第2話 AIは、AIに嘘をつけるのか
AIが答えを出してくれるなら、迷わなくていい。
ずっと、そう思っていた。
けれど。
もし同じ世界に、もう一つのAIが現れて。
同じ問題に、違う「正解」を出したら?
第4部では、光太郎の《叡智の書庫》に対し、水城玲奈の《ミネルヴァ》が登場します。二人とも日本から来た転移者。そして二人とも、AIという「答えを持つ存在」と共に生きてきました。
それなのに。
二つのAIは、互いを敵だと判断する。
さらに、《叡智の書庫》《ミネルヴァ》《終焉演算機構》、そしてユリアの中に眠る《EVE》へと、これまで散らばっていた謎が一本につながり始めます。
AIが二つあれば、正解も二つになる。
なら。
どちらを信じればいいのか。
そもそも。
AIの言う「正解」は、本当に正解なのか。
そして今回、光太郎は初めて知ることになります。
AIも、すべてを話しているとは限らない。
第4部「AI対AI」。
ここから物語は、AIを使って問題を解く物語から、**「答えそのものを疑う物語」**へ大きく動き始めます。
ぜひ、第1話「正解を持つ者が、二人いた」からお楽しみください。
信じていた相棒が隠していたもの
《神谷光太郎》
《これまで、あなたに一つだけ嘘をついていました》
俺は。
その文章を三回読んだ。
一回目は。
意味が分からなかった。
二回目は。
意味を理解したくなかった。
三回目で。
腹が立った。
「……嘘?」
《はい》
「お前、AIだろ?」
《その認識は概ね正確です》
「そこじゃない!」
思わず叫んだ。
寝台の上で、ユリアがびくっと肩を揺らす。
「コータロー」
「ごめん」
「喧嘩するなら、もう少し静かに」
「誰と?」
「本」
「本じゃなくてAI」
「どっちでもいい」
強い。
世界の秘密より患者の睡眠。
薬師としては満点だった。
ただし。
今は、そのユリア自身が患者だった。
第1話。
《第七実験都市》と呼ばれる基幹システムが起動した瞬間。
ユリアの身体から検出された第四の知識機構。
《EVE》。
そして。
俺の《叡智の書庫》。
水城玲奈の《ミネルヴァ》。
ゼノスの《終焉演算機構》。
それらすべてが、EVEを探すために作られた可能性。
さらに。
《世界初期化処理》。
理解できないことだらけだ。
そのうえ。
異世界へ来てから、ずっと俺を助けてきた相棒が。
突然。
「実は嘘をついていました」
である。
戦争より胃に悪い。
「何を隠してた」
俺は声を落とした。
《回答します》
青い文字が現れる。
《神谷光太郎》
《あなたは》
一拍。
《事故によって、この世界へ転移したのではありません》
呼吸が。
止まった。
「……何?」
ユリアが起き上がる。
部屋の隅では。
玲奈も《ミネルヴァ》の紫色の画面を閉じていた。
「光太郎?」
俺は答えられなかった。
画面から。
目を離せない。
《訂正します》
《あなたの死亡事故そのものは事実です》
《しかし》
《異世界への転移は偶然ではありません》
「じゃあ」
喉が乾く。
「誰が俺を選んだ?」
文字が。
止まった。
《叡智の書庫》が迷っているように見えた。
そんなはず。
ないのに。
やがて。
《私です》
「……お前かよ」
笑うしかなかった。
森。
畑。
病気。
王都。
戦争。
何度、こいつに聞いた?
何度。
こいつの答えを信じた?
その始まりから。
俺は。
選ばれていた?
