第40話 怨嗟の記憶
ルーカスが暗闇へと落ちて間もない頃。
古風な宮殿内を、銀色の影が烈風とともに駆け抜けていた。周囲に殺意の風——微細な《魔力刃》を振り撒きながら、行く手を阻む触手を次々と蹴散らしていく。
しかし――いまだに活路が見えなかった。
(こやつらめ。いくら斬り刻んでもしつこく立ち上がってきおる!)
――そう言う君も、結構抵抗してくれるじゃないか~。よく足搔けるもんだねぇ~。
酷く耳障りな嘲笑に、風狼は眉をひそめた。冷静沈着な【守護者】らしからぬ反応だが、こればかりは歯軋りせざるを得ない。
――だが、大人しくしておくのが身のためだよ。この国の住人は、手荒な真似をする輩を真っ先に始末すると決めているんだ。
(住人だと? この触手どものどこが住人だというのだ?)
——ひどいなぁ〜。彼らは紛うことなき人だよ。
揶揄うような口ぶりは変わらない。そんなガープの声に続くようにして、前方から宮殿騎士らしき人影が姿を現した。
騎士たちの顔に精気はない。瞳の奥は、光一つ宿さぬ漆黒に染まっていた。そして、その雄叫びは……
「ヴオォォォォッ‼︎」
「ゴロゼッ! ゴロゼッ!」
「ワガゲンノザビドジデグレルゥゥッ‼︎」
さながら【動く死体】であった。
(……命を弄ぶかッ! 外道めッ!)
——弄ぶとは心外な。私は彼らに、霊薬の権限を以て“永遠”を与えてやっただけ。彼らが望んだことなのさ。
ニヒィとニヤけていそうな声で、ガープは続ける。
——もっとも、今や私の傀儡なんだがね。あははは〜!
(……これ以上の問答は無意味ということか)
そう言葉を締めると、迫りくる騎士たちを風の一太刀の下に斬り伏せる。今のやり取りで、風狼の中で一つの確信が固まった。
こいつに容赦は要らない。
(——こやつは……悪意と怨嗟をじっくり煮込んで出来上がった、生粋の化物だ)
霊薬たる超越した力に溺れ、生ける者への冒涜を成す。なるほど、先人が名付けた【怨嗟の霊薬】とは言い得て妙だ。根本から思考が常軌を逸している。
「ヂヴォ、ヂヴォヨゴゼェェェェッ!!」
「ヴァレラヴァヴェイヴェンナリィィィィッ!」
(……哀れな人の子よ。今屠ってやる)
刹那、狂風が爆ぜた。黄緑色に輝く三日月の刃が飛び交い、古の宮殿に相応しい一輪の薔薇が狂い咲く。
——屠る……ねぇ~。もしかして殺せば救われるとでも思ってるのかい?
(……はっ、まさかな。我とてこの目は節穴ではない)
——無駄だとわかっていたのかい。だとしたら何故抵抗するんだい?
(それが生きるということだからだ。貴様には永遠にわかるまい)
その言葉を皮切りに、風狼は風になった。
いくら歴戦の魔獣であっても、切り出せる手札は限られている。どんな一撃も、魔法の弾丸にはならない。だとすれば、せいぜい寿命を延ばす程度のことしかできない。
つまるところ、抵抗とは持久戦。全力で逃げるが勝ちだ。
——ふふふ……ふははははっ! 考えるまでもないか~。そうだよねぇ~。敵が手に負えなければ、逃走は当然だよねぇ~。いいよ~、とことん付き合ってあげようじゃないか~。
対して、霊薬は愉快に笑う。
——だけど、ただ鬼ごっこをするのも興が冷めてしまう。ここは一つ、私の昔話でもしようか~。
(……昔話だと? 聞いてやる暇などない)
——走ってばかりじゃつまらんだろうに。まあ、別に聞き流してもらっても構わないよ? あくまでも私なりの“余興”さ。
(……)
慇懃無礼な物言いに、風狼は表情こそ変えないものの、こめかみに青筋をひっそりと浮かべた。もはやガープにとって、森の【守護者】など取るに足らないらしい。まるで、面白い玩具を手にした子供のようだった。
——そうだなぁ……まずは、私の出自でも話そうかな。
直後、空気がガラリと変わった。今までの飄々とした態度とは大違いだ。
——私はね、地獄から来たんだ。この世とは正反対の、憎悪と苦しみに溢れた世界さ。君に敵意を向ける、彼らのような存在がうじゃうじゃといてね。
曲がり角を進んだ先に、漆黒の骸たちが大群を成して進撃する。
(……なるほど。追体験とは、いい趣味をしている!!)
