5.
その日の城内は少しだけ騒がしく感じた。
落ち着きがないというか、慌ただしいというか、いつもの重厚さに欠ける。
ソフィアが王城にある自分の執務室に向かっている時だった。
「何かあったかしら」
「本日より、絵画展示会の受賞者が、城内で宮廷画家の手解きを受けると聞いております」
「今日からだったのね」
受賞者と言っても人数は多くない。
貴族の送る花だけなら城内に招かれない。
審査員の選んだ描き手と、王家の人間が選んだ花を贈られた描き手だけだ。十人もいないだろう。毎年精々片手くらいの人数におさまる。
「個別に案内人を付けていないのかしら。そんなに多くないでしょう?」
「今年は女性が来ると言うことで、陛下の侍従より侍女を一名と指示があったはずですが、それ以外は特に聞いておりません」
茶会でソフィアに礼を言いに来た、あの伯爵令嬢が来るのだろう。
未婚の女性に案内人をつけるのなら、侍従ではなく女性の侍女を付けるのは当然だ。
「問題でもあったのかしら」
遠くで女性の声が聞こえる。叫ぶような、怒鳴るような、とにかく冷静とは無縁の金切り声だ。
「見てまいりましょうか?」
「待って。近づいてくるみたい」
ソフィアが侍女を制した時、二人の立っていた廊下の先に人影が見えた。
廊下の奥で一人の侍女が見るからに怯えていた。傍による侍従を振り払い、制止の声を無視して走り去っていく。というか、ソフィアたちのいるほうに走ってきていた。それは礼儀を仕込まれた侍女の動きではなく、なりふり構わず逃げる様子で、淑やかさのかけらもない行為だ。とても王宮勤めの侍女とは思えない。完全に全力疾走をしていた。
「何事ですか?」
思わずソフィアは声をかけた。が、侍女は声すら聞こえていない様子で、そのままソフィアの横を走り去っていった。
唖然と見送っていると、我に返ったソフィアつきの侍女が「無礼な」と怒りを滲ませた。
無礼は無礼だろうが、あまりにも様子がおかしい。
「失礼をいたしました。ソフィア様」
やや遅れて小走りに近寄ってきたのは、遠くで侍女を引き留めていた侍従だった。
「どうしたのです」
「それが、私にはさっぱりわからないのです。彼女は今回、宮廷画家に師事する描き手の案内人に選ばれた侍女なのですが、突然怯えて声を上げ、無理だと言って去ってしまって……」
困惑する彼もまた、理由がわからず答えようがないらしい。
「招かれた女性は伯爵令嬢でしょう? 先の茶会でお会いしたけれど、特に問題があるような方には思えなかったわ」
「私にもそう見えました。大人しそうで、落ち着いた感じの。受け答えにも問題なく、あの侍女が何故あれほど取り乱したのかまったくわからないのです。それで、その、男性ばかりの宮廷画家や他の受賞者と未婚の令嬢を一緒の部屋に案内するわけにいかず、誰か女性に付き添いをお願いしたいのですが……心当たりはないでしょうか」
「急なことですわね。ねえ、誰か手の空く人に心当たりはある?」
ソフィアの前半は侍従に、後半は自分の侍女を振り返っての言葉だ。
「今からですか? さすがにちょっと難しいかと。午後からでしたら手配は可能になると思いますが」
後回しにしてもいい仕事を割り振られている侍女は探せばいるはずだが、ソフィアが執務室に向かうこの時分ではもう、各々の仕事にとりかかっているはずだ。調整するにしても午後が最短で、今から正午まではどうしても割ける人材がいない。
「あのご令嬢だけを控室に残すのも、どうかと思うのですが……」
「そうね。折角受賞して、専門家に教えていただけると思っていらしているはずだもの、残念よね。トマ卿はなにか仰っていて?」
宮廷画家として最古参の男性を思い浮かべながら、ソフィアは尋ねた。
「未婚のご令嬢一人を男ばかりの部屋に入れるわけにはいかない、と、入室拒否でした」
言い分は尤もなので、誰もが押し黙る。
トマ卿は正しい。たとえ待機させている令嬢が泣こうと喚こうと、入室させないのはお互いのためだ。
そうは言っても、受賞者の権利をこちらの都合で勝手に剥奪している現状は宜しくない。
「では、私の部屋にご案内してくださる? 午前中だけなら、貴女、お茶を出してたまに声をかけて気遣ってあげてくれないかしら」
前半は侍従に、後半は自分の侍女への言葉だ。
「そのくらいは構いませんけれど、ソフィア様の執務は大丈夫なのですか?」
「ええ。予算管理はあるけれど、応接の椅子に座っているだけなら書類の中身は見えないはずだし、覗くような不躾な感じの方ではなかったわ。それに、今から三時間を超えるような時間、慣れない場所で一人、ずっと待っているのは苦痛だと思うの」
王城に来慣れた貴族など一握りしかいない。
誰も彼もが精一杯めかしこんで緊張しっぱなしの形相で来る。
まれに豪胆な人間はいるが、それでも勝手に動くこともできない、あちこち見ても不審に思われる場所で、気の抜けた言動をする人間はいない。
「午後からの侍女の手配だけは先にお願い。彼女が今日ここまで、何をしに来たのかわからなくなってしまうわ。貴方も、トマ卿にその旨お伝えしておいてくださる?」
「畏まりました」
侍従と侍女は揃って頭を下げ、各々の仕事に取り掛かる。
侍従は令嬢を案内するために戻り、侍女はソフィアを執務室まで送った後、午後からの案内役を手配しにいったん控えの場に戻っていった。




