第2話 救えない患者を選ぶ日
第3部から、この物語は少しだけ重くなります。
これまで光太郎は、《叡智の書庫》の知識を使いながら、村や王都で起きる問題と向き合ってきました。
しかし今回、AIが示すのは「どうすれば全員を救えるか」という答えではありません。
「誰を諦めれば、より多くの人を救えるか」
という答えです。
六万の帝国軍。
ユリアの故郷、白樹都市リュネール。
そこに暮らす十万人。
そして、《叡智の書庫》が示した極めて合理的な最適解。
一つの都市を犠牲にすれば、王国全体を救える。
数字だけを見れば、それは正しいのかもしれません。
けれど、その「一つ」の中には。
誰かの家があり。
家族がいて。
思い出があり。
生きてきた時間があります。
第3部で光太郎が戦うのは、帝国軍だけではありません。
「正しい答えなら、人間は従うべきなのか」
その問いそのものと戦います。
さらに、これまでほとんど語られてこなかったユリアの過去。
彼女がなぜ故郷を離れたのか。
そして、彼女の中に眠る謎も少しずつ動き始めます。
AIは答えをくれる。
けれど。
その答えを選ぶのは誰なのか。
ここから、『AIだけが使える異世界』は本当の意味で「AIと人間の物語」へ入っていきます。
第3部。
戦争編「一つの都市と十万人の命」
光太郎たちが選ぶ答えを、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
AIが示したのは、「助ける命」ではなかった
「この子を治療しなければ、あと三人救えます」
その言葉を口にした瞬間。
ユリアの顔から、表情が消えた。
目の前には、十二歳くらいの少女。
高熱。
浅い呼吸。
青白い唇。
少女の細い指を、母親が両手で握っている。
そして。
俺の視界には。
《叡智の書庫》が出した、冷たい数字が浮かんでいた。
《患者A》
《推定生存率:12.8%》
《必要薬剤量:通常患者3.4人分》
《医療資源最適配分を推奨》
《患者Aへの治療中止》
分かっている。
AIは間違っていない。
薬は足りない。
患者は増え続けている。
一人に使えば。
三人に使えなくなる。
だから。
これは正しい。
正しすぎる。
「……コータロー」
ユリアが俺を見る。
「この子を」
少しだけ声が震えた。
「諦めるの?」
答えられなかった。
白樹都市リュネール。
帝国軍六万の本隊到着まで。
あと七日。
戦争はまだ。
始まってすらいない。
それなのに俺たちはもう。
誰を生かし。
誰を諦めるのかを。
選ばされていた。
故郷に帰った薬師
前日の夜。
俺たちは白樹都市リュネールへ入った。
歓迎はされなかった。
当然だ。
十五歳で追放された薬師。
ユリア。
その彼女が、人間である俺と王国兵を連れて戻ってきた。
しかも。
その背後から帝国軍六万が迫っている。
歓迎しろという方が無理だ。
「災いを連れて戻ったか」
長老の一人が言った。
「呪われた子よ」
俺の隣で。
ユリアの手が、わずかに動いた。
「待て」
俺が前へ出ようとすると。
袖を引かれた。
ユリアだった。
「いい」
「でも」
「慣れてるから」
その言葉が。
いちばん腹が立った。
慣れていい言葉じゃない。
「ユリア」
声がした。
一人の老女が、人混みをかき分けて現れた。
「……先生」
ユリアの声が変わった。
ミレナ。
幼いユリアを拾い。
育て。
薬草を教えた人。
母親を失ったユリアにとって。
師匠であり。
もう一人の母親だった。
「大きくなったね」
「先生……」
「馬鹿だねえ」
「え?」
「帰ってくるなら、もっと早く帰ってくればよかったのに」
ユリアの目から。
一粒だけ。
涙が落ちた。
俺は。
見なかったことにした。
たぶん。
それが正解だった。
だが。
再会を喜ぶ時間は。
ほとんど残されていなかった。
「患者です!」
神殿の外から叫び声。
「北から避難してきた住民が倒れました!」
一人。
二人。
十人。
そして。
数十人。
高熱。
嘔吐。
下痢。
呼吸困難。
黒い斑点。
「これ……」
ユリアが患者の腕を見る。
