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<クラーム>
名前を呼ばれ、俺はイララを、いや――
……イララは、偽名だったんだよな、そういえば。
首を横に振っている俺に向かい、グークハール王子がつばを飛ばしながら口を開く。
「遅いぞ、クラーム! 一体どこで油を売っていたんだ? 本当に死刑になりたいのかっ!」
そう言った後グークハール王子を、イレイラが一瞬鋭い目で一瞥する。
しかしそれに気づかないのか、それとも気づく余裕がないのか、グークハール王子は蒼白となった顔を無理やり動かし、口角を吊り上げる。
「だが、まぁいいだろう。これからのお前の働き次第で、約束通り死刑は免除してやろう。それに、騎士団へ返り咲き、部隊長になれるよう俺が口添えもしてやる」
その言葉に、お嬢ちゃんが反応する。
「まさか、あなた、自分の命と出世のために、イレイラ様を裏切ったんですかっ!」
激昂するお嬢ちゃんの言葉を聞きながら、しかし俺の心の中は凪のように静かだった。
そう、たった一つ、たった一つのことだけが、俺の心の中に浮かんだだけだった。
その内容は――
……そうか。お嬢ちゃんは、知ってたんだな。
イララが、イレイラだったということを。
……そうか。三人の中で真実を知らなかったのは、俺だけだった、ってわけか。
そう思っている俺をよそに、グークハール王子が勝ち誇るように笑う。
「黙れ、小娘が! やはり全ては、俺の思う通りに動くことになるんだよ。俺たちがここにたどり着けたのは、あの男がイレイラの行動を読んだおかげだ。如何にイレイラといえども、お前のやり口を全て知っている相手に、そう簡単に勝てる――」
「少し黙りなさい、グークハール」
グークハール王子の言葉を遮り、イレイラが口を開く。
だが、その反応が嬉しかったのか、グークハール王子の顔には喜色の表情が広がっていた。
それはまるで意中の相手に、全く相手にされていなかった子供がイタズラをして、ようやく何かしらの反応をしてもらえたという、そういう表情のようにも見える。
しかし、そういった行動は小さい子供だから許されるものであり、大人が同じ様な行動をしたとしても、気持ち悪いという感情しか抱けない。
だがそれに気づけるはずがないグークハール王子は、満面の笑みを浮かべて口を開く。
「なんだぁ? イレイラ。今更自分の失策と不利を悟った所で、もう遅いぞ! どれだけ謝ろうとも、貴様が待っているのは破滅だけ――」
「聞こえませんでしたの? 私、黙れと言ったのですわよ?」
その迫力に。
グークハール王子だけでなく、イレイラたちを囲っている兵士たちも、悲鳴を上げて一歩後ろに下がる。
それらに視線を走らせ、自分の周りに等しく沈黙が行き渡ったことを確認してから、イレイラが口を開いた。
「お久しぶりですわね、クラーム。息災でしたかしら?」
「……」
「ちょっとあなた、イレイラ様が話しかけてくださっているのに、何なのです? その態度はっ!」
「あんたは、一体誰なんだ?」
その俺の問に、イレイラは僅かに目を見張る。
しかしお嬢ちゃんは馬鹿にされたと思ったのか、こちらに敵意を剥き出しにしてきた。
「何を言っているのですか、あんたはっ! イレイラ様は、イレイラ様以外ありえな――」
「いいのです、イナ」
「ですが、イレイラ様っ!」
「いいのですわ。クラームには、私の名を問う資格も、理由も、動機もございますもの」
……ああ、やっぱりあんたには、わかっちまうのかい。
たった、一言だったのに。
お嬢ちゃんは怒りの感情すら抱いたというのに。
それなのにイレイラは、そのたった一言で、こちらの内心を全て見透かしてみせる。
そして恐らく、こちらがそう感じ、考えていることも全てわかっているのだろう。
イレイラは不敵に、しかし何故だかこちらに敬意を払っているのがわかるように、優雅に微笑んでみせた。
「私の名前は、イレイラ。イレイラ・ヴィルムガルドですわ」
「……そうかよ。あんた、そこのボンクラ王子にブレインバスターぶちかまして、指名手配になってるんだってな。なんだってそんなことをしでかしたんだ?」
俺の言葉に、一瞬グークハール王子が何か言おうと口を開きかける。
しかしすぐにイレイラに睨まれ、口をつぐんだ。
イレイラは改めて俺の方へ視線を向け、口を開く。
「それが、私の成すべきことだったからですわ」
「指名手配になってまで、それはやらなきゃならないことだったのかよ?」
「ええ、そうですわ。私が私であるために、私が私らしく、私として生きていくために必要なことでしてよ」
「その後のことは? 城下町でチンピラをぶちのめして、サグラール連邦国で人間と魔物の問題に首突っ込んで、そこに住む人たちの生き方を変えるかもしれない選挙にまで絡んで」
「それも、全て私がすべきだと思ったから行動したものですわ。私が私として、あるがままでいられるように」
「ヘティオストレラ大陸とユーカックス大陸の検問を抜けるために、イクラフォニア海洋大学の教授を脅迫したこともか?」
「もちろんですわ。そうしなければ、私は私ではなくなってしまいますもの。私らしくない私なんて、私、許せませんわ」
「何があろうとも、か?」
「ええ、何がどうなろうとも、ですわ」
「いつ、いかなる時でも?」
「ええ、たとえ煩悩の数ほど同じ時を繰り返したとしても、私は全く同じことを考え、全く同じ行動をし、そして、全く同じ振る舞いをいたしますわ」
「……何故だ?」
「何故?」
「何故、あんたはそんな風なんだ? 何故そんな在り方が出来る? 何故全てを省みないように、苛烈に、激烈に、強烈に生きることが出来るんだ?」
「それは、今までの質問の中で、一番簡単な問いですわね」
そう言ってイレイラは、柔らかい笑みを浮かべる。
そしてその笑みを浮かべながら、絶対的な自信とともに、こう口にした。
「だって、キチゲを解放した私は、無敵ですもの」
……ああ、そうか。そうだったよな。
この人は、こういう人だった。
「わかった。ありがとよ」
「どういたしまして。所で、私からも一つ尋ねてもよろしくって?」
「なんだい?」
「あなたは、自分の成すべきことが、やるべきことが見えましたの? クラーム」
「ああ、ハッキリとな」
「それは、良かったですわ」
「全部、あんたのおかげさ」
そう言って俺は。
腰に差した剣の柄に、手を伸ばす。




