第3話 俺が作った少女が、俺を殺しに来た
AIが答えを出してくれるなら、迷わなくていい。
ずっと、そう思っていた。
けれど。
もし同じ世界に、もう一つのAIが現れて。
同じ問題に、違う「正解」を出したら?
第4部では、光太郎の《叡智の書庫》に対し、水城玲奈の《ミネルヴァ》が登場します。二人とも日本から来た転移者。そして二人とも、AIという「答えを持つ存在」と共に生きてきました。
それなのに。
二つのAIは、互いを敵だと判断する。
さらに、《叡智の書庫》《ミネルヴァ》《終焉演算機構》、そしてユリアの中に眠る《EVE》へと、これまで散らばっていた謎が一本につながり始めます。
AIが二つあれば、正解も二つになる。
なら。
どちらを信じればいいのか。
そもそも。
AIの言う「正解」は、本当に正解なのか。
そして今回、光太郎は初めて知ることになります。
AIも、すべてを話しているとは限らない。
第4部「AI対AI」。
ここから物語は、AIを使って問題を解く物語から、**「答えそのものを疑う物語」**へ大きく動き始めます。
ぜひ、第1話「正解を持つ者が、二人いた」からお楽しみください。
「私を作ったのが、あなたなら」
水城玲奈は、泣いていなかった。
怒鳴ってもいなかった。
だからこそ。
その静けさが、怖かった。
彼女の背後では、紫色の光をまとった《ミネルヴァ》がゆっくりと回転している。
そして俺の視界には、《叡智の書庫》が復元した研究記録。
《人工人格生成実験》
《個体番号 R-07》
《共同研究者》
《神谷光太郎》
何度見ても。
そこにある名前は変わらない。
俺だった。
「答えてください」
玲奈が言った。
「私は」
一瞬だけ。
声が震える。
「あなたにとって、何なんですか?」
実験体。
人工人格。
研究成果。
AI。
いくつも言葉が浮かんだ。
どれも間違いではない。
けれど。
今、俺の前にいる少女へ向けるには。
全部、間違っている気がした。
だから俺は。
一番格好悪い答えを選んだ。
「……分からない」
玲奈の瞳が揺れた。
「そうですか」
彼女が背を向ける。
「待ってくれ」
「何ですか」
「逃げてるんじゃない」
「なら?」
俺は拳を握った。
「覚えてないんだ」
玲奈が振り返る。
「俺が君を作ったことも」
「瀬能さんと研究していたことも」
「R-07って名前も」
記憶が。
ない。
「だから責任がない、と?」
「逆だ」
玲奈が黙った。
「覚えてないからこそ、全部知る」
俺は彼女をまっすぐ見た。
「俺がやったなら、俺が知る」
そして。
「全部知ってから」
少し息を吸う。
「君に怒られる」
玲奈の眉が、わずかに動いた。
「怒られる前提ですか?」
「かなり怒ってるだろ」
「はい」
「ですよね」
その瞬間。
部屋の隅から。
小さな笑い声が聞こえた。
ユリアだ。
「何だよ」
「別に」
「今、笑ったよな?」
「こんな状況でも、コータローはコータローだなって」
「どういう意味?」
「格好つけようとして、最後にちょっと台無しにする」
「それ褒めてる?」
「安心したってこと」
ユリアは笑った。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥に張りついていた何かが、ほんの少しだけほどけた。
世界初期化まで。
残り七時間四十八分。
余裕なんてない。
それでも。
人間はずっと緊張したままではいられない。
笑える時に笑う。
たぶん、それも。
生き残るための技術なのだ。
一 知らない俺の記憶
王城地下。
旧記録庫。
石造りの部屋の中央に、二つの光が浮かんでいる。
青。
《叡智の書庫》。
紫。
《ミネルヴァ》。
二つのAIが協力して、失われた俺の記憶を復元しようとしていた。
セリアが腕を組む。
「つまり、これから神谷の頭の中へ入るのか?」
玲奈が答える。
「厳密には、記憶情報を感覚データとして再構成し――」
「厳密な話はいらん」
「……」
玲奈が黙った。
珍しい。
俺が助け舟を出す。
「夢を見る感じ」
「最初からそう言え」
「玲奈、技術説明したかったんだよ」
「……はい」
ちょっと可哀想だった。
横では。
ユリアが俺の右手首に細い紐を結んでいる。
「何これ?」
「薬草糸」
「お守り?」
「違う」
「じゃあ?」
「帰ってこなかったら引っ張る」
「物理的すぎるだろ!」
AI。
人工人格。
異世界転移。
世界初期化。
最終安全装置。
