第4話 英雄
カルガラン歴4208年210日
上空約5km、その高齢男性は宙に浮いていた。
──否、一瞬だけ宙に現れた後、すぐにその1,000km程先へと転移をしそれを何度も連続して行っていた。
彼は白いウールでできた大きな布をその引き締まった肉体に纏い、裸足で世界を移動していく。その手のひらから、大量のとても濃い、白く光る粒子を立ち昇らせながら。
瞬間毎に見える彼の姿。顔は老化の影響か少し丸みを帯び、唇は薄め。白く染まった短めの髪とひげが彼の頭と顎、口元を一周している。目はしわと共に優しげに垂れているが、奥にある双眸には鋼のように強い意志が潜む。
現在54歳である彼は、このとてつもなく巨大な世界において広く英雄と呼ばれている。
そんな英雄が、目的地である王都ヘザンの近くに出現した直後──
──彼の身体から青白い、眩く美しい光が溢れ出す。
「(ッ!…まさか、被認識型!?……まずいッ!)」
瞬時に彼は王都ヘザンを中心とする半径10km内の、依頼討伐対象以外のヒト全員を約100km内に存在する安全な別都市へと転送。その後討伐対象の目の前に自身が転移し、半径5mの球状に空間断絶を形成。あらゆる物体も光も通過できず、肉眼での視界を塞ぐ。
──討伐対象は、小さな小さな、ぼろぼろの兎人の女の子であった。
少女はふらふらと身体を揺らしながら、しかしひどく強い眼差しで変化のない自身の母の亡骸をジッと見つめていた。
「(恐らく自身を認識した対象に、強制的に青光現象を引き起こさせる異能……そして、その出力現象も恐らく自在……出力先は…この、ご遺体か…)」
英雄はその顔をクシャッと歪め、幼子に無情に降りかかる世の理不尽を悲しむ。
「…お母さん、かい?」
英雄は左の片膝をつき、真剣な表情で優しく問いかける。兎人の子はふらふらと身体を揺らしているだけ。
「(異能を発現して丸2日……きっと、元々限界でもあったのだろう……それを耐えているとは、どれほどの思いであるのか……)」
英雄の身体は今もなお発光を続けている。空間断絶により太陽の光も遮断されるため、この場の光源はその美しい青白い光のみ。彼の手のひらから先ほどまで出ていた白い粒子は、鳴りを潜めている。
彼も、よくまだ耐えているものだ──どれほどの思いを積み重ねたのやら。
「ぉかぁ…ん……な…ん…ぇ…?」
──少女が掠れた声で言葉を紡ぐ。
英雄はゆっくりと横から優しく、その小さくか弱い存在を抱きしめる。
「(…これらの傷……2日前どころではない……きっと、普段から、いつも…いつも……ッ!)」
英雄の顔がさらに歪む。優しく、しかし強くぎゅっと抱きしめなおす。
「(──まさか、そんな……いや、これほどの数の青光現象を引き起こしても、何も変化がないのは理由があるはず…)」
兎人の少女は英雄の温もりを肌で感じ、一度まばたきを行い、目の力を少しだけ弱める。
「……お母さんは……好きかい?」
彼は少女の冷え切った身体を少しでもと温めながら、落ち着いて問いかける。
──彼女の真っ赤な瞳が、大きく揺れ動く。
「…………す…ぃ」
「…そうかい、そうかい……」
肉体ごと青白く消えていっている英雄は、懸命に微笑みながら大きくうなづく。通常の青光現象では見ないそのような事態も、気にしている場合ではない。彼が為さなければ、きっと悲劇はまた起きてしまうだろう。
──少なくとも、この少女には。
「……」
少女の身体は動かない。しかしその丸い瞳には、揺れる感情が映りこむ。
「……お母さんは……怖い、かい?」
頭部と胸部を除き、ほとんどが青白く染まった英雄が問いかける。彼の手足の先は既に失われてしまっている。
「………………ぅ…ん」
「………そう、かい…そうかい……」
彼はただ、ただ悲しんだ。その焦げ茶色の瞳が震え、潤む。
「…ぇ゛も…ぁる…ぃの……ぇ…んぶ………ぁたし…」
彼女は消えてしまいそうな頭の中から、一生懸命に言葉を集める。真っ赤な瞳にじんわりとにじむ涙に、英雄の青白く美しい光が反射する。
