第5話 酸いと苦みの、その先に
「ルカ兄のせいだッ‼︎」
ジンから浴びせられた一言に、ルーカスは息を呑んだ。
「アイツら……毎週来てんだよ! さっきみたいに、『金がないなら子どもを寄越せ』って‼︎ ルカ兄のせいで……みんな、ずっと怖い思いしてんだ‼︎」
震える声に、怒りと悲しみが入り混じり、響きは言葉にならないほどの痛みを孕んでいた。ジンは目を逸らさず、ただまっすぐルーカスを見据える。
「……そうだったんだね……」
真っ直ぐで激しい訴えに、ルーカスの胸がぎゅっと締めつけられる。ジンたちは、いつ連れ去られるかわからない恐怖と戦っていた。
「……ごめんね。僕が不甲斐なくて——」
「ごめんで済むかよっ‼︎ ふざけんなよ、元凶がっ‼︎ みんなに迷惑かけてるのがわかってるなら、さっさと金を渡せよ‼︎ なんで錬金術師なのに“金”も作れねぇんだよっ‼︎」
声が裏返るほどの怒号。ジンの怒りは、とうとう頂点を超えた。
「金を生み出すこともできない錬金術師なんて——役立たずじゃないかッ‼︎」
雷鳴のように響き渡った言葉に、場の空気が凍りついた。
一拍の静寂。誰もが息を呑み、言葉を飲み込む。
その静寂を破ったのは——マーガレッタだった。
「ジン」
低く、しかし確かに届く声音。毅然としたまなざしで、彼女は少年を見据える。
「その言葉は……撤回なさい。人は誰であっても、役立たずではありません。誰にでも、できることと、できないことがある。それだけのことです」
「でも……クロム兄はアイツらを追っ払えた‼︎ ルカ兄はアイツらを呼び寄せたんだ‼︎」
声が震える。けれど、目は逸らさない。
「ルカ兄の事情で……俺たちを巻き込むなよッ‼︎」
瞬間、その言の刃は、ルーカスの胸を切り裂いた。静かに、深く。切り傷のように確かな痛みが、そこに残った。
「……そうだね。ジンの言う通りだ」
自分の勝手な事情で、大切な仲間を危険に晒している。それは紛れもない事実で、ジンの心からの怒りは至極真っ当だった。だからこそ、ルーカスは言葉を潔く受け入れた。
無力な自分に対する「役立たず」という言葉も、受け入れるにほかならなかった。
「……だから、自分なりに……できることをしなくちゃいけない。もう二度と、あんな奴らが来ないようにするためにも……」
ルーカスは立ち上がると、テーブルに置いていた手袋と手帳を手に取り、そっとポケットに仕舞い込む。
「……僕はこれで失礼します、マーガレッタさん。月末には、残りの分を持ってきます」
「ルーカス……」
マーガレッタの、苦しみと悲しみが滲んだ声が、ルーカスの胸を突く。だが、同時にその声が——もう二度と危険な目には遭わせまいという、彼の覚悟を後押しした。
ルーカスは背を向けて扉へと歩き出す。そのとき、不意に袖を掴む小さな手があった。ユオとルミナだった。
「ルカ兄……ルカ兄の錬金術、すごかったよ……」
「だからね、続きを、教えてほしいの……」
二人の声には、どこか悲しみを含んだ、けれど懸命な想いが滲んでいた。必死に彼を引き止めようとするその姿に、ルーカスは心の奥が揺さぶられる。
それでも、眉を八の字に寄せながら、彼はそっと謝るように告げた。
「……ごめんね。今日は、このあと仕事に戻らなきゃいけないんだ。また今度、ちゃんと教えてあげるよ」
それを聞いた二人は、肩を落とし、少し残念そうに俯いた。だが、すぐにルミナが顔を上げる。首を横に振って、いつものように笑ってみせた。
「……うん。わかった。今度は絶対に教えてね。約束だよ、ルカ兄!」
ルミナの笑顔に、ルーカスは苦笑を浮かべて頷く。それに感化されたユオも、いつものように元気な声で約束を交わす。
「……ルカ兄の錬金術、また見たい! 俺、勉強頑張るから、今度こそ教えてほしい!」
ユオはやんちゃで、勉強が嫌いだ。そんな彼がここまで言うのならば、ルーカスが積み上げてきた錬金術は、決して「役立たず」などではない——
……そう思いたいところだ。
ジンの言葉は、いまだ胸の奥で錆びた棘のように引っかかっている。それでも、ルーカスは二人を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……うん。約束するよ。元気でね」
そう言い残し、彼は扉を開けて孤児院を去っていった。
〜〜〜〜〜
さて、仕事があると口にしたルーカス。だが、彼が向かった先は、作業場のある自宅でも、薬の取引先でもなかった。
橙色のランプの灯りに照らされた、焦茶の木材が温もりを醸す内装。人々は温かな茶を片手に談笑し、穏やかな時間を過ごしている——憩いの場、喫茶店だった。
そのカウンター席の一隅で、ルーカスは静かに腰を下ろし、手にしたカップの中をじっと見つめていた。
(……僕は……ジンのことを何もわかっていなかった)
湯気とともに漂う、コーヒーの苦い香り。その匂いに乗って、ジンからの針のような視線と、浴びせられた言葉が脳裏に甦る。
——ルカ兄のせいで、みんな、ずっと怖い思いしてんだ‼︎——
——ふざけんなよ、元凶がっ‼︎——
思いきりぶつけられた、荒っぽい言葉の数々。けれど、その奥にはあったのは——年長者として下の子を守らねば、という責任感だったのかもしれない。
それに、あの言葉はジンひとりの想いではないはずだ。ルミナやユオは何事もなかったように寄り添ってくれていたが……心のどこかで自分を責めているのかもしれない。彼にはそう思えてならなかった。