問答無用。風狼は自慢の一撃で地獄の兵たちを蹴散らしていく。
“余興”はさながら一つの脚本のようで、やたらと演出に力を注いでいるらしい。
——退屈だったよ。毎日毎日、煉獄の炎に包まれた屋敷の中で、彼らを捌くばかりでね。どうやら、私を殺せば現世に戻れると信じての行動だったそうな。
燃え盛る緋炎の柱が辺りを包み込む。烈風が煉獄の熱気に呑まれ、刹那のうちに熱風へと変化した。
「ゴロゼッ! ゴロゼッ!」
「ヴァグヴァメ! ズグニヴォブッデグレルゥッ‼︎」
「ヴゲゲゲゲェェェアァァッ‼︎」
灼炎の中、猛々しくも野蛮な亡骸たちが、狂気そのものと化して迫った。
(ここで使うのは止むなし。使い魔どもッ! 迎え撃てッ‼︎)
「「ヴァンッ! ヴァンッ! ——ガオォォォッ‼︎」」
渦巻く風の咆哮が、地獄の戦士たちを一網打尽に吹き飛ばす。ある者は四肢を斬り裂かれ、またある者は真っ黒な灰と化した。散り散りになった亡骸が、熱風に煽られて跡形もなく消えていく。
——けれど……そんなある日、私は呼び出された。
暗雲立ち込める地獄の空の下、雷鳴を轟かせながら黒い渦が巻き起こる。途端に、風狼たちがふわりと引きずり込まれた。
(むッ⁉︎ これは、身体が浮いてッ⁉︎)
「あわわわ!」
「す、吸いこまれるぅ〜!」
抵抗する間もなく、彼らは渦の中へと呑まれていった。
——欲深い人間たちに、誘われてね。こうして現世に呼ばれちゃったんだ。もっとも、狭っ苦しいフラスコの中だったんだが。
(ほう……フラスコとな。この透けて見える壁のことか)
黒い霧が晴れた先。揺らめく蝋の灯火に照らされながら、風狼たちはガラス張りの空間に降り立つ。
直後、四方からもの珍しげな視線が突き刺さる。フラスコを囲う衆目には、驚愕や畏怖、奇異の色が浮かんでいた。
——彼らはね、私に縋ったんだ。あらゆる知識と力を手にする方法が欲しいと。
ガープの話に重なるように、人々が次々に願いを口にし始めた。
「家族の病気を治す薬が欲しい」
「闘技大会で勝ち抜く術が欲しい」
「魔法を簡単に操るコツを知りたい」
「好きな人への、最高のアプローチを教えてほしい」
——どれも凡庸で、誰でも考えるようなものばかりだったがね……中には、面白い欲望の持ち主もいたんだよ。
ある者はこう問いかけた。「永遠の命が欲しい」と。またある者は「戦で他者を圧倒的に上回る力が欲しい」と言った。
そして……
——「世界を支配する力が欲しい」と、野望を剥き出しにした者が現れたんだ。いや~、さながら煤煙を巻き起こしながら天に燃ゆる太陽のようだったなぁ。
(その手の話か……)
白銀の毛並みが、訝しげに歪んだ。森の【守護者】たる風狼も、権力者のようなもの。この毛皮を王者の証として、奪おうとしてきた連中を何度も目にしてきた。
——私は、思わず心が震えたよ。地獄の炎に灼かれながら襲いかかってくるような、理性のない輩どもとは大違いで、それでも欲望は果てしない。久々に好奇心をそそられた!
姿こそ目には見えないが、心なしかガープの目が輝いているような気がした。
——だから、彼らに未知の知識を与えてやった。力を与えてやった。願いを叶えてやったのさ。私の権限を以てすれば、容易いことだからね。
ガープの語り口が、やけに愉快な声色を取り戻す。そのことに気づいた風狼は、姿なき彼を睨み据えた。
(……なるほど。質が悪い取引をしたものだな)
——取引? 何のことだい?
