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<イレイラ>
……そう、覚悟を、決めたのですわね。
剣を構えるクラームを見て、私は目を細める。
彼の鋭い瞳には迷いはなく、それどころか何処か澄んだような色合いをしていた。
そう、今の彼は、非常に穏やかな表情を浮かべている。
そうであるにもかかわらず、クラームから発せられる気迫に、私の背後に立つイナが息を呑む。
それとは対称的に笑い声を上げたのは、グークハールだった。
「そうだ、いいぞ! やれ、クラーム! 貴様を今の今まで謀り、本当の名前すら打ち明けてこなかったその女を殺せ!」
……全く、自分を棚に上げてよくそんなセリフが口にできますわね。
そう思うものの、グークハールが言っていることは正しい側面もある。
実際私は出会って以降、クラームに自分の身を隠し続けてきた。
……まぁ、裏切られたと考える方がいらっしゃったとしても、それは無理ならぬことですわね。
そう思っている私をよそに、グークハールがつばを飛ばしながら声を上げる。
「他の兵士たちも、クラームの動きにあわせてイレイラを捕まえろ! いや、この場で斬り殺しても構わん! イレイラを殺したものには、父上に交渉し、報奨を出すと約束しようっ!」
その言葉に、私は嘆息する。
この期に及んで報奨すら自分の懐ではなく、父親を頼るその浅ましさに、嘆きを通り越して呆れることしか出来ない。
……ですが、今はそんな愚か者より、私には対峙すべき相手がおりますわね。
グークハールの言葉で、再びこちらに駆け寄ってきた兵士たちをよそに、私はクラームの目を真正面から見つめる。
背後から、焦ったようなイナの声が聞こえてきた。
「イレイラ様!」
しかし、私はあくまでその場から動かない。
あくまでいつも通りに、優雅に腕を組み、ゆったりとした口調で言葉を紡ぐ。
「お好きになさい、クラーム。あなたがあなたで在るために、やるべきことを成しなさい」
「言われなくともっ!」
兵たちが迫る中、剣の柄を力強くクラームが握りしめた。
そして、白銀が煌めく。
それは、今まで見たどの斬撃よりも早かった。
クラームと初めて出会った時、彼が言っていた古傷は、その時点で私が回復魔法で完全治癒をしている。
しかし私は『聖女』ではないと嘘をつき、痛みをなくしているだけだと、そう言っていた。
だからクラームは、今の今まで、手加減をしながら戦ってきたのだろう。
痛みを感じなくなったとしても、古傷が癒えていないと考えていたから。
だから、傷が再発し、剣が再び振れなくなるのを恐れて。
だが、今は違う。
これがきっと、クラームの本気の一振りなのだ。
と、いう事は――
……そちらの嘘も、バレてしまったのですわね。
クルーリア王国から、彼の運転する馬車でサグラール連邦国に入った時に思ったことを、今この場でも改めて思い直す。
……クルーリア王国は、本当に愚かですわね。こんなに腕が立ち、聡い男を手放すだなんて。
そう思いながら、剣筋を追うのが精一杯の斬撃の行方を、私は穏やかな気持で見つめている。
そして、瞬きをするより短い時間で、クラームの剣は、彼が断ち切るべきものを斬り捨てた。
「まさか、そんなっ!」
悲鳴に近いイナの声が、何処か遠くで聞こえるようだ。
イナの事は、とても大切な侍女だと思っている。
しかし、この瞬間、今この瞬間だけは、クラームの剣技だけに心を配っていたい。
だが、そんな穏やかな気持をいつもぶち壊しにするのは、この男だった。
「な、なにをやっているんだ、クラームっ!」
グークハールの醜い声が、店中に響き渡る。
その不協和音に眉をひそめる中、グークハールが今この場で起こった事象を、そのまま口にした。
それは――
「何故イレイラではなく、俺の兵士たちを斬り捨てた、クラーム!」
「頭もボンクラなら、目ん玉も使い物にならねぇみてぇだな。誰一人、殺しちゃいねぇよ」
そう言って、剣に付着した兵士たちの服の繊維を振り払うように、彼はその場で剣を振るう。
彼の言った通りの現象が、私の眼前で起こっていた。
一振り。
たったそれだけで、二十を越える兵士たちが気絶し、床に転がされている。
その様子を、グークハールは歯ぎしりしながら見つめていた。
「クラーム、貴様、自分が何をしているのかわかっているのか? これで貴様は死刑確定だぞ!」
「安心しろよ、ボンクラ。そうはならねぇからよ。何故なら俺は、お前たちには捕まらない。イレイラ様とともに、この場からずらからせてもらうぜ」
