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「すごいのよぉ、弘也兄ちゃんの竹とんぼ。ブ~ンって、夕日の向うまで飛んでくのぉ」
孫へ向け、夢中で話す染子の頬が紅潮していた。
弘也というのは八十年前、染子を可愛がってくれたと言う近所の青年で、星も染子自身から話を聞かされた覚えがある。
口下手で人付き合いは苦手な反面、手先がとても器用な男だったそうだ。
厳しさを増していく戦時下、親に構って貰えない近所の子供達に凧やビー玉、ベーゴマ等、玩具を手作りし、一緒に遊んでやっていたとか。
出会った頃、まだ八才の染子にとって初めて憧れを抱いた男性だったのかもしれない。
そして二人の生涯の別れは、敗戦の気配が色濃く漂う昭和20年の春。
エンジニアを目指していた弘也が青年学校本科三年になった春、学徒出陣し、南方へ向かう途中に輸送船が米潜水艦の攻撃で沈没、帰らぬ人となっている。
亡骸が戻る事も無く、僅かな遺品を家族や知人で分けた後、棺に納めて埋葬した。
その悲しみは染子の心に深く刻まれ、認知症で気持ちが少女に戻ったのを機に、思い出の蓋が開いてしまったのだろうが、
「弘也兄ちゃん、呼んでる! だって真っ赤な竹とんぼ、その印だもん」
染子は又、孫の腕をグイグイ引っぱり始め、仕方なく星は祖母を気遣いつつ階段を下りた。
そのまま玄関へ向うものの、外に出るのは何とか避けたい。
トキタ物産と言う築地の食品商社で働く父・敦は休日出勤中。母・知美も趣味の陶芸で近所の仲間と窯入れに行き、夕方まで戻らない。
仕方なく玄関前で通せんぼし、祖母の興味の矛先が変わるのを待った。
「早くお外、行きたいよぉ」
「え~と……あ、ホラ、竹とんぼ、もう何処か行っちゃったよ」
「お兄ちゃん、待ってるもん」
「慌てなくても、迎えに来てくれるから」
そんな調子で延々と押し問答のリフレイン。
額に冷や汗を滲ませつつ十数分を費やし、やっと落ち着いた様子の染子を一階奥の和室へ戻して、台所と一体型の広い居間へ星は教科書や問題集を持ち込んだ。
染子の部屋から玄関へ向うには居間の前を通るほか無い。
ドアを開けっ放しにし、そこで勉強を続けていれば、祖母の徘徊を見逃さずに済むと思った。
当然、居眠りはNG。思いっきり濃いコーヒーを淹れ、今度こそと頬を叩いてテキストへ齧りつくが、なけなしの気力は半時で尽きる。
結局、うつらうつら眠りかけ、ブンブン頭を振って窓へ目をやった時、
「あ……あれっ?」
庭へ面したサッシの右側、上端を掠め、赤い何かが飛んだ気がする。
外を見回してみても何一つ怪しい動きは確認できず、気のせい、と思い直して教科書を開き……
すぐ不安に襲われた。
立ち上がり、祖母の部屋を覗いて、誰もいない現実に気付く。
「あ、ソメちゃん、何処っ!?」
何度読んでも、虚しく声が響くばかり。
廊下から玄関へ向かい、祖母愛用の草履が残っているのを確認したものの、もう一つの出口・台所勝手口に行くと母の庭仕事用ズックが消えている。
ボクが油断した隙に、そ~っとおばあちゃん、家の外へ抜け出しちゃったの!?
半ばパニックに陥り、星も家から飛び出した。祖母の名を大声で呼び、近所中を駆け巡るが何処にも見当たらない。
半泣きで親へ電話した。
敦はすぐ戻れなかったが、知美は窯入れを中断。一緒に心当たりを訪ねて回るが、収穫は無し。
夕方五時を過ぎ、警察への通報を真剣に考え始めた頃、ひょっこり染子が帰ってきた。
「お義母さん、何処行ってたの!?」
問い詰めるのがタブーと判っていても、尋ねずにいられない。大声を出す知美に対し、染子は怖そうに体を縮め、孫娘を見た。
「……タカちゃん、助けて」
まだ自分が幼馴染に見えているのを悟り、星は優しく祖母へ問いかけてみた。
「弘也お兄ちゃん、探しに行ったの?」
「うん」
「こんなに遅くまで、一人で?」
染子は首を横に振り、又、あのあどけない笑顔を見せる。
「弘也お兄ちゃんも一緒」
驚きに目を見開いたまま、知美が話へ割り込んだ。
「弘也さん!? それ、ずっと昔に亡くなった人でしょう?」
「でも、会ったの。来てくれたの」
「そんなぁ、ホラー映画じゃあるまいし……」
「嘘じゃないもん。二人で海へ行って、赤い竹とんぼで遊んだの」
若干の沈黙の後、知美は深いため息をついた。
「星、もう良い。お婆ちゃんを部屋へ連れてってちょうだい」
普段、染子の世話は主に知美がしている。
星が家にいるこの日、久々に介護の重荷から解放される筈だったから、その分、騒ぎのショックも大きいのだろう。
重苦しい母の声音を感じ、一緒に落込みそうになる気持ちを堪えて、星は染子の手を部屋まで引いて行った。
「タカちゃん、見て」
一人で居間へ戻ろうとした時、染子がチラリと右手に握っていたガラス製の、丸みを帯びた何かを見せる。
「それ、どうしたの?」
「あたしとお兄ちゃんの宝物」
そう言い、染子は右手を大事そうに握りしめて、部屋の扉を閉めた。
例の如く幼女の振舞いに思えたから、何処かで石でも拾ったのかと、星は祖母が見せた物を気にしなかったのだが……
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