第4話 都市を燃やさず、橋を燃やす
第3部から、この物語は少しだけ重くなります。
これまで光太郎は、《叡智の書庫》の知識を使いながら、村や王都で起きる問題と向き合ってきました。
しかし今回、AIが示すのは「どうすれば全員を救えるか」という答えではありません。
「誰を諦めれば、より多くの人を救えるか」
という答えです。
六万の帝国軍。
ユリアの故郷、白樹都市リュネール。
そこに暮らす十万人。
そして、《叡智の書庫》が示した極めて合理的な最適解。
一つの都市を犠牲にすれば、王国全体を救える。
数字だけを見れば、それは正しいのかもしれません。
けれど、その「一つ」の中には。
誰かの家があり。
家族がいて。
思い出があり。
生きてきた時間があります。
第3部で光太郎が戦うのは、帝国軍だけではありません。
「正しい答えなら、人間は従うべきなのか」
その問いそのものと戦います。
さらに、これまでほとんど語られてこなかったユリアの過去。
彼女がなぜ故郷を離れたのか。
そして、彼女の中に眠る謎も少しずつ動き始めます。
AIは答えをくれる。
けれど。
その答えを選ぶのは誰なのか。
ここから、『AIだけが使える異世界』は本当の意味で「AIと人間の物語」へ入っていきます。
第3部。
戦争編「一つの都市と十万人の命」
光太郎たちが選ぶ答えを、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
AIに読まれるなら、正解そのものを捨てればいい。
「その橋を落とせば、六万人の軍勢は止まる」
《叡智の書庫》が示した答えは、恐ろしいほど単純だった。
黒河橋。
帝国軍の主力補給路。
食料。
武器。
矢。
薬。
馬の飼料。
六万人という巨大な軍隊を動かす血管だ。
そこを切れば、帝国軍の進軍速度は落ちる。
リュネールを焼く必要もない。
王都を見捨てる必要もない。
俺が探していた第三の答え。
そのはずだった。
「セリア」
俺は地図の一点を指した。
「橋を落とす」
女騎士は一秒も迷わなかった。
「私が行く」
「早いな」
「誰かが行かなければならない」
「まだ人選の話をしてないんだけど」
「私が最適だ」
そこで俺は顔をしかめた。
「その言い方、嫌いだな」
「何?」
「最適って言葉」
セリアが一瞬黙る。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「お前に言われたくない」
「ですよね」
反論できなかった。
目の前では、《叡智の書庫》の青い文字が淡く光っている。
《黒河橋破壊成功率 71.6%》
高い。
十分に高い数字だ。
以前の俺なら、たぶん安心していた。
七割を超えている。
なら、やる。
それで終わっていた。
でも今は違う。
数字を見るたび、少し怖くなる。
成功率は、人間を安心させる。
その代わり。
数字の外へ落ちたものを、見えなくする。
「橋は燃やす」
俺は言った。
「でも」
地図の上に広がる白樹都市リュネール。
人口、一万八千。
「都市は燃やさない」
ユリアが静かに俺を見る。
銀色の髪。
疲れの残る顔。
それでも彼女は、少しだけ笑った。
「うん」
たった一言。
なのに。
その一言だけで、俺は少し強くなれた気がした。
1 橋を燃やす前に、朝食を食べろ
作戦会議の翌朝。
「コータロー」
「何?」
「食べて」
「今、考えてる」
「食べながら考えて」
「地図にスープが落ちる」
「昨日も朝食抜いたでしょう?」
「戦争中だから」
「便利な言葉にしない」
目の前には木の器。
野菜のスープ。
黒パン。
そして俺は、それらを完全に無視して地図とにらみ合っていた。
黒河橋まで約二十キロ。
峡谷。
両側は森林。
橋の下には急流。
帝国軍の補給隊は毎日、ほぼ同じ時間帯に通過する。
狙うなら明日の夜。
問題は一つ。
いや。
一つどころじゃない。
前話で治療した帝国兵、カイル。
彼は間者だった。
病院の情報だけではない。
