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第1話 王都は、知識を歓迎しない

知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか。


村を救った神谷光太郎は、ユリアとともに王都へ向かいます。


飢饉を前にした村で光太郎が学んだのは、AIが示す「正しい知識」をそのまま使えば、人を救えるわけではないということでした。


そして第2部で彼を待っているのは、さらに厄介な問題です。


知識を広めることで、困る人間もいる。


文字を読める人が増えれば、知識を独占してきた者の力は弱くなる。


衛生や医療の新しい知識で人を救えば、それまで「正しい」とされてきた常識が壊れる。


正しいことをしたからといって、全員が喜んでくれるわけではありません。


舞台は、村から王都へ。


紙と印刷。


学校と教育。


衛生と医療。


そして、王都を襲う疫病。


《叡智の書庫》が導き出す答えは、これまで以上に合理的で、ときに残酷です。


「数千人を切り捨てれば、それ以上の人間を救える」


もしAIがそう答えたとき。


光太郎は、その答えを「正解」として受け入れるのか。


それとも。


また、答えの外側を探すのか。


そして王都で、光太郎は出会います。


自分と同じように、


「正解を持つ者」と。


「君はAIを持っているのに、なぜ人間の感情で答えを歪める?」


その問いが、光太郎と《叡智の書庫》の関係を少しずつ変えていきます。


第1部が、


「AIの知識で人を救う物語」


だったのなら。


第2部は、


「正しい知識を広めることは、本当に正しいのか」を問う物語です。


もちろん、難しい話ばかりではありません。


初めて見る王都に浮かれるユリア。


異世界の常識に振り回される光太郎。


少しずつ近づいているのに、肝心なところでは一歩進まない二人。


そして《叡智の書庫》も、相変わらず恋愛の正解だけは教えてくれません。


知識は、人を救える。


けれど。


知識は、ときに誰かの居場所を奪う。


光太郎がその現実を知ったとき、彼は初めて「AIの答え」と真正面からぶつかることになります。


それでは、第2部。


王都編


「知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか」


ここから、光太郎の本当の選択が始まります。

未来を失った少年は、十万人の「正解」に挑む

「ようこそ、神谷光太郎」


王都の門をくぐった瞬間。


知らない少女が、俺の名前を呼んだ。


それだけなら、まだいい。


問題は、その次だった。


「十年間、あなたを待っていました」


少女は笑っていた。


そして俺の《叡智の書庫》は、彼女を見た瞬間、初めて俺の命令を無視した。


《警告》

《対象への情報提供を禁止します》


「……は?」


王女。


黒い書庫。


もう一人の神谷光太郎。


そして三十日後、十万人のうち生き残るのはゼノスただ一人。


王都に着いて三分。


どうやら俺は、とんでもなく面倒な場所へ来てしまったらしい。


王都の門は、英雄にも冷たい

王都アルセリア。


人口、十万二千八百四十一人。


高さ十メートルを超える石造りの城壁。


空へ突き刺さるような白い尖塔。


門の前には商人の馬車が列を作り、旅人、傭兵、農民、巡礼者が入り乱れている。


村とは比較にならない。


「すごい……」


荷馬車から身を乗り出したユリアが、素直な声を漏らした。


銀色の髪が風に揺れる。


「建物が、あんなにたくさん……」


「落ちるぞ」


「落ちないわよ」


「さっき車輪が石を踏んだ時、半分落ちてた」


「あれは王都をよく見ようとしただけ」


「落下に前向きな理由をつけるな」


「コータロー」


「何だ」


「うるさい」


「心配してるんだが」


「……それなら許す」


最後だけ小声だった。


聞こえないふりをしておく。


最近、この薬師との距離感が難しい。


ゼノスと戦うより難しい。


《叡智の書庫》に恋愛相談機能があるなら使いたいところだが、たぶん碌な答えは返ってこない。


《恋愛関連情報の検索が可能です》


「検索するな」


「何?」


ユリアがこちらを見る。


「何でもない」


危ない。


AIに人生の主導権を握られるところだった。


いや、作品のテーマ的にも駄目だ。


俺は前を見る。


巨大な城門の向こうに、王都が広がっていた。


三階建ての建物。


石畳。


露店。


噴水。


行き交う馬車。


パンの匂い。


鍛冶場から響く金属音。


