【間話②】:大賢者、思い直す
深夜二時。東京都港区、地上40階の超高層マンション。
洗練されたデザイナーズ書斎のデスクで、日本トップの登録探索者であり【大賢者】のユニーク職業を持つ神崎隼人は、血の気の引いた顔でスマートフォンの画面を睨みつけていた。
彼の右手は、探索者協会・最高責任者への直通ダイヤルを表示した画面の上で、ガタガタと目に見えて震えている。
「このおっさんは本物だ……。アビスディザスターを、あの無音の空間で、ただの鉄パイプを置くような動作だけでワンパンするなんて……世界ランキング1位の【未登録(Anonymous)】本人以外にあり得ない。今すぐ国を挙げて対策を講じなければ、日本が、いや世界が滅ぼされる……っ!」
今すぐに発信ボタンを押さなければならない。国家の危機だ。
だが、その焦燥感とは裏腹に、隼人の脳の奥は、燃え尽きた炭のようにズキズキと重く痛んでいた。
それもそのはずだった。ここ三日間、彼は百六十層のイレギュラーボス討伐をはじめとする高ランクダンジョンの連続攻略に駆り出され、一睡もしていない。
魔力は枯渇寸前、精神力(MP)も完全に底をつき、視界の端には過労によるチカチカとした光のノイズが走っていた。 冷や汗で滑る指が、画面をタップしようとしたまさにその時。 動画プラットフォームのアルゴリズムが、深夜の限界ランカーへ向けて、一本の「おすすめ動画」を画面の下部にポップアップさせた。
『【超リアル3D】新宿ダンジョン500層に引きこもるJSが、魔王を10tハンマーでシバいてみた動画【VTuber】』
「…………は?」
あまりにも緊張感のないタイトルに、隼人の思考が数秒停止した。
指が滑り、直通ダイヤルではなく、その動画のサムネイルをタップしてしまう。
スピーカーから流れてきたのは、最新の合成音声で作られた、あざとい幼女の声だった。
だが、隼人の目を釘付けにしたのは、その背景だった。画面に映し出されているのは、人類のデータに存在しない、禍々しいマグマと結晶が入り混じる「500層」とされる地獄の光景。
そこへ、信じられないほど精巧なグラフィックで描かれた巨体の魔王が現れる。 空間を割るエフェクト、飛び散る破片の物理演算、光の反射のクオリティ、そして魔王が放つ絶望的なオーラのビジュアル――。
それは、隼人がつい数分前に見て脳をバグらせていた、ジャージおじさんの「ワンパンシーン」と、不気味なほど酷似していた。
「あ……」
隼人の指が、完全に凍りついた。
動画の概要欄を見る。そこには、世界的な超巨大テック企業が社運を賭けて開発した、最新の『次世代AIリアルタイム描画エンジン』の実証実験プロモーション、と書かれていた。
「なんだ……これ……」
乾いた笑いが、隼人の喉から漏れた。
彼はゆっくりとスマートフォンをデスクに置くと、両手で顔を覆い、深く、深く息を吐き出した。
「そうか。そうだよな……。俺、何を本気で焦ってたんだ……?」
窓の外に目をやると、東の空がうっすらと白み始めていた。都会の夜明けだ。
「ここ数日、まともに寝てなかったから脳が完全にイカれてたんだ。大賢者の鑑定スキルがエラー(解析不能)を起こしたのだって、ただの映像データの暗号化プロテクトか、配信ソフトのバグノイズを、俺の疲れた脳が『圧倒的な未知のエネルギー』だと都合よく誤認しただけに決まっている」
冷静に考えればわかることだった。 いくら世界1位の【未登録】が規格外のバケモノだからといって、ジャージ姿でナスを愛おしそうに育て、高級外車が買える魔獣の卵を毎朝の栄養源にし、あんなやばい怪物を『ポチ』と呼んでサンダルで突っつくわけがないのだ。
そんなおっさんが実在してたまるか。
「あー、恥ずかしい……。深夜のテンションと過労で、あやうく協会の長官に『ジャージのおっさんが世界最強です!』なんて大真面目に直訴するところだった。そんなことをしたら、大賢者の名号を剥奪されて、今頃精神病院に強制入院させられてたぞ……」
隼人は顔を真っ赤にしながら、逃げるようにスマートフォンの電源を完全に切った。 そして、全てのカーテンを閉め切ると、泥のように重い体をベッドへと投げ出した。
「やっぱりCGだよ、CG。最近の技術は恐ろしいな……。明日は12時間寝よう……」
地上の天才プロが、極限の過労によって「自分の盛大な勘違い」として処理したことで、国家パニックの引き金は寸前でへし折られた。 そしてこの隼人の「納得」と呼応するように、ネットの匿名掲示板でも、激しい論争の末に「なんだ、海外のテック企業の仕込みか」「あのおっさんのジャージのヨレ方は完全に3Dモデルだな」という意見が主流となり、事態は急速に有耶無耶になっていくのだった。
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