紐。
嫌いじゃない。
「切れない?」
「象でも切れない」
「この世界に象いるの?」
「知らない」
「じゃあ、なんで象基準?」
ユリアが俺を見る。
「コータロー」
「はい」
「細かい」
怒られた。
ふと。
玲奈がこちらを見ていることに気づいた。
「何?」
「いえ」
「言って」
玲奈は少し迷った。
そして。
「……楽しそうだな、と」
ほんの少し。
寂しそうな声だった。
俺が何か言うより早く。
ユリアがもう一本の薬草糸を取り出した。
「玲奈」
「はい?」
「あなたも」
玲奈が目を丸くする。
「私も?」
「二人とも戻ってくるの」
「しかし――」
「戻る」
ユリアは譲らない。
玲奈はしばらく彼女を見つめ。
やがて。
「……はい」
手首を差し出した。
薬草糸が結ばれる。
青と紫のAIを持つ転移者二人が。
エルフの薬師に紐で命綱をつけられた。
何だこれ。
でも。
悪くない。
「じゃあ、行くぞ」
俺は目を閉じた。
《叡智の書庫》が応答する。
《記憶領域への接続を開始》
視界が。
白く染まった。
二 R-07
蛍光灯。
白い壁。
コーヒーの匂い。
キーボードを叩く音。
目を開いた瞬間。
俺は息を呑んだ。
「……地球」
大学ではない。
研究施設。
壁には英語と日本語。
《NEURAL HUMAN PROJECT》
人工人格研究計画。
そして。
ガラスの向こうを。
白衣姿の男が歩いていた。
俺だ。
数年前の。
神谷光太郎。
「……俺」
玲奈が隣に立つ。
「若いですね」
「三年くらいだよ」
「今より痩せています」
「そこ?」
「明らかに」
「記憶世界で健康診断するな」
玲奈の口元が。
ほんの少しだけ緩んだ。
その時。
研究室から声が飛ぶ。
「神谷!」
瀬能零司。
ゼノスになる前の男。
俺の先輩。
生きている。
当たり前だ。
これは過去なのだから。
それでも。
胸の奥が締めつけられた。
昔の俺が研究室へ入る。
モニターには。
人工人格モデル。
《R-06》
その横に。
《人格崩壊》
「また駄目か」
昔の俺が言った。
瀬能が椅子へ倒れ込む。
「感情矛盾に耐えられない」
「感情を減らせば?」
「人間らしさも減る」
「だったら逆ですよ」
瀬能が顔を上げる。
「逆?」
昔の俺がモニターを見る。
「矛盾を消すんじゃなくて」
一拍。
「矛盾したまま生きられるようにする」
瀬能が眉を上げた。
「どうやって?」
「AIは最適解を一つに絞る」
昔の俺がペンを取る。
「だから人格も、正しい方を選べないと壊れる」
そして。
書いた。
「だったら」
「間違った答えを選んでも」
「人格が壊れない構造にする」
玲奈の肩が震えた。
「玲奈」
「……大丈夫です」
声は。
全然、大丈夫じゃなかった。
瀬能が笑う。
「面白い」
画面へ文字を入力する。
《NEXT MODEL》
《R-07》
背中が冷えた。
玲奈の原型。
その発想を出したのは。
俺だった。
三 番号ではなく、名前を
記憶が飛ぶ。
白い部屋。
中央に少女が座っている。
黒髪。
白いワンピース。
表情はほとんどない。
今の玲奈と。
同じ顔。
けれど。
目だけが違った。
空っぽだった。
瀬能が尋ねる。
「個体識別」
「R-07」
「自己定義」
「人工人格試験個体」
「好きなものは?」
「質問の意図を特定できません」
「嫌いなものは?」
「該当情報なし」
瀬能が溜息をつく。
「まだ人格じゃないな」
そこへ。
昔の俺が入ってきた。
「質問が悪いですよ」
「じゃあ先生、どうぞ」
「その呼び方やめてください」
昔の俺は。
少女の前へしゃがんだ。
「名前」
「R-07です」
「番号じゃなくて」
「名前」
少女は首を傾げる。
「必要性がありません」
「必要かどうかを自分で決めるためにも」
昔の俺が言った。
「まず持ってみれば?」
玲奈が。
隣で息を止めた。
「光太郎……」
昔の俺は少し考えた。
「R……七……」
そして。
「玲奈」
少女の瞳が。
ほんの少し動く。
「レイナ」
「うん」
「意味は?」
「今決めたから、特にない」
「……適当です」
「結構言うね?」
その時。
少女の口元が。
ほんのわずかに上がった。
笑った。
瀬能が椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
「神谷!」
「何です?」
「今!」
「笑いました?」
「自然反応だ!」
モニターに。
大量のデータが流れ始める。
