3章3話 お母さん……?
(え……?)
とっさにおばあちゃんを支えて、ふっと視えてしまったそれは、あまり強い記憶ではなかった。
ただ、それは僕にとっては唐突過ぎるもので。咄嗟にもっと視たいと思っても、きっとおばあちゃんにとっても薄い記憶だったからかすぐに消えてしまった。
「あ……」
呆然としながら、僕は息を吐く事も忘れたように、声を漏らす。
その、掴めない雲みたいな、ぼんやりとしたイメージの中にでてきたのは、見間違うことも無いお母さんだった。
久しぶりに見るお母さんは、最後に見たときよりも少し痩せたように見えていて。でも、変わらない笑顔だった。
その後の楽さん達の声掛けに、なんとか大丈夫と反応しつつ、僕はどうしても聞きたいことを止められない。
「えっと、おばあちゃんは、もしかして僕のおかあさん……久我山奏音の、知り合いですか?」
それを聞いて、何かを視てしまったことを察したのだろう、楽さんと茜さんは何かを言おうとして、黙って聞いてくれる事を選んでくれていた。
そして、僕の言葉を聞いたおばあちゃんはというと。
「……かのん、さん? 詩音くんのお母さんのお名前かしら。そうねぇ……ごめんなさい、心当たりは全然なくて。ただ、もしかしたら忘れちゃってるだけかもしれないわ」
そう言って、考えながらどんどんと悲しそうな顔になっていくおばあちゃんに僕は慌てて言った。
「ううん、そんなことないよ! ちょっともしかしてって思っただけだから、ごめんね、こっちこそ変な事を聞いちゃって……あ、トイレはこっち、着いてきてね!」
そして、元々の目的のために、案内しながら、僕は考える。
(お母さんは、どうしても遠いところに行かないとけないから僕は一緒にいれないって言った。それがとても辛そうで、とても寂しそうで、でも沢山の好きを言ってくれた)
だから、僕は楽さんとおじいちゃんのところに来て、このまま暮らして行くのかなって思っていた。いつかはお母さんがやらないといけないことをしたら、戻っても来てくれるとも思っていた。
でも、いざお母さんの姿をこうしてみてしまったら。
「僕、どうしたいんだろう」
何かを言うつもりはなかったのに、口からそんな言葉が飛び出てきて、僕はびっくりした。
でも、言葉に出て、急に思う。どうしたいか。
そんなの、決まっていた。
「……おかあさんに、会いたいな」
楽さんは大好きだ。
いつも優しいし、沢山褒めてくれる。
好きなものも沢山作って食べさせてくれるし、色んな事も教えてくれる。
帰ったらいつも暖かくて美味しいご飯があって、僕の分のコップも、お皿も、何でもあって、凄くホッと出来るのは、楽さんのおかげだった。
おじいちゃんも大好きだ。
お母さんは、何を考えてるかわからないから、おじいちゃんと喧嘩ばかりしてたって聞いたけれど、無口なようでいて、実はとても感情豊かなおじいちゃんは沢山遊んでくれる。
背筋がピンと伸びていて、かっこいいとも思う。
おじいちゃんの友達も、皆、頭を撫でてくれるのが実は好きだ。
茜さんも、いつも気にかけてくれる。
楽さんの事をいつも目で追ってる、とても綺麗で優しいお姉さん。
にこにこと笑って明るくて、僕は楽さんといる時の茜さんの雰囲気が大好きだった。
絵美も絵夢も、悠太も。
友達だってできた。
だからきっと僕は今、とても幸せなんだと思う。
だけど―――――。
「おまたせしてごめんなさいね。待っていてくれたのかしら…………あら? 詩音くん、どうしたの?」
そんな事を考えていたら、トイレからおばあちゃんが出てきて、少しだけしゃがむようにして僕の顔を見てそんな事を言った。
「……あ、おばあちゃん。えっと、どうしたのっていうのは?」
僕は、怪訝そうな、心配そうな顔をしているおばあちゃんに首を傾げて、そして、その動作によって感触に気づく。
「あ、あれ……?」
急に、目から涙が出ている。
どうして? 痛くもないのに?
僕がそう混乱していると。
ふわりと、優しい匂いに包まれて。
「……おばあちゃん?」
僕は、大きいとは言えないおばあちゃんの腕に、ぎゅっと抱きしめられていた。
「大丈夫、大丈夫だからねぇ。ふふ、少し寂しくなっちゃったのかねぇ」
とても優しい声が耳元で聞こえる。
まるで子どもをあやすような声で、僕はくすりと笑ってもう赤ちゃんじゃないんだよと言おうとしたのだけれど。
「……あ……えっと」
なんだかその声に、胸がいっぱいになってしまって。
そして、そんな僕をそっと包み込むようにして、おばあちゃんが更に抱きしめてくれたところで、僕の中の衝動みたいなものが、いい子の僕を越えてしまった。
「……う……うぅ……うわーん」
もう、そこからはよくわからなかった。
僕の泣く声を聞いて、楽さんと茜さんが慌てたように来てくれてからも、帰ってきたおじいさんが何事かと驚いているときも、おばあちゃんのお迎えの人がピンポンを押してからも。
ずっと、ずっと、泣かなかった分を全部吐き出してしまうみたいにして、僕は泣き続けていた。




