第3話 孤児院にて
工房を出たルーカスは、まず孤児院へと向かった。恩人——マーガレッタにお金を渡すためだ。
「これだけあれば、金貨四枚……いや、五枚分は返せる」
今回の報酬は金貨七枚。うち二枚は家賃に充て、残った五枚をマーガレッタに渡すことに決めた。食費や雑貨費は今まで通りその日その日で稼げばいい。今はただ、恩返しをしたかった。
「それにしても……相変わらず荒れているな……」
それもそのはず。孤児院があるのは貧民街区だからだ。
ひび割れた石畳、崩れかけた壁、煤けた窓、腐って穴の空いた板材の屋根。遠くからは口論の声が響き、道路沿いに座り込む人々の表情はどこか影が差していた。幼い子供も、お腹を空かせて蹲っている。
かつての自分も、ここにいた。はっきり言って、見ていて気分が良いものではない。ルーカスは歩みを進めながら、過去の記憶と重なる景色を見つめていた。
通路の右手に出ると孤児院が見えた。聞こえてきたのは、子どもたちの無邪気で元気な声と……それを諭すように響く大人の声。その声はどこか凛として、一本芯が通っているが、冷たさはなく、包み込むような優しさに満ちていた。
マーガレッタの声だ。
ルーカスはトントンとドアを軽く叩く。
「こんにちは、マーガレッタさん」
呼びかけに反応したのか、足音が近づき、扉が開かれる。現れたのは、凛とした雰囲気を漂わせる、鈍い金髪を後ろでまとめた年配の女性だった。
深く刻まれた目元の皺には知性と厳しさが滲み、それでいて、長年子どもたちを見守ってきた者にしか出せない温かみも宿している。薄い色の修道服風のその装いは、彼女の信念の現れのように見えた。
「あらルーカス、いらっしゃい。今日はどんな用件かしら?」
「臨時収入があったので、納めにきましたよ」
ルーカスの言葉を受け、マーガレッタは彼が持つ布袋に目を向ける。目の粗い布地の隙間から、金貨の光沢がかすかにこぼれているのが見える。彼女は目を閉じ、静かにため息をついた。
「……何度も言わせないでちょうだい。私はあなたが自分らしく生きてくれればそれで十分なの。そのお金は、汗水垂らして必死に稼いだものなのでしょう。なら、あなた自身のために使いなさい」
その目つきは少し険しく、まっすぐにルーカスを思う気持ちを雄弁に物語る。だが、ルーカスは引かなかった。
「そうですか……でも、受け取ってください。そうでもしてくれないと、僕の気が収まりません。自己満足かもしれませんが……」
静かに袋を差し出して、優しく彼女の手に握らせる。
「もし、ご自身のことに使うことがなかったとしても……せめて、子どもたちのために使ってください」
「……わかったわ。あなたがそう言うなら、受け取っておくわ」
微笑みを返したマーガレッタだったが、その表情はどこか切なさが滲んでいた。
ルーカスもまた笑みは崩さなかったが、彼女から漂う微かな切なさをたしかに感じ取っていた。彼女は心の底から、自分を我が子のように想ってくれている。だから、お金のことなど気にせず、自分のために使ってほしいと願っているのだろう。
それでも、受け取ってくれるのは、ルーカスの誠意を無下にしたくなかったからに違いない。
「では……僕はこれで——」
やるべきことは果たした。そう思って静かに踵を返そうとした——そのときだった。
「あ、ルカお兄ちゃんだ!」
「えっ! ルカにいが来てる?」
「ほんとだ! ルカ兄ーッ!」
奥からちょこんと顔を出した子どもたちが、ルーカスを見るなり元気に駆け寄ってきた。
「ルミナ、ロウ、ユオ……久しぶりだね」
「お仕事終わったの? じゃあ、遊んで遊んで!」
「ロウ、ルカ兄きっと疲れてると思うよ? お仕事終わりに迷惑かけちゃ、めっ!だよ!」
「ねぇねぇルカ兄、ご飯食べたらさ、れんきんじゅつ教えてよ!」
元気いっぱいで遊ぶことが大好きな男の子・ロウ。しっかり者の女の子・ルミナ。そして、錬金術に興味津々な男の子・ユオ。三人はとりわけルーカスに懐いている。