子どもの笑い声。


普通の街だった。


三十日後、十万人が死ぬ街には見えない。


その事実が、逆に怖かった。


「光太郎」


前方を馬で進んでいたセリアが振り返る。


普段の彼女なら「神谷」と呼ぶ。


名前で呼んだのは、声を落とす必要があったからだろう。


「例の情報は、誰にも話すな」


「三十日後のことか」


「声が大きい」


「悪い」


セリアは周囲を確認する。


「王都で十万人が死ぬなどと言えば、最悪の場合、扇動罪で拘束される」


「本当のことでも?」


「証明できるのか?」


答えられない。


《叡智の書庫》が受信した未来の人口記録。


三十日後。


生存者、一名。


ゼノス。


だが、その情報が本物だという保証はない。


ゼノスが意図的に流した可能性すらある。


以前なら、俺はAIに聞いただろう。


信頼度は何パーセントか。


王都が滅びる確率は。


王女を信用できる確率は。


だが未来予測機能は、ゼノスとの戦いで失った。


もう数字は出ない。


だから、自分で考えるしかない。


いや。


自分たちで、だ。


「セリア」


「何だ」


「王女に会う前に、街を見たい」


「却下する」


早い。


「まだ理由を言ってない」


「お前の顔が面倒事を探している」


「そんな顔があるのか?」


「村で何度も見た」


後ろからユリアが頷いた。


「あるわ」


「君まで?」


「井戸に降りた時と、畑を枯らす前と同じ顔」


「後半の例がひどい」


セリアはため息をつく。


「王女殿下がお待ちだ。まず王城へ向かう」


「了解」


俺は素直に頷いた。


セリアが前を向く。


三秒待った。


「ユリア」


「何?」


「途中の様子を覚えておいてくれ」


「何を見るの?」


「全部」


ユリアが笑う。


「全然、了解してないじゃない」


「王城へは行く。観察するだけだ」


「それを屁理屈って言うのよ」


そう言いながら、彼女も街を見始めた。


いい相棒である。


たぶん。


文字を読めない国

違和感に気づいたのは、市場を通った時だった。


「安いぞ! 今日だけだ!」


「北部産の麦だ!」


「薬草三束で銅貨二枚!」


活気がある。


品物も多い。


だが。


「……値札がない」


「え?」


ユリアが露店を見る。


「本当ね」


文字がほとんどない。


店の看板には絵が描かれている。


パン屋ならパン。


鍛冶屋なら剣。


宿ならベッド。


薬屋なら葉。


「セリア。この国の識字率は?」


「シキジリツ?」


通じなかった。


「文字を読める人の割合」


「王都なら、貴族、聖職者、商人、役人……あとは一部の職人だ」


「一般市民は?」


「必要ないだろう」


俺は耳を疑った。


「必要ない?」


「税額は役人が伝える。法律は騎士団が告知する。仕事は親や親方から教わる」


「薬の説明は?」


ユリアが割り込む。


「薬師が口頭で伝える」


「患者が忘れたら?」


「薬師へ聞く」


「夜中だったら?」


セリアが黙った。


俺は街を見る。


文字がない。


いや。


正確には、文字が「支配する側」にしかない。


壁に貼られた告示。


役所の帳簿。


税の記録。


契約書。


読める人間だけが情報を持っている。


「《叡智の書庫》」


《待機しています》


「一般市民が文字を読めない社会で起きやすい問題を整理してくれ」


《情報格差》

《契約上の不利益》

《行政情報へのアクセス制限》

《医療情報伝達の困難》

《教育機会の固定化》

《権力者による情報独占》


やはり。


「コータロー」


ユリアが小さく呼ぶ。


視線の先。


露店の前で、一人の老人が役人らしい男に頭を下げていた。


「税は払ったはずです」


「記録にはない」


役人が羊皮紙を見せる。


「ここに書いてある」


「私は字が読めません」


「なら私の説明を信じろ」


「でも、先月……」


「記録が正しい」


老人は何も言えなくなった。


紙に何が書いてあるか、自分では確認できない。


俺の足が止まる。


「行くぞ」


セリアが言った。


「待ってくれ」


「関わるな」


「でも」


「王都では、ああいう揉め事は毎日起きる」


「だから放っておくのか?」


セリアの顔が険しくなる。


「お前は王都のすべてを救うつもりか」


その言葉に、胸が詰まった。


十万人。


三十日。


ゼノス。


「……分からない」


「なら、今は目的を優先しろ」


正論だった。


悔しいほどに。


俺は老人を見る。


助けたい。


