第179話 「予想外な正体」
僕がこの世界に戻ってきてから、30日以上の時間が経過した。
これまでの生活はかなり穏やかなもので、宿屋に籠り日々魔力を高める訓練を繰り返す日々。
今後の僕には越えなければいけない壁が数多く存在し、その為に自身を鍛えておくことは必須事項、ゆえに来る日も来る日もお嬢様から教わった訓練方法を実施し力を高める。
そして今日、超えるべき最初の壁が来る予定だ。
「そろそろのはずだけど……」
お嬢様の屋敷に行く道の途中、僕は氷で作った刃を右手に、それが訪れるのを待つ。
日が落ちてからだいぶ時間が経ち、周囲の光景すらうすぼんやりとして見えない真っ暗な時間帯。
この時間に、必ず通るはずの人間がいる。
それはきっと、アニスさんからすればしなくてもいいと一蹴すること。
僕自身の幸せのためとも違うこと。
事情を知らぬものからすればなぜそんなことをと、首をかしげるに違いない。
でも僕は、みんなを幸せにすると決めた。
その為に僕は今日、ここに来る人を倒さなくてはいけない。
「……来ましたね」
屋敷へと続く道のり、本来であればこんな深夜には誰一人として通らないであろうこの時間に、ある男が目的を持って現れる。
右手に剣を携え、今の僕だからこそわかる、圧倒的な強者のオーラを携えて。
「誰だ貴様?」
男は僕を見つけ、怪訝な顔で睨みつけながら剣先を向ける。
妙なことをすれば即座に切る、口に出されなくても態度で分かった。
「初めまして、僕はユイと言います」
殺気を迸らせる男に対し、なるべく穏便に済ませたい僕は微笑みを浮かべ自己紹介する。
自衛目的で作った氷の剣もすぐには振れないように力なく持ち、争うつもりはないことをアピールする。
だが男は僕がそんな素振りを見せても一切油断せず、剣先を向けながらじりじりと歩み寄る。
「名前など聞いていない。お前はどういう人間だ? 事前情報にはなかったが、シュテル家の者であれば切り伏せるのみだ」
「……正確に言えば、シュテル家の人間であると言えるし、そうでないとも言えます」
「……? どういうことだ?」
説明しようにも事情は複雑だ。
僕は以前の世界ではセウルお嬢様に拾われ、使用人としてシュテル家に属す立場にいた。
けど今はこの世界のお嬢様とはかかわりを持っていないし、なんなら当主のエイジン様からはなぜか殺意までもたれている。
明確な味方はアニスさんのみで、そんな僕はこの世界で言えばシュテル家の人間ではない。
けど、お嬢様たちの幸せを願いその為に行動する僕は、シュテル家の人間とも言える。
「これだけは言っておきます。僕はあなたを殺すつもりは毛頭ありません。ただ、この先にあるシュテル家の屋敷に行ってほしくない。それだけです」
この男は、シュテル家の人間を殺すために雇われた傭兵だ。
セウルお嬢様を、アニスさんを、エイジン様を殺すためにこんな深夜に出向き、万全の準備をしてやってきた、明確な敵。
なぜ僕がそんなことを知っているのか、そしてなぜこの時、この場所を通ってやってくるのかを知っていたのか。
それは過去、経験していたから。
この男は今日屋敷を訪れ、シュテル家の殺害を狙っている。
そのことを身をもって経験してるからこそ、僕はこの日を待ち伏せできた。
そう、この男はかつての世界で唯一、僕が死を覚悟した存在。
あの時に戦った屋敷の侵入者だ。
「なぜ阻む。誰の差し金だ?」
「誰でもありません。ただ僕があなたにここを通ってほしくない……いえ、違いますね。死んでほしくない、それだけです」
僕がそう言うと、男は無言で地面を踏み込み、僕との距離を瞬時に詰めてきた。
そして右手の剣を思いっきり振るう。
「っ……!」
予想できた動きゆえに何とか回避することはできたが、紙一重だ。
僕の頬から薄っすらと血が流れる。
「どうして、切り付けたんでしょうか?」
「邪魔だからだ。お前に恨みはないがシュテル家を殺すことを邪魔する障害は、何があろうと壊すと決めた。だが邪魔をしなければ何もしない。ここを立ち去れ」
……ダメか。
出来れば話し合いで説得できればと、そう思っていたのに。この人のシュテル家への恨みは尋常ではない。