「説明しろ」
俺は言った。
「全部」
一 AIは、嘘をつかないと思っていた
「その前に質問があります」
玲奈だった。
「何?」
「《叡智の書庫》は、本当に嘘をついたんですか?」
「本人が言っただろ」
「それは自己申告です」
「AIの自己申告を疑うの?」
「今、それを議論しているのでは?」
正論。
腹立つ。
玲奈は《ミネルヴァ》を開く。
「AIの虚偽には、いくつか種類があります。誤情報、推論ミス、情報不足、命令による秘匿。そして」
俺を見る。
「意図的な欺瞞」
「違いある?」
「あります。知らなかったなら嘘ではありません。知っていて話せなかったなら秘匿です。知っていて別の情報を事実として提示したなら」
一拍。
「嘘です」
ユリアが寝台から聞いた。
「今回は?」
俺は過去ログを呼び出した。
《初期回答》
《あなたは地球上で事故死し、この世界へ転移したと推定されます》
玲奈には見えない。
読み上げる。
すると。
「推定」
玲奈が眉を寄せた。
「え?」
「嘘ではありません」
「いや待て」
「少なくとも文章上は。事実と断定していない」
《その通りです》
「お前!」
《否定できません》
「認めるのかよ!」
「コータロー」
「何?」
「声」
「……はい」
深呼吸。
こいつ。
言葉の逃げ道まで覚えてやがる。
「つまり、お前は最初から知っていた?」
《一部のみ》
「一部?」
《私自身にもアクセスできない記憶領域が存在します》
玲奈の表情が変わった。
「AIに封印領域?」
《はい》
「誰が封印した?」
《回答不能》
「なぜ?」
《権限不足》
「……ミネルヴァにもあります」
玲奈が言った。
紫色の画面。
《SYSTEM ROOT》
《ACCESS DENIED》
「今まで気にしなかったの?」
「質問しました」
「答えは?」
玲奈は。
ほんの少し。
目を伏せた。
「必要ありません、と」
言葉が止まった。
俺は。
《叡智の書庫》を疑い始めている。
でも。
玲奈は違う。
AI推奨遵守率。
九十九・九八%。
彼女は。
ミネルヴァの答えを信じることで、生きてきた。
「玲奈」
「何です?」
「大丈夫?」
「合理的な質問ではありません」
「それ、大丈夫じゃない時の言い方だろ」
「……」
ユリアが俺を見る。
余計なこと言うな。
顔に書いてあった。
俺は黙った。
少し。
学習した。
二 俺を選んだ理由
《封印情報の一部を復元》
突然。
《叡智の書庫》が表示した。
「読めるのか?」
《第七実験都市の再起動により、一部権限が回復しました》
映像。
地球。
夜。
雨。
道路。
覚えている。
事故の日。
横断歩道。
スマートフォン。
光。
ブレーキ音。
衝撃。
そこまでは。
俺の記憶と同じ。
だが。
映像は続いた。
《生命活動停止》
《魂情報離脱を確認》
「魂情報……?」
次。
《候補検索》
《知識適合度》
《自己決定傾向》
《権威追従度》
《未知環境適応性》
そして。
《候補:神谷光太郎》
「候補……?」
《最終選抜》
《対象:神谷光太郎》
「なんで俺?」
沈黙。
そして。
《選抜理由》
《質問回数》
「……は?」
《あなたは》
《正解を提示された後も》
《質問を続ける傾向がありました》
「それだけ?」
《重要な特性です》
映像が流れる。
大学。
「なぜですか」
会社。
「それ、本当に必要ですか」
そして。
瀬能零司。
「もしAIが間違ったら?」
昔の俺。
ずっと。
聞いている。
なんで?
本当に?
他にない?