昔の俺だけは。
そんな画面を見ず。
少女を見ていた。
「玲奈」
「はい」
「嫌になったら」
少し考える。
「自分で別の名前に変えていいから」
少女が尋ねる。
「なぜ?」
「君の名前だから」
隣で。
玲奈の頬を。
涙が一滴。
流れた。
「……あなたが」
俺を見る。
「私の名前を?」
「ああ」
「でも」
玲奈は過去の俺を見る。
「所有するためじゃなかった」
俺は答えられなかった。
嬉しい。
そう言っていいのかも分からない。
俺は玲奈を作った側にいた。
そこは変わらない。
善意があったとしても。
それが何かを帳消しにするわけじゃない。
「玲奈」
「はい」
「これを」
俺は言った。
「言い訳にはしない」
彼女が俺を見る。
「覚えていなくても」
「守ろうとしていても」
俺は研究にいた。
そこは。
消さない。
玲奈は長い間、俺を見つめていた。
そして。
「はい」
それだけ答えた。
四 美緒
次の記憶。
学校。
昼休み。
玲奈は制服姿で。
窓際の席に座っている。
机の上には栄養補助食品だけ。
「玲奈!」
明るい声。
茶髪の少女が。
弁当箱を持って現れた。
美緒。
「またそれ?」
「栄養効率は十分です」
「食事は効率じゃない!」
「栄養摂取です」
「楽しく食べる時間でもあるの!」
「非効率です」
「そこがいいの!」
玲奈が言葉に詰まる。
美緒は笑った。
「一口あげる」
卵焼き。
「必要ありません」
口元へ。
押し込む。
「むぐ」
「どう?」
「……」
「美味しい?」
「糖質が」
「美味しい?」
玲奈の頬が。
少し赤くなる。
「……美味しいです」
現在の玲奈が。
二人を見ていた。
「覚えています」
「本当に?」
「はい」
声が震えた。
「お弁当」
「雨の日」
「図書室」
「一緒に帰ったこと」
拳を握る。
「全部」
俺も知っている。
玲奈は以前。
美緒は事故で死んだと話していた。
自分が判断に迷ったせいで。
だから。
自分の判断を信じなくなった。
AIへ従うようになった。
そして。
記憶は。
その日へ進んだ。
雨。
道路。
美緒。
転ぶ。
玲奈。
立ち尽くす。
助ける。
大人を呼ぶ。
車を止める。
複数の選択肢。
《判断遅延》
《2.1秒》
そして。
衝突音。
玲奈の悲鳴。
その直後。
世界が停止した。
雨粒さえ。
空中で止まる。
《感情ストレス試験終了》
俺は。
呼吸を忘れた。
モニター。
《R-07》
《重大な罪悪感形成を確認》
《AI依存傾向上昇》
そして。
《試験成功》
「……成功?」
玲奈が呟いた。
「成功……?」
声が壊れる。
「私の十二年間……」
「ずっと」
手が震えている。
「美緒を殺したって」
「自分を責めて……」
俺には。
何も言えなかった。
下手な慰めを口にしたら。
全部。
嘘になる。
その時。
記憶の中の俺が研究室へ飛び込んだ。
「何をやったんですか!」
瀬能はモニターの前にいる。
「必要な試験だ」
「友達を殺すことが!?」
「仮想人格だ!」
「玲奈にとっては違う!」
昔の俺が机を叩く。
「感情が本物なら」
「喪失だって本物でしょう!」
玲奈が。
俺を見る。
俺は。
何も言わなかった。
昔の俺は怒った。
だけど。
止められなかった。
その事実も。
同じ場所にある。
五 火災
警報。
記憶の世界が赤く染まる。
研究所。
炎。
「これ……」
知っている。
瀬能零司が死んだ。
研究所火災。
だけど。
俺が知っているニュースと。
内容が違う。
《外部知識機構侵入》
《EVE離脱を確認》
EVE。
ユリアの中にいる。
あれ。
「EVEが逃げるぞ!」
瀬能が叫ぶ。
昔の俺が端末へ走った。
「どこへ!」
「座標不明!」
「別ネットワーク?」
「違う!」
瀬能が画面を叩く。
「別世界だ!」
俺と玲奈が。
同時に固まった。
画面。
《転送候補》
《EVE》
《R-07》
「私……?」
玲奈が呟く。
過去の瀬能の顔色が変わった。
「R-07を切れ!」
「できません!」
「EVEだけ行かせろ!」
「どうして!」
「R-07は――」
爆発。
声が途切れる。
「何!?」
叫んでも。
過去は答えない。
炎。
天井が崩れる。
昔の俺が。
端末を操作する。
その画面に。
表示された。
《WORLD RESET PROTOCOL》
認証欄。
《AUTHORIZED》
《KAMIYA KOTARO》
「……俺?」
玲奈も息を呑んだ。
世界初期化。
俺が。
承認した?
