第2話 錬金術師の悩み
所長室の中に入ると、早速ジールは引き出しから袋を取り出した。
「ほれ、今回の給料だ」
「ありがとうございます」
ぽんっと投げ渡された給料袋を受け取るルーカス。拳大のそれはずっしりとした重みがある。
「いつもより入ってるみたいですね」
「そうだとも。今回の依頼は工房史上例を見ない大仕事だったからな。金貨七枚は入れてある」
「金貨を……七枚も!?」
思わずルーカスは目を見開いた。金貨一枚はだいたい一ヵ月分の食費を、二枚なら家賃を賄える額になる。それが七枚も。大仕事だったとはいえ、まさかそんな大金を貰えるとは思わなかったのだ。
「やっぱ金には目がねえか」
「ギリギリな生活してますからね。素直に嬉しいですよ」
生活に余裕がもてる喜びのあまり、ルーカスはつい頬が緩んでしまっていた。その様子にジールもニカっと良い笑みを浮かべた。
「そうだ、せっかくだからここで一服していかないか。もうすぐティータイムの時間だからな」
「そうですね、それならお言葉に甘えてお邪魔させてもらいます」
「おう、気兼ねなくゆっくり寛いでいけ」
ルーカスは作業用のエプロンを脱いで、ソファに腰を下ろした。遠慮などいらない。ジールとは昔からフラットな関係にあるのだ。
「珍しい茶葉が手に入ったんでな、せっかくだから淹れてやるよ」
「へぇ……そうだ! それなら試したいものが」
「ん? なんだ、試したい物って?」
ルーカスの一言にジールの足が止まる。
「茶葉だけ用意して待っていてください! すぐに持ってきますから!」
そう言い残してルーカスは部屋を出た。急ぎ足からは彼の興奮が窺える。
「……ったく、若ぇのはいいな」
闊達な彼の様子にジールはフッと微笑み、お茶の用意を進めた。
しばらくしてからルーカスが戻ってきた。手に持っているのは白磁のティーポット。特にこれといった特徴のない、飾り気のないポットだ。
「そりゃルカが作ったのか。随分とシンプルだな」
「変に飾るのは苦手なので。でも、ただのティーポットじゃありませんよ」
そう言ってポットに茶葉を入れた後、蓋をしてから取っ手のスイッチを軽く押す。するとポットの中からチョロチョロとお湯が注がれる音が聞こえてきた。注ぎ口から、ふわっと白い湯気が立つ。
「へぇ〜魔道具かぁ。湯沸かしの必要がないとは、こりゃ便利だな」
「そう言ってもらえると嬉しいです。思いつきで作ってみた物なんですけどね」
ルーカスは用意された二つのカップに紅茶を注いだ。湯気とともに漂う柑橘系の芳しい香りが鼻をくすぐる。
紅茶が注がれると、まずはジールが一つを取って啜った。熱いことなど気にしない。喉を通るとともに、溜まりに溜まった疲れが洗い流されていく。
「くぅ〜‼︎ やっぱり仕事終わりの一杯は沁みるぜぇ!」
「大袈裟だなぁ。それじゃまるでお酒を飲んでいるみたいじゃないですか」
「酒だろうが紅茶だろうが、疲れてるときは格別なんだよ」
「まぁ、わからなくはないですけど」
クスッと笑ってルーカスも紅茶を啜る。苦みの後からほんのりとくる甘みのグラデーションが口いっぱいに広がっていく。身体に沁み込むとともに、のしかかった重みが浄化されていくのを感じた。
「なんだかクッキーも欲しくなりますね」
「そうだな、こりゃ甘いものと合う。でも、ルカが淹れてくれたからなのか、こいつぁ格別に美味い。もう一杯もらえるか?」
「ええ、今淹れますね」
ルーカスは再度ポットを手に取った。このティーポットは錬金術の魔法陣を用いて茶の旨みをさらに引き出す構造にしている。いずれは商品化しようと考えて作った試作品だが、好評なようだ。
紅茶が注がれ、カップから再びほのかな湯気が立ち上った。ジールは「あんがとさん」と一言だけこぼし、手の中のカップをゆっくりと揺らした。
「しかし、修理屋だった子どもがこんな便利な魔道具を作れるほどに成長するとはなぁ。俺の目に狂いはなかったぜ」
ふっと顔を上げたジールは、にこやかに笑った。
「どうだ? この工房で正式に職人として働かないか? 給料も待遇も悪くしねぇ。それに……ここはルカが、もっと輝ける場所だと思うんだ」
その笑みには、純粋な期待が滲んでいた。若き錬金術師の「可能性」を、誰よりも信じていた。
だが、ルーカスは小さく息を吐き、申し訳なさそうに笑った。
「とてもありがたいお誘いです……でも……」
言い淀むルーカスに、ジールは軽く目を細める。
