第4話 しがらみの訪問者
楽しい会食の時間は夢のように過ぎていった。
リザが作ってくれた牛肉のスープと、懐かしさを感じさせるライ麦パンは、みんなの心もお腹も優しく満たしてくれる。元気いっぱいなユオや、食いしん坊のピリカは、なんと三杯もおかわりしていた。普段は台所に立つマーガレッタも、娘のようなリザの料理を口にして、どこか嬉しそうに目尻を下げていた。
「まだまだあるから、いっぱい食べてね〜!」
沢山食べて満ち足りた笑顔を浮かべる子どもたち。その様子に、リザも満足げに頷いていた。
食事をしながら、クロムの冒険譚やリザのちょっとした恋バナにも花が咲いた。子どもたちは目をキラキラと輝かせながら話に聞き入り、笑い声があちこちで飛び交う、穏やかなひとときだった。
「作りすぎたかと思ったけど、みんながいっぱい食べてくれたから、お鍋すっかり空っぽになっちゃったよ!」
「リザお姉ちゃんのお料理、とっても美味しかった!」
「また作ってね!」
ロウとピリカの言葉に、リザは思わず頬を赤らめながら、はにかむように笑顔を見せた。そこへ、マーガレッタからも声がかかる。
「リザ、とても美味しかったわ。前より腕を上げたわね。宿屋のお仕事も、頑張るのよ」
「うん、ありがとうマーガレッタさん! それじゃ、お皿洗うから集めてね〜!」
リザの呼びかけに、ルミナとジンが率先して食器の回収に動き出した。手前の席から順に集めていき、やがてジンがルーカスの元にやってきた——その瞬間、ルーカスはふと胸の奥がざわつくのを感じた。
「ありがとう、ジン」
そう声をかけた次の瞬間、返ってきたのは思いがけない反応だった。
「っ……」
ジンの目がほんの一瞬、鋭く細められたのだ。わずかに睨むようなその視線は、まるで氷の刃を喉元に突きつけるようで、ルーカスは思わず身体を強張らせる。
(……今の、なんだったんだ? まさか、何か怒られるようなこと……したかな?)
思えば、さっきここへ来たときも、ジンは睨むような目をしていた。
ジンは寡黙な少年だが、少し乱暴な一面がある。かつては下の子に手を挙げたこともあり、その都度マーガレッタからきつく叱られて、しぶしぶ大人しくなっていった。
だが、それは「反省」というよりは「怒られるのが嫌だ」という動機にすぎない。ルーカスにはそう見えた。
(僕になら……吐き出していいって、思ってるのかもしれないな)
あの視線は怒りというよりも、きっと、小さな発散だ。ただ……向けられた側としては、やっぱり少しこたえるのだ。
ルーカスは若干の苦笑いを浮かべながら、食器を運んでいくジンの背中を見送った。
すると、すぐ横から無邪気な声が飛んでくる。
「ねぇルカ兄、錬金術のこと、もっと教えて!」
「俺も俺もっ!」
ルミナとユオが目を輝かせながら、勢いよく迫ってきた。
「いいけど……難しいよ?」
「頑張ってわかるようにする!」
「はは…わかったよ。それじゃあ、基礎の部分を軽く教えてあげるね」
ルーカスはズボンのポケットから手帳と手袋を取り出した。
「やったー!」
「どんなこと教えてくれるの⁉︎」
期待に満ちた二人の声に囲まれ、ルーカスが口を開こうとした——そのときだった。
コンッコンッ
乾いたノックの音が、空気を一変させる。
一瞬、誰もが動きを止める。笑い声も弾む声も、途切れるように静かになった。
その中で、ただ一人——マーガレッタが無言のまま立ち上がり、扉へ向かって動き出す。彼女がゆっくりと扉を開けたその先には——
筋骨隆々とした男たちが二人。無言で立ち、マーガレッタを睥睨していた。
「よう、紛い物の修道女さんよ。ちょいと集金しに来たぜ?」
睨みを利かせて、低く唸るような声でそう言ったのは、右腕から顔にかけて蛇の刺青を這わせた男。この街で、その姿を知らない者はいない——【黒蛇】のランゲス。貧民街の誰もが口にするのをためらう、札付きのならず者だ。
マーガレッタは鋭く目を細め、静かに答える。
「……悪いけど、まだお金は用意できていないわ」
「へぇ……じゃあよォ……いつになったら返せるってんだ、あァッ‼︎」
唐突に響いた怒声に、室内の空気がピリつく。声を上げたのは、ランゲスの隣に立つ男——左腕に鴉の刺青を入れた、やつれた目つきのならず者だった。ランゲスと並び称される貧民街の悪党、【黒爪】のクロウズである。