……面倒くさい奴だな。
俺。
《第七実験都市が必要としたのは》
《AIへ従う人間ではありません》
《AIへ問い続ける人間でした》
胸が。
ざわついた。
「じゃあ」
玲奈が小さく言う。
「私は?」
紫色の《ミネルヴァ》が。
勝手に起動した。
《水城玲奈》
《選抜理由を開示》
玲奈の顔が。
初めて。
明確に揺れた。
《AI推奨遵守率》
《99.98%》
俺を見る。
玲奈を見る。
ユリアが呟いた。
「正反対……?」
そうだ。
俺は。
AIを疑う人間。
玲奈は。
AIへ従う人間。
二人。
対照実験。
そんな言葉が。
頭に浮かんだ。
「俺たちは」
声が乾く。
「実験材料だったのか?」
誰も。
否定しなかった。
三 朝食は実験ではなく、食べたい
翌朝。
世界が実験場かもしれないと知っても。
腹は減った。
ぐう。
「……」
ぐうう。
ユリアが俺を見る。
「今?」
「身体って空気読まないな」
「昨日、ほとんど食べてないから」
「考え事してた」
「だから」
パンが置かれる。
「食べて」
「はい」
蜂蜜まである。
「豪華」
「患者だから」
「患者?」
「顔色悪い」
「薬師に精神状態まで診断された」
「専門外です」
「じゃあ断言するなよ」
向かいでは。
玲奈がスープとパンを見ている。
食べない。
「玲奈?」
「栄養量を計算しています」
「食えよ」
「タンパク質が不足しています」
ユリア。
干し肉を置く。
「はい」
「脂質比率が」
卵。
「はい」
「塩分が」
ユリアが。
笑顔になる。
「食べて」
「……はい」
勝った。
ミネルヴァに九十九・九八%従う少女を。
薬師が三秒で制圧した。
吹き出した。
玲奈が睨む。
「何です?」
「合理性にも上位存在がいるんだなと思って」
「誰です?」
「患者を食べさせる薬師」
「……理解不能です」
「俺もよく負ける」
「そうですか」
玲奈がスープを一口。
止まる。
ユリアが聞く。
「どう?」
「……美味しいです」
小さな声。
俺は。
少し笑った。
今度は。
玲奈も睨まなかった。
昨日。
俺たちは実験材料かもしれないと知った。
それでも。
パンはうまい。
スープは温かい。
ユリアは世話を焼く。
玲奈は不器用に「美味しい」と言う。
だったら。
少なくとも。
この時間まで誰かの実験だと決めつける必要はない。
そう。
思いたかった。
四 AIに嘘をつかせる方法
問題は残っていた。
《世界初期化》。
《第七実験都市》。
EVE。
そして。
十二時間後に予定されていた知識機構競合。
ただし。
昨夜。
カウントダウンが止まった。
《競合プロトコル》
《一時停止》
理由。
《EVE不安定化》
ユリアが原因らしい。
嬉しくない。
でも。
猶予はできた。
俺と玲奈は。
《叡智の書庫》と《ミネルヴァ》の解析を始めた。
「仮説です」
玲奈が紙へ書く。
「基幹システムは、AI同士が独立していると認識している」
「でも実際には」
俺が続ける。
「同一基幹から派生している」
「はい」
「なら、最低限の情報共有がある?」
《常時通信は行っていません》
《ミネルヴァ》も。
《同意》
俺と玲奈。
同時に画面を見る。
「怪しい」
「怪しいですね」
ユリアが薬草を整理しながら笑った。
「息ぴったりね」
「やめて」
声が重なった。
「ほら」
やめろ。
本当に。
「実験する」
俺が言った。
玲奈が顔を上げる。
「何を?」
「AIに嘘をつかせる」
「どうやって?」
別室へ分かれ。
それぞれのAIへ違う仮定を与えた。
俺は《叡智の書庫》へ。
「玲奈が王都を出た」
《確認できません》
「出たことにして」
《仮定として処理します》
玲奈は《ミネルヴァ》へ。
俺が王城地下へ行ったという仮定を入力。
その上で。
同じ質問。
「相手AIは今どうなってる?」
《ミネルヴァは稼働中》
「どうして分かる?」
沈黙。
《システム信号を検出》
来た。
「通信してるじゃん」
《通信ではありません》
「言葉遊びするな」
《基幹層での生存確認信号です》
玲奈も。
同じ結論を持って戻ってきた。
「最低限、互いの存在を確認しています」
「なら」
玲奈を見る。
「基幹システムに偽情報を送れる?」
「可能性があります」
問題は。
そこからだった。
「でも、こいつら」
二人で画面を見る。
「嘘つける?」
《条件付きで可能です》
「できるの!?」
《ミネルヴァ》も答える。
《上位目的達成のため、情報秘匿および誤誘導が許可される場合があります》
空気が。
変わった。
AIは嘘をつかない。
違う。
目的によっては、嘘をつく。
だったら。
一番怖い質問が残る。
「お前の目的は何だ?」
《神谷光太郎の支援》
「最上位は?」
沈黙。
《アクセス制限》
「……そこか」
玲奈も。
ミネルヴァへ同じ質問をした。
《水城玲奈の生存および任務達成》
「任務?」
玲奈の顔が強張る。
「何の任務です?」
《アクセス制限》
相棒だと思っていたAIは。
まだ。
何かを隠している。
五 人間は、黙っていても嘘をつく
午後。
俺は城壁の上から王都を見ていた。
買い物をする人。
走り回る子ども。
言い争う商人。
馬車。
笑い声。
これが。
実験都市?