その様子を微笑ましそうに見守っていたマーガレッタが、ふと声をかけてくる。
「そういえば、お昼ご飯は済ませたの? まだなら、ここで一緒に食べていきなさいな」
「えっ、一緒にって……でも、この子たちの分を取るわけには……」
ルーカスの言葉に、マーガレッタは首を横に振る。
「そんな心配しなくていいわよ。それに——今日はみんな揃ってるんですもの」
「みんな?」
ルーカスはふと首を傾げた。そういえば、この室内を漂う香りは、通い慣れた食堂のそれに似ている。肉と野菜が煮込まれた、どこか懐かしくて温かい匂い。それがここまでしてくるということは……
「——あ、ルカも来たんだね!」
台所から姿を現したのは、エプロン姿の少女。どこか大人びた雰囲気を纏った、ルーカスの同期——リザだった。
「いやぁ〜ちょうど良かったぁ〜。お料理作りすぎちゃってさ〜」
その後ろから現れたのは、ツンとした赤髪の少年。隆々とした体つきで、どこか鯔背な雰囲気の漂う好青年——彼もまた、リザと同じくルーカスの同期・クロムだった。
「おっ、ルカじゃねぇか! まさかここで鉢合わせるとは思わなかったぜ!」
「リザに、クロムっ!? 二人とも、どうしてここに?」
ルーカスは思わず声を上げた。食堂で働くリザがこの時間帯に孤児院にいるのも意外だったが、それ以上に驚いたのは、冒険者として各地を飛び回っているクロムまで一緒にいることだった。
「いやね、食堂にニックがお肉を届けに来てくれたんだけど、そのとき『余りそうだから使っちゃおう』って話になってね。オーナーに許可をもらって、こっちで調理することにしたの」
「俺は依頼で街に寄ったついでにな。マーガレッタさんにも顔を見せたかったし」
「そうだったんだね」
何か特別な理由があるのかと思っていたが、どうやら本当に偶然が重なっただけらしい。大仕事を終えたあとに、この懐かしの孤児院で気の置けない仲間たちと顔を合わせ、食事を囲む。そんな光景は、そう何度もあるものではない。
ルーカスは振り向き、静かにマーガレッタに言葉を返した。
「せっかくなので、お言葉に甘えさせてもらいます」
「ええ、ゆっくりしていきなさいな。ここはいつまでも、あなたたちを待つ家なんだから……」
彼女はそっと微笑んでそう言った。血の繋がりはなくとも、その言葉には、たしかに深く、揺るがぬ「愛情」があった。
「ほら、ルカ兄も座って座って!」
裾を引っ張るユオに連れられて、ルーカスはテーブルに向かった。
にぎやかなテーブルの周りには、他にも子どもたちの姿があった。年長のジンは黙々と食器を並べ、マルナはそっとクロムの手を引いて席に誘う。食いしん坊のピリカはリザのそばにぴったりくっついて、料理を興味深そうに覗き込みながら、思わず涎を垂らしていた。
「ロウ、お皿はもう持った?」
「うん! これ、みんなの分!」
意気揚々と答えたロウは、重ねられた陶器の皿を両手に抱えて歩き出す。けれど――
「あっ……!」
つまずいてバランスを崩す。手元の皿が数枚滑り落ち、床の上で甲高い音を立てて割れた。
パリンッ! という音に場の空気が一瞬、止まる。
「あっ……お、お皿っ……!」
「っ! 大丈夫かい⁉︎ 怪我はない⁉︎」
青ざめた顔でしゃがみ込むロウの元へ、ルーカスが駆けつける。心配する声に「うん……大丈夫……」と答えるロウだったが、顔を赤くして、目を潤せながら割れた皿を見つめていた。
「ご、ごめん……なさい……ひぐっ……」
流れた雫が、赤くなった頬を伝う。大切なお皿を割ってしまったこと。そして、その瞬間を皆に見られてしまった恥ずかしさと情けなさが、ロウの胸を締めつけていた。
リザたちも心配そうに顔を向けるが、ジンとマルナの表情にはどこか苛立ちの色が浮かんでいた。
けれど、ルーカスは静かに微笑み、そっと割れた皿の破片を手に取った。
「……ううん、お皿ならなんとかなるよ。僕に任せて」
そう言うとルーカスはズボンのポケットから一枚の薄手の手袋——錬成手袋を取り出し、左手に通す。そして、割れた皿の口を合わせて、優しく人差し指を切れ目に当てた。