「……そうね。あと一年はかかると思うわ」
「一年だァ? この間も全く同じこと言ってたな………ふざけてんじゃねぇぞ‼︎ このクソアマがァ‼︎」
バァンッ‼︎
怒号と同時に、クロウズが扉を力任せに叩きつけた。重い音が室内に響き、空気が張り詰める。その威力に、天井の埃がぱらぱらと降ってきた。
咄嗟に、クロムとリザが子どもたちを腕の中に引き寄せる。怯えた子どもたちは二人にしがみつき、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。しかし、ただ一人、ジンだけは隠れながらも男二人に鋭い眼光を向けていた。
その様子を横目にしながらも、マーガレッタは一歩も引かず、毅然とした声で言葉を紡ぐ。
「十年以内に返すと約束したはずよ。それに——全額一括で、という条件だったでしょう? 期限はあと一年。それまでには返すわ」
静かに、しかしはっきりと告げるマーガレッタ。だがクロウズは今にもまた怒鳴り出さんとばかりに身を乗り出し——その肩を、ランゲスが無言で手を伸ばして制した。
「……そうだな。たしかにそういう約束だったなぁ……」
ぽりぽりと頭を掻いて納得したように呟くランゲス。だが、その目は細く、笑みもない。そして、隣のクロウズもまた、視線を奥にやり、冷や汗を浮かべて立ちすくむルーカスと、怯える子どもたちをじっと見ていた。
「……けどなぁマーガレッタさんよぉ……物事には“限度”ってもんがあるんだぜ。上はかなり頭にきてる。……早く取り立てなきゃ、今度は俺たちが命を取られるかもしれねぇんだよ……」
ランゲスの眼が鋭く光る。
「それによ……今は借主ご本人様がいるじゃねぇか」
その一言に、ルーカスの心臓がドクンッと跳ねた。
悪い予感が確信に変わる。ランゲスはにやりと口の端を吊り上げ、じり、と一歩ずつ足音を響かせながらルーカスに視線を突き刺した。
「……なぁ、青髪。オメェの親父が作った借金はよ、オメェの借金だ。もうガキじゃねぇんだろ? だったら——覚悟くらい決めてるよなぁ?」
「……ちゃんと払うつもりです。準備も進めています。だから今回は……見逃してください……」
ルーカスの声は低く、震えていた。けれど、目は逸らさなかった。
「……見逃すだぁ? どの口が言ってんだか……」
ランゲスの眼光がギロリと光り、剣呑な気配が空気をひりつかせる。
「なぁ、オメェ【錬金術師】なんだろ? だったら宝石とか、それこそ“金”も作れるんじゃねぇのか?」
下卑た笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と迫るランゲス。その威圧に対して、ルーカスは静かに、しかしはっきりと答えた。
「……錬金術では、金を作ることはできません。倫理の問題でなく、原理として不可能なんです……」
一瞬の沈黙。ランゲスの目が細くなり、次の瞬間に吐き捨てるような声が返ってくる。
「へぇ〜そうかい……『金を錬る術』で“錬金術”って割に、肝心の“金”も出せねぇ。……そりゃ役立たずもいいとこだな。そこら辺に転がってるゴミと一緒に這いつくばってるのがお似合いだ……青髪のクズが……」
「つまらない話だ」と言わんばかりに、ランゲスは盛大に舌打ちしながら肩をすくめる。けれど、その目にはどこか余裕と嘲りの色が浮かんでいた。
「でもよぉ……ここで手ぶらってのも、俺たちの立場がねぇんだよ。上にも顔向けができねぇ……」
そう言いながら、視線を奥のテーブルに向ける。その先には、怯えた子どもたちがリザとクロムにしがみつき、身を寄せ合っていた。
「——だからよ。ここはひとつ俺様の慈悲深ぁ〜い提案ってことでさ」
口の端を吊り上げ、にやにやと笑みを浮かべながら、ランゲスは指先で扉の奥を指し示した。
「そこで震えてるガキどもを、ひとりふたり——“手土産”によこしてくれや。育ち盛りで、よく動きそうだ。労働力としてなら買い手もつくだろうしなァ……?」
その場の空気が、完全に凍りついた。
リザが、クロムが、子どもたちを庇うように立ち上がる。ピリカは怯えてリザの身に顔を埋め、ロウやジンも必死に息を殺していた。その光景に、ルーカスの胸の奥が熱くなった。言葉では表せない、怒りと悔しさ、どうしようもない衝動がせり上がってくる。