でも今ここで役人と揉めれば、王女へ会えなくなる可能性がある。


そして王女は、十年前から俺を待っている。


黒い書庫について知っているかもしれない。


王都全体を救う鍵を持っているかもしれない。


目の前の一人。


まだ見えない十万人。


どちらを選ぶ。


未来予測機能があれば、答えを求めていた。


今はない。


俺は老人の前へ歩いた。


「コータロー?」


「一分だけ」


セリアが額を押さえた。


「やはりこうなるのか……」


俺は役人へ声をかける。


「その記録を見せてもらえますか」


「何者だ」


「旅人です」


「関係ない者は口を出すな」


「なら、この人に読んで聞かせてください」


「何?」


「自分の税金の記録でしょう。本人が内容を知るくらい問題ないはずです」


周囲の人々が足を止め始める。


役人は舌打ちした。


「先月分、銀貨二枚。未納」


老人が叫ぶ。


「払いました!」


「証拠は?」


老人が黙る。


俺は尋ねる。


「領収書は?」


「リョウシュウショ?」


また通じない。


嫌な予感。


「金を受け取った証明の紙です」


「そんなものを平民へ渡すわけがないだろう」


役人は当然のように言った。


俺は頭を抱えたくなった。


「《叡智の書庫》」


《待機しています》


「簡単な領収書の形式を」


青い画面に文章が出る。


日付。


金額。


支払者。


受取者。


用途。


署名。


簡単だ。


でも。


俺は老人を見る。


文字が読めない。


ここで紙を渡しても意味がない。


以前の俺なら、印刷技術を広めようとしたかもしれない。


学校を作れ。


紙を大量生産しろ。


文字を教えろ。


AIは正しい制度をいくらでも出せる。


だが村の畑で学んだ。


正しい技術を、そのまま持ち込めばいいわけではない。


この街には、この街の事情がある。


「おじいさん」


「はい?」


「税を払った時、誰か見ていましたか?」


老人が考える。


「あ……パン屋のマルクが」


「マルク!」


群衆から太った男が顔を出す。


「見たぞ。先月の十二日だ。俺の店の前で払っていた」


役人の顔色が変わった。


「記録ミスかもしれませんね」


俺は言う。


「騎士団に確認してもらいましょう」


セリアが無言で前へ出た。


王国騎士団の紋章。


役人の顔が完全に青ざめた。


「し、調査いたします」


老人は何度も頭を下げた。


「ありがとうございます」


「俺は何もしてません。証言したのはマルクさんです」


老人は、それでも頭を下げ続けた。


俺は素直に喜べなかった。


今回は証人がいた。


次は?


誰も見ていなかったら?


文字が読めなければ。


記録を確認できなければ。


「知識がないんじゃない」


俺は呟いた。


「知識へ触れる権利がないんだ」


《叡智の書庫》が小さく反応した。


《新規概念を記録》

《知識の価値は、存在ではなくアクセス可能性によって変化する》


「それ、お前が言うと重いな」


《意味を解析できません》


「そのままでいい」


俺たちは王城へ向かった。


だが、この時はまだ知らなかった。


王都で文字を教えることが、剣を抜くより危険な行為だということを。


九歳の王女が残した名前

王城は、街の中央にそびえていた。


白い石壁。


青い屋根。


高い塔。


正門を抜けると、広い庭園が続く。


「すごい……」


ユリアがまた呟いた。


「さっきも言ってたな」


「規模が違うもの」


「薬草は?」


「ある」


そこか。


ユリアの目は豪華な彫像ではなく、花壇へ向いていた。


「王宮の庭に薬草が?」


「観賞用だろ」


「もったいない」


「抜くなよ」


「抜かないわよ!」


「今、一歩近づいた」


「見るだけ!」


「村でも同じことを言って採ってた」


「必要だったから!」


前を歩くセリアが振り返る。


「静かにしろ」


「すみません」


俺とユリアの声が重なった。


王城内部へ入る。


長い廊下。


絨毯。


絵画。


鎧。


そして、文字。


ここには文字が溢れていた。


扉に部屋名。


壁に歴代王の説明。


書類を抱えた官僚。


巨大な本棚。


市場とは正反対だ。


知識はある。


ただ、城壁の内側へ集められている。


やがて、セリアが大きな扉の前で止まった。


「ここから先は、私も同席できない」


「ユリアは?」


「招待されている」


「私も?」


ユリアが驚く。


「王女殿下からの指示だ」


嫌な感じがした。


王女は俺だけでなく、ユリアの存在まで知っていた?


