3章4話 トントンと響く温もり
泣いている詩音を見て、俺は立ちすくんでしまう。
恵美子さんに抱きついて、わんわんと泣いている詩音は、とても子供らしくて――――。
(俺は、俺と祖父さんは詩音を子どもでいさせてやれてなかったのかもしれない)
詩音はいわゆるいい子だった。
大人びてもいるし、言葉遣いも、受け答えも物凄くしっかりしている。
当たり前のように小学生の一般なんてわかっていなかったし、自分がどうだったかと言われると、正直楽自身の生い立ちが一般からかけ離れていることは自覚していた。
茜や友人たちのその頃なんてのは覚えていないし、他人から見た姿と、家の中の姿はまたぜんぜん違うだろうことは予想できる。
だからと言うと言い訳だが、詩音がいい子であることを、俺はきちんと考えていなかったのかもしれなかった。
俺も、祖父さんも、詩音のことを大事に思っているのは間違いない。でも、どこかで変に一線を引いてしまってはいなかったか。
――――。
段々と、反省に向かう心に引っ張られ立ちすくんだままの左手が、そっと握られる。茜だった。
何も言わずに、でも、詩音が泣いているのを見て何も声をかけられずにいる俺に、何かを伝えるように。
温かかった。
冷え切ってしまっていた俺の手を握ってくれた茜の掌の熱を通して、悪い方に考えてしまいそうだった俺の心がほどけていく。
「恵美子さん、ありがとうございます。そしてごめんなさい。ちょっとだけ、そのまま泣かせてやってもらってもいいですか?」
「…………(コクリ)」
恵美子さんは、こちらを向いて、そして詩音を見て、静かに頷いてくれた。
それに感謝して、俺は、茜にも向き合って感謝を告げる。
「茜も、ありがとな」
「もう大丈夫?」
そう聞いてくれるということは
同時に、先程の詩音の言葉と今の状態をあわせて、少し考えている事を実行に移すために、茜に告げた。
「あぁ……なぁ、茜。ちょっとだけ、わりいんだけど、頼まれてくれるか?」
俺は、茜に考えていた事を口にする。
少し驚いたような顔をした茜は、次にくすりと笑って「わかった」と頷いてくれた。
◇◆
―――――トントントン。
リズムの良い音がキッチンから聞こえてくる中で、私はお茶をお客さん達に出していた。
音の持ち主は勿論ここの家主である楽で、家の人間ではない私がお客さんの相手をしているのは実はおかしいような気もするけれど、でも嫌かというと全然嫌ではないので困ってしまう。ううん、困らないけれど。
「お嬢さん、ありがとうね。慌てて来たからホッとさせていただいたわ。先程は少し驚きましたけれど、でも、とても美味しいお茶ねぇ」
チャイムが鳴って、恵美子さんが若い頃はこうだったのだろうな、そう思うような上品な雰囲気の御婦人だった。
本当は、そのまま恵美子さんとお帰りになるところなのだけれど、詩音くんが沢山泣いたまま眠ってしまったのもあって、恵美子さんの好意で客間の和室に今も一緒にいてくれている。
(比較的小さいと思ったのに寝てる子ってあんなに重いんだって初めて知った……それにしても楽も少し思うところはあったみたいだけれど、詩音くんもまだまだ小さな子どもなんだもんね)
可愛い寝顔と、それを優しく微笑んで見てくれている恵美子さんを見ながら、私は恵美子さんの娘さん――桐華さんと名乗った――に答えた。
「ふふ、楽……さっきのやつがこの家の家主なんですけれど、料理が得意なんですよね。そしてすみません、少しだけ待って頂くことになってしまって」
「いいえ……とんでもないわ。こちらとしてもお母さんを助けていただいたお礼もしたかったし……なんだか更にお世話になってしまいそうなのだけれど」
「……ごめんね、きりちゃん。まさか家も連絡先もわからなくなっちゃうなんてね。情けないわ」
「いいのよ。それにお医者さんもそうやって焦るのが一番良くないって言ってたじゃない。私の方こそ、少し電話して離れてしまって申し訳なかったわ……」
話を聴くと、まだ軽度とはいえアルツハイマーの診断を受けている恵美子さんと東京の方から車で来られたのだという。その中で、買い物途中で仕事の電話がかかってきて、その間に恵美子さんの姿が消えてしまって本当に焦っていたのだとか。
「でもそれなら、実は私が見つけた場所と時間とあまり変わらなかったですね。かえって余計な事をしちゃったのかもしれないです」
「とんでもないわ! ねぇお母さん」
「ええ、ええ。パニックになっていた私だもの。夕暮れ時で事故にあっていたかもしれないし、改めて茜さんには感謝でしかないわねぇ」
話を聞いていて、もしかしたら現場から離してしまったのは悪手だったのではないかと思って私がそう言うと、二人はそれを揃って否定してくれた。
そして話を聞いていくと、元々、気をつけないといけないとはわかっていながら、恵美子さんは普段は本当に症状を感じさせず、つい油断してしまったのだとか。
ただ、それはとても良くわかる。話していても、初対面の時のあの怯えた雰囲気がなければ、私もイメージできなかっただろうから。
「いえいえ、こちらもこうして詩音くんについても、お世話になっていますし……それにしても桐華さんも恵美子さんも、楽が変な提案をしてしまってすみません」
私はそう、綺麗に正座をしている二人に言った。
提案というのは、今のキッチンからの音にも関係するもので、簡単に言うと時間も時間なので夕食をご馳走させてくれないかというものだった。
『不躾なお願いですみません。もしも……もしもお時間があれば、そして予定がなければ、詩音をもう少しそのままにしてやってもらえませんか? 後、その……少しだけ先程の件でお話させてもらえたらと思いまして、夕食をごちそうさせていただけないでしょうか?』
楽は、そう二人に頭を下げた。
それに、当たり前のように桐華さんは戸惑う様子を見せたが、恵美子さんがそんな桐華さんに言ってくれたのだった。
『きりちゃん、ごめんなさいね。迷惑ついでに、私ももう少しこの子とお話してもいいかしら……? 多分泣き疲れて寝てしまったけれど、もうすぐ起きると思うから……ふふ、懐かしいわねぇ』
そして、それに深々と一礼をすると、楽は私に後は任せたとキッチンに引っ込んでいったのだった。
強引ではあるけれど、私は楽の考えていることが少しはわかる。
おそらく楽は詩音くんが知りたいであろうことをもう少しだけ深堀り出来る時間を稼ぎたかったんじゃないか。そしてそれは私も同じだった。
そんな私の改めての話題に、恵美子さんは微笑む。
「いいえ、とんでもないわ。何やら事情もありそうですしね……それにしても茜さんと楽さんは恋人同士なのかしら? 親子と言うには流石に少し詩音くんは大きいけれど」
「ええっ!? そんな――――」
そして、からかうわけでもなく自然に尋ねられた内容に、私は反射的に声を上げてしまった。その声に目を覚ました詩音くんは、眠たげな目をこすりながら恵美子さんや私の方を見渡して不思議そうな表情をする。
「んん……おかあさん…………? あれ? あ、僕ずっと泣いて」
説明しようとしたその時、鍵が開く音がして、玄関からも聞き覚えのある声がした。
「……楽? 詩音? 誰かお客さんが来ているのか?」
それに、私はそれぞれの顔を見渡すようにして。
「あ、楽のおじいさんも帰ってきたみたいですね。詩音くんもおはよう、起こしちゃってごめんだけどちょうどよかったかな。ちょっとおじいちゃんにも説明するからまっててね」
そう言って席を立ったのだった。




