行方
キャッチボールは、いつも隣にある「館」の庭を使ってた。 もちろん、不法侵入だ。文句を言う奴なんていない。それに、俺たちにはそうせざるを得ない理由があった。
俺たちに対して、明確な「いじめ」があるわけではない。しかし、そこには目に見えない強固な壁が存在していた。俺たちは、明らかに「ハブられて」いたのだ。 公園や広場、学校の運動場。そうした公共の場に俺たちが姿を現すと、それまで楽しげに遊んでいた連中が、潮が引くように一人、また一人と消えていく。そんな光景を何度も繰り返すうちに、俺たちは外の世界を諦めた。
結果として、誰一人近づこうとしないこの「魔女の館」の庭が、俺たちのホームとなったわけだ。
お化けや幽霊? そんなものは怖くない。 生きた人間の冷たい視線に比べれば、死者の気配など知れたものだ。 ただ、「魔女」に関しては少しばかり話が違う。
実際、この館には魔女がいるという噂が絶えない。会ったことはないが、この建物の存在自体がその証明ではないかと俺は睨んでいる。何せ、あのダンプカーの件が示す通り、物理法則が通用しないその壁の向こうに、人ならざるものが潜んでいたとしても不思議ではない。
かつての庭は、四季折々の花々が咲き乱れる豪奢なイングリッシュ・ガーデンだったという。今の時期なら、百日紅が淡いピンクの花をつけ、見る者の目を癒していたはずだ。しかし、市の予算が削られるなかで、そんな優雅な景観を維持する余裕はとうに消え失せていた。
市が手入れを放棄した結果、庭は数日で、更地へと姿を変えた。やがてそこには執拗なまでに雑草がはびこり、害虫の温床となった。再三にわたる苦情に音を上げた市が、最終的な妥協案として全面に芝を敷き詰めたことで、皮肉にも俺たちの絶好の遊び場が完成したわけだ。
生垣の薄くなったところをくぐると、伸び放題の芝が向かい入れてくれた。
庭の隅の方は、日照りが弱いのか芝の勢力が弱く、シロツメクサが群生していた 。
俺は、香帆に声をかけた。
「ちょっとだけ、あいを見といてほしい」
「わかったわ。あいちゃん、真珠、あっちいこう」
「うん」
香帆たちの後ろ姿を確認した後、ゆうきに向き直って、グローブに拳を入れて気合を入れる。
「よし、やるか」
何度かのボールのラリーをはさんで、ゆうきに声をかける。
「調子はどう」
俺が投げたボールを、ゆうきはグローブの芯で受け止め、少し間を置いてから返した。
「ぼちぼち」
「そうか」
乾いた捕球音だけが、重たい空気をつんざく。
「最近、なにが流行ってるんだ」
「俺たちに関係ある?」
ゆうきの冷めた問いに、俺は自嘲気味に笑った。
「……ないな」
「だろ」
また沈黙。ボールが放物線を描き、二人の間を往復する
「香帆姉とはどうなの」
次の一球が、不自然にシュート回転して逸れた。思わずに香帆を見てしまう。
すると、香帆と真珠がスマートフォンの画面をみて談笑しているのが見て取れた。
「兄ちゃん、どこ投げてんだよ」
ボールを追うゆうきの抗議の声に「……悪い」と声をかけた。
「なにが」
「だから、コースが。悪かったって」
「そっちじゃなくて、香帆姉の話。なんか、話しにくそうにしてるじゃないか、最近」
「そうか?」
俺はボールを受けながら少し考えた。
「あいつ、頭いいだろ」
「うん」
「なんか、こっちが考える前に答えが出てるみたいな感じがする」
「それが嫌なの?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
言葉が続かなかった。ゆうきはそれ以上聞かなかった。ボールだけが、変わらず行き来した。
白い猫が生垣の隙間からぬっと出てきた。こちらを一瞥して危険はないとさとるとそのまま横切っていく。
「ねえ、学歩!。こっち!」
庭の端っこから、香帆が声を張り上げて手を振っている。香帆と真珠はあいの四つ葉のクローバー集めに付き合ってくれていた。
「なに?」
少しぶっきらぼうに応じると、隣でゆうきがニヤリと口角を上げた。
促されるまま向かうと、「ほら、あいちゃん」
香帆の背後に隠れていたあいが、もじもじしながら姿を現した。
その小さな手には、丁寧に編まれた白い花冠があった。
「おにいちゃん。はい」
あいが背伸びをして、白い花冠を高く掲げる。受け取ろうと手を伸ばすと香帆に止められ、
膝をつくように目で合図を送ってくる。
