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第180話 「かつての世界での意識」

 想像もしていなかった言葉が飛び出したこと、あり得ないと思っていたこと、二つが同時に起こったことにより僕の頭は混乱した。

 なぜこの世界でライムさんが僕の名前を呼んだ?

 なぜライムさんはこの男のことをお兄様と呼んだ?


「シュウお兄様! 私のユイ様に剣を向けたこと、何か言い訳はあるの!」


「い、言い訳も何も、俺はただ仕事を……というかライム、久しぶりだな。随分と大きくなって……」


 シュウお兄様と呼ばれた男は懐かしむように、嬉しそうにライムに歩み寄ろうとしたが、


「この! 私の! 大切なユイ様に! お兄様と言えど許しませんわ!」


 気の緩んだ自身の兄に対しライムさんは、華麗な動きで男を転ばせ、綺麗な四の字固めを決めた。


「いたたたた! おいライム、久しぶりに会った兄になんてことするんだ! 離せ! マジで……折れる折れる! 洒落にならん!」


 さっきまでの雰囲気はどこへ行ってしまったのか、目の前で兄妹げんかを見せられるなんて夢にも思わなかった。

 ライムさんは見事な動きで四の字固め、キャメルクラッチ、コブラツイストなんてものも決め、徹底的に自分の兄を痛めつける。

 そんな喧嘩を10分ほど見せつけられた後、痛みに悶える男をポイっと捨て、僕の方に駆け寄ってきた。


「ユイ様、お久しぶりですわ」


 満面の笑顔を向けるライムさんに、多少の嬉しさを感じはしたがそれ以上に疑問が大きい。

 なぜライムさんはここにいて、僕のことを覚えているのか。


「あ、あの……一応聞きますが、前の世界の記憶を持っているんですか?」


「ええ、覚えていますわ。ユイ様が私に与えてくださった痛み屈辱恥辱の数々、私の脳裏に刻みつけられていますわ!」


 ……忘れてくれればいいのに。

 感動の再会と言っても差し支えないはずなのに呆れてしまって呆然としたが、今の会話にライムさんのお兄さんも割り込んできた。


「ちょっと待てライム! お前この男に何をされたんだ! 痛みやら屈辱やら……場合によってはこの男も抹殺対象に……!」


「だまらっしゃい馬鹿お兄様!」


 そしてまた見事なハイキックを男の顔に喰らわせるライムさん。

 もう何が何だか分からない。

 けどとりあえず、戦わなくていいならそれに越したことはないと、地面に倒れた男に語りかける。


「あの……シュウさんでしたよね? とりあえず戦うのやめにしません?」


「ふ、ふざけるな! 俺は依頼されてここにいるんだ。たとえ妹に邪魔されたとして、シュテル家を殺しに……」


 と言い終わる前に、再びライムさんがシュウさんに襲い掛かる。


「ユイ様だけに飽き足らずセウルさんまで殺そうとするなんて! 骨の5、6本ほどへし折ってあげますわ!」


「ライムさん黙って! あなたが口を挟むと何も進まないんですよ!」


「はう! ユイ様に黙れだなんて言われると、少し興奮して……」


「あなた何も変わりませんね!」


 相変わらずのライムさんの言動を見ていると、あきれてものも言えないが、不思議と安心感がある。

 僕はこの世界に戻ってきたんだなと、あらためて実感した。


     *


 ライムさんの奇行がひとしきり終わった後、僕ら3人は地面に座って向かい合っていた。

 シュウさんは不機嫌そうに、ライムさんは嬉しそうに。


「でだライム、何しにここへ……」


「お兄様黙って。ユイ様との話が先です」


「…………」


 可哀そうの一言に尽きる。


「あのライムさん、もう少し優しくしてあげてもいいんじゃ……」


「十分優しいですわ。お兄様じゃなければユイ様を殺そうとした罪はこんなものじゃありませんもの。三日三晩拷問を施したうえで殺しても足りませんわ」


「十分すぎると思いますが……まあそれはもういいです。それよりなぜあなたが、記憶を持っているんですか?」


 絶対にありえないと思っていた。

 この世界にライムさんや他の人たちは存在しても、アニスさんとエイジン様以外は記憶を持たずにリセットされたはず。