扉が開く。


広い部屋。


謁見の間ではない。


小さな私室だった。


窓辺に、一人の少女が立っている。


金色の髪。


青い瞳。


白を基調としたドレス。


年齢は俺たちと大きく変わらない。


少女が振り返る。


そして。


俺を見る。


笑った。


「ようこそ」


その声を聞いた瞬間。


《叡智の書庫》が反応した。


《対象を確認》

《アエリア・ルクシア・アルセリア》


第一王女。


「神谷光太郎」


アエリアは俺の名を呼ぶ。


「十年間、あなたを待っていました」


冒頭の言葉。


だが、次の瞬間。


《警告》

《対象への情報提供を禁止します》


「……何だ?」


《安全規則に基づき、対象への機密情報共有を拒否》


「安全規則?」


こんな規則、今まで一度も出なかった。


アエリアが目を細める。


「やはり、あなたにも聞こえるのですね」


俺は彼女を見る。


「『にも』?」


「ええ」


王女は自分の胸へ手を置いた。


「私にもいます」


空気が変わった。


ユリアの表情が硬くなる。


「何が?」


アエリアは答えた。


「あなたが《叡智の書庫》と呼んでいるものと、よく似た存在です」


俺の視界に赤い警告が走る。


《危険》

《危険》

《危険》


アエリアの瞳の奥で。


一瞬だけ。


黒い文字が流れた。


王女からの三十日

「剣を抜かないでください」


アエリアが言った。


ユリアの手は、すでに腰の短剣へ伸びていた。


「あなたの目に、黒い文字が」


「分かっています」


王女は驚かなかった。


むしろ、悲しそうに笑った。


「十年前から、ずっとです」


「十年前」


俺は聞き返す。


「黒い書庫へ入った時から?」


アエリアの笑顔が消えた。


「セリアから聞いたのですね」


「ああ」


「では、話は早い」


王女は椅子へ座るよう促した。


テーブルには紅茶と菓子。


世界滅亡の話をする雰囲気ではない。


「食べても?」


ユリアが尋ねる。


「もちろん」


「毒見は?」


「コータロー」


「冗談だ」


アエリアが小さく笑った。


「あなたたちは、予言で見たより仲がよいのですね」


俺とユリアが同時に止まる。


「何を見た?」


「すべてではありません」


アエリアは紅茶へ視線を落とす。


「九歳の私は《黒い書庫》で、未来の断片を見ました」


「未来?」


俺の身体が強張る。


「黒い書庫にも未来予測機能が?」


「分かりません。ただ、見せられたのです」


燃える王都。


倒れる人々。


黒い空。


そして。


「二人の神谷光太郎」


「ゼノスか?」


「その名前は知りませんでした」


「姿は?」


「一人は、あなた」


アエリアは俺を見る。


「もう一人は、あなたと同じ顔でした」


背筋が冷える。


ゼノスは銀髪の男の姿をしていた。


だが、あれが本当の姿だという保証はない。


「二人は何をしていた」


「争っていました」


「何のために?」


王女は答える。


「人間が、自分で未来を選ぶべきかどうか」


部屋が静まり返った。


やはり。


AIと人間の選択。


ゼノスとの対立は、単なる敵味方ではない。


思想そのものの戦いだ。


「もう一人は何を望んでいた?」


「AIが人間の代わりに、最も幸福になる未来を選ぶ世界」


「幸福?」


「戦争がない。飢餓もない。犯罪もない。失敗もない」


理想郷。


一瞬、そう聞こえる。


だが。


「選択もない」


俺が言う。


アエリアは頷いた。


「だから、あなたは彼と戦っていました」


ユリアが尋ねる。


「王都が滅びる未来も見たの?」


王女の手が震えた。


「はい」


「三十日後?」


今度はアエリアが俺を見る。


「なぜ知っているのですか」


「俺も情報を受け取った」


「生存者は?」


「一人」


「名前は?」


俺は答える。


「ゼノス」


王女は目を閉じた。


「やはり……」


「王女が見た未来では?」


「名前は分かりませんでした。ただ、一人だけ立っていました」


「止める方法は?」


「あります」


即答だった。


俺は身を乗り出す。


「何をすればいい」


アエリアは俺を見る。


「王都を変えてください」


「……はい?」


「三十日以内に」


待て。


