第6話 眠れる森のヌシ
翌日。
ルーカスは南方の森に向かった。薬に使う薬草を採りにきたのだ。
「やっぱり、朝は綺麗だなぁ……」
始まりを告げる陽光が、朝露を神秘的に照らす。茂った木々が、きらめく粒を身にまとって静かに林立する光景は、「朝の星空」と呼ぶに相応しかった。小鳥のさえずりと川のせせらぎが森の奥から優しく響く。風が吹けば、草木がざわりと靡く音が運ばれてくる。
動植物が織りなす秩序の地——人はそこを、こう呼ぶ。
【豊穣の森】と。
「さてと、昼前までには終わらせよう」
辺りを見渡してから、ルーカスはポケットから手帳を取り出して、メモを確認した。今日の採取目標は「癒命草」「ハルティアの蜜」「ピュアハーブ」、そして「サナト草」の四つ。癒命草とハルティアの蜜は傷薬に、ピュアハーブとサナト草は解毒薬に使われる。
足元に注意を払いながら、彼は森の奥へと歩みを進めた。湿った土の匂い、踏みしめるたびに静かに鳴る落ち葉の音。全てが穏やかな朝を告げている。
最初に辿り着いたのは、小さな池のほとりだった。その水面から顔をのぞかせた葉が、朝露を受けてきらきらと静かに揺れている。これが「癒命草」だ。
ルーカスは小鎌を手に取り、茎の半ばから慎重に刈り取った。多くの人は根元から引き抜くか、無造作に引きちぎって採るが、彼はそうはしない。断面を綺麗に残しておくことで、短期間で再生させられるからだ。
(本当は、自室で栽培できればいいんだけどなぁ……)
ルーカスも、過去に採取の手間を省こうと考えて、自室栽培をしてみたことがある。しかし、狭い部屋では陽当たりが悪く、栽培できる量は限られていて、収穫にも時間がかかる。
一方で、この森は土壌が特殊で、再生能力が桁違いなのだ。普通に植木鉢を使って切り戻しをするよりも速く成長してくれる。
「冒険者ギルドを経由して、依頼した薬草を調達してもらえば良いのでは?」と言われることもある。けれど、当然ながら費用がかかってしまう。
だからこそ、こうして森に足を運び、自らの手で採取するのが一番の近道だった。
「このくらいあればいいか」
いっぱいになった麻袋を見て、ルーカスは満足げに頷いた。よし、この調子で残りの材料も集めてしまおう。そう思いながら背負子に袋を詰めていた、そのときだった。
「……足跡?」
ふと目に留まったのは、地面に刻まれた、大きな獣の足跡。だいたい長さは一メートル、幅は六十センチ。五本の指と爪がはっきりと押し付けられたそれを見て——ルーカスは昨日のクロムとのやり取りを思い出す。
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それは、カフェでカップを片手に、クロムと進捗を語っていたときのことだ。
「そういえば、ルカって薬草調達はどうしてるんだ?」
「ん? 南の森で採ってるよ」
その返答に、クロムは急に真顔になった。
「だったら……気をつけろよ」
その深刻そうな表情に、ルーカスは思わず眉をひそめる。
「どうして?」
「最近な、あの森で狂爪大熊が目撃されたって話を聞いたんだよ。Cランク相当の魔物なんだが、妙に気が立ってるらしくてな。縄張りに入った冒険者を、追い払うだけじゃ済まさないって話だ」
「うわ……怖いね、それ」
クロムが先日討伐した緑竜も同じくCランクだそうだが、この魔獣はそれよりも厄介で、脅威なのだという。
「……友人として、討伐されるまでは近づいてほしくないが……そうもいかねぇんだろう?」
「あはは……そうなんだよね。でも、忠告ありがとう。もし遭遇したら……すぐに逃げるようにするよ」
万一のことがあってはならないと、ルーカスはその話を胸に留めることにした。
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「まさか……ね?」
ルーカスの顔が引き攣る。土の上にくっきりと残された足跡。その主を思い浮かべた瞬間、胃の奥がひやりと冷えた。
風がやむ。森のざわめきが、不意に止まった。まるで、森そのものが何かに警戒して息を潜めたかのようだった。
(……まさか、本当に……?)
そのとき——
「グォォ……グルルル……グガァ……」
低く、地鳴りのような音が大気を震わせる。ルーカスは思わず息を止めた。木々の向こうから、獣のいびきのような音が漏れてくる。
恐る恐る、音のする方向に目を向けると——ソイツはいた。
全長五メートルはあろうかという、巨大な熊。目につく特徴頭に荒々しく逆立ったモヒカン状のたてがみ。むっくりとした肉付きのいい巨体を仰向けに投げだし、盛大にいびきを立てている。
間違いない——あれが“狂爪大熊”だ。
その存在感に圧倒され、肝が冷える。だが、仰向けに転がって爆睡している様子からして、ちょっとやそっとの音では起きそうにない。ひとまずは安堵の息をついた。
(……でも、なるべく早めに終わらせて、この森から出た方がいいかもな……)
警戒を怠らぬまま、ルーカスは慎重に距離を取りつつ森の奥へと進んでいった。




