第二話:【義務配信】肉じゃが
「――あ、もしもし、映ってるか? すまん、さっきは電波が悪かったみたいだ」
作業を終えて自宅のキッチンに戻った誠は、再び端末のスイッチを入れた。
配信が再開され、画面の端に表示されている視聴者数は『5人』に増えていた。
『おじさんおかえりー』
『いいところで配信切れて草』
『あそこで暗転するの、動画編集のセンスありすぎるだろw』
『電波のせいにするおじさん嫌いじゃない』
戦闘シーンを「電波不良の暗転」という演出で誤魔化されたと勘違いしたリスナーたちが、コメント欄で楽しげに盛り上がっている。誠はそれに気づくこともなく、黙々と夕食の準備に取り掛かった。
「……今日は、肉じゃがにするか」
ボソリと独り言のようにつぶやき、誠は量販店の均一ショップで購入した布製のポーチから、先ほど用事のついでに上の階層で捥ぎ取ってきた、赤く輝く結晶を取り出した。
誠の手のひらの上では、ただの「ちょっと温かい完熟トマト」程度の扱いである。
すり鉢に結晶を入れ、使い古したすりこぎ棒でリズミカルに潰していく。ゴリゴリ、と心地いい音が狭いキッチンに響く。
『すりこぎ棒で潰せる硬さのCGエフェクト、絶妙だな』
『おじさんの料理配信、地味に音がいいから寝落ち用に最適だわ』
『てかその赤い果実、グラフィックの輝き方ヤバくない?』
「これを、料理酒に漬けて……よし、即席みりん。あとは、普通のジャガイモ、人参、玉ねぎ。肉は、昨日そこらで仕留めたやつを」
誠が冷蔵庫から取り出したのは、見事なサシの入った極上の肉の塊だ。誠にとっては「実家の畑で採れた野菜」と同じような感覚のストックである。
トントントン、と軽快な包丁の音が響く。誠の包丁さばきは実に見事だった。無駄な動きが一切なく、野菜の大きさが完全に均一に揃えられていく。
「具材を炒めたら、さっきのみりんと、醤油、出汁を入れて……あとは落とし蓋をして弱火で煮込むだけ」
鍋から、出汁と特製みりんが合わさった、実に豊潤で甘い香りが立ち上り始める。ドローンカメラの集音マイクが、コトコトと煮立つ音を丁寧に拾っていた。
『うわ、めっちゃ美味そう』
『画面越しに匂いが漂ってきそう』
『おじさん、普通に小料理屋開けるレベルで手際良いな』
「……よし、火を止めて、少し冷ます」
誠はパイプ椅子に腰掛け、古いノートを開いて明日の建築の図面をチェックし始めた。画面の向こうの五人のリスナーは、ただのおっさんが趣味でやっている
「料理と建築のシミュレーション配信」をのんびりと楽しんでいる。
同時刻、東京都港区。
夜景を見下ろす高層マンションの一室で、一人の男が静かにモニターと向き合っていた。
男の名は、神崎隼人、二十八歳。
彼は堂々の日本トップに君臨する探索者であり、同時に、世界に一つだけの固有職業【大賢者】を持つ、世
界でも最高峰の特級鑑定士であった。
そんな輝かしい実績を持つ彼が今、食い入るように見返しているのは、ある配信のアーカイブ動画だった。画面に表示されている数字は、チャンネル登録者数二十七人、リアルタイムの視聴者数はわずか三人。
日の目を浴びることのない、無名の中の無名と言えるチャンネルだ。
「……おいおい、嘘だろ……」
隼人の喉が、ゴクリと引きつった音を立てる。
【大賢者】が持つ最高峰の特級鑑定スキルは、画面の映像からであっても、対象が放つエネルギーの『格』を鋭敏に感じ取ることができた。
だが、その至高の鑑定眼を向けた瞬間、隼人の視界に広がったシステムウィンドウは、激しくノイズを走らせていた。
【対象:解析不能】【詳細:??????】
――弾かれた。
大賢者の鑑定スキルを持ってしても、具体的な情報は完全に弾かれて何も表示されない。ただ一つ、脳髄を直接揺さぶるように伝わってくるのは、画面の向こうから放たれている
「なんか圧倒的でデタラメなエネルギーが出ている」という恐るべき肌感覚だけだった。
ただの肉じゃがの湯気から漂うのは、テレビの特番で特集されるような世界トップクラスのクランが、何十人も死にかけながら命がけで持ち帰る
国宝級の超高級素材
――いや、それすら霞んでゴミに見えるほどの桁違いな何かが、画面の向こうでグツグツと煮込まれている。
それが肌感覚で伝わってくるのだ。
(この背景……映像エフェクトなんかじゃない。間違いなく、人類がまだ誰も足を踏み入れていないレベルの、とんでもない未踏の深層だぞ……!?)
「……いや、俺、疲れてるのか?」
ぽつりと、独り言が漏れた。
隼人は震える手で眼鏡の位置を直し、自分の見間違いだと言い聞かせるように、何度も画面をスクロールした。あまりにも現実離れしすぎている。ジャージ姿のおっさんが、そんな危険極まりない未踏の深層に引きこもり、異常な素材をすりこぎ棒で潰して肉じゃがに入れているわけがないのだ。
隼人は頭を冷やすように、自身の脳裏へと直接語りかけてくる『世界ランキング』の情報を意識した。
それは二十年前、世界に突如としてダンジョンが出現したあの日、魔法やステータスという概念とともに、人類へ一方的に刻み込まれた摩訶不思議な超常現象の一つだった。
なぜそんな順位が存在するのか、何を基準に算出されているのか、そのすべてが謎に包まれたまま、ただ冷徹に個人の席次だけが浮かび上がってくる不気味なシステム。
名前さえ登録すれば「職業」と「レベル」が万人に向けて表示される仕様だが、その詳細不明な序列の頂点には、数年間トップの座を一度も譲らない、絶対的な伝説の文字が刻まれている。
【第1位:未登録(Anonymous)】
「……まさかな」
あの雲の上の化け物が、こんな底辺チャンネルで肉じゃがを作っているわけがない。
隼人は小さく自嘲の笑みを浮かべ、逃げるように画面を閉じた。そんな地上の天才プロの困惑など、地下街にいる誠はこれっぽっちも知らない。
「……よし、そろそろいいな」
誠は一人、出来上がった肉じゃがを小鉢に盛り付け、お気に入りの白米と一緒に、静かに口へ運ぶ。
人目を気にせず、ただ自分の作った美味い飯を食う。
この静寂こそが、コミュ障の彼が求めた最高の贅沢だった。
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今後とも【義務配信】をよろしくお願いいたします!