「一つの病気じゃない」
《叡智の書庫》
《複数原因の可能性》
さらに。
《水源汚染を疑ってください》
「井戸?」
俺が言う。
ミレナの顔色が変わった。
「中央井戸だ」
「何?」
「倒れた人間の多くが、中央井戸の水を飲んでる」
つまり。
帝国軍が到着する前に。
この街は。
内側から攻撃されている。
薬が足りない
夜明け。
患者は百人を超えた。
昼。
二百人。
夕方には。
数えるのをやめたくなった。
「月白草、残り十二束!」
「止血薬は?」
「ほとんどありません!」
「煮沸した水を赤区画へ!」
怒鳴り声。
泣き声。
呻き声。
昨日まで市場だった広場が。
即席の治療所へ変わっていた。
俺は薬棚を見る。
空。
こっちも。
空。
「補給は?」
「北の森」
ユリアが答えた。
二人とも黙る。
北。
帝国軍が来る方向だ。
「南から買う」
「周辺の町も避難民でいっぱい」
「王都は?」
「間に合わない」
詰んでいる。
俺は《叡智の書庫》を開いた。
「現在の消費量なら、薬は何日もつ?」
《推定》
《1.6日》
「……一日半?」
帝国軍到着まで。
七日。
敵と戦う前に。
薬が尽きる。
「どうすれば、一番多く助けられる?」
《目的を設定》
《救命人数最大化》
嫌な予感がした。
《患者の優先順位分類を推奨》
ユリアが俺を見る。
「選ぶんだね」
「……ああ」
「薬を使う人を?」
「ああ」
「じゃあ」
ユリアの声が小さくなる。
「使わない人も?」
答えたくない。
でも。
「……そうなる」
ユリアは。
自分の両手を見た。
昔。
彼女は患者を救おうとして。
自分で治療法を選んだ。
患者は死んだ。
そして。
故郷を追放された。
その場所で。
もう一度。
命を選べと言われている。
「ユリア」
「やる」
「無理するな」
「無理するよ」
即答だった。
「え?」
「だって」
患者たちを見る。
「無理しなかったら、人が死ぬ」
「でも」
「コータロー」
緑色の瞳が。
俺を見る。
「私だけにやらせないで」
胸を突かれた。
「……分かった」
「一緒に決めて」
「ああ」
ユリアは。
ほんの少し笑った。
「なら、できる」
その笑顔が。
怖かった。
できるからじゃない。
怖いのに。
やると決めた人間の顔だった。
誰を助けるか
患者を三つに分けた。
赤。
今すぐ治療が必要。
黄。
治療は必要だが、少し待てる。
青。
重症。
だが。
限られた薬と人手を大量に使っても、助かる可能性が低い。
最後の説明だけは。
何度言っても。
慣れなかった。
「母を青へ?」
男が俺を睨む。
「見捨てるってことか!」
「違います」
「何が違う!」
俺は答えられない。
ユリアが前へ出た。
「見捨てません」
「なら薬を使え!」
「今、その薬を使えば」
ユリアは。
逃げなかった。
「別の患者が死にます」
男の拳が震える。
「そんなの……」
分かっている。
納得できるはずがない。
命は。
計算式じゃない。
でも。
薬の数は。
計算できてしまう。
それが。
残酷だった。
敵兵も患者なのか
「帝国兵だ!」
広場がざわめいた。
王国兵二人が。
一人の男を運んでくる。
帝国軍の鎧。
腹部に傷。
大量出血。
「先行部隊です」
セリアが言った。
「捕虜として確保しました」
男が目を開く。
「殺せ……」
ユリアがしゃがんだ。
「傷を見せて」
「触るな」
「死ぬよ」
「構わん」
「私は困る」
男。
固まる。
俺も。
ちょっと固まった。
「お前……俺が誰か分かっているのか?」
「帝国兵」
「敵だぞ」
「うん」
「なら、なぜ治す!」
ユリアは。
当たり前みたいに答えた。
「今は患者だから」
男は。
何も言えなくなった。
俺は《叡智の書庫》を見る。
《重度出血》
《治療推奨》
「理由は?」
《捕虜生存による軍事情報取得価値を評価》
一瞬。
背筋が冷たくなった。
ユリアは。
患者だから治す。
AIは。
情報価値があるから治す。
結果は。
同じ。
でも。
そこへ至る理由が。
まるで違う。
「ユリア」
「なに?」
「助けよう」
「最初からそのつもり」
ですよね。
木馬
治療後。
