパタと駆け寄る。
「お待たせしましたぁ」
「遅かったな」
「売店が混んでたんですぅ」
「そうか」
ナサリオは自然な動作でマカリアの肩を抱く。
「ほら、隣に座れ」
「はいっ」
嬉しそうに笑うマカリア。だが、(順調、順調)と心の中では全く別のことを考えていた。
(今日も絶好調に勘違いしているなぁ、お坊ちゃま)
彼女はちらりと校舎の2階を見る。一瞬だけ、フロレンシアと視線が合う。ほんの刹那。それだけで充分だった。
(お嬢様、今日も作戦順調です)
フロレンシアは表情一つ変えず、小さく視線を逸らした。
(ええ、リア)
二人だけが理解できる無言の遣り取り。誰にも気付かれない。未来の正妻と愛人──恋敵ならば、あんなに穏やかな視線を交わすはずがないのだから。
その日の放課後、学院を出たフロレンシアはロシータと別れ馬車へ乗り込んだ。公爵家の紋章が刻まれた馬車は夕暮れの王都を静かに進み、やがてエチェバルリア公爵邸へと到着する。
屋敷に戻ると、玄関ホールでは幾人ものメイドや侍女、侍従が恭しく頭を下げる。その中から一人の侍女が一歩前に出る。
「ただいま、マカリア」
「お帰りなさいませ」
学院で見せていた愛人に甘える少女の姿はどこにもない。髪型も変わり、侍女のお仕着せに身を包んだマカリアは、完璧な専属侍女としてフロレンシアを迎える。それを見ても、他家の人間なら学院のマカリアと同一人物だとはまず思わないだろう。
屋敷の使用人たちも何事もないように主人を迎え、二人はそのままフロレンシアの私室へ向かった。
部屋に入り、扉が閉まった瞬間だった。プッとマカリアが堪えきれずに噴き出した。
「もう無理です、お嬢様!」
「ふふっ」
フロレンシアも肩を震わせる。
「聞きました? 『仕事なんてフロレンシアに任せて俺は遊んで暮らす』ですって」
「ええ、聞こえたわ」
「本人が堂々と言っちゃいましたよ」
「願ったり叶ったりね」
「ほんと、それです」
昼間を思い出して二人は一頻り笑い合う。彼女たちが望んでいた言葉をはっきりとあの盆暗が公言したのだ。周囲にいたのは悪友だけだが、ナサリオの発言を聞いていた者は少なくない。
笑いが落ち着くと、フロレンシアはソファに腰かける。
「あの方は領地経営に一切興味がないことがはっきりしたわね」
「ですねぇ」
「興味がないどころか、面倒事だと思っている」
「その面倒事を全部お嬢様に押し付ける気ですね」
「ええ」
フロレンシアは小さく頷いた。
「だからこそ、わたくしが必要だったのでしょう。シガンダ公爵家に。そして王家には都合が良かった」
マカリアも真剣な表情になる。
「お嬢様が実権を握る」
「そうなるでしょうね」
「じゃあ」
マカリアは腕を組んだ。
「盆暗婚約者様には、女に溺れて別館にでも籠ってもらいましょうか」
「そのほうが領地は平和でしょうね」
二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。
尤も一つだけ避けられないことがある。
「……胤だけは頂かないといけないけれどね」
フロレンシアが微かな声で呟く。笑みは消えている。
「跡継ぎとスペア、嫁出し要員の娘を一人。最低3人は欲しいわね」
「……」
「貴族の女性としての義務よ」
諦めきったような声だった。
「幸い、触れられたくもないほどの嫌悪感はないわ」
好きでもない。愛してもいない。それでも義務としてならなんとか受け入れられる。
「目を瞑って聖句でも唱えていれば何とかなるでしょう」
さらりと言ったその一言に、マカリアは胸が締め付けられた。主は覚悟を決めている。だから、自分も覚悟を決めた。
「じゃあ」
マカリアはニッと笑った。
「あたしが、やりますね」
フロレンシアの眉が下がる。
「嫌な役目を押し付けてしまって、ごめんなさい」
「何言ってるんですか」
マカリアはけろりとした顔だった。
「あたし、ああいう顔めっちゃ好みだってご存じでしょう?」
「……そうだったわね」
「それに、お嬢様が許してくださる範囲で贅沢で来ますし」
「ええ」
「貴族夫人としての家政も社交もしなくていいし」
「そうね」
「お嬢様の近くにずっといられるし」
「リア」
「最高じゃないですか」
屈託なく笑う。その笑顔を見て、フロレンシアも漸く肩の力を抜いた。
「リア、ありがとう」
「いいえ」
ニッコリと笑った後、マカリアは真面目な顔になる。
「お嬢様、今日のお坊ちゃまを見て確信しました。絶対あたし、操縦できます」