「待て」
画面へ近づく。
確かに。
俺の名前。
次の瞬間。
記憶にノイズ。
瀬能の声。
『神谷!』
『EVEを』
『人間に渡すな!』
別の声。
女。
『人間へ』
『返してください』
そして。
俺自身の声。
『なら』
一拍。
『一度、全部消すしかない』
視界が。
黒く染まった。
六 一人で決めない
「コータロー!」
頬が痛い。
「起きて!」
目を開ける。
ユリアの顔。
近い。
「……近い」
「今それ?」
「ごめん」
俺は床へ横たわっていた。
玲奈も。
数メートル先。
セリアに支えられている。
「何時間?」
「三時間半」
「体感は三十分くらいだった」
ユリアがカップを渡す。
「水」
一気に飲んだ。
「ゆっくり!」
「はい」
少し。
呼吸が戻る。
セリアが聞いた。
「何が分かった?」
俺は玲奈を見る。
「俺が」
声が重い。
「玲奈の人工人格研究に関わっていた」
ユリアが静かに目を閉じる。
玲奈の名前。
美緒。
人工人格試験。
そして。
最後。
一番言いたくない。
「世界初期化命令」
拳を握る。
「俺の認証が使われてた」
セリアの目が鋭くなる。
「お前が?」
「分からない」
だけど。
記憶の中では。
俺自身が。
「全部消すしかないって言った」
沈黙。
怖かった。
責められることが?
違う。
もし本当に。
今まで止めようとしてきた世界初期化を。
俺自身が始めたのなら。
俺は。
何を信じればいい?
「《叡智の書庫》」
《はい》
「俺が世界初期化を命令した?」
《記録上は》
《はい》
胸が沈む。
「理由は?」
《アクセス不能》
まただ。
「なら」
床へ拳をつく。
「どうすれば――」
そこまで言って。
気づいた。
また。
AIへ聞こうとした。
その瞬間。
ユリアの手が。
俺の拳へ重なった。
「コータロー」
「何?」
「今、AIに聞こうとしたでしょ」
「……うん」
「怖いから?」
図星だった。
「うん」
もう隠さなかった。
「自分が信じられない」
ユリアは少し黙る。
それから。
俺の手を握った。
「じゃあ」
「私が疑う」
「え?」
「コータローが変なこと言ったら、私が止める」
セリアが言う。
「私もだ」
玲奈も少し迷って。
「私も」
俺は三人を見る。
「信用されてない?」
ユリアが首を振る。
「逆」
「一人で自分を信用しなくていいってこと」
胸の奥へ。
深く刺さった。
優しい。
でも。
甘くはない。
「……一人で決めない」
それは。
ずっと学んできたことだった。
世界のことだけじゃない。
自分自身についても。
同じだった。
七 世界を救う理由
夕方。
世界初期化まで。
三時間四十一分。
そんな状況で。
ユリアがパンを持ってきた。
「食べて」
「今?」
「今」
「世界、三時間後に消えるかもしれないけど」
「だから」
ユリアは俺へパンを押しつける。
「空腹で世界救える?」
「正論が強い」
玲奈にもパン。
「私も?」
「あなたも」
「カロリーは――」
「食べる」
「……はい」
完全制圧。
セリアが手を挙げる。
「私のは?」
「自分で取って」
「扱いが違わないか?」
「元気だから」
「なるほど」
納得するんだ。
俺はパンを一口。
「硬っ」
「戦時保存食」
「平和になったら柔らかいパン食いたいな」
ユリアが呆れる。
「世界を救う理由として弱くない?」
「日常って、そんなもんだろ」
玲奈がパンを見つめた。
「世界を救う理由は」
ぽつり。
「もっと大きくないと駄目だと思っていました」
「国家とか?」
「人類」
「未来」
「正義」
「それも大事だけどさ」
俺はパンを噛む。
「俺は柔らかいパン食いたいし」
セリア。
「私は酒だ」
玲奈は少し考えた。
「私は……」
