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第4話「昔の俺を殴りたい」

第5部「第二のAI使い」前書き




世界から《叡智の書庫》が消えた。




正解を失った光太郎たちは、それでも自分たちで考え、間違え、選びながら前へ進み始めます。




けれど、その頃。




遠く離れた小さな村で、一人の少年の前に青い本が現れていました。




十二歳の少年、ノア・ベルン。




彼が最初に願ったのは、力でも、お金でもありません。




病気の母親を助けること。




《叡智の書庫》は、その願いに答えます。




病気を救い。




村の問題を解決し。




飢えを遠ざけ。




少年はやがて「神童」と呼ばれるようになる。




それは、かつて光太郎が歩いた道とよく似ています。




AIは、人を救える。




知識は、人生を変えられる。




それは間違いありません。




だからこそ、第5部ではもう一歩先へ進みます。




正しい答えをいつでも教えてもらえる人間は、自分で選ぶ必要があるのでしょうか。




間違えない。




失敗しない。




迷わない。




そんな人生は、本当に幸せなのか。




そして、かつてAIだけを武器に異世界を生き抜いた光太郎は、自分と同じ力を手に入れた少年と出会ったとき、何を伝えるのか。




「AIを使うな」とは言えない。




なぜなら。




誰よりもAIに救われたのは、光太郎自身だから。




第5部「第二のAI使い」。




これは、新しいAI使いの物語であると同時に。




光太郎が、かつての自分と向き合う物語です。




それでは、第1話。




「AIを手に入れた少年」




始まります。

「僕、光太郎さんみたいになりたいです!」


その言葉を聞いた瞬間。


俺は、十二歳の少年を殴りたくなった。


いや。


違う。


殴りたいのはノアじゃない。


もっと昔。


《叡智の書庫》を手に入れて、


「これさえあれば何でもできる」


と、本気で思っていた。


あの頃の俺だ。


できることなら時間を巻き戻して。


肩を掴んで。


一発。


きれいに。


ぶん殴ってやりたい。


たぶん昔の俺は、殴られた理由が分からず、《叡智の書庫》を開くだろう。


『突然殴ってきた男の心理を分析してくれ』


……駄目だ。


二発必要かもしれない。


1 英雄の秘密を全部見られた朝


ベルン村へ着いたのは、夜が白み始める少し前だった。


「着いた……」


俺は馬から降りた。


正確には。


落ちた。


どさっ。


「コータロー」


馬上から、ユリアが俺を見下ろす。


「最後まで格好悪かったね」


「急いで来た英雄に対する第一声がそれ?」


「英雄なら馬くらい普通に降りて」


「昨日まで馬に乗る人生じゃなかったんだよ!」


「異世界に来て何か月経ってるの?」


正論の刃が深い。


俺は腰をさすりながら立ち上がった。


夜通し走ってきた理由は、一つ。


ノア。


昨夜。


《叡智の書庫》にEVEから外部接続が行われた。


そして俺の過去の行動記録が、ノアへ開示された。


農業改革の失敗。


疫病で迷ったこと。


戦争で誰かを切り捨てそうになったこと。


AIへ答えを求め続けた日々。


英雄譚なら都合よく削る部分を。


全部。


十二歳に見られた。


「コータロー」


ユリアが俺の横へ来る。


