カゲトキ
ヨウコは蹴り込む姿勢のまま、ノリに向かって飛んでくる。
もうホロウ・シンドロームの線虫に支配された脳は、利用されるだけであり、自らの意識はない。
「ノリ!」
突き飛ばされたヒナは、ヨウコとノリの衝突を見て叫んだ。
ヒナの目にはヨウコの膝が、ノリの顔面に入ったように見えた。
そして二人は絡み合ったまま倒れ込んでいた。
ノリの状況を確認しようと、ヒナはヨウコに向かっていく。
ヨウコは突き飛ばそうと伸ばしたヒナの腕を、難なく掴んでしまう。
ヨウコに抑えられながら、ヒナは叫ぶ。
「ノリ、死なないで!」
「ばかには じょうきょうが りかいできない ようだな」
動かないノリ。
ヒナは全身の力を使ってヨウコから逃げようとするが、掴まれた腕が痛くなるばかりで、離れない。
ヒナは泣きながら叫ぶ。
「許さない。絶対に許さない!」
ヒナの叫びを聞くと、ヨウコは突然、掴んでいた腕を放した。
「のり……」
ヨウコはただ立ち尽くしていたかと思うと、頬を涙がつたって落ちた。
「ヒナ、逃げろ!」
「ノリ、生きてたのね」
ヨウコは素早くノリの喉を押しつぶす。
「くっ……」
ノリの顔が歪むと、ヨウコは手を緩めた。
「あなたが すきでした けれど とどかないことを しりました」
「!」
ヒナはヨウコの発言を聞いて目を見開いた。
「けれど ひなが ゆるせなかった わかっていたのに ゆるせなかった」
「ヨウコ、ごめんなさい。私、ノリにあなたの気持ちを伝えることが出来なかった」
「……」
再びノリの喉は押し潰された。
息も血流も止まってしまうほど、強く押されている。
ヒナがヨウコを引き剥がそうとするが、微動だにしない。
一瞬だけ戻った人の心も、消えてしまった。
ヒナにはそう感じた。
「やめて! ノリを殺さないで!」
言葉で心が戻るなら、一瞬でも人らしくなるなら。
「うるさい」
軽く払ったような腕の動きで、ヒナは遠くへ突き飛ばされる。
ダメだった。ヒナはぐるぐると回る景色の中で、そう思った。
「……」
声にならない声がもれる。
ノリはヨウコの手を喉に食い込ませながらも、体を起こそうと抵抗した。
だが、すぐにノリの意識は朦朧とし、力尽きてしまった。
ノリは目を覚ました。
目の前には、ヒナがいた。
ノリは喋ろうとして、咳き込んだ。
「喉をきつく締められた影響だろう」
ダークグリーンのヘルメットをかぶり、フェイスシールドをつけた男がそういった。
例の銃身が平行に二つ並んだ『銃のようなもの』を持っていた。
この人達に助けられたのだ、とノリは思った。
「……だからノリ、喋らないで。大丈夫、この人は『カゲトキ』さん」
それを聞いてノリは目を見開いた。
「君たちは、この服装に着替えて同じ車に乗ってもらう」
ノリはスマホを取り出すと、文を書いて示した。
『学校はどうなったんですか?』
「私もそれを知りたい」
「残念だが…… 君たち以外の未感染者は確認できてない」
ノリは目を見開いたまま、動かなくなってしまった。
「そんな…… 病状が軽い人とかはいないのですか? 治療の余地がある人は」
カゲトキは目を閉じて、無言で首を横に振る。
髪を口にしないことが重要で、罹患してしまったら重い、軽いはなく、確実に助からないのだ。
「さあ、早く着替えて。着替えたらそこの搬入口から出るよ」
搬入口は業者のトラックなどが入ってくるところで、ゲートがない。
二人が第五中学のジャージの上から、カゲトキが用意した衣装を着る。
二人は着替え終わると、最後に敬礼の方法だけ教えられた。
「無駄に敬礼する必要はないが、こっちがやった時は同じように敬礼してくれ」
ノリとヒナは頷いた。
カゲトキの後をついて、第五中学の中を進んでいく。
カゲトキは終始何かぶつぶつと喋りながら、忙しいフリをしている。
搬入口近くなると、ダークグリーンのヘルメットを被った連中が大勢いた。
ノリは返って数が多い方が紛れていいのではないか、そんな気がした。
三人は無事に学校を抜け出すことが出来た。
学校の壁沿いに歩いて進むと、カゲトキが停めていた車が見えてきた。
車は路上パーキングに停めていて、メーターは正常に動作中だった。
突然、大きなガソリン車の音が聞こえてきた。
七リッターを超える大きな排気量の旧車。
車に詳しくはないカゲトキでも、この米車から連想する人物がいた。
ブレーキ痕をつけながら減速し、カゲトキの車の前に停車した。
車の右サイド、フロントグラスの輝きで中が見えない。
先にいる影は……
カゲトキは逃げられないと、覚悟を決めた。
後ろの二人に、低い所で手を使い合図する。
ガードレール側に出てくるサングラスを掛けた大男。
スーツの上下は、しなやかで彼の動きを損ねない。
車道側の助手席を開くと、中から男が出てきた。
大男の肩を借りながら立ち上がると、サングラスの大男を上回る体格だった。
グレーのスウェット上下、あらゆる方向に伸び切った白髪と白ひげ。
白くなければ、人の体にライオンの頭をつけたかのようだ。
男も運転手と同じサングラスをつけていたが、カゲトキを見て動きを止めた。
「……」
スウェットをきた大男に睨まれ、カゲトキの足は震えていた。
「我々は5033-76B地区の応援に向かいます」
カゲトキの敬礼に合わせ、ノリとヒナも敬礼する。
スウェットの大男は無言のまま三人を見つめた。
ノリは、まるで男の呼吸に押されているようなプレッシャーを感じた。
ヒナは経験のない緊張に包まれる。
無言の時間が、五分も十分も続いている感覚になった。
「何をしてる。いけ」
カゲトキがリモコンでキーを開け、車に乗り込むように二人に指示する。
カゲトキも再度、頭を下げると後ろに停めている車に乗り込んだ。
エンジンをかけ、そのままUターンすると車は第五中学を後にした。
いくつかの車両ゲートを抜けた後、ヒナが訊ねた。
「さっきの、白髪のおじさんって誰なんです?」
前方を見たままカゲトキは答える。
「あれはC.O.R.P.S.の最高責任者。神宮寺智だ」
「最高責任者って、現場にくるのかしら」
ヒナは首を捻る。
ノリはヒナの手を握った。
ヒナの言う通り、最高責任者が都度、現場にくることはない。
来ると言う事は第五中学の事件の規模が大きいか、あるいは事件全体が終息に向かっているのかもしれない。
車が止まる。
「下りろ」
「えっ、ここって」
車を下りてもヒナとノリはずっと手を繋いでいる。
カゲトキは手慣れた様子で建物を進んでいく。
エレベーターを四階で下りると、カゲトキはある部屋の玄関を開けた。
「入れ」
「……」
二人は今までのように部屋の奥へ進んだ。
ヒナは振り返るが、カゲトキの姿はない。
「待って!」
ノリの手を離し、ヒナは慌てて玄関へ戻る。
扉は閉まっていて、扉を開けようとして扉の異変に気づく。
「ノリ! 来て!」
声が出ないノリが、唸るように何かいい、扉を叩いた。
「私たち閉じ込められちゃったってこと?」
ノリはヒナを振り返り、小さく頷いた。