 にもかかわらず、目の前のライムさんはこの世界で初対面であるはずの僕を覚えていて、お嬢様と過ごした記憶もあるようだ。

 絶対に、ありえないと思っていたんだけどな。


「成功するかどうかは五分五分だったそうなので、黙っていたんです」


「なあライム、何の話を……」


「黙ってお兄様! 今大事な話をしているんです!」


「…………」


「以前クソ爺の理論を聞いて、私やユーリ君、その他の人たちは世界をまたぐには危険が高いと前の世界に残りましたわ。だから私は、ユイ様とは二度と会えない、会えたとしてもまたユイ様の奴隷になれるかもわからない、そう諦めていましたわ」


「以前も僕がライムさんを奴隷扱いしていたような発言はやめてほしいのですが」


 僕も皆とは永遠のお別れに近い気持ちでいた。

 この世界で関係を築こうとは思っていたけど、あの時のライムさんたちとは、もう二度と会えないと。


「ただ、クソ爺にもう一つの理論を、ユイ様に内緒で話されたんですの」


「もう一つの理論?」


「体ではなく意識であれば、世界を行き来することが可能なのではないかと」


「意識? ……それって、危険なことじゃ」


「いいえ。どうせ私たちは存在ごとリセットされるので、アニスさん以外は精神がどうなろうと特に危険性はありませんわ」


「な、なるほど」


「でですわ、私やユーリ君などの意識を前の世界の私たちから引き抜いて、アイリさんが再生されたこの世界の私たちにユイ様の体と合わせて世界に放り込んでくださったのです。うまい具合に意識を移せるか確証がなかったので、変にユイ様に期待させないように隠していたのですが、無事上手くいったようですわ」


 理屈は理解した。

 確かに成功するかわからない賭けを僕に伝えようとしなかった理由はわかった。

 てことは、ユーリ君もこの世界で僕のことを覚えていて、あの島で待っているかもしれない。


「それでライムさん、ユーリ君以外には誰の意識をこの世界に持ってきたんですか?」


「さあ? 私は意識の引き抜きが出来るかどうかの実験で早い段階から意識を引き抜かれましたので、誰の意識がこの世界に来ているかの詳しい情報は存じ上げません。わかってるのはクソ爺とユーリ君くらいですかね? まあそこはクソ爺に聞けばすべてわかるでしょう」


「確実なのはユーリ君とロイド先生だけか……でも、ライムさんにユーリ君、お二人が覚えていてくれるのは、とても心強いです」


 僕は安心感からかライムさんに満面の笑みを向けた。

 エイジン様から死の宣告をされ、アニスさんにも頼れない。

 アルちゃんもこの世界ではゼロに乗っ取られているという絶望に近い状態だった。

 けど僕には、頼れる仲間がいる。これほど嬉しいことはない。

 あ、一応ロイド先生が覚えているということも嬉しいです。


「まあ、ユイ様からそんな笑顔を向けられるなんて、初めてかもしれませんね」


「かも、しれませんね」


 思えば僕は心の底から笑顔を浮かべたことが極端に少ない気がする。

 ナズナさんくらいにしか向けていなかった笑顔をライムさんにも向けたってことは、僕は本当に信頼しているんだな。


「それはそうと、ライムさんはここに何をしに来たんですか? 僕が今日この日に来るのが分かってたみたいですけど」


「ああ、それはこの馬鹿なお兄様が死なないように来たんですの。ユイ様と会えたのは完全に偶然です。というかユイ様はシュテル家の屋敷で待ち構えているか、ナズナさんの救出に向かっていると思ったので、こっちの方が驚きましたわ」


「屋敷には諸事情があって戻れなくて」


「諸事情? ああ、確かにセウルさんには前の世界の記憶はないですし、ナズナさんを迎えに行くことを考えればシュテル家に行くのはむしろ足かせになる可能性もありますものね」


 理由はそれだけじゃなくて、エイジン様に命を狙われてるってこともあるけど。


「それにしても驚きました。まさかこの人がライムさんのお兄さんだったなんて」


「ええ。前の世界では無残に殺されてしまったので、今回は死なないように立ちまわる必要があったんですの。これでセウルさんは名実ともに復讐の対象ではなくなったので、私の肩の荷も下りたというものですわ」