「……マーガレッタのことか」
静かな問いに、ルーカスは小さく頷いた。
「はい。僕は今まで、マーガレッタさんのお世話になってきました。その恩を返すために錬金術を続けてきたんです。でも……もうすぐ、それも果たせる……」
ルーカスは俯き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それから先……僕は、何のために錬金術を使うのか。まだ、自分の答えが出てないんです」
孤児院から旅立った十五歳。この二年で、いろいろなことを試してきた。
最初になったのは「冒険者」。同じ釜の飯を食べた友人・クロムが「俺と一緒に冒険者になろうぜ!」と誘ってきたのがきっかけだった。
一攫千金を夢見て始めた冒険者稼業。うまくいけば借金もすぐ返せる——そう思っていた。
結論から言うと、半年も経たずにパーティーを抜けることになった。護身程度の戦闘もできないルーカスに、仲間たちはしだいに苛立ちを募らせ、やがて露骨に「抜けてくれ」と言い出したのだ。
リーダーであるクロムだけは最後まで庇ってくれたが、ルーカス自身も、自分が足手纏いだったことを理解していた。
冒険者を辞めてからは、街の片隅で今までのように修理屋をしながら、薬を売ったり、日雇いの仕事をこなしたりして生活していた。
生きるだけで精一杯。けれど、錬金術を捨てなかったのは家族との思い出があったのと、恩人への借りを返すという気持ちがあったからだ。
だからこそ、その約束を終えようとしている今、目の前の道に暗闇が広がっている。これからも錬金術で生活していくのは悪くないが、目指すべき目的が見つからない。
何のために、どうして錬金術を使うのか……その答えは、まだはっきりしていない。
「何のために……か」
ジールはそう呟き、茶を啜ってからゆっくりと口を開く。
「つまり、ルカは今の仕事に満足していないってことだな。生活はできるが、どこか満たされない……空虚な部分があるってところか」
「そうですね……」
ルーカスは静かに頷いた。
「……俺もそういうときがあったな」
ジールは静かに言葉を続けて、少し遠くを見つめるように目を細めた。彼の表情はどこか懐かしさを帯び、過去の自分を重ねているようだった。
「仕事に満足していないわけじゃない。けど、こう……心の奥底に穴が開いているような、そんな感覚がした。今思えば、それが目的だったのかもな」
ジールの言葉に耳を傾けながら、ルーカスも同じような感覚を抱えていることに気づく。目的が見つからない、何のために続けているのか分からない……それはまさに、自分が感じている空虚そのものだった。
「……ジールさんは、どうしたんですか?」
ルーカスの問いに、ジールは少し考え込んでから、柔らかく微笑んだ。
「その答えを見つけるまでは、俺も迷っていたさ。けど、答えなんてすぐに見つかるもんじゃない。大切なのは、少しずつ自分の進むべき道を見つけることだと思う」
ジールは手元の角砂糖を爪でじわりじわりと削り始めた。ゆっくり、焦らず、じっくりと。まるで人生のあり方を体現するかのような手つきだった。
「できることは、まず続けてみろ。そうすりゃ、思わないところで見えてくるかもしれないからな」
その言葉を受けて、ルーカスは心の奥で小さな火種が灯るのを感じた。まだまだ頼りない光だけれど、それでも確かに、自分の中に何かが芽生えていた。
「そうですね。とりあえず、錬金術は続けてみます」
言葉にすると少しだけ背中が軽くなったような気がした。霞が晴れていくように、視界がわずかに開けていく感覚があった。
「おう。ルカらしい生き方を選ぶといいさ。そのうえで、この工房に来たっていいんだからな! いつでも歓迎するぜ!」
カーン‼︎ カーン‼︎
ちょうどそのとき、教会の鐘が正午を告げるように響き渡った。青空の下に高く澄んだ音が伝っていく。
「おっと、もう昼か。俺たちも今日は店終いとしよう。明日は出荷作業だが、人は足りてるし、ルカはやるべきことに専念してくれ」
「そうですか。じゃあ、これでお暇させていただきます」
「おう。気をつけてな。また何かあったら、そん時は頼むぜ!」
「はい! いつでも呼んでください!」
ルーカスが立ち上がると、ジールは軽く手を振って笑った。その背中には、経験を積んだ職人ならではの余裕と信頼が滲んでいたのだった。