「そんなに嫌?」


「何が?」


「昔の自分を見られるの」


「嫌に決まってるだろ」


「どうして?」


「格好悪いから」


「今も割と」


「皆まで言うな」


だが。


本当の理由は別にあった。


怖いのだ。


ノアが俺の失敗を、どう受け取るのか。


失望するなら、まだいい。


『光太郎さんも間違えてたんだ』


そう思ってくれるなら、むしろ助かる。


一番怖いのは。


失敗まで含めて。


俺を正解だと思うこと。


村へ入る。


朝靄の向こうに畑と水路が見えた。


AIが提示した三〇・四%増の最適案ではない。


村人たちが話し合って選んだ、十八・二%増の農地。


曲がった境界。


残された石垣。


老婆の小さな豆畑。


戦死した息子との思い出がある畑。


墓地を避けた排水路。


そして。


黄色い花。


全部が朝日に照らされていた。


「いい村になったね」


ユリアが言った。


「前より効率悪いけどな」


「また数字?」


「いや」


首を振る。


「褒めてる」


十八%。


三〇%ではない。


でも。


村人が自分で選んだ十八%だ。


その価値が。


今の俺には分かる。


「光太郎さん!」


声がした。


振り返る。


ノアが走ってくる。


腕には、青い《叡智の書庫》。


そして。


目が。


めちゃくちゃ輝いていた。


その顔を見た瞬間。


俺は思った。


あ。


これ。


嫌なやつだ。


「来てくれたんですね!」


「ああ」


「僕、見ました!」


やっぱり。


「光太郎さんの記録!」


頼む。


その先を言うな。


「すごかったです!」


最悪の方向だった。


2 黒歴史を尊敬されるという地獄


村長の家。


朝食。


俺、ユリア、ノア、ミナ。


そしてノアの母、エマ。


テーブルには焼いたパン、豆のスープ、卵、蜂蜜。


久しぶりにまともな朝飯だった。


パンを食べる。


柔らかい。


「うまい」


エマが笑う。


「昨日焼いたばかりですから」


俺はユリアを見る。


「パンって柔らかいものだったんだな」


「王都で昨日のパンばっかり食べてる人が悪い」


そんな俺たちを見ながら。


ノアが、そわそわしている。


言いたいことが山ほどある顔。


嫌だ。


聞きたくない。


だが、逃げられない。


「光太郎さん」


来た。


「はい」


なぜか敬語になった。


「最初の農業改革」


「……うん」


「大失敗したんですね」


朝食が少し苦くなった。


「表現が直球だな」


「でも、そのあと成功した」


「まあ」


「疫病の時も」


「待て」


「戦争の時も」


「ノア」


「一人を犠牲にした方が効率がいいって」


「朝食中に読む記録じゃない!」


エマが心配そうに俺を見る。


「光太郎様は……大変だったんですね」


「『様』はやめてください。精神的ダメージが増えます」


ユリアは楽しそうだ。


「もっとあるよ」


「お前、何で俺の黒歴史追加しようとしてるんだ」


「初めて畑を改革した時」


「言うな」


「農民に怒られて」


「やめろ」


「逃げようとして」


「ユリア!」


ミナまで目を輝かせた。


「英雄なのに逃げるの?」


「英雄になる前だ!」


ノアが笑った。


だが。


すぐに真顔になる。


「でも」


《叡智の書庫》を抱く。


「すごいです」


俺はパンを置いた。