世界を救う方法として急にふわっとした。


「具体的には?」


「私にも分かりません」


「そこ、一番重要なところだろ」


「予言では、あなたが王都へ知識を広めることで未来が変化していました」


「知識を?」


「学校」


王女は指を一本立てる。


「紙と印刷」


二本目。


「医療」


三本目。


「上下水道」


四本目。


「そして、貨幣と税制」


五本目。


俺は黙った。


ユリアも黙った。


《叡智の書庫》まで黙っている。


「三十日で?」


「はい」


「学校から税制まで?」


「はい」


「王都全体?」


「はい」


「無茶では?」


「私もそう思います」


「王女!」


アエリアが少し笑う。


どうやら意外と話しやすい。


しかし内容は笑えない。


「王家の権限でやれば?」


俺が尋ねる。


アエリアの表情が曇った。


「できません」


「なぜ」


「私が改革を命じれば、貴族たちは反対します」


「王女なのに?」


「王女だからです」


意味が分からない。


アエリアは説明する。


「この国で知識を管理しているのは王家だけではありません。教会、貴族、商人組合、魔術師ギルド。それぞれが知識を権力として保有しています」


なるほど。


文字を教える。


紙を安くする。


情報を広める。


それは単なる教育改革ではない。


知識を独占している人間から、権力を奪うことになる。


「つまり」


俺は頭を抱える。


「王都で学校を作るだけで、敵が増える?」


「かなり」


「印刷機を作ったら?」


「もっと増えます」


「税制改革は?」


「暗殺されるかもしれません」


「最後だけ急に物騒だな」


「王宮では日常です」


「日常にするな」


ユリアが菓子を口へ運びながら言った。


「コータロー」


「何だ」


「村より大変そうね」


「帰りたい」


「早いわよ」


アエリアが微笑む。


「でも、あなたならできると思っています」


「十年前の予言がそう言った?」


「いいえ」


王女は首を振った。


「予言のあなたは、失敗していました」


俺の手が止まる。


「何?」


「学校を作り、失敗する」


「印刷を広め、暴動が起きる」


「医療を改革し、人が死ぬ」


「税制を変え、王都が分裂する」


一つずつ。


俺がやろうとする未来を、王女は否定していく。


「じゃあ、どうして俺にやらせる」


アエリアは静かに答えた。


「失敗した後も、あなたが選び続けていたからです」


その言葉に、村の畑が浮かんだ。


枯れた作物。


怒るドラン。


AIの正解をそのまま使い、失敗した俺。


それでも。


やり直した。


「完璧な答えを持つ人を待っていたのではありません」


アエリアは言う。


「間違えた時、自分で選び直せる人を待っていました」


俺は何も言えなかった。


《記録》

《選択とは、正解を当てる行為ではない》

《誤りを認識した後、再選択する行為を含む》


《叡智の書庫》が表示する。


「お前も学んでるのか」


《継続学習中です》


「なら、一緒に失敗するか」


《推奨できません》


「そこは乗れよ」


ユリアが吹き出した。


アエリアも笑った。


ほんの一瞬だけ。


十万人が死ぬ未来を知る三人が、普通の若者のように笑った。


だが。


時間は待ってくれない。


「分かった」


俺は立ち上がる。


「三十日で王都を変える」


アエリアが頷く。


「お願いします」


「ただし条件がある」


「何でしょう」


「俺が答えを決めない」


王女の目がわずかに見開かれる。


「AIにも決めさせない」


俺は続ける。


「王都の人間自身に選んでもらう」


「それでは改革が遅れます」


「分かってる」


「三十日しかありません」


「それでもだ」


村で学んだ。


誰か一人が持つ正解は、そいつが消えた瞬間に終わる。


人が自分で考えられるようにならなければ意味がない。


「知識を与えるんじゃない」


俺は言った。


「知識を使って、自分で選べるようにする」


アエリアはしばらく俺を見つめた。


そして。


深く頭を下げた。


「その言葉を、十年間待っていました」


王女から与えられたのは、廃墟だった

改革の拠点として与えられた建物を見た瞬間。


俺は王都へ来たことを少し後悔した。


「……これ?」


