第十話 (上)風を送り出すひと -ジニアの師匠エルフィナ・ロゼ視点-
今日はやけに風が素直だ。
アージェントの巨神木『大地の巨人』の根元で私はひとり、ローブの裾を揺らしながら空を見上げていた。
枝葉をすり抜けて落ちてくる風はいつもと変わらないはずなのに…
どこか次へ行きたがっている音をしている。
「……そろそろ、ね」
独り言は誰にも聞かれない。
それでいい。
ジニアと出会って十年以上が経った。
初めて会った時、あの子はあまりにも小さくて…あまりにも静かで…
それでも音だけはかすかにちゃんと響かせていた。
泣きもしなかった。
叫びもしなかった。
ただ風の中で寂しそうにいつも歌っていた。
歌に命を吹き込む力…
あの子が産まれたときから心にあったものなのだろう。
私は教えた。
音の作り方。
旅の仕方。
危険の避け方。
人と距離を取る方法。
吟遊詩人として生き抜くための力。
でも――あの子自身の生き方は教えなかった。
それはあの子自身が見つけるものだから。
そして最近はっきりと分かった。
もう私が前を歩く必要はない。
「……ブロムならあの子の心と共鳴する楽器を作ってくれるはず」
遠い地にある聖王都リヒトニア。
『ガルドノイズ』の店主、ブロム・アイアンフィールド。
騒がしくて頑固な職人。
音、そして自身の製作する楽器と魔導楽器を誇りにしているドワーフ。
私はそんな旧友でもある彼に依頼した。
あの子が風と一緒に歌うための新たな相棒となる楽器。
誰かの真似じゃなく…
誰かの期待からでもなく…
自らの心から湧き出てくる音を奏でたいと感じたときに、ちゃんと応えてくれる楽器…
私はブロムの工房に赴きジニア自身の癖や強みを伝えた。
ギターの弾き方。
音の強弱。
ネックの握り方。
手の大きさと指の使い方。
ブロムは珍しくよく喋っていた。
「だとしたら弦を弾く指は……きっとこうだろうな。風と心が反応しやすくするためには……」
……ふふ。
あんなに楽しそうなブロムを見るのは久しぶりだったわ。
きっとあの子についてのことを伝えただけで、あなたも気づいたのね。
あの子のこれからの未来に。
そして私はあの子に旅を用意した。
長くて遠い、ひとりで歩かなきゃいけない道。
守らない。
ついていかない。
助けない。
それが私からの最後の試練だから。
「怖い?寂しい?」
私は胸に手を当てて、そう問いかける。
……ええ、少しは。
でもそれ以上に――
楽しみなの。
純粋無垢なあの子がどんな風を連れて帰ってくるのか。
あるいは…私のもとに帰ってこなくてもいい。
世界のどこかで風と共に歌い続けてくれるなら。
私は帽子を目深にかぶり巨神木『大地の巨人』にそっと手を置いた。
「……行っておいで、ジニア」
きっとあなたが無事に到着する頃にはあなたの楽器が産まれているはず。
大地の巨人と風はそっと寂しそうに微笑むエルフィナの想いを聞いていた。