帝国兵の胸元から。
小さな布袋が落ちた。
「触るな!」
男が起き上がる。
「動かない!」
ユリアが怒鳴る。
「傷が開く!」
「返せ!」
布袋の中に入っていたのは。
小さな木馬だった。
脚の長さが違う。
顔も少し歪んでいる。
上手とは言えない。
でも。
大切に磨かれていた。
「これ」
俺は男を見る。
「子どもが作った?」
男は黙る。
やがて。
「……娘だ」
空気が変わった。
「何歳?」
「六つ」
「馬が好きなの?」
「ああ」
男の顔から。
帝国兵が消えた。
「本物を見たことはない」
木馬を見る。
「だから、戦争が終わったら乗せてやるって約束した」
「奥さんは?」
「三年前に死んだ」
短い答え。
だからこそ。
重かった。
「俺が帰らないと」
男は木馬を握った。
「娘は一人になる」
最悪だった。
知ってしまった。
帝国軍。
六万人。
そう呼べば。
数字だった。
敵だった。
でも。
その数字の中には。
六歳の娘に。
「帰る」と約束した父親がいる。
たぶん。
一人じゃない。
「《叡智の書庫》」
《質問を入力してください》
「帝国兵六万人のうち」
少しだけ。
声が詰まる。
「家族がいる兵士は何人だ?」
《情報不足》
分かっている。
分かるはずがない。
でも。
ゼロではない。
ユリアが。
俺の袖をつまんだ。
「コータロー」
「ん?」
「怖い顔してる」
「そう?」
「うん」
木馬を見る。
「敵って」
俺は呟いた。
「何なんだろうな」
ユリアは答えなかった。
たぶん。
答えなんて。
ない。
既存稿でも、帝国兵が六歳の娘からもらった木馬を持ち、「俺が帰らないと娘は一人になる」と語ることで、六万人という数字が「誰かの家族」へ変わる構成になっています。
一人か、三人か
そして。
冒頭の少女だった。
十二歳。
高熱。
呼吸状態悪化。
必要な薬。
通常量の三倍以上。
使えば。
助かる可能性はある。
だが。
同じ量で。
別の三人を治療できる。
「他の方法」
《検索》
《有効な代替手段なし》
「量を減らす」
《救命可能性低下》
「他の薬草」
《有効性不明》
「治癒魔法!」
《対象症状への有効性を確認できません》
「何かあるだろ!」
叫んでいた。
「考えろよ!」
青い文字は。
静かだった。
《救命人数最大化を優先する場合》
《患者Aへの薬剤投与を推奨しません》
「コータロー」
ユリア。
「私を見て」
「でも!」
「見て」
顔を上げる。
ユリアも。
泣きそうだった。
「私だって助けたい」
「……」
「この子も」
少女を見る。
「あっちの三人も」
「……ああ」
「でも」
ユリアは。
薬瓶を見る。
「一本しかない」
母親が。
俺たちを見ている。
もう。
分かっている。
「先生」
ユリアを見る。
「娘は」
声が震える。
「死ぬんですか?」
ユリアは。
「大丈夫です」とは言わなかった。
「分かりません」
母親の顔が歪む。
それでも。
ユリアは続けた。
「でも」
少女の手を握る。
「薬を使わないことと、何もしないことは違います」
「……」
「できることは全部やります」
俺は。
その横顔を見る。
そして。
決めた。
「薬は」
喉が痛い。
「三人へ使います」
母親が目を閉じた。
俺は。
頭を下げた。
「すみません」
最低の言葉だった。
だが。
他に。
何も出てこなかった。
しばらくして。
母親が言った。
「一つだけ」
「はい」
「娘の前で」
涙を拭う。
「諦めた顔をしないでください」
ユリアが。
はっきり答えた。
「はい」
俺も。
答えた。
「約束します」
AIの数字を超える
薬は三人へ使った。
三人とも。
容体は安定した。
少女には。
薬を使わなかった。
身体を冷やしすぎない。
水分。
呼吸管理。
光魔法。
月白草。
この世界で使えるものを。
全部組み合わせた。
そして。
夜明け。
「……お母さん」
声。
俺とユリア。
同時に振り向いた。
少女の目が。
開いていた。
母親が。
崩れ落ちる。
「いる!」
手を握る。
「ここにいるよ!」
ユリアが呼吸を確認する。
脈。
額。
「まだ安心できない」
それでも。
笑った。