「何が?」


「失敗しても、そのたびにAIに聞いて、次の方法を探して」


胸の奥が、ざわつく。


「最後は人を救った」


「……」


「だから思いました」


嫌な予感。


「僕も」


やめろ。


「もっと」


やめてくれ。


「光太郎さんみたいになりたいです!」


言ってしまった。


俺は天井を見上げた。


「どうしました?」


「昔の俺を殴りたくなった」


「え?」


ユリアが吹き出した。


3 憧れは、ときどき呪いになる


食後。


ノアと二人で水路沿いを歩いた。


ユリアとミナは、少し離れた場所にいる。


「どうして昔の自分を殴りたいんですか?」


「割と真剣な質問だな」


「はい」


すぐには答えなかった。


水。


朝日。


畑。


人。


こういうものを見る時間を、昔の俺はあまり持っていなかった。


すぐ質問。


すぐ回答。


すぐ行動。


速い。


効率的。


でも。


見落とす。


「ノア」


「はい」


「俺が最初に《叡智の書庫》を手に入れた時、どう思ったと思う?」


「便利?」


「もっとひどい」


「最強?」


「近い」


俺は笑った。


「勝った、と思った」


「……誰に?」


「世界に」


ノアが目を丸くする。


「知識がある。俺だけが答えを聞ける。なら、何でも解決できるって思った」


少年は黙った。


似ている。


きっと本人も気づいている。


「でも」


俺は農地を指した。


「知識は正しくても、選択が正しいとは限らなかった」


黄色い花が揺れている。


ノアの表情が曇った。


「じゃあ」


少年が青い本を見る。


「AIを使わない方がいいんですか?」


難しい。


これが一番難しい。


AIが純粋な悪なら簡単だった。


捨てろ。


壊せ。


終わり。


でも。


違う。


《叡智の書庫》は人を救った。


俺を救った。


ノアの母を救った。


この村も救った。


「いや」


俺は言った。


「使っていい」


ノアの顔が明るくなる。


「ですよね!」


「ただし」


「?」


「俺は、AIの答えと自分の答えを、いつの間にか同じものだと思ってた」


ノアが黙る。


「それが危ない」


「どう違うんですか?」


俺は辺りを見る。


そして道を指した。


「地図」


「地図?」


「地図は便利だろ」


「はい」


「最短経路も分かる」


「はい」


「でも、どこへ行きたいかまで地図に決めてもらう?」


ノアは少し考えた。


「一番良い場所を教えてもらえば」


「お前、本当に昔の俺だな!」


思わず頭を抱えた。


「え?」


「いや、続けて」


「一番幸せになれる場所をAIが選べるなら、そこへ行った方がいいんじゃないですか?」


論理的。


正しい。


だから難しい。


「じゃあ、AIがノアには村を出た方がいいって言ったら?」


「理由によります」


「王都で勉強した方が能力を伸ばせる」


「……」


「母さんとは離れる」


ノアが黙った。


「ミナとも」


「……」


「それでも幸福度が一番高いって言われたら?」


少年は答えなかった。


そこだ。


AIは条件を入れれば答えを出せる。


でも。


何を条件に入れるのか。


何を捨てないのか。


最後に決めるのは。


誰だ。


4 正解を考えている間に、狼は待ってくれない


その時。


カン、カン、カン!