ユリアが尋ねる。


「たぶん」


「屋根がないわよ」


「半分はある」


「壁もない」


「三分の二はある」


「窓は?」


「穴ならある」


王都西区。


旧兵舎。


長年使われていなかったらしく、雑草が建物を包み込んでいる。


扉は傾き。


屋根には穴。


床には埃。


奥から何かが走った。


「今、何かいた」


「ネズミじゃないか」


「大きかった」


「猫?」


「角があった」


「王都の猫は進化してるな」


《生物を識別》

《ダンジョンラット》


「兵舎に魔物が住んでる!」


「家賃を取れるかしら」


「そっち?」


セリアは真顔で言う。


「王女殿下が自由に使える建物はここだけだ」


「王女の権力、思ったより弱くない?」


「だからお前が呼ばれた」


納得したくない。


ユリアが腕をまくる。


「まず掃除ね」


「改革の第一歩が掃除か」


「汚い場所で患者は診られないもの」


「学校も同じだな」


「それに」


ユリアは床を指す。


「さっきのネズミが薬草袋を持っていった」


「何?」


俺たちは同時に奥を見る。


暗闇の向こう。


小さな影。


口にはユリアの薬草袋。


「待ちなさい!」


ユリアが走る。


「薬草返して!」


「ユリア、待て!」


「あれ高いの!」


「王都到着初日に魔物と薬草争奪戦するな!」


俺たちは旧兵舎を走り回った。


十万人を救う改革。


第一歩。


ダンジョンラットとの追いかけっこ。


未来というものは、本当に予測できない。


最初の生徒は、泥棒だった

掃除を始めて二時間。


旧兵舎は、ようやく人間が住めそうな場所になった。


薬草袋も無事回収した。


若干かじられていたが。


「これは捨てる」


ユリアが悲しそうに薬草を見る。


「洗えば?」


「薬は駄目」


「厳しいな」


「命に関わるもの」


その言葉は軽くない。


村で病人を救った彼女だからこそだ。


俺は壊れた机を並べる。


ここを学校にする。


最初は十人。


いや、五人でもいい。


文字を教える。


数字。


契約。


税。


薬の読み方。


生活に必要な知識から。


「問題は生徒だな」


「募集する?」


「文字で?」


二人とも黙る。


読めない人を集めるのに、文字で募集。


いきなり矛盾した。


「絵を描く?」


ユリアが言う。


「何の絵だ」


「本」


「本を知らない人には伝わらない」


「先生の絵」


「俺?」


「怖そう」


「却下」


「じゃあ私」


「人が集まりすぎる」


「……どういう意味?」


「いや、その」


ユリアがじっと俺を見る。


逃げたい。


未来予測より危険な時間だ。


その時。


机の上からパンが消えた。


「あ」


小さな影が走る。


「またネズミ?」


「違う」


人間だ。


十歳くらいの少年。


ぼろぼろの服。


裸足。


俺の昼食を抱えて逃げていく。


「待て!」


少年は速かった。


裏口。


路地。


市場。


俺とユリアが追う。


「コータロー、遅い!」


「君が速すぎる!」


「薬草採りで鍛えてるもの!」


「薬師の能力じゃない!」


少年が路地へ飛び込む。


行き止まり。


「捕まえた」


俺が息を切らしながら近づく。


少年はパンを抱え、壁を背にする。


目が怯えている。


「盗んでない!」


「いや、見てた」


「落ちてた!」


「机の上に?」


「……風で!」


「王都の風は器用だな」


ユリアが俺の袖を引く。


「コータロー」


少年の腕。


痩せている。


明らかに栄養状態が悪い。


俺はしゃがむ。


「食べていい」


少年が目を見開く。


「本当に?」


「ああ」


疑いながら、パンへかじりつく。


ものすごい勢いだった。


「名前は?」


「ニコ」


「家は?」


「ない」


「親は?」


答えない。


聞くべきではなかった。


「ニコ」


俺は石畳へ指で文字を書く。


『パン』


「これ、読めるか?」


少年は首を振る。


「何だよ」


「今食べてるものの名前」


「パンはパンだろ」


「文字で書くと、こうなる」


少年は興味なさそうにパンを食べる。


「文字なんか腹いっぱいにならない」


「そうだな」


正しい。