「…ぁた…ぃぁ゛……ぁかぃ…め゛……だぁ…らぁ゛っ……」
「……そう、かい……そう゛っ…がい゛っ……」
ぽたぽたと、2人の涙と鼻水が土の地面に染み込んでいく。
「……………嬢、ち゛ゃん……よ゛く…おきぎっ……」
「……ッ」
「じょう゛ちゃんの……あがぐて……まぁるい゛……ぞの…瞳はっ……」
「…ぅ゛…ん゛……」
「……どっでも゛ぉ…ぎれい゛でっ……う゛づくじい゛っ…!!」
──少女の顔がぐしゃり、とゆがむ
「っぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛」
彼女の、言葉にできない感情と泣き声と涙と鼻水が、ぎゅっと抱きしめる英雄の胸に、深く染み込んでいく。
*
そして、英雄は顔だけが薄っすらと見え、身体は少女を抱きしめる光の腕と胸だけが残るころ──
──兎人の少女の身体が、青白く光を放ち出す。
「なッ!?………なに…をッ!」
彼女は自身にも青光現象を引き起こしたのだ。そしてその身体は、少しずつ粒子となって消えていく。
「…ぉえん…ぁ…さぃ………ぇ゛も…………ぃとりは……ぃぁ……」
それを聞いた英雄はただ、少女を消えかけの腕で強く抱いた。
「…ぁ…たし……きゃ……ろぉ……る……」
兎人の少女は英雄の身体とおんなじになるよう、身体をすばやく光に溶かしていく。
2人の身体から立ち昇る青白い粒子は、まるで一緒に天に昇っていくかのように、美しく混ざり合って消えていく。
「……わた…しの……名は……」
***
「(レガシー)」
リターンが内心で呟く。
──それは、青銅の立像であった。
「(偉大なる空間魔法使い……魔法、使い?……聞き覚えは、ある気がする。だが、他の言葉よりも何か実感がわかないような……)」
銅像の人物は1000年も前の偉人であるようだ。比較的綺麗な像であり、恐らく何度も作り直されているのだろう。
「……おや、なんだか君、レガシー様に少し似ているね」
リターンが声に反応して左を向くと、そこには穏やかなヒューマンの高齢男性がいた。白髪交じりのふさふさの髪と眉毛を持ち、豊かなひげが顎を包み込んでいる。大きめの鼻に頬のたるみ、しわやまぶたの垂れはその男性の優しさをより引き出しているかのようだ。
「1000年も経ったから、生まれ変わりでもしたかい?まあ、私は太陽教徒ではないんだがね」
ほっほっほっ、と言いながらその男性は朗らかに笑った。
「…似てますかね?」
リターンは警戒しながら言葉を返した。何気に、彼が初めて行う会話である。そういう意味ではこれも大きな一歩だと言えるだろう。
「ああ、少し銅像の面影に……君がもうちょっと筋肉を付ければあるいは……あいや、別に英雄になれとかじゃあないさ」
男性は自身の顎ひげをもっさもっさと撫でながら話を続ける。その視線は、銅像の方をどこか誇らしげに眺めていた。
「彼には、とてつもない力があったんだろう。その上で、世のためヒトのために、その力を使い続けた。それこそ、命を失う最期まで。そしてその後も、彼が残した多くの遺産は、ヒトの歴史の土台となっている。だからこそ彼は、英雄として、ここまで長く讃えられてきたのさ」
──英雄、彼の言葉を聞いて、リターンは銅像をじっくりと見つめる。
銅像の表情は優しさで溢れているようにも、強い戦意で満ちているようにも見える。
男性は、おっとすまない、私はレガシー様について語るのが結構好きでね、と苦笑した。
「そういえば、まだ名前もお互い知らなかったな…いやあ、失敬失敬。私はオードルという」
リターンは銅像から目を離し、くるりとオードルを見返す。
「僕は、リターンといいます──ところでオードルさん、さっきちょっと思ったことがあって、一つ質問してもいいですか?」
リターンはあまり表情を変えずに、しかし自然体でオードルに尋ねる。
「おや、なんだい?」
「英雄と、ヒーローって、何が違うと思いますか?」