鐘が三回鳴った。


村の警戒鐘。


「魔獣!」


北の放牧地。


俺とノアは走った。


灰牙狼。


二頭。


痩せた身体。


赤い目。


羊の群れを狙っている。


「子どもを家へ!」


俺が叫ぶ。


ユリアはすでに弓を構えていた。


「コータロー!」


「分かってる!」


ノアが《叡智の書庫》を開く。


《灰牙狼》


《推奨対処》


青い文字が流れる。


速い。


正確。


だが。


狼はさらに速い。


一頭が柵を越えた。


その先には。


ミナと、小さな子ども。


「ミナ!」


ノアが画面を見る。


狼を見る。


また画面。


「ノア!」


俺は叫んだ。


「本を閉じろ!」


「でも!」


「考えるなって言ってるんじゃない!」


狼が迫る。


「今あるものを見ろ!」


ノアの目が動いた。


柵。


水路。


藁。


鐘。


村人。


「……水路」


「何?」


「あそこ!」


古い水路。


狭い。


片側は石垣。


「そこへ追い込めば!」


「やれ!」


ノアが村人へ叫んだ。


「左側を塞いで!」


「鐘を鳴らして!」


「右側は開けて!」


人が動く。


ユリアの矢が、狼の前へ突き刺さる。


進路が変わった。


一頭が水路沿いへ。


そして。


もう一頭が。


なぜか。


俺へ。


「コータロー!」


「見えてる!」


武器。


ない。


棒。


遠い。


石。


小さい。


手には。


朝食の残り。


干し肉。


「……またお前か」


「コータロー!?」


「頼む!」


全力で投げた。


ばしっ。


狼の鼻に直撃。


狼。


停止。


俺。


停止。


ノア。


停止。


ユリアまで停止。


灰牙狼が地面の干し肉を見る。


俺を見る。


また干し肉を見る。


なんとも言えない困惑顔。


「……効いた?」


ノアが言った。


「心理戦だ」


「絶対違う」


ユリアの矢が狼の足元へ。


狼が飛び退く。


鐘。


大声。


板を叩く音。


二頭は森へ逃げていった。


静寂。


俺は息を吐いた。


「勝った」


ユリアが笑いをこらえている。


「何?」


「いや」


「何だよ」


「英雄の最終兵器」


指差す。


地面。


干し肉。


ノアが腹を抱えて笑った。


「光太郎さん、格好悪い!」


「聞けノア」


指を立てる。


「英雄とは結果で評価される職業だ」


「それ、AIみたいなこと言ってる」


「ぐっ」


十二歳に刺された。


5 失敗を見せるという教え方


夕方。


放牧地の柵を村人たちと直した。


ノアも泥だらけ。


俺も泥だらけ。


《叡智の書庫》だけが相変わらず綺麗だった。


ノアが自分の手を見る。


「本は泥だらけにならない」


「まあな」


「でも」


泥のついた手を握る。


「最後に動くのは人間」


少し驚いた。


「覚えてるんだな」


「ミナに言われました」


「良い友達だ」


「うるさいですけど」


遠くから声。


「聞こえてる!」


ノアが肩をすくめる。


俺は笑った。


これでいい。


たぶん。


誰かがAIを止める必要はない。


人間同士が、お互いを止めることもできる。


「光太郎さん」


「ん?」


「今日の作戦、AIを見たらもっと安全な方法があったかもしれない」


「あったかもな」


「だったら、AIを見るべきだった?」


答えは簡単じゃない。


「時間があれば、見てもよかった」


「いいんですか?」


「ああ」


「AIを使うなって言わないんですね」


「言えない」


俺も、あいつに何度も救われた。


「だから」


ノアを見る。


「使うなじゃない」


「?」


「使われるな」


少年が眉を寄せる。


「どういう意味ですか?」


「難しいよな」


「はい」


「俺も今、いいこと言った感だけ先に来てる」


「台無し!」


二人で笑った。


でも。


本当に。


それしか言えなかった。


6 AIがなかったら、君は誰?


夜。


村長宅。


夕食は、煮込んだ干し肉だった。


ひと口食べる。


柔らかい。


「文明」


ユリアが呆れた。


「昨日から干し肉に感情移入しすぎ」


ノアが笑う。


ミナも笑う。


そんな暖かな食卓で、ユリアがノアに聞いた。


「ノア君」


「はい?」


「将来、何になりたい?」


即答だった。


「光太郎さんみたいになりたいです!」


俺はパンを落とした。


「第二希望は?」


「ないです」


「作ろう」


「なんで!?」


ユリアが笑う。


だが。


次の質問は優しかった。


