3章2話 記憶
「なるほどな、それでとりあえずうちに来たと」
「うん、ごめん。どうしよってなった時に最初に思いついちゃって……」
俺は茜がそう話すのに大丈夫だと安心させるように頷いて、件の老婦人の方を見た。
ひとまず二人を家に上げて、お茶を淹れているところである。今は詩音と二人でにこにこと話をしてくれているので、お茶を蒸している間に、もう少し茜と話を詰めておきたいところだった。
「実際、俺も素人だしわからんのだが……」
「うん、多分認知症じゃないかなって思う。親戚でも最初はちょっとした直近の記憶から無くなっていって、最後はどんどん会話できなくなっていった感じだけど、恵美子さんは会話は普通にできるし、こうして住所のこととかなければわからなかったと思うから軽度なんだと思うんだけど」
「そうだな、めちゃくちゃ品があるし逆にそこでわかって良かったのかもな……ただ、娘さんとはぐれたってことは今頃探してるんだろうし、先に警察に連絡したほうが良かったんじゃねぇか?」
「うーん、それがねぇ」
「あ、一応言っとくが迷惑って意味で言ってんじゃねぇからな」
考えるように言葉を選ぶ茜に俺がそう付け加えると、茜はへへ、と笑って俺を見る。少し照れたような、そして喜んでいるような、はにかむような。
そしてそれを見て思い出したことがあった。
昔から捨て犬だの猫だの、迷子の子どもだの、そういうものをよく見つけては付き合わされたものだったか。
「……そういうとこほんと優しいよねぇ、楽は。まぁ実際警察は私も思ったんだけどさ。凄く申し訳無さそうに謝って、落ち着いているように見えるのに凄く悲しそうにも見えて、多分不安でどうしようもなく焦ってるのかなぁって感じたからさ」
「そうか」
「もしかして娘さんって人が近くにいたとしたら、余計なことしてって言われたかもしれないけどね……」
色々気がついて、そして気がつくが故に少しだけ気にしすぎるのは茜の良いところでもあるし悪いところでもあった。
「そりゃ考えても仕方ねぇだろ。お前は良いことをしたよ。それに、お茶でも飲んで、詩音みたいな子どもとちょっとゆっくり話したら、記憶も戻るかもしれないしな」
そんな茜にそう言って肩をとん、と叩いて、こくりと頷いた茜と共に詩音達の方に向かう。
「でねでね、教頭先生がちゃんと謝ってくれて、悠太と仲良くなれたの」
「あらあらそうなのねぇ、詩音くんはお話が上手だわ」
「あ、楽さん。お茶僕も飲みたい」
「おお、少しぬるめにしてあるぞ…………こんにちは改めまして、久我山楽と言います、こっちの茜とは幼馴染でして。これ、お茶です、良ければ一息いれていってください」
詩音が珍しくと言っては何だが、子供らしくこの老婦人には話しているようだった。そんな詩音にもお茶を出しつつ、俺も座って挨拶をすると。
「この度はお邪魔してしまってすみません。加納恵美子と言います」
「いえいえとんでもない。こういう時はお互い様ですから……むしろ驚いたんじゃないですか? 茜は時々強引だから」
恐縮したように、でも来た時に比べると少し落ち着いたように見える恵美子さんに、俺は少し冗談めかして聞いた。
すると、くすりと微笑むようにして、恵美子さんは告げる。
「うふふ、少し驚いてしまったのは確かだけれど、あのままだと一人でどうしても心細くなってしまったからね……それにしてもごめんなさいね、住んでいるところを忘れちゃうなんて本当に――――」
「そこは気にしないでいきましょう。とはいえ、何も聞かないわけにもいかないんで失礼ですけれど、荷物で連絡先とかそういうものはありませんか? 携帯電話とか身分証とか」
俺がそう言うと、恵美子さんは申し訳無さそうに首を振った。
そして、茜も補足するように口を開く。
「私も見たんだけどね、恵美子さんが持っていたのはこの小さなハンドバッグだけで、そこにもハンカチと数珠があるくらいでさ」
「そうなの……そのね、今日は私の古い友人の一周忌でね、娘夫婦に無理を言って連れてきてもらったのよ。はぐれる前の記憶はとても曖昧で、住所もわからないんだけど、それだけははっきり覚えているわ」
「なるほど……ところで気になっていたんですけれど、そちらの折り鶴は……?」
俺はバッグから見えているものを指さして聞いた。
普通の折り紙ではなく、随分と上質な和紙で作られているように見える。
「あぁこれはね、その友人が和紙の製造のお家に嫁いでね……それで頂いた紙で折ったのよ。あ、そうそう、思い出したわ! 確かひ孫さんがいてね、それで折ってあげたんだったかしら」
「あぁ! それなら私わかるかもしれません! ひ孫のお子さんがいて、和紙ですよね? それって坂井さんのお宅じゃないかな? 楽、私ちょっと電話してくる!!」
会話の中で、少しずつ恵美子さんは記憶を思い出していくようで、どうやら警察に連絡することも、詩音に頼ることもなく解決できそうだぞ、と俺はほっとした。
詩音はいつも、困っていたら助けるというノリだが、俺にはどうしても多用していいものだとは思わなかった。
「おばあちゃん、わかりそうで良かったね!」
「ええ、詩音くんや楽さん、茜さんがほっとさせてくれたおかげかしらね」
そう話していると、茜がバタバタと戻ってきて言った。
「よかった! ネットで電話番号調べたら載っててね、そこで繋がったんだけど、恵美子さんを探して警察にも届けたところだったって……見つかってよかったぁ」
「おお、それは良かった。で? この後は?」
「うん、迎えに来てくれるって……楽の家教えちゃったけどごめんね」
「いや、問題ない。ってかよく住所覚えてたな」
「……まぁそりゃ何度も書いたことあるし、番地が違うだけだからね」
茜と話をしながら、恵美子さんにも向き合うと。
「本当にお世話をかけました……そしてお恥ずかしいのだけど、お手洗いをお借りできるかしら? ほっとしたらちょっと行きたくなってしまって」
「あ、僕が案内するよ! こっちこっち」
恵美子さんの言葉に、詩音がそう言ったところで、立ち上がろうとした恵美子さんがよろけた。
だが、反応良く詩音が支える。
「おっと、大丈夫ですか? 詩音ナイス」
「あら、ごめんなさいね、詩音くん…………詩音くん?」
だが、どこかをぶつけたわけでもなく、倒れ込んだわけでもないが、詩音が支えたまま止まってしまっているのに俺達は気付いた。
「あ…………えっと、その、大丈夫」
詩音は俺達の心配そうな視線にはっとするようにしてそう答える。だが、どう見てもその顔色は先程よりも悪くなっているのは明らかだった。
そして、詩音はおずおずと、しかし躊躇うような口調で――――。
「えっと、おばあちゃんは、もしかして僕のおかあさん……久我山奏音の、知り合いですか?」
そう、恵美子さんに尋ねた。