俺は素直に従い膝を落とした。あいの小さな手が、俺の頭にそっと白い冠をのせる。
「あい、ありがとう」
「どういたしまして、あのね、おねえちゃんがてつだってくれたの」
「香帆ありがとうな」
「うんん。全然、全然、真珠の方が一生懸命だったし」
「真珠もありがとな」
「咲いてる花を探すの大変だったんだから。そうだ、これ見て。さっき写真とったの」
そういって香帆は、自分のスマートフォンを操作した。
画面をのぞくと、あいが一生懸命四つ葉のクローバーを探す様子や、花冠を編み込む様子が映っていた。それをみんなでみながら、妹のかわいさをかみしめる。
香帆は、動画も撮ってたらしく、「容量が少ないからすぐに消すけど」と言って再生し始めた。動画の中で、さっきの花冠を俺の頭へ乗せるシーンも映っていた。
動画を見終わると、太陽は西の空に傾き、山の影が雲に落ちていた。
「ねぇ、そろそろ帰らない?」
「なんだ、お前。さては怖いんだろ」
「そうじゃないけど、ここにいると……なんだか無性にイライラするの」
「女の子の日か」
「そういうの、セクハラって言うのよ。デリカシーなさすぎ」
「わりい、わりい」
俺は軽く両手を合わせて形ばかりの謝罪をした。
「あい、帰るぞ」
とあいに声をかけるが、周囲にあいの姿が見当たらない。
「あれ、さっきまで一緒にいたのに」
「あい」
「あいちゃーん」
手分けして庭を走るが、どこにもいない。
緊張で、周囲の声が遠く聞こえる。智恵子さんのあの言葉が、警告のように頭の中で何度も何度もこだました。
「くれぐれも、お隣にはつれて行かないでね」
ゆうきを元気づけるためとはいえ、キャッチボールに連れ出してしまい。「少しだけなら」と自分を甘やかした結果がこれだ。約束を破った報いが、最悪の形でかえって来たんじゃないかという恐怖で、胸がつぶれそうになる。
「あい!どこだ!」
叫ぶ声が震えていた。
「兄ちゃん、こっち……! 」
ゆうきの切迫した声に弾かれたように駆けつけると、彼は館の壁際で立ち尽くしていた。 そこには、普段は固く閉ざされているはずの勝手口が、まるで誰かを招き入れるかのように、音もなく口を開けていた。
勝手口の戸は、誘うように開いていた。
「兄ちゃん、これ」
「あいのやつ」
勝手口のノブに手をかける。
「入るの?危ないよ。もし、本当に魔女が居たら僕たち食べられちゃうよ!」
ゆうきが不安げに俺の手を強く引っ張った。
たしかに、魔女が人を食う、という話は、俺も小さい頃、父から聞いて育った。
しつけの名目で、父から「館に置いて帰る」と言われると、泣いて許しを乞うほどだった。
今、信じているか、と聞かれたら困る。笑い飛ばせるほど割り切れてもいないし、本気で怯えるほど素直でもない。 ただ、夜にこの館から音がすると、ぞわっと、鳥肌が立つ。
「そうよ、危険よ。大人たちを呼んで来たほうがいい」
香帆が俺と勝手口に割って入る。
「香帆、どけよ」
「どかない。学歩、冷静になってよ」
「あいが入っていったかも知れないんだ。冷静でいられるか。俺は、あいを無事に智恵子さんに送り届けないといけないんだ」
そうだ。俺はなんとしても、あいを無事に届けないと智恵子さんに合わせる顔がない。
あいが生まれてすぐ父親が蒸発してしまった。智恵子さんは、父の連れ子だった俺を今まで文句も言わず養ってくれた。
「ほかに解決策はあるはずだよ。あいちゃんがまだ中に入ったって決まったわけじゃないんだし」
「香帆、言い合いをしている余裕なんかないんだ。あいがこの中に入っていたら、暗くて身動きが取れなくなってるんじゃないか?最悪、魔女につかまってたりしたら……」
「…… どうしても行くのね?」
香帆の問いに、俺は短く「ああ」と頷いた。
「智恵子さんとの約束だ。大事な妹なんだよ」
香帆はふう、と短く息を吐くと、瞳に強い光を宿した。
「わかったわ。私も付き合う」
「お前たちは残れ。これは俺の問題で」
「私が目を離した隙にいなくなったのよ。私にも責任があるわ 」
「僕も行くよ! 」
ゆうきの後に、真珠がつづく。
「お兄ちゃんがいくなら、わたしも!」
俺は、吐き出すような溜息をつくと、意を決してその戸を大きく引き開けた。 カビ臭い空気と、古い建物特有の静寂が流れ出てくる。外から中を覗き込むようにして力の限り叫んだ。
「あい!いるんだろ!」