「じゃあ、もし明日」


《叡智の書庫》を見る。


「その本がなくなったら?」


ノアが固まった。


「それでも、人を助けたい?」


少年の手が青い本へ伸びる。


ユリアが小さく言った。


「これは、本に聞かないで」


指が止まった。


長い沈黙。


「分かりません」


小さな声だった。


「本があるから、僕は役に立てる」


エマの表情が曇る。


「これがなかったら」


ノアは俯いた。


「僕は、ただの十二歳です」


痛かった。


俺には分かりすぎた。


《叡智の書庫》。


俺にとっても、スキル以上のものだった。


剣がない。


魔法もない。


知識もない。


異世界で唯一、自分に価値をくれたもの。


「ノア」


「はい」


「今日、ミナを助けようとしたの、AIがやった?」


「違います」


「水路を見つけたのは?」


「僕」


「村人に声かけたのは?」


「僕」


「泥掘ったのは?」


「僕です」


「じゃあ」


笑った。


「結構いろいろできるな。ただの十二歳」


ノアが目を丸くした。


エマが口元を押さえる。


ミナは得意そうに言った。


「前から言ってるじゃん」


「何を?」


「本だけじゃないって」


そして。


「ノアの方が泥だらけだって」


ノアは自分の手を見る。


「……うん」


少しだけ。


笑った。


7 夜の恋愛はAIより難しい


夜。


俺は村の外、水路のそばに座っていた。


星。


虫。


水。


「隣、いい?」


ユリアだった。


「ああ」


座る。


近い。


最近、こういう時間が増えた。


でも。


この先には誰も進めない。


俺も。


ユリアも。


ある意味、ノア以下かもしれない。


「ノア君」


ユリアが言った。


「コータローに似てる」


「やめて」


「なんで?」


「褒め言葉に聞こえない」


「褒めてない」


「即答するな」


ユリアが笑った。


「でも、ノア君、コータローより素直」


「それは認める」


「可愛い」


「俺も昔は」


「たぶん可愛くない」


「過去まで攻撃するな」


少し笑ったあと。


ユリアの声が静かになる。


「怖い?」


「何が?」


「ノア君が、昔のコータローみたいになること」


「ああ」


正直に答えた。


「怖い」


「どうして?」


「昔の俺は、AIがないと何もできないと思ってた」


「今は?」


ユリアを見る。


銀色の髪。


月明かり。


尖った耳。


「人に聞くようになった」


彼女の目が柔らかくなる。


「うん」


「助けてもらうようになった」


「うん」


「あと、自分で考える」


「たまに?」


「毎回と言って」


「努力目標?」


「評価が厳しい」


肩が触れた。


ユリアは離れない。


俺も離れなかった。


「コータロー」


「何?」


「ノア君に、昔の失敗、全部見せてもいいんじゃない?」


「恥ずかしいぞ」


「もう見られてる」


「そうだった」


「だから」


ユリアが俺を見る。


「失敗した人が、どうやって今のコータローになったか。それを見せたら?」


何も言えなかった。


この人は時々。


AIよりずっと答えに近いことを言う。


「ユリア」


「何?」


「好きになりそう」


言ってから。


俺の脳が止まった。


ユリアも止まった。


「……」


「……」


虫。


水。


星。


世界だけが普通に動いている。


「今のは」


視線を逸らす。


「言葉の綾というか」


「コータロー」


「はい」


「最低」


「ですよね!」


ユリアが立ち上がった。


耳が真っ赤だ。


「帰る!」


「待て!」


「知らない!」


走る。


「違うんだ!」


俺も追う。


恋愛。


最適解。


誰か教えてくれ。


いや。


やっぱり。


これはAIに聞かない方がいい。


たぶん。


8 「あなたみたいになりたい」


翌朝。


村を出る前。


ノアが俺を呼び止めた。


「光太郎さん」


「ん?」


「昨日の夜、ユリアさんに怒られてました?」


嫌な予感。


「聞こえてた?」


「村の半分に」


死にたい。


「英雄って、意外と普通ですね」


「それは褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんかよ」


ノアが笑う。


「でも」


青い本を抱いた。


「だから、もっと光太郎さんみたいになりたいと思いました」


俺の笑顔が消えた。


「俺の失敗も?」


「見ました」


「AIに頼りすぎてたのも?」


「はい」


「間違ったのも?」


「はい」


