ダークグリーン
ノリは視線に気づいた。
距離を置いて、じっとこっちを見つめる瞳には、記憶がある。
『ヨウコ?』
視線が合う、と瞬間にその姿は何処かに消えていく。
教室の外、廊下の角、塀の影。
ヒナが何かを告げに来た時。
あの時も……
そういえば、ヨウコがヒナを見る視線に怖さを感じることがあった。
そうか。そうだったのか……
ノリは息ができなかった。
もう髪を飲み込んでしまおう、と思った。
すると、いきなり大きなモーター音がして、口に何かを押し込まれた。
『ノリ、待ってて!』
ガスマスクをつけた五中ジャージの者が、掃除機を床に寝転がったノリに向けている。
轟音とともに、ノリの顔を覆う髪を吸引していく。
髪がなくなったことを感じ、ノリは大きく息を吸い込む。
するとすぐ、咳き込んだ。
『大丈夫!?』
咳がおさまると、ノリは言う。
「だ、大丈夫だけど、どうしてここが!?」
『ノリこそ何も言わずに、勝手に行かないで…… 私、すごく心配したんだよ』
ヒナはそう言ってその場にしゃがみ込むと、ガスマスクのゴーグルが曇っていく。
「泣くなよ」
『じゃ、心配かけるようなことしないで』
突然、ヒナが引き倒された。
「くだらんしばいは そこまでだ」
「葛城!」
ノリは立ち上がる間もなく、葛城にのしかかられた。
馬乗りになった葛城は、ニヤリと笑った。
容赦なく、顔に拳が振り下ろされる。
ホロウ・シンドロームに罹った者は、人間以上のパワーが出るという。
殴られた痛みと激しい振動で、ノリは左耳が聞こえなくなった。
『やめて!』
立ち上がったヒナは、精一杯、足を蹴り出す。
「むだなこと」
蝿を払うような動きで、ヒナの足をすくう。
バランスを崩して、ヒナは再び床に転がってしまった。
「やめろ!」
ノリが体を曲げ、足で葛城の顔を引っ掛けようとするが、寸前で届かない。
「そんなに しにたいなら ころす」
大きく振りかぶった左拳が振り下ろされる。
落ちてくる鋭いパンチを、首を曲げてかわす。
床を打ちつける轟音が部屋に響いた。
ノリは右耳も聞こえなくなった。
まずい。
再び右拳が高くセットされる。
ノリは目を閉じる。
見えないものは存在しなくなると信じているように。
「……」
体にかかっていた葛城の体重がなくなった。
ノリは目を開くと、正面には天井しか見えない。
「動くな!」
視野の隅に、ダークグリーンのヘルメットを被った男がいた。
「そっちのガスマスクもだ!」
ノリの横に葛城が仰向けになって倒れている。
その葛城の体は、微かに痙攣していた。
「な、何をしたんだ」
「動くな、というのは口も動かすなということだ」
声が聞き取れずノリは首を傾げる。
そのダークグリーンのヘルメットをつけた男は、銃身が平行棒のように二つ付いた『銃口のない銃』を持っていた。
指示された通り、その場で動かないでいるとフェイスシールド、ゴーグルなど感染症から防護対策をした連中が入ってきた。
連中は素早く葛城の体を運び去っていった。
残されたヒナとノリは、一人のダークグリーンのヘルメットの男と向き合って立った。
「私たちはどうなるんですか?」
ヒナが訊くと、ヘルメットの男は銃を構える。
「……」
ノリはヒナを守るように前に出て、腕を広げ、ヒナを下がらせた。
「君たちが知ってることを話してもらう」
ダイニングテーブルに向かって銃を振る。
「座れ」
ノリは聞こえないのか、動き出さない。
ただじっと男の姿を見つめている。
ヒナがなんとなく様子を察して、椅子に導く。
ガスマスクを外し、ヒナは二人の名前や学校を説明した。
「奴とはどういう関係だ」
奴というのは葛城のことのようだ。
「学校の知り合いです。いや、本当に顔を見た程度です」