「ふふっ」
「褒められたい、気持ちよくなりたい、自分が一番偉いと思いたい」
指を折りながら数える。
「全部単純です」
「そうね」
「だから、全部利用できます」
フロレンシアは深く頷いた。
「それが、わたくしたちの作戦」
「はい」
二人は同時に口元を緩める。
「『正妻に都合のいい愛人を宛がって、盆暗で助平な夫を操縦する作戦』ですね」
「身も蓋もない言い方だけれど、その通りね」
二人の笑い声が部屋に響く。
そのとき、控えめなノックの後、メイドの声がした。
「お嬢様、オルギン伯爵令嬢ロシータ様がお見えです」
今日この時間に訪ねるように指示していた相手がやってきたようだ。
「通して」
程なくして入室したロシータは、二人の和やかな様子を見て少し驚いたとともに安堵もした。勧められるままにソファに座ると、対面にフロレンシアが着座し、マカリアはその背後に控える。
「……あの、お取込み中でしたでしょうか」
「いいえ、この時間に貴女を呼んだのはわたくしだもの」
フロレンシアが微笑む。
「貴女にお話し……説明しておかねばならぬことがあったの」
「わたくしに?」
ロシータは首を傾げる。フロレンシアはマカリアと視線を交わし、小さく頷いた。
「卒業後、貴女にはわたくしの筆頭侍女としてシガンダ公爵家へ来てもらうわ」
「はい、そのつもりでおります」
「だから、知っておいてもらわねばならないことがあるの」
ロシータの表情が引き締まる。フロレンシアは静かに言葉を継いだ。
「学院でのマカリアとナサリオ様の関係」
「はい」
「あれは全て、わたくしたちが仕組んだこと」
「……え?」
一瞬、ロシータの思考が止まる。そして、その言葉が理解できたとき、ロシータの中にあったのは深い納得だった。
「フロレンシア様とマカリアの関係から、何かあるのではないかと思ってはおりましたが……早めにお知らせいただきたかったですわ」
溜息をつきそう応じれば、フロレンシアとマカリアは苦笑した。ロシータも今はまだ仕えていないとはいえ、将来的には側近となる身だ。筆頭侍女として仕えることになってはいるが、正確には領政の補佐をする秘書官としての役目が主となる。
「計画完遂を決定したのが、つい先ほどなの」
そうしてフロレンシアは説明をした。
ナサリオの女癖の悪さから、彼が必ず将来愛人を持つだろうこと。下手な愛人を作られては公爵家が乱れる元だし、下手をすれば後継者争いも起こり得る。自分のほうが愛されていると正妻を馬鹿にする愛人もいる。そんな愛人を作られてしまっては、色々と面倒臭い。だから、こちらの意を汲める弁えた愛人を宛がおうと考えたのだ。
当初はナサリオに近付いた愛人志願の下位貴族令嬢にその役目を与える予定でいた。元々愛人志願の令嬢であれば、正妻となるフロレンシアに認められることは不利益にならない。正妻公認の愛人であればある程度の待遇と庇護は得られるだろうし、庶子を産んでももしかしたら従属爵位の一つも貰えるかもしれない。もし別れてしまった場合でもそれなりの補償も与えてもらえる可能性が高い。そう考えるだろう。
実際に幾人かはその条件で合意しかけていたのだ。尤も、彼女たちは結局ナサリオの我儘さと尊大さについていけないと別れているため、実現しなかった。だからこそ、マカリアが自ら志願したのだ。自分ならばお嬢様に尤も無害で有益な愛人になれるからと。
そして、ナサリオに近づき、様子を見、充分にマカリアにコントロール可能だと判断した。ナサリオは悪友たちには自分が主導権を握っているように見せているが、実はかなりマカリアに溺れている。既に様々な面でマカリアに思考誘導されている状態だった。
「左様でしたのね。でしたら、わたくしはこれまでと変わらず、主君の婚約者とその愛人に眉を顰めておきますわ」
「ええ、そのように。わたくしたちの家族は計画を知っているわ。彼方のご両親には、わたくしに都合のいい愛人を宛がいますとだけお伝えしているの」
シガンダ公爵夫妻がナサリオの愛人を調べたり、別れさせようとすれば計画は台無しになる。だから、フロレンシアは『領地経営の妨げにならぬよう、家督相続問題を起こさぬよう、わたくしの意を汲んだ者を宛がっております』とだけ、伝えているのだ。
「……お二人の絆の賜物ですわね」
ロシータは呆れたような、感銘を受けたような、どちらもが複雑に入り混じった溜息をついたのだった。




