第七話:【義務配信】法律が変わっても、ただの日常
あの大騒ぎとなった「ミュートミス動画」から、二ヶ月の月日が流れていた。
ネットの匿名掲示板を一時的に震撼させた『ジャージおじ世界1位説』は、今や完全に過去の遺物と化している。
「あれは最新テック企業のAIプロモーション動画だった」という結論で落ち着いたネット民たちは、次の新しい流行へと移り変わり、おっさんのことなど綺麗に忘れていた。
誠のチャンネルのリアルタイム視聴者数は、現在【214人】。
一時的に跳ね上がった登録者数も、おっさんがファンサービスを一切せず、ただ無言でレンガを積んだり、ポチ(ケルベロス・ロード)の毛並みをタワシで整えたりするだけの地味な配信を続けた結果、野次馬は完全に scatter(散会)し、映像の美しさを好む少数の作業用BGM勢だけが残る過疎チャンネルへと戻っていた。
「……よし、今日の分のレンガ積みはこれで終わりだな。次は大通りの排水溝の泥をさらうか」
川野誠(三十八歳)は作業着の袖で汗を拭い、相変わらず頭上でホバリングしている国給ドローンに背を向けた。 彼にとっては、この地下四百層の静寂こそが至高の楽園であり、配信はただの「お役所への免税タイムカード」のままだった。
――だが、誠が知らない地上の世界では、彼の預かり知らぬところで大きな『法改正』が行われていた。 ここ数年、世界中でダンジョンの探索がビジネスとして過熱するにつれ、一つの深刻な問題が浮上していた。それは、全ダンジョンの「治安の悪化」である。 ダンジョンの一層や、モンスターが出現しない安息の地に勝手にテントを張り、住み着く浮浪者や、国への報告を怠って物資を密売する不届きな探索者が急増していたのだ。
これを重く見た国連および探索者協会は、治安維持と資源管理の徹底を名目に、新たな法律を施行した。
『ダンジョン内における勝手な私有地化、および定住の全面禁止』
地上の主要なダンジョンでは、武装した協会の治安維持部隊が次々と投入され、一層の物陰で炊き出しをしていた浮浪者や、不法なベースキャンプを築いていた不届き者たちを次々と強制退去させていった。
そして、その取り締まりの手は、機械的なシステム(AI)による自動監査によって、誠の『タイムカード代わりの配信』にも伸びることになる。
【世界探索者協会・日本支部 管理局第三課】
「……おい、また自動監査システムが不法占拠者(浮浪者)の配信ログを弾いたぞ」
深夜のオフィスで、缶コーヒーを片手に持った若手職員が、パソコンのモニターを見ながら面倒くさそうに溜め息をついた。画面に映し出されているのは、誠が「地下都市」のレンガを黙々と積んでいるライブ映像だ。
「チャンネル名は『新宿ダンジョン定期巡回』……? 住所欄は『新宿ダンジョン四百層』だってさ。おいおい、ギャグのつもりかよ」
「あー、よくいる最新の生成AIで背景を盛ってる、ちょっとイタい初期登録者だろ。十五年前にカードを作ったっきり、一回も地上への帰還記録がないな。セーフティーエリアの物陰にでも引きこもって、ずっと不法滞在してるクズだ」
協会の最新システム、そして末端の職員たちは、誠の背景に広がる美しい街並みやオリハルコンの街灯を「クオリティの高い配信フィルター(CG)」だとハナから決めつけていた。
彼らにとって川野誠は、大冒険者時代の初期に登録だけして、そのままダンジョンの片隅で現実逃避を続けている、ただの『未更新の不法滞在者』でしかなかった。
「新しい法律に従って、強制退去の手続きを進めろ。……あ、でも現在地が不明だな。新宿のどっかの一層付近だろうけど、いちいち捜索部隊を出すのも人件費の無駄だ」
「じゃあ、いつものように機械的に『懸賞金』を設定して、下位のフリー探索者に身柄を確保させましょう。金額はどうします?」
「うーん、ただの身元不明の引きこもりおっさんだしな……。規約違反の罰金補填も含めて、最低ランクの一律【100万円】で登録しておけ」
ピピッ。 職員がキーボードを叩くと、探索者協会が発行する「指名手配・不法滞在者リスト」の最下層に、ひっそりと新しい項目が追加された。
【対象:川野 誠(38)】【罪状:ダンジョンの私有地化、および不法滞在の罪】
【推定現在地:新宿ダンジョン中層のどこか(自称400層)】【身柄確保報酬:100万円】
地上の末端組織が、システム上の事務処理として、世界1位の【未登録(Anonymous)】の首に格安の懸賞金をかけた瞬間だった。 もちろん、そんな地上の動きなど露ほども知らない誠は、排水溝をきれいに掃除し終え、「よし、明日は久しぶりにちょっと遠出して、地下の珍しいキノコでも採りに行くか」と、のんきに作業着の汚れをはたいているのだった。
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