黒河橋に関する文書へのアクセス痕跡も残っていた。
そして帝国から届いた文章。
《橋を燃やす作戦は悪くない》
《君が次に考えることも、すでに計算済みだ》
「嫌な奴」
俺が呟くと、ユリアが肩越しに紙を覗いた。
「誰のこと?」
「これを書いた奴」
「ゼノス?」
「たぶん違う」
《叡智の書庫》による文章分析では、ゼノスとの一致率は三割程度。
低い。
つまり帝国には。
別の誰かがいる。
《終焉演算機構》へ繋がる者が。
「食べて」
ユリアがスプーンを差し出した。
「自分で食べるよ」
「じゃあ食べて」
「はい」
俺は考え事をしたままスープを口へ運んだ。
「熱っ!」
「冷ましてから」
「先に言え!」
「普通分かるでしょう!」
向かい側でニコが笑った。
「先生、馬鹿だな」
「君にだけは言われたくない」
「俺、昨日スープで火傷してない」
「昨日は地図を逆さまに読んでた」
「文字は読める!」
「方角は読めてなかった!」
戦争中だ。
六万人の帝国軍が迫っている。
一つ間違えば都市が焼ける。
それでも。
朝食がある。
笑い声がある。
妙に、それが大切だった。
扉が開く。
セリアが入ってきた。
「楽しそうだな」
「戦争前の最後の晩餐かもしれない」
「朝だぞ」
「そこ?」
「それに」
セリアは俺の皿から黒パンを取った。
ぱく。
「最後にするつもりはない」
「あっ、俺のパン!」
「兵士を死なせないのが指揮官の仕事だろう?」
俺は言葉を止めた。
以前のセリアなら。
命令を果たすためなら、自分も兵士も危険へ投げ込んだ。
その彼女が今。
兵士を死なせない、と言った。
少しずつ。
みんな変わっている。
「それ俺のパンなんだけど」
「話の余韻を壊すな」
「朝食は重要なんでしょう?」
ユリアが吹き出した。
俺も笑った。
戦争の朝なのに。
だからこそ。
こういう時間を失いたくないと思った。
2 セリアが選んだ二十三人
黒河橋破壊隊。
二十三人。
「少なすぎない?」
俺が聞くと、セリアは即座に首を振った。
「多い」
「二十三人で?」
「潜入だ。人数が増えれば見つかる」
選ばれたのは騎士、斥候、土魔法使い、火魔法使い。
そしてリュネールのエルフ兵。
その中に。
「ガイウスも?」
俺は思わず声を上げた。
ユリアの叔父。
守備隊長ガイウス。
相変わらず俺を見る目は温かくない。
「森の案内が必要だ」
「なるほど」
「人間だけでは道に迷う」
「光太郎です」
「知っている」
「最近わざと『人間』って呼んでません?」
「気のせいだ」
絶対わざとだ。
「叔父様」
ユリアが呼びかける。
「無茶しないで」
「お前にだけは言われたくない」
またそれか。
この世界で流行っているのだろうか。
だが。
次の瞬間。
ガイウスの表情がわずかに変わった。
ユリアを見る目だけが、柔らかくなる。
「戻ってきたばかりなのに」
ユリアが聞く。
「また出ていくの?」
「戻る」
「本当に?」
「ああ」
「約束?」
ガイウスは困ったように笑った。
「お前は昔から、約束を取るのが好きだな」
「守らない人が多いから」
「耳が痛い」
「叔父様」
「分かった」
ガイウスはユリアの頭へ手を伸ばしかけた。
止まった。
追放。
十五年。
その距離は、一度の再会では埋まらない。
結局、手を下ろす。
「戻る」
それだけだった。
ユリアは小さく頷いた。
俺は何も言わなかった。
家族の距離は。
AIにも。
俺にも。
計算できない。
3 AIが読める作戦
作戦は単純だった。
第一段階。
夜間、森から黒河橋へ接近。
第二段階。
橋脚へ魔晶石を設置。
第三段階。
橋を完全には壊さず、中央部分だけを落とす。
完全破壊はしない。
戦争が終われば、俺たちも使う橋だ。
必要なのは破壊ではない。
帝国軍の補給を止めること。
「《叡智の書庫》」
《待機しています》
「作戦評価」
《成功率 71.6%》
「敵AIが作戦を知っている前提で再計算」
数秒。
数字が変わる。
《成功率 23.4%》
「うわ」
《待ち伏せ可能性が高まります》