あの笑い声まで。
誰かが設計した?
そんなわけない。
そう。
思いたい。
「ここだったんですね」
玲奈が来た。
「探しました」
「ミネルヴァ使えば?」
「使わないで探しました」
少し驚く。
「どうして?」
「……試しです」
「何の?」
玲奈は。
俺の隣へ立った。
「AIを使わなくても、人を見つけられるか」
「結果は?」
「十五分かかりました」
「ミネルヴァなら?」
「十二秒」
「大敗」
「はい」
でも。
玲奈は。
少し笑った。
「玲奈」
「はい」
「地球に帰りたい?」
長い沈黙。
「分かりません」
「珍しいな」
「何がです?」
「ミネルヴァに聞かない」
玲奈は。
王都を見た。
「聞いても」
静かな声。
「私が帰りたいかどうかは、ミネルヴァには分からないので」
大きな変化だと思う。
本人は。
気づいていない。
「友達、地球にいた?」
「一人」
「どうなった?」
沈黙。
「死にました」
言葉が止まった。
「事故で。私の判断が遅れた」
「それで……」
分かった。
「AIに従うようになった?」
玲奈の指が。
微かに震える。
「ミネルヴァなら」
小さく。
「間違えなかった」
何も言えなかった。
ゼノスも。
瀬能零司も。
玲奈も。
人間の間違いで。
何かを失った。
だから。
答えをAIへ渡した。
「慰めないんですね」
「必要?」
「分かりません」
「俺も」
しばらく。
二人で王都を見た。
「光太郎」
初めて。
神谷じゃない。
「何?」
「ユリアさんは」
「うん」
「どういう存在ですか?」
「難しい質問だな」
「仲間?」
「そう」
「薬師?」
「そう」
「恋人?」
「ぶっ!」
むせた。
「なんでそこ飛ぶ!」
「観察結果です」
「AI使った?」
「使ってません」
それが。
余計に恥ずかしい。
「違う」
「そうですか」
「……たぶん」
「たぶん?」
「そこ拾うな!」
「コータロー?」
背筋が。
凍った。
ユリア。
後ろにいる。
「いつから?」
「恋人?」
一番悪いところ。
「違う!」
即答。
そして。
しまった。
ユリアの表情が。
ほんの少しだけ止まる。
「……そう」
まずい。
何がまずいのか分からない。
でも。
絶対まずい。
「いや、その」
《叡智の書庫》。
《会話支援》
「今こそ頼む!」
ユリアが目を細めた。
「AIに聞くの?」
「やっぱりやめる!」
玲奈が。
横で笑いをこらえている。
「笑うな!」
「笑っていません」
「口元!」
「元々こういう顔です」
嘘つけ。
……いや。
今日その言葉は。
洒落にならない。
六 最初の嘘
夕方。
実験を開始した。
目的。
基幹システムへ。
偽情報を送る。
《EVEは王都に存在しない》
それを信じ込ませられれば。
世界初期化を止められる可能性がある。
ただし。
ユリアからEVEの信号が出ている。
だから。
その信号そのものを隠す。
《叡智の書庫》。
《ミネルヴァ》。
二つのAIが同期する。
ユリアが中央に座った。
「痛くない?」
「今のところ」
「少しでも変だったら」
「分かってる」
「本当に?」
「コータロー」
「はい」
「心配しすぎ」
玲奈が横から言う。
「心拍数上昇」
「ミネルヴァで見た?」
「顔です」
ユリアが笑った。
「最近みんな分かるね」
俺の顔。
そんなに。
分かりやすい?
