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第1話・その少女

ようこそいらっしゃいました。

リリはともすれば萎えそうになる足にぐっと力を込めて歩いていた。足どころか全身が疲れを訴えて今にも崩れ落ちそうになるのを、気力で奮い立たせていた。


約束の場所はすぐそこ。


引き寄せられるように、その森に向かって足は進む。確かにその場所から自分は呼ばれているのを肌で感じるから。


今まで神殿からほとんど出たことのなかったリリは外の世界を知らない。こんな靴を履いたのだって初めてだ。神殿では部屋で過ごすより他になかったから裸足だった。部屋から出られる時は柔らかい薄手の布の靴。年に数回、神殿の外に出れる機会だって籠に乗せられて、自由に歩きまわるなんて考えもしなかった。


なんて、世界はひろいのでしょうか。


リリが知る外の世界はいつも四角だった。部屋や籠の窓から見える四角い範囲が、リリに許された「外」の世界。窓から顔を出して外を覗くなんて出来なかった。

外に出て知った。

世界にはこんなにも、音や光に溢れている。風が頬を撫で、頭上では太陽が暖かく輝き、鳥が歌い、踏みしめた足元からは土の匂いがする。

窓から切り取られて四角になった風景のなか、自由に空を飛び回る鳥を眺め、何度思ったことか。叶うことなら鳥になりたいと、どこへでも行ける翼が欲しいと。

鳥にはなれなかったが、あの神殿から出ることは出来た。つかの間かもしれないが確かに今自分は自由だ。残念なことに今はそれを楽しむ余裕はないが。

そして、ふと昨日別れた二人を思う。


世間知らずのリリが一人で旅をするなど、土台無理な話だった。ここまで来れたのも、護衛として道案内をしてくれた二人がいたから。

二人は申し訳ないほどリリに気を配り、心を砕いてくれた。あんなに優しくされたのは、あの人以外では初めてだった。

旅慣れないリリに合わせて遅々としか進めないのに焦りをおくびにも出さず、不平を言うこともなく、リリが馬車に酔えば休憩を取り、食欲が落ちれば特別に消化の良いものを準備してくれた。気の利いた会話もろくにできない自分に、根気強く話しかけてくれた。危険が迫った時は身を呈して守ってくれた。例えそれが誰かに命じられた上での行動であったとしても、リリの身に余るほどの好意に感謝してもしきれない。

昨日二人は「最後までお守り出来ず申し訳ありません」固い表情でそう言いながら、リリを置いて去っていった。わずかばかりの荷物を残して。


でもリリは知っている。

荷物はリリが持って歩けるギリギリの重さに考えられているということを。体力のないリリがなんとか急場を凌げるほどの水、携帯食、着替え一組、わずかな現金と、いざという時に金に換えられる小さな宝石類。

そしてリリを置き去りにしたのではなく、リリを追手から逃すために囮となり出ていったのだということを。

二人は何も告げはしなかったが、リリにだってそのくらいはわかる。


共にいた時間はわずかだったはずなのに、胸におりのように積もってゆく寂漠とした思いに、知らず知らずのうちにリリの瞳にじんわりと涙が浮かんだ。そして透明なしずくが煌めき流れた。

しずくとともに、張り詰めていた何かが身体からこぼれてしまったようで、リリはその場にぺたりと座り込んでしまった。一度足が止まってしまえば、どっと疲れが押し寄せてもう動けなくなってしまった。

