第三話:【義務配信】ちょっと家庭菜園を耕す
気合いで書いた3話目です。
「……よし、次は裏だな」
明朝、自家製のトマトソースパスタを静かに平らげ、お気に入りの白い大皿を綺麗に洗い終えた川野誠は、再び勝手口のサンダルに足を突っ込んだ。
頭上でホバリングする国給のドローンカメラは、主人の移動に合わせて静かに角度を変える。画面の隅に表示されたリアルタイム視聴者数は『七人』。
少しずつだが、おっさんの日常に居着く常連が増えていた。
『おじさん、ごちそうさまー』
『次はどこ行くの?』
『裏って、庭でもある設定なのか』
「……ちょっと、畑を耕してくる」
相変わらず賑やかなコメント欄を一切見ることなく、誠は勝手口から裏庭へと向かう。
人付き合いが極端に苦手でこの地下の誰もいない場所に引きこもる誠にとって、土をいじり、静かに植物を育てる時間は、精神を落ち着かせるための大切な日課の一つだった。
もちろん、義務だからカメラは回しているものの、こんな底辺のおっさんの家庭菜園を本気で見ている人間がいるとは、彼は今でも露ほども思っていない。
画面に向かって解説することもなく、ただ職人の独り言のようにボソリとつぶやくだけだ。 勝手口の先に広がるのは、誠が十五年かけて開墾した、ささやかな家庭菜園。
誠は物置から、地上から持ってきた古びた鍬を一本取り出した。
「……まずは、トマトとナスの畝を整えるか」
誠が鍬を振り下ろし、ザクッ、と土を耕し始める。 彼にとっては、実家の畑を手伝っていた頃と変わらない、ごく普通の日曜大工の光景だ。
だが、その土壌は、地上であれば一掴みで数千万円の価値がつく、人類未踏の深層エリア特有の、超高濃度の魔力を含んだ結晶土だった。
『おいおい、ちょっと待て』
『おじさんが鍬を入れるたびに、土から溢れてるの何?』
『なんか、土の粒子がキラキラ光ってね? どんなエフェクトだよ』
『今日の動画もグラフィックの気合いが入りすぎだろ
w』
突然画面に現れた、神秘的なまでに美しく発光する黒土のビジュアルに、コメント欄のガヤがじわじわと加速する。 だが、誠は慣れた手つきで、鍬をリズミカルに動かしていく。
土が固い場所があれば、レベルアップと身体強化スキルの極致に至っている誠の筋力により、強固な深層岩盤ごと豆腐のようにサクサクと砕かれていく。
「……うん、良い土になってきたな」
誠はポケットから、実家から持ってきた普通のトマトの種を取り出し、丁寧に土へ埋めていく。 恐るべきエネルギーを含んだ土に植えられた種は、誠が自分で引いた配管の美味しい水を浴び、地上ではあり得ない速度で大地の力を吸い上げていく。
誠にとっては「ここの気候だと育ちが早くて助かるな」という程度の認識でしかなかった。
ガヤガヤと盛り上がるリスナーたち。
その中で、二日連続で画面に張り付いていた日本トップの探索者・神崎隼人は、港区の高級マンションのデスクで、ついに冷や汗を流しながら絶句していた。
(……な、なんだ、あの土の波形は……!? 大賢者の鑑定スキルをもってしても、やはり圧倒的なエネルギーが出ていること以外の情報は完全に弾かれて何も表示されねえ……っ!)
隼人の喉が、恐怖でゴクリと引きつった音を立てる。 彼は固有のユニーク職業【大賢者】を持つトップランカーだからこそ、その画面に映る気配の格が、どれほどデタラメな領域にある深層なのかを誰よりも肌で理解できてしまうのだ。あまりにも現実離れしすぎている。
ジャージ姿のおっさんが、そんな危険極まりない未踏の深層の土を、古びた鍬一本で黙々と耕しているわけがないのだ。
「……俺、やっぱり疲れてるのか?」
ぽつりと、独り言が漏れた。
隼人は震える手で眼鏡の位置を直し、自分の感覚がバグを起こしているだけだと自分に言い聞かせた。
詳細不明な序列の頂点に君臨する
【第1位:未登録(Anonymous)】。
まさかその当の本人が、今この瞬間、人類が到達すらしていないどこか深い深層の底で、ジャージ姿のまま普通のトマトの種を植えて嬉しそうにしているなど。 日本一の探索者である神崎隼人を含め、地上の人間は誰一人として、まだその真実にたどり着くことはできないのだった。
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