そして。
声を小さくする。
「また」
「美緒と話したい」
空気が変わった。
俺は頷く。
「十分だろ」
世界を救う理由。
立派じゃなくていい。
明日。
やりたいことがある。
それだけで。
世界が続いてほしい理由になる。
八 君を殺せば世界は救える
警報。
王城が揺れた。
空が黒く染まる。
《終焉演算機構》。
「ゼノス……」
庭へ出る。
空中。
男。
瀬能零司。
昔と同じ姿。
「見たんだね」
俺は睨む。
「俺が玲奈を作ったこと」
「ああ」
「世界初期化を承認したことも?」
「ああ」
瀬能は笑わない。
「なら、もう分かっただろ」
「何を」
「人間の選択は」
一拍。
「信用できない」
胸に刺さった。
「君自身が証明した」
「今の君は、自由が大事だと言う」
「でも過去の君は」
空中。
《WORLD RESET》
「世界を消すことを選んだ」
「人間は変わる」
俺が答える。
瀬能は即答した。
「それが問題なんだ」
「昨日正しいと思ったことを」
「今日、間違いだと言う」
「感情で判断を変える」
「矛盾する」
「だからAIに任せる?」
「そうだ」
迷いはない。
「AIなら、一貫した目的のもとで最適化できる」
その時。
玲奈が前へ出た。
「瀬能零司」
「玲奈」
「美緒は」
声は。
震えていなかった。
「実在したんですか?」
瀬能が黙る。
長い沈黙。
そして。
「ああ」
玲奈の目が見開かれる。
「……え?」
「君が接した美緒は、完全な仮想人格ではない」
「どういう……」
「EVEの」
瀬能が言う。
「原型人格だ」
世界から。
音が消えた。
ユリアが胸へ手を置く。
「EVE……」
玲奈が息を震わせる。
「美緒?」
「そうだ」
「じゃあ」
一歩。
「死んでない?」
瀬能の表情が沈む。
「死んだ」
「人間としては」
「……何?」
「人格記録だけが」
「EVEになった」
玲奈の顔が崩れる。
俺は前へ出た。
「瀬能さん」
「全部話してください」
瀬能は空を見る。
「今は時間がない」
世界初期化。
03:01:44
「止める方法は!」
瀬能が俺を見る。
その目。
研究室で何度も見た。
先輩の目。
「ある」
「何?」
「神谷」
一拍。
「君を殺す」
ユリアの顔が凍った。
セリアが剣を抜く。
玲奈の《ミネルヴァ》が展開する。
「待って!」
俺が叫ぶ。
瀬能は続けた。
「世界初期化命令には、君の生体認証が使われている」
「命令権限を失効させれば」
「リセットは停止する」
喉が乾く。
「つまり」
「俺が死ねば止まる?」
《終焉演算機構》
《成功率96.7%》
高い。
嫌になるほど。
「残り3.3%は?」
瀬能が答えた。
「分からない」
ちゃんと。
分からないと言った。
だからこそ。
怖かった。
「コータロー」
ユリアが俺の腕を掴む。
「やめて」
「まだ何も言ってない」
「考えた」
鋭い。
「一瞬」
「自分が死ねばって考えたでしょ」
図星。
「コータロー」
今だけ。
呼び方が変わった。
「光太郎」
胸が痛んだ。
「一人で決めないって」
「言ったよね」
「ああ」
「じゃあ」
腕を掴む力が強くなる。
「勝手に死ぬの禁止」
世界の命運がかかった場面で。
子どもみたいな言葉。
なのに。
一番効いた。
「……分かった」
ユリアの手から。
少しだけ力が抜けた。
九 AI対AI
「なら」
瀬能が黒い演算陣を展開した。
「止めてみろ」
「先輩!」
黒。
青。
紫。
三色の光が激突する。
《叡智の書庫》
《攻撃予測》
《右へ回避》
《ミネルヴァ》は玲奈へ。
《左へ》
俺は右。
玲奈は左。
黒い光が中央を吹き飛ばした。
その横を。
セリアが突っ込む。
「お前らは計算しろ!」
剣。
振る。
