第10話 異能
その男の名は、シン。
35歳、ヒューマンの壮年男性である。顎や口元には短めに剃られたひげがあり、黒髪ベリーショート。太めの眉と鍛え抜かれた肉体は心強く頼もしい印象を与える。
彼は元々名もない孤児奴隷であった。ヒトをヒトとも思わぬ仕打ちに、しかし疑問を持つこともできない。
16歳の頃、暮らしていた都市が彼の所有者と共に赤魔によって滅ぼされた。幸か不幸かどこまでも摩耗していた孤児奴隷の青少年は、赤魔の殺意から逃れる。
燃え盛る都市の中、ぼろぼろの彼は身体がもたらす生存本能に従い、瘦せ細った裸体を晒しながら森へと歩く。
──そして、とある村に辿り着いた。
*
シンは幸せを噛み締める。
心温まる家を持った。
狩猟技術を磨いた。
命を預け合う親友と飲み合った。
若者たちを導き、未来を築いた。
村は守るべき故郷となった。
誰よりも元気な娘は、嫁入りをした。
何よりも大切な女性と、笑い合った。
*
カルガラン歴1873年340日
世界が、青白い光に包まれている。
──ズシン…………ズシン……………ズシン……
ゆっくりと収束していく美しい光。
それによって浮かび上がってきた地獄。ひしゃげ、吹き飛ばされ、ぐちゃぐちゃに壊された小さな世界。
いつか見たような燃え盛る炎の中……光を発していた1人の壮年男性が、崩れ落ちていた。
彼の枯れ果てた瞳には、もはや何も映らない。
──ズシン…………ズシン……………ズシン……
遠くの方をただ歩いている、絶望の巨人でさえも。
──瞬間、世界が黒く染まる。
***
カルガラン歴5211年54日
守護竜が永く、永く見守ってきたナゴ大陸。陸地面積は約1.2億㎢。ラブロック大陸の3割程で、人類居住大陸の中では比較的小さい大地が広がる。
そんなナゴ大陸の大海原を挟んだ向かい側には、ヒトの存在しない大陸が隣り合っていた。レガシーらによって名付けられたその大陸名は──ワウル。
ナゴ大陸の海岸線上、ワウル大陸に最も近い地点にはとてつもなく大きな球状の湾が形成されていた。半径は700kmを超え、どんな赤魔や魔術でも傷一つつけられないような超硬度の深層岩でさえも、その球地形は抉り取っている。
──シンが発現した異能は『ノヴァ』
自身を構成する身体、法素、魂の全てを消費することで発現可能。その代償の大きさに応じた半径で、自身を中心とした球状範囲を消滅させる。
範囲内であればヒトも、魔物も、魔素も、無養物も有養物も、そして魂も……何もかもを無にする力。
ブラヴールと同じように、この異能が継承されることは、未来永劫起こりえないだろう。
*
「さっき言ってた異能って、どういうものなんですか?」
リターンは胸の前に掲げた両掌の上、彼を見つめるブレスにそう尋ねた。彼女はうーん、と考え込んだ後、その濃い焦げ茶色の嘴を開く。
「…技術だけでは実現不可能な現象を、引き起こせる能力……かな」
彼女の奥、焦点が合わずぼやけて見える大通りでは、未だ人通りは多く子供から大人までせわしなく往来していた。
「それ自体は奥義…っていうのもそうなんだけど。異能はそれよりも強力で、先天的に得られるっていう違いがあるんだ」
リターンは高く透き通った声が紡ぐ言葉を聞きながら、何度か瞬きをする。彼は何かを思考しているとき、少し早く瞬きをするクセがあるのかもしれない。
「……先天的?」
彼の問いかけにうん、と返したブレスはそのまま説明を続ける。
「奥義は、青光現象なしでは得られない……でも異能は、ヒトが生まれたその瞬間から、ごくごく稀に得られることがある」
聞こえてくる情報を一言一言握りしめるように、じっくりと理解していくリターン。
「…奥義より数はずっと少ないし、その奥義発現だって青光現象例のうち1割もないらしいから……2つの存在自体、ほとんどのヒトには知られてないんだ」
彼はまた瞬きをゆっくりと繰り返す。
「(僕の異能は、先天的なものなのか……?それにしても──)」
彼の瞳は真実を見定めようと、鋭い眼光を黄色いパルへと向けていた。
湧き出る信頼に任せていた気持ちを少し抑え、再び警戒心を深める。
「(──言ってることが事実なら……なぜ、そんな情報を、こいつは持っている)」
***
カルガラン歴2527年113日
大海原を、赤い巨人が練り歩いている。
一体の巨人はヒトのいなくなったワウル大陸から、球状に大きく消滅した海岸線をもつナゴ大陸へと移動していた。
──そのヘカトンケイルは、共に死亡した番の子供であった。身体から噴き出す粒子は両親と遜色ないほどに、どす黒い赤に染まっている。
もう数十日もすればこの絶望は、再びナゴ大陸へと降りかかるであろう。
──黒い巨竜が、大空を羽ばたく。
体長約630m、漆黒の鱗に捻じれた双角、大きな翼を持つその竜は金色の瞳に不動の意志を宿す。全身から立ち昇っているはずの赤い粒子はその影も見せない。
黒竜は音速を超えて天を駆け、ヘカトンケイルの側面上方に位置付いた──
──瞬間、一条の漆黒が巨人の心臓を貫く。
漆黒はどこまでも海中を突き進み、その進路上の全てを消失させる。
法素変換臓器を失ったヘカトンケイルは、しかし体内を流れる莫大な法素で肉体を動かしながら、即座に心臓を再生。殺人本能に拠らない純粋な殺意を乗せ、黒竜へと咆哮する。
「「「「「ヴァ゛ァ゛ア゛ェア゛ア゛ア゛ア゛ェア゛ア゛ア゛ア゛ェア゛ア゛ア゛ア゛ェ!!!」」」」」
その破壊の衝撃波が伝導するよりも速く、黒竜はさらに上空へと高く舞い上がっていく。
──そして反転すると同時、ヘカトンケイルの全てを貫くほどの巨大な漆黒を、双角先端の中心地点から直下へ放射。
瞬時にヘカトンケイルごと、海底の奥の奥までが円錐状に消失した。その大きな深淵に海水がなだれ込む中、黒竜──キューはヘカトンケイルの復活を静かに警戒している。
──彼はエンシェントダークドラゴンと呼ばれる魔物の雄であり、ナゴ大陸の守護竜であった。
カルガラン歴1910年に卵から孵ったキューは、0歳時点でとある異能の効果を受けた。初代でもあるその異能の使用者は、29歳男性のアースリザードマン。
彼が発現した異能は『フリューゲル』
目に映る、翼をもつ存在に対して発現可能。身体強化とその倍率を保持したまま法素発色作用と殺人本能を消滅させ、その他精神干渉に対する無効化能力を与える。
同時可能対象は1体までであり使用者の意志によって解除可能だが、解除時は殺人本能も戻る。
使用者の死後も効果は持続し、カルガラン歴5211年54日時点でフリューゲルを受け生存しているものは4個体。
内訳はエンシェントダークドラゴン、フェニックス、ウォータードラゴン──そして、パルである。




