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<チュリック>
ボクの姿を見て、母親の隣に座った子供が、本当に嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ママー! あのときの、わんこさいっ!」
「こら、だからやめなさいって! 食べられちゃうわよっ!」
その言葉に、ジョウムさんと一緒に近づこうとしたボクの歩みが一瞬止まる。あの子とならジョウムさんに、あの時ボクが感じた、これからの新しい人と魔物の関係を見せれると思ったのに。
「……心配ない。この子は、そういう心配はないよ」
「じょ、ジョウム領主様!」
しかし、ジョウムさんの言葉で子供を静止する母親の腕が止まる。その隙をついたように、子供がボクの方へ飛び込んできた。
「わぁ! すごーい! もっふもふー!」
「ちょっと! それは私のもっふもふでしてよっ!」
「イララ様。流石に今は、空気を読まれた方が――」
「ダッシャラァァァアアアッ!」
「流石でございます、イララ様。技のキレが数を重ねるごとに、増しておりますね」
……こ、後方で、地獄、みたい、な、状況、が、生まれて、ます、よ!
しかし、体を張ってイララさんを止めてくれたクラームさんには、感謝しなくてはならないだろう。
その間に、ボクはこちらの毛を引っ張る子供と戯れることができた。
「すごーい! もっふもふ、じゃんぷしてー!」
「ちゃ、ちゃんと、つかまってて、ね?」
飛んだりはねたりする度、子供からは無邪気な笑い声が上がる。それを見ている周りの大人たちも、自然を笑みを浮かべていた。
そんなボクと子供の姿を、ジョウムさんは目を細めて見つめている。
「ラニと結婚していたら、私たちの間にも、あれぐらいの子供が今頃いたのだろうか?」
ぼそ、っとつぶやいたそのセリフは、魔物のボクしか聞き取れないほど小さな声だった。その、思わずこぼしてしまったようなその言葉の小ささが、ジョウムさんが内に秘めている本心のように、ボクには感じられた。
やがて子供は母親に連れられて、二人で家に帰っていく。子供は最後の最後まで、ボクに向かって手を振ってくれていた。ボクはそれに手を振り返しながら、口を開く。
「ほ、本当に、ボクと、ジョウムさん、が、一緒に、いられる、未来、は、も、もう、ないんです、か?」
「……………………」
「た、確かに、ジョウムさんの、心の、傷を、ぼ、ボクは、消すことは、できま、せん」
その悔しさに、ボクは両手を握りしめる。過去の出来事に対しては、ボクはあまりにも無力だ。
でも――
「で、でも、こ、これから、なら――」
「未来なら、作っていくことが出来る、と?」
頷くボクに、ジョウムさんが苦笑いを浮かべる。
「以前、イララに同じようなことを言われたな」
「でも、ラニさんを、それだけ、す、好きに、なれたん、ですか、ら。ジョウムさん、自身、と、りょ、領主と、しても――」
「魔物と一緒に歩もうとしている領民の気持ちも受けた上で、これから先の未来を歩んでいけるのではありませんこと?」
後ろを振り向くと、既に回復してもらったクラームさんと、イララさんの隣に立つのが当然という表情を浮かべるイナさんの姿があった。
イララさんはこちらを見て、静かに口を開く。
「投票でも、共存を希望される方は少なくはなかったわけですわよね? その気持を蔑ろにしてまで、あなたの気持ちを押し通そうとした事実も、あなたを今苦しめている原因ではありませんの?」
「その通りだが、どうしてお前の言葉に賛同するのはこれほど心理的苦痛を伴うのだろうな」
「そ、それは、ボクも、ど、同意、する、よ」
苦笑いを浮かべるボクらの前で、イララさんが腰に手をあててため息をつく。
「領主として、投票で領民の気持ちは伝わった。そしてあなた自身も、チュリックとの共存を望んでいるご様子。魔物の方も、ゲルトドゥール州での振る舞いは改めて、人間との関係改善に努めますのよね?」
「も、もちろん、です!」
「……でしたら、残るのは後一つだけですわ」
「そうだな。私がもう一度、チュリック(魔物)を信じられるのか? 手を取り合えるのか? だな」
「もちろん、過去にあなたの婚約者に起こった悲劇を忘れる必要はございませんわ。その過去を持ちながら、彼らと新しい未来を考えられるのか? というところだけが論点ですもの」
「も、もう一度、だけ!」
ボクは、勢いよく身を乗り出すようにして、ジョウムさんへ一歩踏み出す。
「も、もう一度、だけ! ぼ、ボクらを、し、信じては、くれない、で、しょう、か? ぼ、ボクらと、一緒の未来を、歩んで、くれないでしょうか?」
そう言ったボクをしばらく見下ろした、後、ジョウムさんはこちらに向かって手を差し出した。
「……これが、本当に最後だ」
「あ、ありがとう、ござい、ます!」
そう言って手を取り合うボクらに対して、イララさんは一度大きく両手を叩くと、急かすように口を開いた。
「はい! 決まったのでしたら、早く投票所に戻りますわよ! 時間が経てば経つほど、ジョウムの不正投票の証拠隠滅が難しくなりますもの。口裏もあわさなくてはなりませんし、まだまだやることが沢山ありましてよっ!」
「ほ、本当に、ブレな、い、よね、イララさんっ!」
しかし、彼女の言うことは事実でもある。急がなければジョウムさんが領主の地位から失脚し、たった今交わしたボクとの約束も守れなくなってしまうだろう。
ボクはジョウムさんと投票所で諸々の作業を終え、今後の対応について他の魔物の仲間たちと集まって議論を重ねていた。それは、日が沈んでから、また登るまで続けられていた。
だから、気づかなかったのだ。
いつの間にか、イララさんたちの姿がどこにも見つからないことに。