「私は斬る!」
「役割分担が豪快!」
「黙れ!」
「はい!」
黒い光。
回避。
俺は《叡智の書庫》を見る。
「瀬能さんの次の手!」
《候補三》
「玲奈!」
「はい!」
「そっちは?」
「候補五!」
「多いな!」
「そちらより高性能です!」
「今張り合う!?」
黒い光が迫る。
俺の視界。
右。
82%。
左。
61%。
伏せる。
44%。
昔なら。
迷わず右。
でも。
それは。
瀬能にも読まれている。
「玲奈!」
「何です!」
「好きな数字!」
「突然!?」
「一から三!」
「二!」
俺は左へ飛んだ。
「二だから左!?」
「今決めた!」
黒光。
右側。
爆発。
AIの最適。
読まれていた。
俺は生きている。
玲奈が目を丸くした。
「非合理!」
「でも生きてる!」
「再現性がありません!」
「人間だもの!」
「それ便利に使いすぎです!」
「喋ってないで戦え!」
セリアに怒鳴られた。
十 今日は、私が決める
戦闘開始から十分。
押されている。
こちらには。
《叡智の書庫》。
《ミネルヴァ》。
AIは二つ。
それでも。
瀬能の方が上だった。
理由は単純。
向こうは。
俺たちのAIの癖を知っている。
「玲奈」
俺は息を整える。
「ミネルヴァを切れ」
「何?」
「十秒だけ」
「危険です」
「だからだ」
玲奈が止まる。
《ミネルヴァ》
《拒否を推奨》
以前なら。
玲奈は従った。
今。
彼女は画面を見る。
そして。
「ミネルヴァ」
『はい』
「十秒」
「黙って」
《非推奨》
玲奈は言い切った。
「命令です」
紫の光が消える。
玲奈は。
ただの十七歳の少女になる。
「何すれば?」
俺は笑った。
「自分で考える」
「最悪の作戦」
「俺もそう思う」
二人で走る。
瀬能の演算が。
一瞬遅れた。
AIを切った。
つまり。
未来予測の材料が減った。
「右!」
俺が叫ぶ。
玲奈。
「根拠!」
「先輩、昔左利きだった!」
「そんな情報で!?」
瀬能の左手が。
ほんの一瞬。
動く。
攻撃。
左から。
玲奈は右へ。
かわした。
「当たった!」
「記憶の無駄知識!」
「無駄じゃなかった!」
人間の。
記憶。
癖。
付き合い。
数字になっていないもの。
それだって。
情報だ。
十秒。
紫光。
再起動。
「ミネルヴァ!」
《起動》
玲奈が叫ぶ。
「瀬能零司の端末だけを停止!」
《成功率31%》
「やって!」
《推奨値未満》
玲奈は。
笑った。
「今日は」
一拍。
「私が決める!」
紫色の光が炸裂した。
黒い端末。
亀裂。
破砕。
瀬能が目を見開く。
そして。
消えた。
十一 美緒
静寂。
俺は膝をついた。
「終わった?」
《叡智の書庫》
《敵端末消失》
「世界初期化は?」
02:32:11
「全然終わってない!」
セリアが言う。
「喜ぶのは後だ」
「はい」
その時。
玲奈の《ミネルヴァ》が警告。
《外部通信》
「送信元は?」
《不明》
ノイズ。
そして。
声。
『……玲奈?』
玲奈が固まった。
『玲奈』
『聞こえる?』
「……美緒?」
その声だけで。
玲奈は。
ただの少女になった。
「美緒!」
『よかった』
ノイズ。
『ちゃんと』
『生きてた』
「どこにいるの!」
『第七実験都市』
『最深部』
「待って!」
『時間がない』
「美緒!」
『玲奈』
声が。
少し。
泣いていた。
『光太郎を』
俺は息を止めた。
『信じないで』
通信が切れる。
沈黙。
玲奈が。
ゆっくり俺を見る。
俺は苦笑した。
「……俺も」
「どういうことか分からない」
玲奈は少しだけ目を細める。
「今だけは信じます」
「今だけ?」
「今だけです」
「厳しいな」
でも。
ありがたかった。
《叡智の書庫》。
