第5話 ヒーロー
カルガラン歴5211年54日8時47分
陸地面積約4.05億㎢、この世界の全陸地面積のうちおよそ3%前後を占めるラブロック大陸。1:3ほどの辺長比であるいびつな長方形型の大陸で、多様な海水性・両水性・水陸性魔物が生息する、陽に輝くコバルトブルーの海に周りを囲まれている。
魚類魔物に甲殻類、刺胞類、棘皮類、軟体類に哺乳類や爬虫類……藻類魔物に海草類魔物、そして無数の微小魔まで、豊富な生態系を築いているようだ。
───中には赤い粒子を全身に纏った魔物も。大きなサメや超高速で遊泳する鋭い小魚の群れ。体表が見えないほど赤い粒子を立ち昇らせた、巨大なイカに海流を操る竜。
彼らも自由に泳ぎ食し食され、生態系の一部となって生活していた。
そんな海から見える陸地の片端から、ギルゲイン王国という大国が広がり大陸の6分の1程を治めている。その横、海と接する1,600万㎢程の大きな半島に、公爵であるタポート・ヴォルグレイン・カア・ナシャールを君主とするナシャール公国が存在した。
ナシャール公国が統治する領の1つ、ユグルナ伯爵領の首都であるクレイス。そこに程近いところを流れているのは川幅400m前後のソーネ川。ナシャール公国内のソルド山から始まる本流は長さ2,300kmを超え、周囲に豊かな自然を育み、住み着いたヒトや魔物の命の源にもなっている緩やかで大きな河川。
その大河によって伯爵領の首都クレイスと隔てられた小高い丘。その丘に造られた城塞都市がここ、モドワズである。
少しきつくカーブしたソーネ川に外縁を3割程囲まれ、そちら側には長い石造の橋梁が大きく間隔を開けて2か所架けられている。橋から続く広い街道は外壁の城門を通ってそのまま都市の大通りとなり、丘の中心に位置するデューペライア城の城門前で、クロスするように交わっている。
──その交差地点に存在する、デューペライア大広場にて。
「…ふむ……難しいことを聞くね」
全身に大きな布を纏ったような青銅の立像の前、2人のヒューマンの男性がその像を見つめながら話していた。
「……どちらも、大切な誰かを守り、救っている存在なのだろう……しかし、あえて比べるならばだ」
オードルは豊かなひげをゆっくりと撫でながら、静かな遠い目で銅像を眺める。像の奥、モノではない何かを見つめているようだ。
「英雄はきっと、大切なものが、とても大きく、そしてたくさんあったのだろう」
「……大きく、たくさん?」
リターンは銅像を眺めながら静かに聞き返す。目を少し細めながら何かを考え込んでいる。
「あぁ…だからこそ、救われてきた、大きなたくさんの存在が、彼をこうして広く讃え、歴史というものに残っている」
オードルは表情を変えず言葉を語る。
「そして、ヒーローというものは──」
リターンは目をピクリとさせ、小さく唾を飲み込んだ。
「──大切な、1つの小さな存在を、何が何でも守り救う……そんな存在、なのだろう」
***
モドワズという都市に、孤独なワードッグの男がいた。
彼の名はダイヤ、31歳男性の貌魔犬人である。
まだ一般的である半魔獣人とは違い、顔の造りまで魔物と似通ったその姿は一層偏見を強める。身長は169㎝。引き締まった筋肉にはくたびれた真っ黒の体毛が生え、本来は綺麗な白色であっただろう腹部や顎下の毛も灰色や黒色に染まっていた。鋭い牙に犬耳と萎びた尻尾を持ち、その瞳は黒く濁っている。
そんな彼は孤独にブレイヴァーとして日々生活費を稼ぎ、ただ、生きていた。
ブレイヴァーとしてソロでD1ランクに上り詰めた彼はある日。赤魔であるはぐれゴブリン2匹の討伐を一人でこなし、ギルドにパルを預けて、スラムにある自身の住処へと戻る途中──
──道端に捨てられた、小さな小さな、兎人の赤ん坊を見つけた。
どこか無視できなかったダイヤは、半獣兎人であるその赤ん坊を拾い自身の住処で世話を見ることにした。赤ん坊は、真っ白な体毛で兎の耳と丸い尻尾、大きな赤い瞳をもつ女の子であった。
最も大切な存在、という意味を込めて───ハート、と名付ける。
*
ダイヤはそれはそれは丁寧に、大切にハートを育てた。
貌魔獣人である自身の住処は知れ渡っているため、ハートのための小さい隠れ家を作った。エーレの時間ではいつも傍にいて、遊び、ご飯を食べ、話して、笑いあった。
ハートが4歳の頃、ダイヤが長引いてしまった依頼から帰ってくると、赤い瞳をもつ彼女を赤魔だと言い張り、倒れたハートを棒や拳で殴っていたヒューマンの男児2人を見つける。
──ハートは、ダイヤの帰りが遅れたために、彼の住処へと独りで歩いてきたのだ。
そう分かってしまったダイヤは、深い後悔をその鋭い牙でギリ…と強く噛み締めながら、4歳前後であった子供たちがもつ棒を粉々に砕き、恐ろしい眼光で追い払う。
ぼろぼろになり顔や身体が腫れ上がっているハートを、何度もごめんなぁ、ごめんなぁ、と静かに泣きながら抱きしめた。
ハートはそんなダイヤを、力の入らないその手で、小さく、ぎゅっと抱きしめ返した。
*
──ハートは7歳になった。
身体は周りと比べて小さく身長は100㎝に届かない程。体毛は長年の生活で灰色や黒色に薄汚れており、どこかダイヤの腹部を彷彿とさせる。体毛と同じ色である髪は少し長く、肩につく程度のミディアムヘアである。
丸く大きな赤い瞳は変わらず、彼女の感情を鮮明に映し出していた。
ダイヤは38歳。貌魔獣人である彼は寿命が短い一般的な獣人よりも、さらに短命である。彼の身体は衰えきっており、ハートのために気力で動いている状態であった。
ダイヤの傍で過ごすことしか知らないハート。彼女はよく、ダイヤと一緒にブレイヴァーになるっ、と言う。
そんなハートをそうか、と頭をなでることしかできないダイヤ。
せめて。せめて、ハートが独り立ちするまでは──
***
「もう1つ、聞いてもいいですか」
リターンはオードルの方を向いて、そう言った。オードルはぼんやりと見つめていた銅像から目を外し、リターンの目を優しく見返してあぁ、と答える。
「あなたにとって、ヒーローは、誰ですか?」
リターンは、これまでで最も真剣な眼差しで尋ねる。
ここは都市モドワズの中心の大広場。ヒトは多く行きかい、喧騒が響き、ひたすらにせわしない場所。しかしこの広場から繋がる城門の逆側、英雄の銅像前のこの空間だけは、どこか静かで風1つにさえ意識を向けられる──そんな空気が流れていた。
「…そうだなあ。色々と考えられるが……生活を守ってくれているのは、この街のご領主であるエルド様と、顧客の皆様方…」
これでも私は靴を作っているんだ、と微笑むオードル。
「…心を守ってくれているのは、精霊となった妻と息子たち、それにソリス様…」
リターンは彼を見つめ、黙って言葉を胸にしまい続ける。
「そして、安全を守ってくれているのは、兵士さんたちと…」
一陣の風が流れた──
「──ブレイヴァーさんたちだ」