金の双眸から溢れる涙に呆然とした。泣くことなんてもう何年もなかったことだ。泣くという行為も許されていなかった。繰り返し、言われてきたのだから。



笑ってはいけません

怒ってはいけません

悲しんではいけません

楽しんではいけません

恨んではいけません


感情を持ってはいけないのです

気持ちを口に出してはいけません

常に冷静であらねばいけません



理由など一切教えてもらえないまま呪文のように羅列される言葉。人形のように、ただそこにあることのみを求められていた。

早く涙を止めなければ、と思うと同時に、あんなにも繰り返し教えられていたことが思うよりも自分に浸透していなかった事実に驚く。


わたくしは、なんと弱い存在なのでしょうか。


わずかな間、他人とふれあいほんの少しの温もりを与えられただけでこんなにも心弱くなっている。

一度崩れ落ちた身体も、とてもではないが思う通りに動かせそうにない。四肢は鉛をくくりつけたかのように鈍重で、のろのろと顔を伏せた。

どのくらいの間、そうしていたのだろう。ほんの数瞬のような気もするし、数刻も経ってしまった気もする。

ふと近くに人の気配を感じて顔を上げた。



「こいつかぁ?例の巫女さまってぇのは」



声と共に被っていた外套のフードを引っ張られる。

露になったリリの顔を見て、声の主である男はにんまりと笑う。その手はリリの外套を掴んだままだ。

リリは驚きのあまり固まってしまった。

今だかつて、こんな扱いを受けたことがなく、どうしていいのかわからない。


「ふぅん。年の頃は15、6で長いピンクブロンドに金瞳。小柄で痩せ形、色白の美少女ってか。確かに特徴はピッタリ当てはまるな」


頭の中で、どうしよう、という言葉がぐるぐると回る。

男はにやにやしながらリリの顔をのぞきこんでくる。目つきのいやらしさに身がすくんでしまった。

早くこの男から離れたい。

早く外套を掴んでいる手を離してもらいたい。


「そいつか?」

「間違いねぇ。聞いてた情報とドンピシャだ。」


さらにもう一人、大柄な男が現れた。どうやら仲間同士らしい。


「あんた、一体何やらかして神殿から追われてんだ?神殿はあんたを捕まえるのに血眼だぜ?」

「まったくだ。だけどよ、そのおかげで俺たちは大金を稼げるんだぜ」

「こんな小娘に目玉が飛び出るくらいの賞金をかけるんだからな。お前、一体何者だ?え?」

「こいつのツラ、よく見てみろよ。どこかのお姫様だっていってもおかしくねぇだろ。案外、大神官サマあたりの愛人かも知れねぇぞ」

「あり得ねぇ話じゃねぇな。今の神殿の上の奴らは腐ってやがる」


ガハハ、と大口をあけて男たちは下卑た笑いを浮かべている。


「こりゃ神殿に連れていかなくても大金が稼げるかもしれないな」

「どういうことだ」


男が訝しげに尋ねる。


「確かにこいつを神殿に届けりゃ大金が転がり込む。だが、どう見ても訳ありだろ。こいつを届けた後のことを考えてみろよ。こいつの事は知ったこっちゃねぇが、ちょっとでも事情を知ってる俺たちが神殿から目をつけられないとも限らねぇ」

「……」

「神殿から狙われるなんて俺はごめんだぜ。で、だ。こいつをどこかのお大尽のところに売らねぇか」

「何だと?」

「これだけの器量だ、大金持ちのエロ親父の買い手がつくだろう。神殿から貰える金以上の金額をふっかけてやるのさ」

「あてはあるのか」

「ちょいとツテがあってな、幼女趣味の大金持ちを知ってるのさ。目も当てられねぇほど酷ぇ野郎で、女にかける金に糸目をつけない、俺らみたいな奴らには神様みてぇな野郎だよ」

「もしその野郎が買い取らなかったら、予定通り神殿に引き渡す、それでいいな?」


話は決まった、とばかりに男二人は目配せしあった。

自らの頭上で交わされるやり取りを、リリは他人事 のように聞いていた。どこかふわふわとしていて現実味が薄く、自分の身の上に起こっていることを正しく認識できずにいた。

その意識が急に覚醒したのは、男たちの次の言葉を聞いた瞬間だった。


「お嬢ちゃん、あんたもついてねぇなあ。折角お守り役の二人がここまで連れてきてくれたのによぅ」

「お嬢ちゃんを逃がすために頑張ってくれたみたいだけどな。残念、残念。肝心のお嬢ちゃんがまだこんな場所にいるなんてな」

「俺たちみてぇなのに取っ捕まったのが運の尽きさ。諦めな」


「あの方たちを、あなたがたは、ご存知なのですか…?」


リリは か細い声を発した。

この男たちが言っているのは、もしかせずとも、昨日までリリの護衛をしてくれた二人の事だろうか。あの二人の安否が気遣われる。怪我などしていなければいいのだが…。


「へえ、お嬢ちゃん、あんた良い声してんなぁ。もっとそのカワイイ声を聞かせてくれよ」

「しかも、その言葉(・・)。金を上乗せしても良さそうだな」

「あんたは俺らの女神さまだぜ」

「一緒に来てもらうぞ」


二人はリリの疑問には答えようとはしなかった。

薄汚れた手を伸ばして、リリの腕を掴もうとする。

どうしようもない嫌悪感が沸き上がった。


わたくしにさわらないで…


こちらに伸ばされた腕を目にして、似ても似つかぬあの方の腕が、ふいに脳裏をよぎった。





わたくしが怯えないようにゆっくりと伸ばされる腕。


『………つらいか?リリィファ』


わたくしの髪を優しく梳き、頭を撫でてくれた、大きくて力強いあの方の手。

辛くない、といえば嘘になる。


『オレも、あいつら(神官)のやり方が正しいとは思わない。だがな』


そっと頬に触れる長い指。


『……恨んじゃいけないぞ。いなくなってしまえ、とか考えちゃいけない』


さらりと流れる漆黒の髪。


『リリィファ、オレと約束してくれ。人を傷つけるような言葉は口にしない、と』


その深紅の瞳に映るのは。

深く頷いてみせると、安心したのか光が緩んだ。


『わかってる。お前がそんなことしないってのは。…悪かったな』


精悍な美貌が微笑んだ。


『もし。もしも、だ。もしも、お前が心から望むことがあれば、迷うな』


意図が掴めず、じっと見つめる。

鍛えられた腕に閉じ込められる。


『迷わず叫べ。お前の望みを』


真摯な瞳と視線が交差する。


『言葉には力がある。心の底から、想いのありったけを言葉にしろ。望みは、きっと叶う』





嫌だ。わたくしは、あの方と約束をしたのです。あの森で、わたくしの運命をみつけると。

もうすぐそこなのに。


乱暴に腕をつかまれて無理やり立たされた。ぐい、と引かれる。

震えながら呟いた。

「いや…」


「さっさと来いや」

「おい、乱暴にするな。傷でもついたら値が下がるぞ」


いやだ、いやだ、いやだ、一緒になんて、いきたくない




『心の底から叫べ、お前の望みを』


『大丈夫』


『望みはきっと叶うから』




自分の中で何かが弾けた。

腹の底から力を込めた。


「さ わ ら な い で(・・・・・)!」


「うぁッ!!」

「なんだ?!」


バシン!、という破裂音と共に不意に男二人はリリから弾きとばされる。呆気に取られたまま、今までリリの外套を掴んでいたはずの自分の手を信じられない思いで見た。

ビリビリと痺れて、腕先の感覚がない。


「わたくしに、さわらないで!わたくしはあの森に行きたいのです!!」



リリが叫んだ刹那。

空からの轟音と同時に眩い光が辺りを包んだ。



静寂を取り戻した頃。

そこに残っていたのは、地面に倒れ伏す二人の男だけだった。






読了ありがとうございます。

第1話はプロローグ的な位置づけとなっております。

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