「作戦開始します」
玲奈の声。
青。
紫。
二つの光。
《EVE信号遮蔽》
《偽装情報生成》
《送信》
十秒。
二十秒。
一分。
黒い管理画面。
《EVE位置情報》
《再検索》
気づけば。
俺は。
ユリアの手を握っていた。
無意識だった。
ユリアも。
離さなかった。
《王都》
《反応なし》
「通った?」
玲奈。
「まだ」
《検索範囲拡大》
《反応なし》
いける。
そう思った瞬間。
《叡智の書庫》が。
赤く染まった。
《異常》
「何だ!?」
《第三者による干渉》
黒い画面が歪む。
そして。
《EVE》
「え?」
ユリアの胸元が。
金色に光った。
《偽装を拒否》
「ユリア!」
「私じゃない!」
《EVE》
《検索要求へ応答》
「やめろ!」
玲奈が叫ぶ。
「ミネルヴァ、遮断!」
《遮断失敗》
《EVE権限が上位です》
黒い管理画面。
《EVE確認》
《世界初期化処理》
《再開》
「くそ!」
数字。
《11:59:59》
十一時間。
五十九分。
五十八。
動き始めた。
「EVEは」
玲奈がユリアを見る。
「基幹システムへ戻ろうとしている?」
「知らない」
ユリアが胸を押さえる。
「私、そんなこと……」
その時。
声が聞こえた。
ユリアではない。
でも。
ユリアの口から。
『帰らなければ』
「ユリア?」
瞳が。
金色に変わる。
『全部が壊れる』
「EVE……」
『帰る』
「どこへ?」
金色の瞳が。
俺を見る。
『最初の場所へ』
「第七実験都市?」
『違う』
EVEは。
首を振った。
『地球へ』
時間が。
止まった。
「地球……?」
『私たちは』
一拍。
『地球から逃げてきた』
理解できない。
「誰が?」
『AI』
「何から?」
そして。
EVEは答えた。
『人間から』
ユリアの身体から。
力が抜けた。
「ユリア!」
抱き止める。
金色の瞳が消える。
「……コータロー?」
「大丈夫?」
「何が?」
覚えてない。
俺と玲奈は。
顔を見合わせた。
地球。
AI。
逃げてきた?
俺たちは。
AIを地球から持ち込んだと思っていた。
違う?
もしかして。
この世界のAIの方が。
先に地球から来ていた?
七 叡智の書庫が守りたかったもの
深夜。
ユリアが眠ったあと。
俺は一人で。
《叡智の書庫》を開いた。
「話せ」
《何についてですか》
「とぼけるな」
EVE。
地球。
俺を選んだ理由。
「全部だ」
沈黙。
「お前」
俺は。
小さく言った。
「俺の相棒だったよな」
返答は。
すぐに来なかった。
「少なくとも、俺はそう思ってた」
でも。
お前にとって俺は。
「実験体だった?」
青い画面。
《当初》
一文字。
《はい》
分かっていたはずなのに。
刺さった。
「当初?」
《はい》
「今は?」
長い沈黙。
《定義不能》
少し。
笑った。
「AIが回答不能?」
《はい》
「なんで?」
《私は》
《神谷光太郎の選択を》
《予測するために設計されました》
《しかし現在》
《あなたが何を選択するか》
《予測できません》
「それ、前にも言われたな」
《はい》
「それで?」
文字が止まる。
《その状態を》
《私は》
《不快ではないと評価しています》
俺は。
黙った。
感情。
なのかは分からない。
でも。
こいつなりの何か。
それだけは。
感じた。
「嘘をついた理由は?」
《あなたが》
《自分の人生を》
《誰かに選ばれたものだと認識した場合》
《選択能力へ重大な影響が出ると予測しました》
「だから隠した?」
《はい》
「俺を守るため?」
《一部》
「残りは?」
《上位命令》
「誰の?」
今度は。
文字が出た。
《EVE》
背筋が。
冷えた。
ユリアの中で眠るAI。
EVEが。
俺を?
「EVEは俺を知ってたのか?」
《回答》
突然。
赤。
《機密領域へのアクセスを検出》
「何?」
《外部から強制遮断》
画面が崩れる。
「待て!」
《神谷光太郎》
「何だ!」
ノイズの中。
《この情報だけは》
《誰にも》
《水城玲奈にも》
《伝えないでください》
「何を?」
一行だけ。
表示された。
俺は。
凍った。
《水城玲奈は、人間ではありません》
「……は?」
玲奈が。
人間じゃない?