飢えている子どもに、教育の価値を説いても意味がない。


「じゃあ」


俺は石畳へ数字を書く。


『1』


『2』


『3』


「パン一個が銅貨一枚だとする」


少年の目が動く。


「三個なら?」


「三枚」


「読めるじゃないか」


「数なら少し」


「十個なら?」


「十枚」


「店主が十五枚って言ったら?」


少年が眉を寄せる。


「騙してる」


「そう」


俺は笑う。


「文字と数字を知ると、騙されにくくなる」


ニコは初めて俺を見る。


「教えてくれるのか」


「ああ」


「金は?」


「いらない」


「何で?」


「俺が教えたいから」


少年は怪しそうな顔をした。


「変な奴」


「よく言われる」


ユリアが頷く。


「本当に」


「味方してくれ」


ニコは残ったパンを抱える。


「飯は出る?」


俺はユリアを見る。


ユリアが俺を見る。


食料には限りがある。


無料教育。


さらに食事。


理想だけでは続かない。


でも。


「最初の三日は出す」


俺は答えた。


「その後は、一緒に方法を考える」


「ずっとじゃないの?」


「約束できないことは約束しない」


ニコはしばらく考えた。


「じゃあ、行く」


こうして。


王都で最初の学校の。


最初の生徒は。


俺の昼飯を盗んだ少年になった。


誰かが学校を見ている

翌朝。


旧兵舎の前には、七人の子どもがいた。


「増えてる」


「ニコが連れてきたみたい」


ユリアが笑う。


ニコは得意そうに胸を張る。


「飯が出るって言った」


「そこを宣伝したのか!」


「字を教えるって言っても来ないぞ」


「正論なのが腹立つ」


七人。


たった七人。


十万人の王都から見れば、誤差にもならない。


それでも。


俺は壊れた黒板代わりの木板へ、白い石で文字を書く。


『自分の名前』


「最初に覚えるのは、自分の名前だ」


子どもたちが首を傾げる。


「なんで?」


ニコが尋ねる。


「契約書に、他人じゃなく自分の名前を書けるようにするため」


「契約って?」


「約束を紙に残すこと」


「紙が約束するの?」


「人間が忘れるから、紙に覚えてもらう」


「紙って頭いいな」


「AIより扱いやすいかもしれない」


《異議があります》


「授業中だ。黙ってろ」


ユリアが笑いを堪えている。


俺は子どもたちへ文字を教える。


一画ずつ。


ゆっくり。


何度間違えてもいい。


ニコは三回間違えた。


四回目。


震える手で。


自分の名前を書いた。


『ニコ』


「これが俺?」


「ああ」


少年は文字をじっと見つめる。


「俺って、紙に残るんだ」


胸が詰まった。


名前を書く。


俺にとっては当たり前だった。


彼にとっては、自分が世界へ存在を刻む行為だった。


「消すなよ」


ニコが言う。


「消さない」


「絶対?」


「ああ」


その時。


《叡智の書庫》が警告を出した。


《監視を検知》


俺の表情が変わる。


「どこだ」


《旧兵舎北側》

《建物屋上》


窓を見る。


人影。


一瞬。


黒い外套が翻る。


「セリア!」


俺は外へ飛び出した。


路地へ。


屋根を見上げる。


誰もいない。


ただ。


地面へ、一枚の紙が落ちていた。


拾う。


そこには文字が書かれている。


《学校を閉じろ》


その下。


《文字は、平民には必要ない》


さらに。


赤いインクで。


《明日も授業を続ければ、一人死ぬ》


「コータロー」


追いついたユリアが紙を見る。


顔から笑みが消える。


「誰が?」


「分からない」


《送信者情報なし》


セリアも到着する。


紙を見るなり、表情を硬くした。


「まずい」


「心当たりが?」


「この紋章」


紙の隅。


小さな黒い印。


開いた本の上に、鎖。


「王立知識院だ」


「何をする組織だ」


「王国の書物、教育、記録を管理する」


つまり。


知識を管理する者。


「王女より権力がある?」


「知識に関しては、場合によっては」


セリアは俺を見る。


「学校を閉じろ」


「嫌だ」


「即答するな」


「閉じたら、脅せば知識を奪えると証明することになる」


「続ければ子どもが死ぬかもしれない!」