口に運んだ微糖のコーヒー。けれど、心に染みたのは、いつもより強い苦味だった。
「やっぱり、ここにいたんだな」
ふと隣から聞き慣れた声がした。顔を上げると、クロムがいつの間にか隣の席に腰を下ろしていた。
「やっぱりって……どうしてここを?」
問いかけると、彼はいつもの調子で肩をすくめて言う。
「んー……勘、だな。なんとなく。ルカなら、こういう時はここで一服してる気がしてさ」
クロムはそう言って、目の前のカップをちらりと見た。
「ほらな、やっぱ図星だった。それ、ブラックか?」
「いや……ちょっとだけ砂糖を入れてる」
「へぇ〜。苦くねぇのか?」
クロムが茶化すように笑う。だが、返ってきた声は静かだった。
「……もちろん苦いよ。特に、今回のはね」
「ははっ……そりゃ苦いのも当然か」
クロムは片手間に手を挙げて、ミルクティーを注文する。冗談のような、慰めのような空気が残る。
「にしてもよ、ジンも無茶なこと言うよなぁ。『錬金術師なのに金も作れない』なんてよ。ま、アイツもまだまだ未熟だから仕方がねぇかもしれねぇが」
「そうだね……けど、言いたくなる気持ちは……痛いほどわかるよ」
口にした瞬間、苦笑が漏れる。責められて当然だという思いと、それでも胸に刺さる言葉の痛みに、どうしようもなく板挟みにされている気がした。
「……『役立たず』。わりと的確な評価だよ。私情に巻き込んでおいて、何の責任も、守ってやることもできない……」
手に持ったカップは、細かく震えていた。それは、無力な自分へのやるせなさが染み出た、心からの震えだ。
「……僕は、強くなりたいよ……クロムみたいに、アイツらを立ち退かせるくらい、強い人間に……」
ルーカスの震えた声に、クロムは軽く肩を叩いて返す。
「何言ってんだよ。ルカは十分に強いだろうが……」
「……えっ?」
「たしかに、ルカはアイツらをギャフンと言わせられるほどの力は持っちゃいない。けどよ、それって、“強さの種類”が違うってだけなんだよ」
クロムは、肩をすくめるように言いながら、丁度やってきたミルクティーの湯気をぼんやりと見つめた。
「ほら……マーガレッタさんも言ってたじゃねぇか。誰にでも、できることとできねぇことがある、って」
「……わかってるよ、そんなことくらい。でも、それでも悔しいんだ……」
ルーカスは俯いたまま、右手を強く握りしめた。拳が小刻みに震える。
たとえ自分に別の強みがあっても、それで目の前の仲間たちを守れなかったのなら、何の意味があるのか。責務を果たせなければ、「役立たず」という言葉が否応なく突き刺さる。
現実は残酷だ。あの二人から孤児院を守るには、錬金術が得意なだけでは通用しない。
クロムの言葉は優しさだったのだろう。それでも、今のルーカスには、それが強者視点の慰めにしか聞こえなかった。無力な自分を、静かに突き放すような響きがあった。
不貞腐れた思考が、じわじわと心を蝕んでいく。けれど、クロムの言葉が、絡みついた根を端から端まで引き剥がした。
「……だったら、支える側として強くなればいいさ」
不意に返された言葉に、ルーカスは顔を上げた。
「ルカにしかできない錬金術で、いろんな人の信頼を掴み取って、任せればいい。誰かの後ろじゃなくて、誰かの背中を預かるような強さだって、あるだろ?」
そう言って、クロムはニカッと笑った。
その笑みはどこか軽やかで、だけど確かに——「一人で抱え込むなよ」「いつでも頼れよ」と、そう語りかけてくるようだった。
「クロム……」
「なんだよ、水臭い顔して。俺だってルカにだいぶ助けられてるんだからな」
そう言って、クロムは腰のポーチから小さなガラス瓶を取り出した。中では、淡い黄緑色の液体がとろりと揺れている。
「……それって……!」
「ああ、ルカが作った傷薬だよ。効き目は抜群だし、評判もいい。正直、他所じゃこのクオリティ、三倍の値段でもおかしくねぇってさ。……実はな、シャンフランの方じゃ、けっこう絶賛されてるぜ。『流通してないのが残念だ』って声も聞いた」
ルーカスは驚きに目を瞠った。
生まれてこの方ゼルドアの外に出たことはなく、製品も街中の小規模な流通にとどまっていると思っていた。まさかあの【商業都市】シャンフランで、自分の錬金術が高く評価されているとは思ってもいなかったのだ。
「……そうだったんだ」
興味本位で始め、紆余曲折の末にマーガレッタへ借りを返すためにコツコツと積み重ねてきた錬金術。それは——決して、「役立たず」などではなかった。
ルーカスがほんのわずかに顔を綻ばせるのを見て、クロムはさらに言葉を続けた。
「なぁ……覚えてるか。俺が冒険者やろうぜって誘ったときの誓い」
ルーカスの脳裏に、ありし日の記憶が甦る。自己嫌悪のせいですっかり記憶の片隅に追いやっていた約束。
「……『俺が前に立つ。だから、おまえは全力で支える』だったっけ」
「『それで最強になって、Sランクに成り上がろう』とも言ったっけな……」
——冒険者としての大成は、結局叶わぬ夢だった。
けれど、あのとき誓った各々のあり方は——これから紡いでいけるかもしれない。
「……本当にありがとう。クロム」
「いいってことよ。これからもよろしく頼むぜ、相棒!」
すっかり冷めた飲み物を、二人は肩を並べて呷る。
コーヒーの苦味が、ほんの少しだけ、和らいだような気がした。