何があったかは知らないけど、その恨みは少しの障害をものともしないほどに強固なものであると推察できる。
僕の言葉ごときじゃ届かないことは明白。
ならやることは、一つしかない。
「ここは通しません。僕には僕の目的がありますので」
この人は絶対に通さない。
どれだけこの人の恨みが強くとも。
僕には僕の、やるべきことがある。
僕は絶対にこの人のことを、生かす。
絶対に……アニスさんに人を殺させない。
アニスさんは人殺しなんて慣れたものと言うだろう。
必要とあれば顔色変えずに殺害するだろう。
だけど、かつての生活で僕は知っている。
アニスさんはとても優しい人だということを。
優しいアニスさんが血で汚れないように。
誰一人として傷つけなくていいように。
ちゃんと幸せを感じられるように。
この人のことを止める。
*
「くっ……!」
戦いを始めてから10分ほどが経過し、僕は激しい剣劇を繰り広げていた。
アニスさん直伝である僕の剣技は平均以上のものであると自負している。
そして埋め込まれている魔石によって常人よりもはるかに多く魔力を有している僕は生半可な敵に負けたりなどしない。
しないけど…………この人、強い!
かつての世界では卑怯な罠をはめることによって何とか互角の勝負に持ち込むことが出来たけど、今回は罠にはめることはなく、万全な状態同士での戦い。
正直、すんなりと倒せると思っていた。
けど実際は互角……いや、剣の腕前を考慮すると若干だけど僕が押されている。
この人、こんなに強かったのか。
「しつこいんだよ! とっととそこをどけ!」
だが予想以上に強いと感じたのは僕だけでなく、目の前の男もまた、中々決着がつかないことにいら立っていた。
激しく剣を切り付けあい、時に魔法を駆使しお互いを戦闘不能にしようと躍起になる。
正直体は切り傷だらけになって、どんどんと消耗していくゆえに、僕の目的自体は今夜は達成できそうだ。
けどこのままじゃ、また後日この人は屋敷を襲いに行くことは間違いない。
なんとかして今後も襲う気を無くすためには圧倒的な力の差を見せつける……そんなことを考えていたのに、計画はなにもかもご破算だ。
それどころか僕自身の命すら危うい。
「うおおおおおお!」
消耗しながら激しさを増す攻撃に、僕はいつしか防戦一方となる。たまに隙が見えたような気がして剣を振るうけど、攻撃は予測されことごとくが空を切る。
このままいけばいずれ負ける、その前に何か手を打たなければ。
「い……っけええええええええ!」
僕は渾身の魔力を込めて、この場にバカでかい氷塊を作り出す。
その中心にいれば間違いなく身動きを封じ、人によっては命すら危うくなるであろう攻撃。
直撃することはなかったけれど、慌てて回避をさせることに成功した僕は、作り出した氷塊の陰に隠れ、次の攻撃に備える。
なんとかこれで態勢を整え、策を弄さなければ……そう思った直後だった。
「うらあっ!」
なんと僕の作りだした氷塊を真正面から打ち砕き、その中から襲い掛かってきた。
予想外の行動に僕は一瞬硬直してしまい、まずい、そう思った瞬間。
「てやあああああああっ!」
どこからともなく、女性の声と共に黒い影が僕の目の前で、男に跳び蹴りをかました。
「シュタっ」
わざわざ着地の音まで声を出し、黒い影はその場で足をつく。
不意を突かれた攻撃を食らったことにより男は吹き飛び、地面に倒れ伏す。
一体何が起こったのかと黒い影を見ると、暗闇で見えずらいけれど確かに認識することが出来て、その人は僕の良く知る女性だった。
「ど、どうして……」
頭が混乱する。
この場にこの人は、いないはずだ。
だってこんなことは前の世界では起きなかったのだ。
だから、こんなことが起きるはずがない。
僕の目の前に……ライムさんがいるはずないのだ。
「誰だてめえ!」
男が激高し起き上がると、ライムさんに対して怒号を飛ばす。
そしてライムさんから、衝撃の言葉が解き放たれた。
「ユイ様に何をしようとしているんですの! お兄様!」
目の前の男を、兄と呼んだ。