「分かってる!」


声が大きくなる。


子どもたちが建物からこちらを見ていた。


俺は息を整える。


「……だから、俺だけで決めない」


ニコたちのところへ戻る。


脅迫状を隠すこともできる。


知らなければ、子どもたちは明日も来る。


でも、それは俺が彼らの代わりに危険を選ぶことになる。


俺は紙を見せた。


内容を説明した。


子どもたちの顔から笑顔が消える。


「明日の授業は休みにしてもいい」


俺は言う。


「学校を閉じてもいい」


「怖いから?」


ニコが尋ねる。


「ああ」


「先生も?」


「ものすごく」


「じゃあ、どうするの?」


俺は答えられない。


未来は見えない。


正解も分からない。


だから。


「皆で考える」


ニコは自分の名前を書いた木板を見る。


しばらく黙った。


そして。


「俺、来る」


「ニコ」


「だって」


少年は木板を指差す。


「やっと自分の名前を書けた」


その目に、子どもらしくない強さが宿っていた。


「これを知らなかった俺に戻りたくない」


一人が手を上げる。


「私も」


もう一人。


「僕も」


七人全員。


怖いはずなのに。


自分で選んだ。


俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。


「分かった」


「でも条件がある」


「何?」


「明日は授業をしない」


ニコが不満そうな顔になる。


「何でだよ!」


「学校を守る方法を考える授業にする」


「それ、授業じゃん」


「……確かに」


ユリアが吹き出した。


張りつめていた空気が、少しだけ緩む。


その瞬間。


《叡智の書庫》が、また警告した。


《外部通信を受信》


黒い文字。


ゼノスか。


俺は身構える。


だが。


表示された送信者名は違った。


《送信者》

《王立知識院・院長》

《アルベルト・グラン》


本文。


《神谷光太郎殿》

《あなたの学校を歓迎します》


「……歓迎?」


脅迫状と正反対だ。


続きが表示される。


《ただし、一つだけ確認したい》


《あなたが教えようとしている「知識」は》

《本当に、人間を自由にするものですか?》


俺は画面を見つめる。


さらに一文。


《それとも》

《あなたのAIが選んだ正解を、人間へ押しつけているだけですか?》


息が止まった。


図星だった。


少なくとも。


かつての俺には。


《明日、王立知識院へお越しください》


《来なければ》

《あなたの生徒七名を、国家反逆罪で拘束します》


ユリアの顔色が変わる。


「子どもを……?」


セリアが剣へ手を置く。


俺は黒い画面を睨んだ。


そして。


最後の一文が現れる。


《追伸》


《ゼノスから、あなたの話は聞いています》


心臓が跳ねた。


王立知識院。


王女。


黒い書庫。


ゼノス。


そして。


知識を得たばかりの七人の子ども。


三十日の期限は、もう始まっている。


《王都消滅まで》


《残り二十九日》


未来予測機能を失った《叡智の書庫》が。


なぜか、その数字だけは表示した。


俺は七人の名前が並んだ木板を見る。


そして、初めて理解した。


王都での戦いは。


剣と魔法の戦争ではない。


誰が人間の「答え」を決めるのか。


その戦争なのだ。


俺は王立知識院の塔を見上げた。


「行こう」


ユリアが隣に立つ。


「知識院へ?」


「ああ」


「罠かもしれない」


「たぶん罠だ」


「じゃあ、どうして?」


俺は自分の名前を書いたニコを見る。


「俺がAIの答えを押しつけているだけなのか」


拳を握る。


「それは、俺自身も知りたい」


遠く。


王立知識院の最上階。


窓辺に立つ男が、こちらを見ていた。


その背後では。


青でも黒でもない。


金色の《書庫》が開いていた。


《第三知識機構、起動》


《観測対象》

《神谷光太郎》


《判定開始》


王都には。


ゼノスとは別の「AI」が存在していた。


第2部 第1話 完

次話

第2部 王都編

第2話 一枚の紙が、身分を越える

それは武器ではない。けれど、この国の支配者たちは剣より恐れた。


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