そのとき、場の空気を切り裂くように、凛とした一喝が響き渡った。
「お待ちなさいっ!」
立ち上がったのは、マーガレッタだった。目元を吊り上げ、額には深い皺が刻まれている。ゆっくりと袖口に手を差し入れ、そこから銀の短剣を引き抜いた。
「それ以上踏み込むのであれば……私とて容赦はしませんっ!」
凛とした声は決して大きくない。けれど、張りつめた威圧と、覆い隠せない決意がその全身から滲み出ていた。
「借金は、私が払うと約束をした。債務者が私に代わったなら、ルーカスにも、あの子たちにもその責務はありません!」
鋭い声が空間を突き刺したあと、しばしの静寂があった。
「へぇ〜いい度胸してんなぁババア……けどな、そんなちゃっちい刃物振り回したところで、何も変わんねぇってのっ!」
クロウズが低く笑う。だがそのとき——
「変わるさ」
不意に、その場に重い声が落ちた。
クロムだった。子どもたちを背にかばったまま、無言で立ち上がる。彼の手も、腰の剣の柄に添えられている。
「俺の仲間に手を出すってんなら……その“鴉の翼”でも、“黒蛇の皮”でも、まとめて引っ剥がしてやるぜ?」
声音は淡々としていた。だが、その裏に潜む冷徹さと底知れぬ威圧感が、場の空気を一気に変える。
「んだぁ? テメェ、何様のつもりだぁ……」
矛先を変え、にじり寄るクロウズに、クロムは一歩も引かず、鋭い眼差しを向けた。
「クロムだよ……【炎獣の牙】の剣士さ」
一瞬の沈黙。クロウズの顔が徐々に青ざめていく。
「なッ……⁉︎ おいおい、テメェ……まさか、あの“【牙狼】のクロム”ってヤツかッ……‼︎」
震わせたその声には、明らかに動揺の色が走っていた。
「その様子じゃ、俺の武勇伝も……それなりに巷に届いてるみたいだな」
つい先日、西部の森の緑竜が一人の剣士によって討たれたという話が、裏社会にも瞬く間に広まったばかりだ。それも、仲間の助けなしに、一対一で仕留めたというのだから驚きだ。
無謀とすら言われたその戦いを制した剣士の名——
それが“【牙狼】のクロム”だった。
「で、どうする? 腕試しがしたいってんなら……表に出ようぜ」
目をギラつかせて、クロムは犬牙を剥き出しに不敵な笑みを浮かべる。
「……もちろん、アンタらの得意な場所でな?」
その一言は、もはや彼の二つ名を体現していた。ゴミを漁る汚れた鴉と、じめじめとした地を這う蛇を狩らんとする——“猟犬”の自信に満ちた顔つきだ。
これには、隣にいたランゲスも苦い表情を浮かべる。一介の冒険者とはいえ、緑竜を倒した【牙狼】とやり合うのは、流石に分が悪い。彼の脳裏に「万一の結末」がよぎったのだろう。
「……ちっ、覚えてろよ、クソ犬がッ……!」
ランゲスは唾を吐き捨てるように言い残し、クロウズとともに踵を返す。その背に緊張を帯びた空気だけが残された。最後の足掻きとばかりに、扉をバンッ‼︎と叩きつけるように閉めていく。まるで破壊を誇示するかのようなその音が、しばらく室内に鳴り響いていた。
やがて足音が遠ざかり、静寂が訪れる。
マーガレッタは小さく息を吐き、手にしていた短剣を静かに袖の中に仕舞い込んだ。
ようやく訪れた安寧。その静けさを破るように、ピリカが堰を切ったように泣き出した。
「うっ……うわぁぁーんッ‼︎ コワかっだよぉー‼︎」
「ひぐっ……連れてかれると思っだぁーっ‼︎」
「……怖いの……イヤッ……!」
泣きじゃくるピリカに続き、ロウやマルナも堪えていた感情を爆発させ、リザやクロムにすがるように身を寄せていく。
ルーカスのもとにも、ルミナとユオが駆け寄ってきた。ロウたちの先輩という自覚からか、二人は涙を堪えたまま——それでも何も言わず、そっと身体を彼に預ける。
「……怖い思いをさせちゃったね」
二人から伝わってくる細かな震えに、ルーカスはただ己の無力さを痛感し、唇を噛み締めた。
子どもたちの泣き声が徐々に落ち着きを取り戻していくなか、重たい足音と共に、一人の少年がルーカスの前に現れた。
ジンだった。
目は潤み、顔は真っ赤。けれど、泣いてなどいなかった。そこにはただ——怒りの表情があった。
「……ルカ兄の、せいだっ‼︎」
投げつけられた怒声が、室内に木霊した。