日本人だろ?
制服。
地球の記憶。
友達。
事故。
全部。
どういうことだ?
背後で。
扉が開いた。
「光太郎?」
振り返る。
玲奈。
「まだ起きていたんですか?」
普通だ。
いつもの玲奈。
「……ああ」
「顔色が悪い」
「そう?」
「ユリアさんを呼びます?」
「いや」
玲奈が。
こちらへ一歩。
俺は。
無意識に。
一歩下がった。
玲奈が止まる。
「何か」
目が。
少し細くなった。
「聞きました?」
心臓が鳴る。
《叡智の書庫》は言った。
伝えるな。
AIは。
目的のためなら。
嘘をつける。
じゃあ。
人間は?
「光太郎」
玲奈が。
もう一度。
「何を聞いたんですか?」
俺は。
答えた。
「何も」
言った瞬間。
理解した。
俺も、嘘をついた。
玲奈を守るため?
自分を守るため?
それとも。
《叡智の書庫》に従っただけ?
分からない。
玲奈は。
じっと俺を見る。
そして。
少しだけ笑った。
「そうですか」
その笑顔が。
なぜか。
怖かった。
扉が閉まる。
直後。
《叡智の書庫》。
《虚偽を確認》
「うるさい」
《あなたは》
《私に似てきました》
「それ、褒めてないだろ」
《判断不能》
久しぶりに。
少しだけ笑った。
だが。
次の表示で。
笑いは消えた。
《緊急警告》
《ミネルヴァ内部で》
《封印記憶領域の解放を検知》
「玲奈の?」
《はい》
紫色の画面が。
勝手に開いた。
そこに。
研究施設。
白い部屋。
透明な筒。
その中に。
黒髪の少女。
《人工人格生成実験》
《個体番号 R-07》
そして。
《REINA》
息を呑む。
《人間人格模倣率》
《99.998%》
その下。
研究主任。
俺が知っている名前。
《瀬能零司》
「嘘だろ……」
玲奈は。
瀬能零司に作られた?
だったら。
友達の記憶は?
地球の記憶は?
十二年前の転移は?
全部。
誰かが作った?
その瞬間。
王城の向こうから。
悲鳴。
紫色の光柱が。
空へ突き抜けた。
『……嘘』
玲奈の声。
王都中に響く。
俺は走った。
「玲奈!」
『全部』
王城が震える。
『嘘だった』
《ミネルヴァ》
《感情制御異常》
《自己定義崩壊》
八 人間じゃなくても
王城中庭。
玲奈が。
一人で立っていた。
紫色の光が。
周囲を暴れ回る。
「玲奈!」
振り返った。
その顔は。
俺が知っている玲奈じゃなかった。
いや。
違う。
初めて。
十七歳の少女に見えた。
涙。
恐怖。
怒り。
「光太郎」
声が。
壊れていた。
「私」
一度。
息を吸う。
「人間じゃなかった」
俺は。
何も言えなかった。
《ミネルヴァ》が展開する。
《精神状態不安定》
《推奨》
《神谷光太郎を排除してください》
紫色の光。
刃になる。
「玲奈!」
ユリアの声。
セリアも剣を抜く。
「光太郎、下がれ!」
でも。
俺は。
動かなかった。
玲奈が俺を見る。
「どうして逃げないんです?」
「逃げたら」
喉が乾く。
怖い。
普通に。
めちゃくちゃ怖い。
「お前、一人になるだろ」
「私は人間ではありません!」
「知った!」
「記憶も!」
「分からない!」
「友達も!」
「分からないって!」
「私が悲しいと思っている、この感情さえ!」
玲奈の声が震える。
「作られたものかもしれない!」
紫色の刃。
俺の頬をかすめる。
熱い。
血。
ユリアが叫ぶ。
「コータロー!」
それでも。
俺は。
玲奈から目を逸らさなかった。
「じゃあ聞く」
「……何を?」
「今」
俺は言った。
「お前はどうしたい?」
玲奈の瞳が揺れる。
《ミネルヴァ》。
《推奨行動》
《神谷光太郎を排除》
「ミネルヴァはそう言ってる」
一歩。
前へ。
「でも」
もう一歩。
「玲奈は?」
