3章9話 文句の一つくらい言ってもいいだろ
窓の外を、次々と木々が流れていくのを、僕は眺めていた。夜の間に降っていた雨も止んで、晴れ間が見えてきている。
ずっと、色々なことを考えているような気もするし、流れていく景色のように、ただ流れているだけな気もしていた。
でも、ぼーっとしていることが多いのは自覚していて。だから、楽さんもおじいちゃんも。茜さんも、悠太も絵美も絵夢も、皆心配してくれているのはわかっていて、でもどうしようもなくて、僕はこうして座っている。
「あんまり外ばかり見てると、人によっては酔うからな? 詩音がどうかはわからんけど気をつけろよ?」
「酔い止めも用意したけど、飲んどく? あ、楽は? 飲み物いるときは言ってね?」
運転している楽さんが前を向いたままそう言って、助手席に座る茜さんが僕と、運転している楽さんに声をかけている。
茜さんの車だけれど、交代しながらということで、今は楽さんが運転していた。
茜さんが色々話をしたり、楽さんに気遣ったりしていて、こういうのを甲斐甲斐しいって言うんだろうか、僕はそう思いながら「ありがとう」と答える。
今向かっているのは、東京の僕が住んでいたところの近く。
中央道という高速道路に乗って行けば、お母さんがいるかもしれない場所に到着するのだそうだ。
地図で見せてもらったけれど、正直わからなかったけれど、でも、こうして連れて行ってくれる二人には感謝しかなかった。
◇◆
小学校の帰りに、僕は悠太や絵美、絵夢に事情を話した。
何でおじいちゃんと楽さんの家に来たか、これまでどうだったか、今どう思っているか。全然うまく話せなかったし、後半は特にわけが分からなかったかもしれない。
でも、聞いてくれてのそれぞれの反応は、簡単に言うと「会いに行けるなら、会いに行ったらいいじゃん」だった。
とてもさらりと、当たり前のようにそう言われて、僕が「いいのかな?」と恐る恐る尋ねるのに、絵夢が言ってくれた言葉も、僕の心に届いた。
『お母さんに会えなくて寂しいなら、寂しいって言わなきゃ。言って駄目って言われたら、仕方ないこともあるかもだけど、まずは言ってみなきゃ』
その晩のこと、僕はそわそわとしながらお風呂に入り、ご飯を食べて、勇気を出して楽さんとおじいちゃんに思っていることを伝えた。
お母さんに待っていてと言われたこと。
その時のお母さんはとてもつらそうで、悲しそうで、僕はいい子で待っていないといけないと思ったこと。
楽さんもおじいちゃんも優しくて、ここにいるのが嫌じゃないこと。
――――でも、お母さんがいないと、寂しいということ。
『じゃあ、行くか』
それに対しての楽さんの言葉はそんな風に驚くほど軽くて。
おじいちゃんも、それを当たり前のように頷くだけで。
後から楽さんに聞いたところだと、おじいちゃんも、歳でなければ行きたかったと言ってくれて、お金は出してくれることになったようだった。
そして、次の土曜日の朝。
茜さんが迎えに来てくれた車で、僕はこうして、窓の外を眺めている。
◇◆
「そんな不安そうな顔するなよ、詩音」
「楽さん……」
運転席から声をかけてきた楽さんの声には、どこか優しさが滲んでいた。バックミラー越しに僕を心配そうに見てくれているのがわかる。
「そうそう、それとも、私と楽の運転が不安かな?」
茜さんが続けて軽く冗談めかして言ってくれて、緊張なのか不安なのか、それとも頭がいっぱいでよくわからないのかわからない僕の心をほぐそうとしてくれていた。
「茜さん、ううん、そんなことないけど……その」
「まぁ、とはいえ不安は不安だよな」
僕がうまく言葉にならない心を持て余しているのをわかってくれていると言うように、楽さんがそう言った。
「もしかしたら会えないかもしれないなとか。会ったらどうしようとか。いっぱい考えて、でも、何も考えられて無くて。楽さんと茜さんにもありがとうって思ってて、それと、迷惑かなって――――」
二人はきっと、そんなことは言わない。
でも二人に迷惑をかけているんじゃないか、という気持ちが消えない。
「バーカ。詩音が行きたいって言ったのがきっかけではあるけどな……別にそれだけでもねぇんだぜ」
楽さんは少し呆れたような口調で、でもそこには温かい感情が込められていた。
「そうそう。なんだかんだ言ってさ、私達だって奏音さんとは長い付き合いだったんだからね」
茜さんがそう付け加える。
その言葉には、懐かしさと、少しの寂しさが混ざっているような気がした。
「だからさ、詩音を会わせてやりたいのもあるけど、それ以上にさ」
「……それ以上に?」
僕が、続く言葉を尋ねると、楽さんが笑みを浮かべる。そして言った。
「文句の一つや二つくらい、言ってもいいだろ。いきなり説明もなしによ、別に詩音とこうして会えたのは良いことだし、嬉しいけれど、それはそれとしてな。詩音も会ったらどうしようって迷ってるなら、俺と一緒にまずは文句だろ?」
「……ふふ、あはは」
僕はそれに笑って答えて、笑うと、不思議と少し心のもやもやは消える。
こういうところで、楽さんは優しいなと思うのだった。
それも、お母さんが昔行っていた通りで。
「それによ……詩音にとっては久しぶりの東京だろうけどよ。俺は実は初めてだからな? ちょっと楽しみだったりして。その土地の名物も食いたいな」
「楽ってば、出不精だもんねぇ。名物かぁ、東京ばな奈とか?」
「ちげえよ、そういうお土産じゃなくて、その土地特有の飲食店とかそういうのだよ……詩音なんかあるか?」
「ええ? うーん、お母さんといたときは、外で食べてたのはね…………マクドナルドとか、牛丼とか、カレーとか?」
「…………松本でも食えるなぁそりゃ」
「あはは! でも奏音さんらしいと言えばらしいけどね」
茜さんの言葉に、楽さんが頷いて、僕はそのやり取りに、若い頃のお母さんの影を感じる。それが少し、不思議だった。
お母さんにももっと若い頃があって、楽さんや茜さんも僕くらいの時があって。
そんな事を考えていたからか、目的地に近づいていく車の中で、僕の心はだんだんと軽くなっていくのを感じた。またふと窓の外を見ると、山々の間を通り抜けるトンネルの合間に見えた空に、薄い虹が見える。
(あ…………)
すぐにまた見えなくなってしまったけれど、何だか今日は、良いことがありそうな気がして、その『気がする』を、僕は離さないで済むようにして、少しだけ、目を瞑る。
そして、いつしか車の揺れと、瞼を閉じた暗さで僕の意識は薄らいでいった。