「君は何故このガスマスクをつけていた? これは高価で、あまり一般的なものではない」
「言えません」
ヘルメットをした男は、テーブルを激しく叩いた。
ヒナは激しく反応したが、ノリは驚かない。
「警察の取り調べじゃない。超法規的措置も可能なんだぞ」
「?」
「正直に話すまで拷問もできるということだ」
そう言うと腰からナイフを取り出して見せた。
いきなりテーブルに突き立てる。
「このテーブルが壊れようが、お前たちが死のうが、俺たちは何の罪に問われない」
「言えません」
「……君たちにも、そういう覚悟があると言うことか」
ナイフを抜いて腰に収めた。
男は話を続けた。
「奴はどこからきた? ゲートの履歴はこの建物のゲートしかなかった」
「この近くの、大きな商業ビルよ。私たちは地下機械室で彼と会った」
「……間違いないな?」
ヒナが頷く。
男はそれが聞ければ十分と言った風に頷いた。
「地下機械室」
そう言い残して、男は走り去った。
ヒナは緊張が解けたためか、大きなため息をついた。
ノリはスマホを使ってカゲトキに連絡する。
「カゲトキさん」
『ノリ、無事だったか』
スマホの映像には、瞬時に字幕がつく。
ノリは文字を読んでから反応した。
「今、ダークグリーンの「C.O.R.P.S.」と書かれたヘルメットをつけた男に尋問されました。超法規的措置が取れるとも」
カゲトキは両手でキーやマウスの操作をしたようだった。
それに伴って映像と音声が少し途切れた。
「それは嘘やハッタリじゃない。気をつけろ」
さっきのカゲトキの操作以降、心なしか映像や音声が遅れる気がした。
「ヒナが頑張ってあなたのことは言ってませんから」
「今度同じことになった時は、無理をするな。本当に拷問してくるぞ」
「葛城たちがいた、あの商業ビルの事を伝えると、すぐに立ち去りました」
ノリはポケットを探って、カプセルを取り出す。
「それと、この部屋でこんなものを見つけました。据え付けの家具の引き出しに、隠した引き出しがついていて、そこに入ってました。まだ数があります」
「まさか、それは…… まずは例の方法で送ってくれ。つぶれないよう、何か工夫をして」
「カゲトキさん、このカプセルのこと何か知っているんですか?」
しばらく黙って画面を見つめた後、カゲトキは言った。
「このカプセルの存在は、動画の中で言及されていた。暗号部分ではなく、非常にシンプルな形で。朔夜はそれを知っていた」
「彼らもこれを飲んだと言うこと?」
ノリはカプセルをじっと見つめる。
「あまり触るんじゃない。朔夜はカプセルの存在を推測しているだけだ。葛城についてはどこまで分かったのか不明だ」
ノリは葛城が盗んだバッグからジップ式のビニール袋を取り出し、カプセルを入れた。
「すまないが、またしばらく連絡が取れなくなる。不審な人物を尾行したり、この部屋に勝手に入るような行動はするな。助けられないし、君たちはもう目をつけられてる」
カゲトキの画面上に流れるテロップのように妙な英文が表示された。
「切るぞ」
「あっ!」
ノリとヒナは顔を見合わせた。
しかしもうここにいる必要はない。
部屋から落ちてきた髪の毛が『葛城の仕業』だとしたら、もうこの部屋には危険はない。
二人はテーブルに置いたガスマスクなどをバッグにしまった。
「行こう」
ヒナが言うと、ノリはバッグを肩にかけた。
部屋の扉を開けると、そのままヒナは腕を取られて引っ張られる。
ノリは慌てて追いかけた。
制服の警官が三人いてヒナを確保していた。
「警察だ。礼状がないから入らなかったんだが……」
私服の人がノリに向かって警察手帳を明示した。
「任意同行に応じてくれるな?」
二人は頷くより他なかった。