つられるようにして、ゆうきと真珠も声を張り上げる。
「あいちゃん」
「アイちゃん」
返事はない。しんと静まり返った館の中を見回すと、そこは勝手口特有の雑然とした空間だった。庭の手入れ用だろうか、泥のついたゴム長靴や使い古された作業用の革靴、古びた脚立が所狭しと並んでいる。
その先は、長期保存用の缶詰などが棚にぎっしりと並ぶ貯蔵庫のようだった。
奥にすりガラスの扉も見える。すりガラスの奥にほのかな明かりがあった。
数歩進んで棚の死角が見えると、銀色に光る人影が立っているのが目に入った。
「わ!」
思わず足が止まる。そこにあったのは古びた西洋の鎧だった。
「なんだ、鎧か……」
胸をなでおろした、その時だった。
後ろから白い何かが、勢いよく飛び出してきた。
「わ!」
思わず声が出てのけぞる。とっさに身を引いた拍子に、鎧にぶつかった。
鎧が盛大に崩れ落ちた。激しい金属音が部屋の中に響く。
床に転がった兜が、しばらく情けない音を立てて回り続ける。
「猫!」
香帆が、飛び出してきたものの正体を告げた。心臓が飛び出しそうな俺とは対照的に、こんな時でも香帆は冷静だった。
飛び出していく後ろ姿を目で追った。
白猫だった。崩れた鎧の音に驚いたのか、俺たちの脇を一直線に駆け抜けていく。
「猫が……!」
ゆうきの声が追いかける。白猫は開いたままだった勝手口へと飛び込んでいった。
外に出ようとした、その瞬間だった。
バタン!
鼓膜を震わせるほどの轟音とともに、勝手口が閉ざされた。
「マジか……」
心臓が悲鳴をあげている。俺は慌てて勝手口のノブを掴み、全体重をかけて引いたが、扉は壁の一部になったかのように一ミリも動かない。
「クソッ、開けよ!」
俺の虚しい打撃音が響き渡る。その時だった。
「学歩兄!」
ゆうきの声のトーンがおかしかった。振り返ると、あいつは床に転がった兜を拾い上げ、両手で掲げていた。
そのまま、自分の顔の前にゆっくりと近づけて――。
「ケケケけッ!」
「わ……って、ゆうきかバカ! 驚かすな!」
「あはは、バカ兄貴」
真珠が吹き出す声が聞こえた。香帆も少し呆れたように口元を押さえている。
一瞬だけ、張り詰めた空気が緩んだ。だが、その直後だった。
「……っ、頭が……!」
香帆が突然、呻き声を上げて崩れ落ちた。頭を抱え、足をもつれさせた彼女を、俺たちは間一髪で支える。
「香帆! 大丈夫か」
再び静寂が館を支配する。しばらく介抱すると、香帆は力なく目を開けた。
「うん。ごめん、心配かけちゃったね……」
「どうする?」
ゆうきに聞かれ、真珠と香帆の視線も俺に集まる。ここを諦め、他に出口があることを願って進むしかない。
「仕方ない、奥に進むか」
俺は重い腰を上げ、パントリーの反対側にある扉に向かった。
開かない抵抗を予想して、ノブを掴み、力任せに引く。しかし、ドアはなんの抵抗もなく勢いよく開き、手首をひねりそうになった。
ドアの先は、予想に反して、「外」だった。簡単にいうと。
しかし、虫の音や、鳥のさえずり、木や草花が風にこすれる音。人が出す生活音、車のエンジン音など一切ない、夜が支配する無音の世界。
ひときわ目につくのは頭上に輝く数億の星々。手を伸ばせば指が星屑に触れそうなほど近い。天の川をこれほどはっきりと見たことは生まれてこのかた写真でしか見たことがない。
遠くに巨大なシルエットがそびえ立っていた。俺たちが入ってきた「魔女の館」をベースに、狂った建築家が何千、何万回もコピペを繰り返したような、異形な建物。
「なにあれ」
と、ゆうきの溜息が漏れる。
部屋が部屋を産み、廊下が廊下を繋ぎ、重力を無視して全方位へと膨張し続けた異様な姿。
ところどころ、古いゲームのように連続性に無理があるつながりも見える。空中に放り出された階段が、別の階層の窓枠に強引に突き刺さり、本来ならあり得ない角度で空間が捻じ曲がっていた。
「空間が曲がってる?」
俺の呟きは、吸い込まれるような静寂に溶けて消えた。
「でかい」
ゆうきが言った。それだけで十分だった。
俺たちはしばらく、言葉を失ったまま立っていた。
その時、香帆がこめかみを押さえてしゃがみ込んだ。
「香帆?」
「ちょっと待って、うん、大丈夫」
「ここにいても仕方ない。とりあえず、あれを目指そう」
俺はそう言って、異形の館を指さした。