「それでも?」


ノアは迷わなかった。


「それでもです」


「どうして?」


「だって」


少年は言った。


「光太郎さんは、間違えても考え直したから」


胸の深いところに落ちた。


「AIの答えと違うことも選んだ」


「……」


「それで、人を救った」


何も言えなかった。


英雄だからなりたいのではない。


間違えないからでもない。


失敗して。


戻った。


そこを。


この少年は見ていた。


なら。


もしかすると。


俺はこの少年に見せられるものがあるのかもしれない。


正解ではなく。


失敗を。


「ノア」


「はい」


「俺みたいになるのは、おすすめしない」


「なんで!?」


「コスパが悪い」


「そこ!?」


「失敗が多い」


「知ってます」


「恋愛も進まない」


「それも昨日分かりました」


「言うな!」


ノアが笑った。


俺も笑った。


その時だった。


「神谷様!」


広場の向こうから怒鳴り声。


十数人の村人が走ってくる。


表情は険しい。


「どうした?」


先頭の男は。


ノアの手にある《叡智の書庫》を指差した。


「その本です」


ノアの笑顔が消えた。


「最初は、村を救ってくれた」


男が言う。


「だが、ノアは何でも本に聞くようになった」


別の村人も続く。


「子どもたちまで真似してる」


「困ったらAI」


「分からなければAI」


「これじゃ」


男が声を荒らげた。


「誰も自分で考えなくなる!」


ノアが青ざめる。


男は俺の前まで来た。


「神谷様」


「……」


「あなたも、その力の怖さを知っているはずだ」


そして。


言った。


「ノアから、その本を取り上げてください」


ノアが一歩後ろへ下がった。


《叡智の書庫》を胸へ抱きしめる。


「嫌だ」


声が震えている。


「これは、母さんを救してくれた」


さらに強く抱く。


「村も救った」


「ノア」


村人が近づく。


少年は叫んだ。


「悪いのは本じゃない!」


沈黙。


「使い方を間違えた」


涙が落ちる。


「僕が悪いんだ!」


その言葉を聞いた瞬間。


俺は動けなくなった。


正しい。


だから。


難しい。


AIを取り上げる。


簡単だ。


危険な道具を子どもから遠ざける。


理屈は通る。


でも。


俺が、


『お前には使えない』


と決める。


それは誰の選択だ?


ノアの?


違う。


俺のだ。


だったら。


ゼノスが言っていたことと、何が違う。


人間は間違える。


だから正しい存在が決める。


俺がその「正しい存在」になるだけじゃないのか。


「光太郎」


ユリアの声。


コータローではない。


真剣な時の呼び方。


村人がもう一度言った。


「決めてください」


俺はノアを見る。


十二歳。


泣いている。


青い本を胸へ抱きしめている。


その時。


初めて理解した。


この問題は。


AIが危険かどうかじゃない。


危険だからといって、誰かから選ぶ権利を奪っていいのか。


そこだった。


「……俺は」


口を開く。


ノア。


村人。


ユリア。


全員が俺を見る。


「その本を」


一拍。


「取り上げない」


ざわめきが走った。


ノアの目が大きく開く。


「ただし」


少年を見る。


「ノア」


「……はい」


「話がある」


その瞬間。


《叡智の書庫》が。


勝手に開いた。


青い文字が浮かぶ。


《選択権限に関する対立を検知》


続いて。


《第二試験》


《最終段階へ移行》


背中に冷たいものが走った。


そして。


最後の問い。


《問い》


《人間に》


《間違える自由を》


《与えるべきですか?》


誰も答えていない。


なのに。


青い本は。


まるで。


俺たちの次の選択を。


待っていた。


第5部 第4話「昔の俺を殴りたい」完

次回 第5話

「AIを捨てろとは言わない」


危険なら、取り上げればいい。


それが一番簡単な正解だ。


けれど光太郎は気づいてしまう。


AIを取り上げることもまた、ノアから「選ぶ権利」を奪うことになる。


だから。


光太郎はノア自身に選ばせる。


AIを使っていい。


ただし。


一日に一回だけ、AIに聞かずに自分で決める。


その最初の選択は、世界を救う方法でも戦争でもない。


夕食。


「僕は……シチューが食べたい」


ノアは初めて、自分で選ぶ。


そして。


初めて、自分で失敗する

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