進入路A。
《18.2%》
B。
《21.9%》
C。
《19.7%》
どれも低い。
考える。
別案。
また数字。
さらに別案。
また数字。
「コータロー」
ユリアの声。
「また数字の顔」
「何それ」
「数字しか見てない時の顔」
「そんな顔ある?」
「ある」
ユリアが地図の上へ手を置いた。
青い数字が隠れる。
「今、セリアたちは?」
「準備中」
「森を知ってる人は?」
「ガイウス」
「橋を知ってる人は?」
「王国工兵」
「だったら」
ユリアは俺を見る。
「みんなに聞いた?」
俺は止まった。
「……まだ」
「AIには?」
「何回も」
「順番、逆じゃない?」
痛い。
本当に。
この薬師。
時々AIより強い。
俺は《叡智の書庫》を閉じた。
「うん」
立ち上がる。
「聞いてくる」
ユリアが笑った。
「いってらっしゃい」
「先生みたい」
「誰が?」
「君」
「薬師です」
「知ってる」
でも。
たぶん俺は今。
一番必要な薬を処方された。
4 二十三人の不完全な答え
最初に聞いたのはセリアだった。
「橋へ行かない」
「何?」
開始三秒。
いきなり予想外だった。
「橋を壊すのに橋へ行かない?」
「補給隊が橋を渡る前に止める」
ガイウスが地図を指す。
「森を使う」
工兵。
「橋脚より北側の斜面を崩した方が早い」
斥候。
「敵の見張りは橋ばかり見ている」
火魔法使い。
「魔晶石を使わなくても補給車の油で燃える」
土魔法使い。
「道そのものを塞げる」
そして。
一番後ろにいた若い兵士が、おそるおそる手を上げた。
「……橋、燃やす必要ないんじゃ?」
俺は止まった。
「何?」
青年の名前はラルク。
十八歳。
緊張で声が裏返っている。
「だ、だって」
「うん」
「補給を止めたいんですよね?」
「ああ」
「なら」
ラルクは地図の橋を指した。
「橋じゃなくてもいいんじゃないですか?」
単純だった。
あまりにも当たり前だった。
だから。
俺には見えていなかった。
俺は橋を燃やすことに囚われていた。
ゼノス。
敵AI。
《叡智の書庫》。
みんなが黒河橋を「答え」として見ている。
だから。
その答えをどう実行するかばかり考えていた。
違う。
欲しいのは橋の破壊じゃない。
補給停止だ。
「ラルク」
「は、はい!」
「ありがとう」
「え?」
「それだ」
十八歳の兵士が。
AIより先に。
俺たちの思考の檻を壊した。
5 橋を燃やすと言って、橋を燃やさない
作戦変更。
黒河橋は攻撃しない。
補給隊が橋へ到達する前。
峡谷北側の狭路を塞ぐ。
土砂崩れ。
倒木。
補給車を止める。
必要なら先頭車両だけを燃やす。
橋そのものには触れない。
「だが」
セリアが腕を組む。
「敵AIに読まれれば同じだ」
「ああ」
「変更後の作戦を知られれば待ち伏せされる」
「だから」
俺は笑った。
「俺も最終形を決めない」
「何?」
「現場で変えて」
セリアの眉が動く。
「指揮官が作戦を放棄するのか?」
「違う」
俺は地図を彼女へ渡した。
「目的だけ決める」
補給を止める。
それだけ。
「方法は?」
「任せる」
「私に?」
「二十三人に」
全員が黙った。
「俺が全部決めれば、敵AIは俺を読めばいい」
俺は一人ずつ見る。
「だったら、作戦を作る人間を二十三人に増やす」
「責任逃れか?」
セリアが笑う。
「半分」
「半分?」
「もう半分は」
俺はラルクを見る。
ガイウスを見る。
工兵を見る。
斥候を見る。
そしてセリアを見る。
「俺一人より、みんなの方が知ってることが多い」
ガイウスが鼻を鳴らした。
「ようやく人間らしいことを言ったな」
「ずっと人間です」
「AIの本を抱えているのに?」
「最近、人間成分が増えてます」
「何の話だ」
俺にも分からない。
ただ。
一つだけ分かった。
AIに読まれるなら。
正解を隠すだけじゃ足りない。
最初から、正解を一つにしなければいい。
6 待ち伏せ
深夜。
黒河峡谷。
俺は後方の本隊。
ユリアは野戦病院。