「でも」
涙。
一粒。
「生きてる」
俺は《叡智の書庫》を見る。
《推定生存率を更新》
《43.1%》
数字が。
上がった。
俺は思う。
AIが間違っていたわけじゃない。
12.8%は。
ゼロじゃなかった。
俺たちは。
その小さな数字の中に。
手を突っ込んだだけだ。
そして。
運よく。
命をつかめた。
それだけ。
次も。
同じ結果になる保証なんてない。
だから。
怖い。
「コータロー」
「何?」
「嬉しい?」
「当たり前だろ」
「よかった」
「何が?」
ユリアが。
少し笑った。
「数字しか見なくなったら、どうしようと思ってた」
「俺を何だと思ってる?」
「叡智の書庫の下僕」
「ひどくない!?」
「違うの?」
「否定しづらい!」
ユリアが。
笑った。
ほんの数秒。
それでよかった。
ミレナ
昼前。
「ユリア!」
叫び声。
ミレナだった。
高熱。
嘔吐。
そして。
呼吸状態の悪化。
ユリアが駆け寄る。
「先生!」
「騒ぐんじゃないよ」
「喋らないで!」
「薬師が患者より慌ててどうする」
「先生!」
ミレナ。
笑う。
弱々しい。
それでも。
いつものミレナだった。
俺は《叡智の書庫》を開く。
《重症》
《治療資源大量消費の可能性》
嫌な表示。
やめろ。
次。
出すな。
《現時点での優先治療》
表示。
俺は。
言葉を失った。
ユリアも。
俺の顔を見て。
分かった。
「……青?」
俺は答えられない。
「コータロー」
「……ああ」
ユリアの顔から。
血の気が引いた。
青い区画。
限られた薬と人手を。
優先的には回せない患者たち。
さっきまで。
他人へ下していた判断。
今度は。
ユリア自身が。
一番大切な人へ。
下さなければならない。
「先生」
ユリアが。
ミレナの手を握った。
「ごめん」
「何を謝ってる」
「私……」
「薬師なんだろ?」
ミレナが。
静かに言った。
ユリア。
顔を上げる。
「なら」
弱い呼吸。
それでも。
目だけは。
まっすぐだった。
「患者を見な」
ユリアの目から。
涙が落ちる。
でも。
拭った。
そして。
立った。
もう。
十五歳で追放された少女じゃない。
王都で。
何百人もの患者を診てきた。
一人の薬師だった。
「ミレナ先生を」
声。
震える。
でも。
止めない。
「青い区画へ」
誰も。
動かなかった。
ユリアが。
もう一度。
言った。
今度は。
薬師として。
「ミレナ先生を、青い区画へ」
担架が動き出す。
ユリアは。
追いかけなかった。
追いかけられなかった。
次の患者が。
待っているからだ。
俺は。
その横顔を見た。
昨日までとは。
違う場所に。
ユリアは立っていた。
強くなったから。
悲しくないんじゃない。
悲しいまま。
次の命へ。
手を伸ばせるようになった。
それが。
たぶん。
薬師になるということだった。
「ユリア!」
叫び声。
振り向く。
七歳くらいの少年が。
寝台の上で激しく震えていた。
「痙攣!」
さっき。
月白草を飲ませた患者。
ユリアは。
一瞬だけ。
青い区画を見た。
白い布の向こう。
ミレナがいる。
そして。
前を向いた。
「周りの物をどけて!」
走る。
「押さえつけないで!」
俺も。
その背中を追った。
戦争は。
まだ始まっていない。
なのに。
この街では。
もう。
命を巡る戦いが始まっていた。
そして俺たちは。
まだ知らなかった。
この野戦病院で起きていることが。
単なる疫病でも。
偶然でもないことを。
誰かが。
この街そのものを。
巨大な実験場に変えようとしていることを。
第3部 第2話 完
次回 第3話
「野戦病院の少女」
「ミレナ先生を、青い区画へ」
自分を育ててくれた人を。
自分自身の判断で。
治療を優先できない場所へ送ったユリア。
その直後。
七歳の少年が痙攣を起こす。
薬は足りない。
患者は増える。
そして。
《叡智の書庫》にも分からない治療法が、この世界には存在していた。
AIの知識と、異世界の医学。
二つが初めて交わる時。
ユリアは「教えられる薬師」から、
新しい医学を作る薬師へ変わり始める。