「な、なんだと!」
驚愕の表情で、グークハールが呻く。
「貴様、自分が何を言っているのか、わかっているのか? その女は、お前をずっと騙していたんだぞ! それなのに、何故貴様はその女の味方をするっ!」
「騙してなんかいねぇよ」
「何?」
「確かに俺は、本名すら教えられなかった」
「だったら――」
「だがな? そんなものは、この方を構成する一つの要素でしかねぇ。いや、ただのラベルに過ぎねぇんだよ。ライオンに犬という名前をつけようが、その本質がライオンであることには変わらないようにな」
「あら? こんなか弱い淑女を捕まえてライオン扱いとは、なかなかおっしゃるようになりましたわね、クラーム」
「ご容赦ください、イレイラ様。貴方様の偉大さを表すには、動物であれば百獣の王ですら不釣り合いだと理解していながら、それ以上に不肖の俺には例えが思い浮かばず」
「ふふふっ、冗談ですわよ」
「ば、馬鹿な」
愕然としながら、グークハールが言葉を紡ぐ。
「ならば、何故お前はイレイラの捜索に協力した? 最初からイレイラの味方をしていたのであれば、そもそもこの店にイレイラがいると、本当の事を言わなければよかったではないか」
「あなたは、本当に人の心が理解できておりませんのね? グークハール。クラームが私の味方になると決意したのは、つい先程ですわよ?」
「な、何?」
「そもそも、誰かに謀られて、素直に許せる人間などそうそうおりませんわ」
……グークハールに裏切られ、断罪されることになった私を含めて、ですけれど。
「ですが、それがもし、何か事情があったり、謀られた側が納得できる何かがあれば、それを水に流すということも、世の中往々にしてあるものでしてよ」
「なるほど。それが、先程この男とイレイラ様とのやり取りだったのですね」
イナの言葉に、クラームが頷く。
「俺が出会ったイララ様は、理由もなく人を騙すような方ではない。だから、何か理由が在るはずだと、そう考えた。だから俺は、この方を自分の手で見つけ出し、その真意を問う必要があったんだ」
「だが、イレイラは嘘を付いていた理由をお前に説明しなかったではないか! ただ、自分がそうであるからと、そう言う話しかしていなかったではないかっ!」
「だからだよ。だから、俺はそれで良かったのさ」
そう言ってクラームは、手にした剣を肩に乗せる。
「さっきも言っただろ? 名前なんぞ、どうでも良かったんだよ。イララ様と呼ばれようがイレイラ様と呼ばれようが、この方はイレイラ・ヴィルムガルド、その人だ。それ以上でも、それ以下でもない。俺が最初に出会った時から、この方はあるがままに俺と対峙していてくれた。本当の姿で、イレイラ・ヴィルムガルドとして、な。だから俺は、その答えが聞けて満足だったのさ」
そう言った後クラームは、私の前で膝をつく。
そして剣の柄を、私の方に差し出した。
「イレイラ・ヴィルムガルド嬢。改めてお願い申し上げたい。俺を、正式にあなたの従者にして頂きたい」
……これから追われる身になるのだとか、故郷に二度と戻れないかもしれない、といった類の質問は、もはやクラームにとって愚問以外の何物でもないでしょうね。
城下町で出会い、最初はすぐに分かれるつもりでいたチンピラの男が、最大限の誠意を込めて私の前に膝をついている。
ならばもはや、私が言うべき言葉は、一つだった。
「許しますわ、クラーム・オトゥレティム。これから死ぬまで、私の剣となり、私の全てに仇なす存在を、ことごとく斬り捨てなさい」
「仰せのままに」
「くっ、誰か、誰かあいつらを捕らえろ! イレイラは無理でも、あの男か侍女だけでもいい。少しでもイレイラから大切な存在を奪い取るんだっ!」
グークハールがそう叫ぶが、それは無理な注文というものだろう。
そもそも私一人相手に、彼の兵士たちは手も足も出なかったのだ。
そこにクラームが加わっては、もはや私たちを止めれる存在なんて、いやしないだろう。
そこから私たちは、優雅に兵士たちを退け、慎みをもって馬車をもらい受けると、そのまま三人でエルデネホルート連邦共和国へと向かっていった。
ひょっとしたら、グークハールの追手がまたやって来るかもしれないし、向かう先々で、新たな困難が待ち受けているのかもしれない。
けれども私は、全く心配していなかった。
この三人がいれば、どんな相手だろうと敵ではない。
それに――
「キチゲを解放した私は、無敵ですもの」