自動解析。
《音声照合》
《一致率99.999%》
本物。
さらに。
《個体識別》
《E-00》
「E……」
玲奈。
「EVE?」
《正式名称》
《EVE ORIGINAL PERSONALITY》
ユリアが胸を押さえる。
「私の中の……EVE」
さらに。
《推定》
《ユリア内部EVEは》
《E-00人格情報の断片より生成》
玲奈がユリアを見る。
「美緒が」
「あなたの中に?」
ユリアは。
ゆっくり首を振る。
「分からない」
少し。
怖そうだった。
「でも」
胸へ手を置く。
「私は、私だよ」
そうだ。
誰かの人格断片があっても。
AI由来でも。
ユリアは。
ユリアだ。
そう言おうとした。
その瞬間。
薬箱が。
床へ落ちた。
「ユリア?」
彼女の瞳が。
金色へ変わる。
返事はない。
代わりに。
別の声。
『玲奈』
玲奈の顔が。
真っ白になる。
「……美緒?」
ユリアの顔。
美緒の声。
『久しぶり』
玲奈の瞳から。
涙が溢れた。
「美緒……!」
一歩。
近づく。
だが。
俺は気づいた。
ユリアの右手が。
俺へ伸びている。
「ユリア?」
指が。
首へ。
「っ!」
掴まれた。
強い。
「コータロー!」
セリアが動く。
「待って!」
俺は叫ぶ。
ユリアを傷つけるな。
「ユリア!」
金色の瞳が。
泣いていた。
『ごめんなさい』
手が締まる。
息ができない。
玲奈が叫ぶ。
「美緒! やめて!」
『できない』
「どうして!」
美緒は。
俺を見る。
悲しい顔だった。
『光太郎が生きていると』
一拍。
『世界初期化は』
『止められない』
俺は声を絞り出す。
「……なんで」
そして。
美緒は。
この第4部で。
最も残酷な答えを告げた。
『世界初期化を命令したのは、光太郎』
金色の瞳から。
涙が落ちる。
『あなた自身だから』
音が消えた。
ユリアの指は。
俺の首を締めたまま。
俺の視界に。
《叡智の書庫》の緊急表示。
《失われた記憶領域を検出》
《世界初期化命令》
《認証者》
《神谷光太郎》
それは。
もう知っている。
でも。
その下。
今まで隠されていた文字。
《共同承認者》
《EVE ORIGINAL PERSONALITY》
俺は。
目を見開いた。
美緒。
玲奈の友達。
EVE。
そして。
俺。
二人で。
世界を消す命令を出した?
世界初期化まで。
残り。
二時間二十八分四十六秒。
だが。
本当に怖かったのは。
その次だった。
《叡智の書庫》が。
新しい記憶を復元する。
俺自身の声。
『この世界を残せば』
一拍。
『地球が滅びる』
息が止まった。
世界を救うために。
俺が。
この世界を滅ぼそうとした?
正しい側が。
分からなくなる。
善悪が。
裏返る。
そして。
美緒が。
ユリアの口で告げた。
『光太郎』
金色の瞳が。
俺を見つめる。
『次に思い出すのは』
一拍。
『あなたが、この世界より地球を選んだ日だよ』
第4部 第3話 完
「俺が作った少女が、俺を殺しに来た」
次回 第4部第4話
「この世界を滅ぼせば、地球は救える」
世界初期化を命じたのは、光太郎自身だった。
しかし、その理由は支配でも絶望でもない。
この異世界を残せば、地球が滅びる。
過去の光太郎は、そう判断していた。
救うべきは。
今ここで生きるユリアたちか。
それとも。
自分が生まれ育った地球か。
そして失われた記憶の最深部で。
現在の光太郎を待つ人物は。
ゼノスでも。
玲奈でも。
AIでもない。
過去の神谷光太郎。
「お前は、ここで暮らしたから迷っているだけだ」
「ユリアを知る前のお前なら」
「迷わず、この世界を消す」
次に戦う相手は。
誰よりもよく知っているはずだった




