36
<ヤノリ>
その言葉に、私は全身で冷や汗をかく。
何故なら女の話に、心当たりがあったからだ。
だが、賄賂は送る方も送られる方も、旨味はあるがリスクがある行為。当然誰にも話が漏れないように細心の注意を払っている。
それであるにもかかわらず、何故の女はその話を知っているのだろうか?
……こ、この話が外に漏らされたら、私のキャリアはおしまいだ。
大学教授は当然辞職しなくてはならないだろうし、そうなれば露頭に迷うことになる。
私はどうにかこの状況を脱却しようと、口を開いた。
「な、何を言ってるんですか? 何のことかわかりませんが」
「しらばっくれても、無駄ですわ。クルーリア王国のクラグクボン教授から、次回の学会の査読付き論文を通過させるよう要請を受けていたではありませんか」
……取引相手のことまでバレているのか!
私は膝から崩れ落ちそうになるが、椅子に座っているためなんとかそうなることを防ぐことが出来た。
しかし、結局この状況が最悪である、ということ自体は変わらない。
……どうして、どうして私だけがこんな目に合うんだ? 皆、やってることじゃないか!
自分の事を棚に上げて、私は内心憤る。
この国、スクイードル海洋領邦は、立地を生かした関所的な役割で稼げる状況に胡座をかき、今後をより良くしようと考えている上の人は少ない。というか、ほとんどいない。
自分たちの懐が潤うことだけを考えて、それ以上の事は全く関心がない。
革新的な改革を進めるやる気もなく、自分さえ良ければいいと考えている奴らばかりだ。
……だったら少しぐらい、私だっていい思いをしてもいいではないか!
賄賂の話を持ちかけてきたクラグクボン教授だが、正直今回の学会で提出された論文の出来は、いいものとは言えなかった。
しかし、彼の所属している大学で求められている論文数がギリギリらしく、どうしてもと頼み込まれたのだ。
普通であれば断っている所だが、出された金額が金額だった。
……流石、ヘティオストレラ大陸では一番裕福な国のクルーリア王国だな。たかが大学教授に、私の年収の三倍の金額を提示出来るとは。
かつて、自分の研究でスクイードル海洋領邦を盛り上げようと思っていた頃の私であったら、いくら積まれようとも首を縦に振らなかっただろう。
しかし、もう私も五十を過ぎた。
老後の金はあっても困らないし、何より自分の心がもう枯れ果てていた。
その結果、賄賂を受け取ったのだが――
……まさか、こんなヤバい奴らを引き寄せることになるとは。
「何が、望みなんだ? 金が目当てなら、クルーリア王国のクラグクボン教授の方を強請ってくれ。賄賂を受け取るぐらいだから、金がないのはわかるだろ?」
「話が早いのはいいですが、なんだか凄い開き直りの仕方をしますね、イララ様」
「仕方ありませんわ、イナ。私の威光の前に、逆らっても無駄だと観念したのでしょう」
「流石でございます、イララ様。ただ存在するだけで、相手に降伏させるとは。私、感服いたしました」
マズい。ここにいると正気を失ってしまいそうだ。
要件を早く片付けてコイツラから開放されたいという思いが、どんどん私の中に膨らんでいく。
私はイララを睨み、口を開く。
「それで? 何が望みなんだ?」
私の言葉を聞き、女は薄く笑う。
「何、簡単なお願いですわ。あなた、ユーカックス大陸の大学と共同研究を行っておりますよね? つまり、スクイードル海洋領邦の検問を通過できる交通許可証を持っておられる」
そう言われて、こいつらが何を私に求めているのか理解してきた。
私は頭を回転させながら、口を開く。
「なるほど。密輸、もしくは密入国の片棒を私に担げと、そう言うわけか」
「話が早くて助かりますわ」
女の言葉を聞きながら、私は自分の思考に沈む。
確かに私は、スクイードル海洋領邦からユーカックス大陸へ抜けるための交通許可証を持っている。
用途はもちろん、研究のための物資を運搬したり、人材の行き来に使うため。
ユーカックス大陸にあるトゥホイレス自由連合の大学にも、用事がある時には私もおもむいていた。
しかし――
「私の交通許可証は、あくまで研究のために発行されたものだ。いきなり大勢で押しかけたり、大量の物資をトゥホイレス自由連合に持ち込むのは流石に検問で不審がられると思うが。少人数少量を往復して運ぶのも、短期間で行えばやはり不審がられる。それで君たちは利益は出せるものなのか?」
密輸であれば、売りさばきたい物資をなるべく大量に抱えて大陸を越える必要がある。
逆に密入国をするにしても、私の助手として連れていけるのはせいぜい四人が限界だろう。
そう思っている私に向かい、イララは悠然と頷いた。
「構いませんわ。あなたの馬車に同席するのは私と、両脇に控える二人のみ。更に積荷も、そこまで多くはありません」
「ならば、少量で非常に価値があるものだ、と?」
私の言葉に、イララは挑発的な笑みを浮かべる。
「ええ、そうです。だって運んで頂くのは、この国の未来なんですもの」
その言葉に、私は絶句する。
その後、たどたどしく口を動かして、言葉を作った。
「国の、未来? 一体、どんなものを私に運ばせようというのだ?」
私の疑問に、イララはなんてことはないと言わんばかりの口調で、こう口にする。
「スクイードル海洋領邦の港町ボロイエで採れる、水産資源ですわ。ボロイエはメルティン湾で漁をしており、そしてトゥホイレス自由連合もメルティン湾の水産資源が採れます。ですが、海流が丁度ヘティオストレラ大陸とユーカックス大陸で代わり、採れる資源が変わりますわよね?」
その指摘は、正しかった。
私は驚きとともに、口を開く。
「確かに採れる種類が違うし、同じ種類の魚であっても大きさが変わる。しかし、どうして漁師でも研究者でもなさそうな君がそんな事を知っているんだ?」
「昔、水産資源の取引をしたことがございましたから、その関係で」
そうなると、イララは大陸をまたいで商売を下経験があることになる。
「……ならば、その時に交通許可証が発行されたはずだが? それを使えば――」
「悪いが、余計な詮索はなしにしてもらえるか?」
クラームがそう言って、私を睨む。
こちらもこれ以上、向こうの事情に深煎りしたくなかったので、黙ることにした。
黙った私の代わりに、イララが口を開く。
「ヤノリ教授。あなたに運搬をお願いしたいのは、ヘティオストレラ大陸で採れるメルティン湾の水産資源になりますの。そしてそれをユーカックス大陸のトゥホイレス自由連合に持ち込み、海流の差による生態系の調査をお願いしたいのですわ」
「……だが、そういった研究はもう行われている。今更魚の一匹二匹を持ち込んだ所で、とても国の未来を担えるとは――」
「ですから、国の未来を担えるようにしてくださいな」
「……言っている意味が、わからないのだが?」
首を傾げる私に、イララはこちらの目を真っ直ぐ見ながらこういった。
「たとえば、魚の大きさが違うというのであれば、逆に大きくする要因があるということ。その原理を解明出来るのであれば、漁師の採れる魚の大きさが増え、そして利益が上がり、国も潤うのではございませんこと?」
「君は私に、この国の養殖に革命を起こせと言っているのか!」