「そうですか。それは、よかった、です……ね……」


 ライムさんの言葉で、僕は体温が低くなっていくのを感じた。

 前の世界でライムさんは、セウルお嬢様を殺すかどうかを迷うほどに思い詰めていた。

 その理由は兄をシュテル家に殺されていたから。

 その事実を知っていた僕は、戦慄する。

 だってこの人、ライムさんのお兄さんが死んだ原因は、僕にある。

 シュテル家に侵入してきたこの人を排除するという明確な理由はあった。

 あの時点で見ればむしろ僕は被害者の立ち位置にいたかもしれない。

 けど、僕がこの人を爆発によって大けがをさせ、瀕死の状態に陥らせた。

 結局止めを刺したのはアニスさんだったけど、僕はライムさんのお兄さんを殺す片棒を担いだようなものだ。

 つまり僕も、ライムさんの復讐対象になっていてもおかしくない。


「ユイ様、どうしましたの?」


 冷や汗をかく僕を心配そうに見つめるライムさん。

 ……その目は本当に心配してくれていることが分かる。

 この目に対し僕は、誤魔化すことはしていけないと思った。


「すいません、ライムさん。前の世界で、この人を殺したのは、正確にはシュテル家ではありません。元々この人を瀕死の状態にしたのは…………僕、です……」


「知っていましたけど?」


 僕が断腸の思いで告白した事実に、ライムさんはあっけらかんと答えた。


「というか言ってませんでしたっけ? 私、ユイ様の記憶を以前見ているんですのよ?」


「僕の記憶を?」


「ほら、ユイ様が女の子になったときです。ユイ様がボロボロになって気絶しているところを、原因究明のためにセウルさんの魔法を使って、記憶を見せてもらったんです。その時にはもうすべてわかってましたわよ?」


「……え?」


 僕が、女の子になったとき?

 ……確かに、あの時不自然な点はいくつかあった。

 僕をいじめた女生徒たちをお嬢様たちがすぐに割り出せたことも、あの日を境にお嬢様たちは僕に普段以上に優しくなったりしたことも。

 ナズナさんにやったように記憶を覗いたとすれば納得できる。

 けど、そんなの、とてもじゃないが信じられない。


「じゃああの時、ライムさんはどんな気持ちで僕に親身になってくれたんですか?」


「え? どういうことですの?」


「だって、僕もライムさんのお兄さんの仇じゃないですか。セウルお嬢様を殺そうとしたときだって僕には何も言わなかった。ライムさんの立場になって見れば、お嬢様よりも僕を殺そうとする方が自然なはずです」


「……まあ、ユイ様の仰る通り、あの時の私は混乱してしまいましたわ。けどユイ様を殺そうとなんて微塵も思わなかったですし、復讐心なんてそもそもありませんでしたわ」


「……なんで?」


「理由は二つです。まず第一にあの場でユイ様はおろかシュテル家の人間、メイドのアニスさん含め誰も私には殺せる力はなかった。わたくしこれで結構打算的な女でして、シュテル家へは復讐心が芽生えましたけども、自制する心は持っていましたわ。まあクソ爺の口車に乗って殺せる状況になったら実行に移そうとしましたが」


「確かにあの場でお嬢様たちに害をなそうとしても、たぶん傷一つつけられずに殺されたでしょうね」


「ええ。そして二つ目、この理由に比べたら一つ目の理由はないに等しい物です。私はユイ様の記憶を、幼少期を含めすべて見たのです。ユイ様の受けた虐待の数々を」


「あれを……」


 今の僕にとっては苦い記憶だ。

 ナズナさんに比べればましかもしれないけど、それでも死んでしまいたいと何度か思うほどに辛く苦しい人生だった。

 もうあんな場所には二度と行きたくないと、そう思うほどには。


「あの記憶を見た時、私は思いましたわ。ユイ様を守りたいと」


 胸に手を当てライムさんは慈しみの表情を浮かべる。

 そこには本当に心の底から僕の身を案じてくれているのが分かった。


「お兄様が死んでいた、ユイ様含めシュテル家の人間に殺された、その衝撃は心に深く刻みつけられましたが、それと同じ、いやそれ以上に、私はユイ様に笑顔でいてほしいと思ったんです。だから私は、ユイ様がお兄様の死に関与していたとしても、助けたいと思ったんですのよ。まあセウルさんを殺すか迷ってしまうくらいには私の心は弱いですが」