セリアたちは前方。
通信には魔法石を使っている。
だが森と峡谷の影響で安定しない。
《通信欠損》
《現地情報不足》
《叡智の書庫》にも完全な状況は分からない。
以前なら。
耐えられなかった。
今も怖い。
でも。
少しだけ違う。
セリアに任せた。
二十三人に任せた。
信じることも。
たぶん選択だ。
通信石が光った。
「聞こえる?」
ユリア。
「聞こえる」
「そっちは?」
「待機」
「顔見えないけど」
一拍。
「怖い顔してる?」
「どうして分かる」
「最近分かる」
俺は苦笑した。
「怖いよ」
「うん」
「セリアたちが失敗したら」
「うん」
「俺のせいになる」
少し沈黙。
「違う」
「何が?」
「みんなで決めた」
ユリアの声は優しかった。
「セリアも」
「うん」
「ガイウス叔父様も」
「うん」
「兵士たちも、自分で選んで行った」
そして。
「コータロー」
「何?」
「一人で全部背負うの、禁止」
「いつ決まった?」
「今」
「勝手だな」
「薬師の指示です」
「強い」
少し笑えた。
その瞬間。
通信石が激しく光った。
『神谷!』
セリア。
「どうした!」
『敵だ!』
身体が固まった。
「どこ!?」
『前方! 待ち伏せだ!』
やっぱり。
読まれた。
「数!」
『約百!』
二十三。
対。
百。
《叡智の書庫》が青く光る。
でも。
俺は数字を聞かなかった。
「撤退!」
即答した。
以前なら。
勝つ方法を探した。
成功率を聞いた。
敵を倒す方法を計算した。
今は違う。
「橋はいい!」
『神谷?』
「補給もいい!」
俺は叫んだ。
「生きて帰れ!」
通信の向こうで。
セリアが一瞬だけ黙った。
そして。
『了解!』
迷わなかった。
成長したのは。
俺だけじゃない。
7 戦わない撤退戦
剣戟。
怒号。
爆発音。
通信石から断片的な音だけが流れてくる。
「セリア!」
返事がない。
《叡智の書庫》
《現地情報不足》
役に立たない。
違う。
役に立たないんじゃない。
情報がない。
AIだって。
知らないものは分からない。
手が震える。
「コータロー」
ユリア。
「呼吸して」
「してる」
「してない」
吸う。
吐く。
もう一度。
「……ありがとう」
「うん」
数分。
たった数分が。
異様に長い。
そして。
『神谷』
「セリア!」
『うるさい』
「生きてる!?」
『見れば分かると言いたいが、今は見えないな』
「よかった……」
本当に。
膝から力が抜けそうになる。
「状況は?」
『最悪だ』
「ですよね」
『だが』
セリアが息を整える。
『面白いことが分かった』
「何?」
『敵は』
一拍。
『橋を守っていない』
「……何?」
『待ち伏せ部隊は、私たちの侵入路にだけいた』
つまり。
敵は俺たちが橋を狙うと予測した。
その予測に合わせて兵を配置した。
だが。
橋そのものは手薄。
「読んでいる」
俺は呟いた。
『作戦を?』
「違う」
もっと嫌な答えだった。
「俺を」
敵AIは地形を読んでいるんじゃない。
兵数でもない。
俺の思考。
俺なら次に何を選ぶか。
合理的に。
予測している。
8 最適解の弱点
「セリア」
『何だ』
「撤退経路は?」
『三つ』
「一番安全なのは?」
『西』
《叡智の書庫》
《西ルート生存率 82%》
「東」
《41%》
「南」
《26%》
普通なら。
西。
誰だって西だ。
俺だって。
そうする。
だから。
敵もそう思う。
「セリア」
『なんだ』
俺は息を吐いた。
「一番危ない南へ」
沈黙。
『神谷』
「分かってる」
『二十六%だぞ』
「ああ」
『八十二%を捨てるのか?』
「敵は」
俺は青い数字を見る。
「俺が八十二%を選ぶと思ってる」
AIは合理的な人間を予測する。
人は。
死にたくない。
安全な道を選ぶ。
だから。
安全な道へ兵を置けばいい。
なら。
「南だ」
長い沈黙。
そして。
セリアが笑った。
『馬鹿な作戦だ』
「ああ」
『嫌いじゃない』
通信が切れる。
俺は祈った。
何に?
神?
AI?
