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ソフィアは昔から生家の名で呼ばれるより、自分の名で呼ばれることが多かった。
お茶会のときも、どんな相手からも大体「ソフィア様」と呼びかけられるのは、同じ名を持つ王族がいたからだ。
昔は敬称や家名で呼ぶのが礼儀とされていたようだが、今はそこまでの厳格さはない。
夜会や茶会で見知った相手としか顔を合わさないのが貴族の交流だ。極めて狭い。
同じ名を持つ令嬢、女性が複数いる場合、優先順位は年齢順になる。が、ソフィアの場合はその上位の女性が「次の王妃の名を優先させなさい」と言ったため、王太子の婚約者であるソフィアが名で呼ばれることになった。
そのため、ソフィア様と言えば王太子の婚約者で次の王妃、というのが認知されている。
王妃になれば名を呼んでくれる人間が少なくなるので、今のうちに呼んでもらいなさい、と言われたのだ。
既に王宮に自室を持っているソフィアは、政務の一端も担っていた。
王城は政務が行われる場で、王宮は王城の奥、王族の居住区になる。王城と繋がっているため、緊急時にはすぐに声がかけられる。
幼いころからついている気心の知れた侍女が数名、いつも誰かが傍にいる。
「お茶会の評判は良かったようです。ご令嬢たちから令状が届いておりますが、どういたしましょうか」
「目を通すわ。でも返礼の代筆はお願いしてもいいかしら。最後の署名だけは自分でするから」
「畏まりました。では、次に救貧院の予算について」
身支度を整えながら次々と些事を片付けていく。
鏡に映る自分の黒髪を少し掬い、そして手を放す。
手入れをしてくれる侍女には申し訳ないと思うが、ソフィアは自分の黒い髪が好きではなかった。
貴族の中でも高位になれば、色素は薄い人間が多い。
金銀赤茶と髪の色はあれど、黒髪はこの国で珍しい。ソフィアの曾祖母が異国の姫で、隔世遺伝だと言われている。
肖像画を見れば成程、と思うくらいに似ているが、だからといって憧れは消せない。
黒くてまっすぐで結い上げてもすとんと落ちてしまう。
ふわふわした色の薄い髪だったなら、と思うことがあった。
「結婚式の衣装の、最後の調整はいかがいたしますか?」
「そうね、ギリギリでもいいかしら」
「では、そのように伝えておきます」
茶会でもしばしば話題に上っていたが、適齢期の令嬢ばかりだったので婚礼の話も聞くことが多かった。
大体は婚約が決まっていてそのまま結婚の準備に入っている、という話だったが、時折、家の財政状態から婚約が白紙になったり解消になる話もある。
貴族の婚姻は家の繋がりも重視されるため、本人の意思だけではままならないことも。
全ての女性が幸せな結婚に至るわけでもない。
相手に問題があると承知で嫁ぐこともあるのが現実だ。
ソフィアと王太子の婚礼は数年前から決定している。準備も年単位の時間をかけているし、周辺各国への招待状も発送済みだ。
二人の仲が悪いわけではない。特に良いわけでもないけれど。
公式行事には二人で赴くし、王太子はソフィアへの気遣いも見せる。絵画の展示会でも受賞の花をソフィアに渡してくれるくらいには尊重してくれる。
けれど、奇妙に噛み合わないときがある。
よくよくあることならばお互いに話し合って譲歩もできるだろうが、本当に時折、わざとなのかと思うくらいに噛み合わない。告げるほどの重大な差異ではなく、本当に些細なことだ。
花を贈った伯爵令嬢の絵もそうだ。
ソフィアは子供が自由に駆け回る構図が好きだったのに、彼はソフィアが子供好きだと解釈したような、そんな違い。
子供も好きなので否定もできない。訂正するほどでもない微妙な差異。
このまま結婚しても大丈夫なのかしら、と侍女に不安を漏らしたこともあったが、マリッジブルーというのですよ、と軽くいなされてしまった。
それもあるかもしれない、とその時は納得してしまったけれど。
「支度が整いました」
侍女の声に顔を上げ、お礼を告げて立ち上がった。
鏡の中のソフィアは化粧をして髪を結い上げている。いつものソフィア様ができあがっていた。
女性の衣装と化粧は男性の武器と鎧と同義だ、という人もいる。
そんなに立派なものではない、と、毎朝鏡を見るたびにソフィアは思うのだ。
例えばそう。優しく慈悲深い次代の王妃ソフィア様になる仮面をつける儀式のようだ、と思う自分は捻くれているのだろうか。
この鏡に映るソフィアに求められるのはいつも、笑顔を絶やさない若くて美しい令嬢、でしかないのに。