 ……ちっとも弱いもんか。

 この人は僕なんかとは比べようもないほど強い心を持っている。

 初めて、この人を尊敬した。


「ライムさん、ありがとうございます。でも僕はもう大丈夫です。ライムさんに守ってもらわなくても、僕はもう一人で頑張れます。本当に、ありがとうございました」


「そんなユイ様、お礼なんていいんですわ。けどもし何かしたいというのなら、ペットのようにしてくれたら……」


 前言撤回、尊敬なんか微塵もしません。


「さ、理由はわかったので僕はもう行きますね」


「あん、つれないユイ様も素敵ですわ」


 すっかりいつもの調子に戻ったライムさんを置いて、僕はこの島を離れようと思った。

 僕がこの人を足止めした理由は一つ、アニスさんに人殺しをさせないためだ。

 それはもう達成されたようなものだからこの場所に用はない。

 はやくナズナさんの元へ行かないと。


「ユイ様、これからナズナさんの元へ行くのですね?」


「はい。世界の再生を防ぐために僕なりに考えた対処法の一つとして今日までこの島にいましたが、それと同じくらいナズナさんの救出をしなければいけませんので」


「わかりました。ユイ様、残念ですが私は諸事情があり一緒には行けません。世界の再生を防ぐ、それは私も何とかしたいと思っています。そのためにアニスさんとコンタクトを取り、さらに前の世界の記憶を有した協力者もクソ爺に話を聞けばわかるでしょうから協力を取り付けるつもりです。常にユイ様のおそばにいたいと思っていますが、これが最善だと思いますので」


「はい、お願いします。僕はアニスさんとの接触が難しくなっているので、ライムさんから話をしてくれるのはありがたいです」


「それではお気をつけて。私は一旦これで失礼いたします」


 そうして僕とライムさんは別れ、それぞれのやるべきことに向かいに……


「ちょっと待てえええええええええええ!」


 別方向に歩き出そうとした僕とライムさんを引き留めるよう、シュウさんが絶叫した。

 この人のこと、完全に忘れてた。


「ライムも貴様もわけわからんことばかり延々と言いやがって! 可愛い妹に事情がありそうだから大人しく話を聞き続けてやったが、最後の最後に俺を無視してどっか行こうなんてどういう了見だお前ら!」


 徹頭徹尾この人の言う通りだ。

 こんな訳の分からない話を聞かされ仕事を邪魔された挙句、最後の最後にはいさようならと放り出される。

 誰だってふざけるなと叫びたくなる所業だ。


「すいません。シュウさん、でしたよね? 僕の方から説明を……」


「それには及びませんわ。お兄様にはすべて私から説明するので、ユイ様はナズナさんを迎えに行ってあげてください」


「え、でも……」


「赤の他人よりも実の妹に説明された方が幾分納得感もあるでしょう。大丈夫ですわ。絶対にこの馬鹿お兄様がシュテル家を襲うなんてしないようにしますので」


「……じゃあ、お願いします」


 ライムさんの言う通り信頼できる人から話をされる方がいいだろう。

 そう思い僕はすべてのことをライムさんに任せる。


「ナズナさんと……それとユーリ君も迎えに行ったら、ロイド先生の工房に向かうので、よろしくお願いします」


「ええ、わかりましたわ」


「ちょっと待て貴様! 俺は貴様にも言いたいことが……!」


「ユイ様の邪魔をするなんて私が許しませんわ!」


 と言って、ライムさんはシュウさんの関節をキメる。


「ぬおおおおおおお! ギブギブ! ライムギブ!」


 叫び声をあげてタップするシュウさんに同情を禁じ得ないが、まあいいだろう。

 抵抗はしても反撃は一切してないし、これがこの兄妹の普通なんだろうと、僕はこの場を後にした。



 少し歩いたところで、ライムさんが大きな泣き声を上げていたことは、聞かなかったことにしてあげよう。

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