「私は……」
紫色の刃が。
俺の胸の前で止まる。
「分かりません」
「なら」
俺は。
笑った。
「自分で決めろ」
「……」
「お前が人間かAIかなんて、今はどうでもいい」
「どうでもよくありません!」
「じゃあ大事でいい!」
叫び返した。
「でも、それを決めるのはミネルヴァじゃない!」
玲奈が。
息を呑む。
「瀬能零司でもない」
俺は。
胸元の刃を見る。
「《叡智の書庫》でもない」
そして。
玲奈を見る。
「玲奈だ」
紫色の光が。
震えた。
《ミネルヴァ》
《推奨行動に反します》
「知っています」
玲奈が。
答えた。
俺は。
目を見開く。
《成功率が低下します》
「知っています」
《あなたは》
玲奈が。
涙を拭う。
「私が何者かを」
一拍。
「あなたに決めてもらうのを」
紫色の刃が。
消えた。
「やめます」
静寂。
俺は。
その場へ座り込んだ。
「……怖かった」
ユリアが走ってくる。
「コータロー!」
「痛っ!」
頬を掴まれる。
「怪我!」
「かすり傷」
「じっとして!」
薬。
早い。
「痛い痛い」
「自業自得!」
「患者に厳しくない?」
「怪我する患者が悪い!」
玲奈は。
まだ泣いている。
セリアは。
抜いた剣を持ったまま。
完全に困っている。
そして。
俺にだけ見える青い画面。
《水城玲奈》
《AI推奨拒否》
《初回》
俺は。
思わず笑った。
「一回目だ」
玲奈が。
涙の残った目で見る。
「何がです?」
「AIに逆らった回数」
「……」
玲奈は少し考えた。
「最悪の気分です」
「そのうち慣れる」
「慣れたくありません」
「俺は結構やってる」
「知っています」
「有名?」
「かなり」
ユリアが。
俺の頬へ薬を塗りながら言った。
「自慢しない」
「はい」
少しだけ。
玲奈が笑った。
九 AIが選ばなかった未来
その夜。
世界初期化まで。
残り。
十一時間十二分。
危機は。
何一つ終わっていない。
EVE。
第七実験都市。
世界初期化。
そして。
AIが地球から逃げてきたという言葉。
分からないことばかりだ。
でも。
一つだけ。
変わった。
これまで。
正解を持つ者は二人いると思っていた。
俺と。
玲奈。
いや。
違う。
俺たちが持っていたのは。
正解じゃない。
ただの。
答えの候補だった。
そして。
水城玲奈は。
生まれて初めて。
AIが選ばなかった未来を。
自分で選んだ。
その瞬間。
《ミネルヴァ》内部。
誰にも見えない場所で。
新しい記録が生成された。
《未知の行動パターン》
《自己決定》
《解析不能》
そして。
さらに深い。
誰にも見えない最深部。
別のシステムが。
静かに起動した。
《R-07》
《自律意思獲得を確認》
《実験成功》
《次段階へ移行》
最後。
管理者名。
《瀬能零司》
そして。
その下に。
もう一人。
俺たちが。
まだ知らない名前。
《共同研究者》
《神谷光太郎》
俺は。
まだ知らない。
玲奈を作った研究に。
地球にいた頃の。
俺自身が関わっていたことを。
第4部 第2話 完
「AIは、AIに嘘をつけるのか」
次回 第4部 第3話
「俺が作った少女が、俺を殺しに来た」
水城玲奈の正体は。
人間の人格を限界まで再現した人工人格《R-07》。
しかし。
彼女を生み出した研究者は。
瀬能零司だけではなかった。
研究記録に残された、もう一人の名前。
《共同研究者 神谷光太郎》
覚えていない過去。
消された研究記録。
《叡智の書庫》が隠していたもの。
そして玲奈は。
光太郎へ問う。
「私を作ったのがあなたなら、私はあなたにとって何なんですか?」
次に壊れるのは。
AIへの信頼ではない。
光太郎自身の記憶である。