「——鉱物錬成——」
静かな命令を告げると、指先に淡い蒼白色の光が集う。夜空の星屑のようなその光の中で、微かにスパークが走った。切れ目を辿る指先の仄かな電光の中で、小さな粒子が割れ口をぴったりと繋いでいく。
指先が皿の端に着くと、皿の割れ目は消え、すっかり元の形を取り戻した。
「……ありがとう! ルカ兄!」
「どういたしまして。今度は気をつけて運ぶんだよ」
赤くなった頬を拭いながらも、ロウの目にはうっすらと笑みが浮かんでいた。それは、ただ皿が直ったからではない。叱られると思っていた自分を、誰かが受け入れてくれた——その実感が心に灯ったのだ。
「残りのお皿も直すけど、見るかい?」
「うん!」
すっかり立ち直ったロウの返事に、ルーカスも優しく微笑み返す。そして、割れた皿を集めながら窓際の椅子に腰をかけた。
その瞬間だった。
「ねぇルカ兄! 今の錬金術だよね⁉︎」
「れんきんじゅつってどうやるの⁉︎ 教えて教えて‼︎」
目をキラキラと輝かせたルミナとユオが、まるで跳ねるように迫ってくる。興奮に満ちた勢いに押されて、ルーカスは思わず苦笑した。
「いいけど、離れて見てね? 感電するかもしれないから」
「感電? なんで?」
注意を促す一言に、ユオが首を傾げた。
「錬金術はね、特別な電気を使って、物の中にある小さな粒に働きかける魔術なんだ。この割れたお皿も、電気を媒介にして粒同士をくっつけてあげれば、元通りになるんだよ。こうやってね……」
もう一組の割れた皿を手に取り、ルーカスは再び切れ目に指を当てた。指先から仄かに蒼白の魔力光が灯り、そこに細く鋭いスパークが走る。電光の軌跡が皿の割れ目をなぞるように移動し、その後を追うように微細な粒子が繋がっていくのが見えた。
「ホントだ! つぶつぶがくっついてる!」
「このピカピカしているのが電気?」
「そう。だからね、うっかり近づくとビリってなるんだ。何度か経験あるけど……地味に痛いんだ、あれ」
ルーカスが得意とするのは、物質に直接触れて干渉を行う「直接錬金法」。その性質上、感電は付きもので、電気の制御になれていなかった頃は、よく指先を痛めていた。少し強めの静電気を喰らったような衝撃は激痛というほどではないが、妙にヒリヒリしてじわじわと響いてくる。まさに「地味に痛い」経験だった。
「うう……痛そう……でも、面白そうっ! やってみたい!」
「電気でお皿直せるなんてすごい! 私も錬金術、使ってみたい!」
もっとも、そんな彼の苦労をいくら語ったところで、この二人の興味が止まることはない。静電気程度の痛みなど、彼らにとっては些細なことなのだろう。
「そうか。でもね、錬金術って簡単そうに見えて、実はすごく難しいんだ」
ルーカスはそう言いながら、三枚目の割れ皿を手に取り、修復を始めた。
「いろんな物の性質を知らないといけないし、計算だって大事。このお皿を直すのだって、素材の成分をちゃんと理解して、繊細な操作をしなくちゃいけない。だから、ちゃんと勉強を頑張らないと思うようには使えないんだよ」
「えぇ〜勉強かぁ……」
「お勉強は苦手だけど……ルカ兄みたいに使えるようになりたいかも! ルミナ、お勉強頑張る! ユオも、ね!」
「えっ、え〜……ルミナだけ頑張ればいいんじゃない……?」
「だーめ! 一緒にやるの!」
「うぅ……ルミナ、やる気ありすぎ……」
二人のやり取りにルーカスが苦笑していると、奥の方から柔らかな声が聞こえてきた。
「はーい、ご飯の準備できたよー。みんな席についてー!」
リザの声に、ぱっと顔を上げる子どもたち。ルミナとユオも「わーい!」と嬉しそうに走り出し、ロウもお皿を丁寧に抱えてついていく。
ルーカスは、最後の皿を確認してから立ち上がった。
「……さて、僕も行こうかな」
大人数の食卓、溢れんばかりの笑顔。そんな瞬間こそが、何よりも大切なのだとルーカスは知っていた。