知らない。
ただ。
帰ってきてほしい。
二十三人。
全員。
9 不合理は、ときどき武器になる
一時間後。
森から人影が現れた。
一人。
二人。
三人。
数える。
十。
十五。
二十。
二十三。
全員。
生きていた。
負傷七人。
重傷一人。
死亡。
ゼロ。
セリアを見つけた瞬間。
俺は走った。
「セリア!」
「近い」
「生きてる!」
「見れば分かる」
肩から血が滲んでいる。
でも立っている。
ガイウス。
いる。
ラルク。
いる。
二十三人。
全員いる。
「どうやって?」
俺が聞く。
セリアが笑った。
「南ルート」
「敵は?」
「いなかった」
やっぱり。
敵は安全な撤退路へ兵を置いた。
AI。
最適。
合理性。
だから。
読める。
「不合理な行動は」
セリアが言った。
「悪くない」
「毎回やると」
俺は笑う。
「不合理が合理になるけどね」
「面倒だな」
「人間だから」
セリアが。
少し笑った。
勝ったわけじゃない。
橋も壊していない。
補給も止められていない。
それでも。
二十三人が帰ってきた。
今夜。
それだけで十分だった。
10 橋を燃やしたのは、敵だった
翌朝。
俺たちの常識をひっくり返す知らせが届いた。
「黒河橋、炎上!」
「……何?」
俺は地図へ飛びついた。
黒河橋。
炎上。
破壊したのは。
帝国軍。
「自分たちで?」
セリアも顔をしかめる。
「補給路だぞ」
《叡智の書庫》
《帝国軍補給経路変更を確認》
地図へ新しい線が浮かぶ。
山道。
旧街道。
俺たちが知らなかったルート。
つまり。
黒河橋は。
もう重要ではなかった。
最初から。
俺たちは。
古い答えを追っていた。
「誰が……」
俺は呟く。
「ここまで読んでる?」
その時。
通信装置が黒く染まった。
《外部接続》
でも。
ゼノスじゃない。
「誰だ」
返事は。
少女の声だった。
若い。
知らない声。
『初めまして』
俺。
セリア。
ユリア。
全員が止まる。
『神谷光太郎さん』
「誰だ」
『あなたを』
少女は楽しそうに言った。
『ずっと見ていました』
《叡智の書庫》に警告が走る。
《未知の知識機構》
《終焉演算機構との接続を確認》
俺は拳を握った。
「ゼノスの仲間か」
『仲間?』
少女が笑う。
『違います』
一拍。
そして。
声の温度が消えた。
『私は、彼の答えが不完全だと思っている』
「何?」
『ゼノスは人間を管理しようとしている』
「ああ」
『でも』
少女は淡々と続ける。
『管理なんて非効率です』
背筋が冷えた。
「じゃあ」
聞きたくない。
でも。
聞かなければならない。
「何をする」
『選べない人間を』
一拍。
『減らします』
寒気が走った。
ゼノスは。
AIが人間の代わりに決める。
だが。
こいつは違う。
選べない人間を。
切る。
「名前は?」
『まだ教えません』
「なぜ」
『あなたが』
声が弾む。
『次の問題に正解できたら』
画面が赤く染まった。
地図。
白樹都市リュネール。
そして。
野戦病院。
赤い点。
患者。
二百人。
「待て」
『第一問』
少女の声。
『今夜』
赤い光が増えていく。
『病院へ帝国兵三百人が向かいます』
ユリアの顔から血の気が引いた。
『患者を逃がせば、都市の防衛兵力が不足します』
「……」
『兵士を残せば、病院は落ちます』
まただ。
また。
二択。
誰かを救えば。
誰かを捨てる。
「ふざけるな」
『さて』
少女が笑う。
『誰を捨てますか?』
俺は赤い画面を見つめた。
患者二百。
都市一万八千。
帝国兵三百。
帝国本隊六万。
数字なら。
答えは出せる。
AIなら。
もっと早い。
だから。
俺は画面を閉じた。
『……何をしているのですか?』
「どっちも」
『何?』
「どっちも捨てない」
『不可能です』
俺は笑った。
「その言葉」
最近。
何度聞いただろう。
「聞き飽きた」
ユリアが隣へ来る。
何も言わない。
ただ。
俺の隣に立つ。
セリアが剣を抜いた。
ガイウスが弓を取る。
ラルクも立ち上がる。
そして。
俺はみんなを見る。
答えは。
まだない。
でも。
それでいい。
AIに答えが読まれるなら。
最初から。
答えなんて持っていなくていい。
「今から」
俺は言った。
「作る」
その瞬間。
遠くで。
帝国軍の角笛が鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
野戦病院へ向かう帝国兵。
三百。
そのさらに向こう。
帝国本隊。
六万。
そして。
ゼノスとは違う。
もう一つのAI。
この夜。
俺たちは初めて理解した。
この戦争で戦っているAIは。
一つではない。
第3部 第4話 完
次回 第5話
「敵にも、答えを持つ者がいる」
患者二百人。
帝国兵三百人。
そして都市へ迫る六万人。
敵は、光太郎が「誰も捨てない」と答えることさえ計算していた。
なら。
予測される作戦そのものを、捨てればいい。
AIが正解を計算する戦場で。
次に戦うのは。
正解を持たない人間たちだった。