(とぼけるな。無償の善行ではなかったのだろう? 単刀直入に問おう。何を代償に取引をした?)
きっと、耳を塞ぎたくなるような答えが返ってくるのだろう。それでも、こればかりは知らなければならない。第六感がそう告げていた。
——まぁ、隠す必要もなかったか。そうだね。君の考えた通り、彼らには代償を支払ってもらった。
——それはね……
どうやら長年の勘は間違っていなかったらしい。
——“希望”、だよ。
ガープの笑みが、これ以上ないほど歪みに歪んだ。同時に、願いを叶えた民衆が次々と崩れ落ちていく。
足元から現れた得体の知れないヘドロが、彼らを吞み込んでいった。
——未来へと進んでいこうとする、人間の動力源。輝かしい光に満ちた魂。それを一夜で徴収して、真っ黒に染め上げるのが楽しいんだ!!
(つまり……貴様は欲望の成就を餌に、絶望へと引きずり込んだというわけか)
——大正解っ!! おかげで、私のお腹は大満足! 今思い返してみても、傑作だったなぁ~!! にゃはははははぁ~!!
さらに、ガープは鼻腔を刺すような、ドロドロと粘ついた声色で続ける。
——あまりにも気分が良かったものだから、私はささやかながらオマケも付けたんだ。
(……まさかッ!)
——そのまさかだよ。出血大サービスで、“永遠の命”をプレゼントしたのさっ!! もっとも、副作用もあるけど……そこはご愛敬ということで。
フラスコの外に突如として広がった、濁りに濁った酸の海。ぶくぶくと怪しげに気泡を噴きながら、ドス黒いヘドロに塗れた人影が手を伸ばす。
「どこだ……フィーネ。返事をしてくれ……!」
「熱いよ……痛いよ……からだが、くずレチャヴヨォ……」
「こんナ、ケツマツは、ダレひとリトシて……もどメデいナイィ!」
必死になって愛しい人を呼ぶ者。己の変わり果てた姿に絶望する者。永遠の残酷さに嘆き悲しむ者。よろめきながら荒廃した世界を、ただひたすらに彷徨うことしかできなかった。
今更ながらに、彼らは気が付いた。
神秘の象徴であるはずの霊薬は、絶望を与える邪水に過ぎなかったのだ、と。
(まさかとは思うが……この建造物も貴様が創り出したものなのか?)
——そうだとも。今はなき、栄光満ちる楽園で、私の一部となって永遠を共にしている。素晴らしいことだとは思わないかい?
(素晴らしい……だと?)
興奮気味に笑うガープに対して、風狼はさらに睨みを利かせた。
(……我の言ったことをもう忘れたのか?)
問いかけそのものが、森の——生命の隆盛を見守ってきた【守護者】にとって、看過できない禁忌だった。
(もう一度言ってやらねばわからんのか……貴様のしていることは、生命への冒涜だッ! 自然の摂理への反逆だッ‼︎)
怒りを滲ませた風が、フラスコ内で荒ぶる。
それでも、ガープは涼しげに言葉を返した。
——うん、愚問だね。なんせ私は、地獄から来たんだよ? 君の杓子定規で、生命の在り方を語らないでもらいたいね。
(はっ! それもそうか。そもそも貴様と倫理的な話など、できるはずがなかったのだな。我ながら耄碌していたぞ!)
——あははは〜! 気づくのが遅すぎるね。知性のある魔獣かと思ったけど、飛んだ見当違いだったみたいだ。
その声色は、嫌らしく嘲る悪魔の姿を彷彿とさせる。だが、風狼も負けじと反撃のカードを切った。
(……たしか貴様は、名付け親の人間に対して“身勝手”と嘲っていたな。その人間の方が、よっぽど賢しいぞ。なんせ“怨嗟の霊薬”などという、これ以上なく本質を突いた呼び名を付けたのだからな)
澄み切った球内を、ありったけの嫌味が駆け回る。つられて沸き立つ熱気で、辺りを包み込んでいった。
一拍。
酸海のさざなみが止み、静寂が支配する。
——……そうかい。実に面白いことを言う。けどね……君は自分の立場を理解していないようだ。
ガープの声色は、さながら氷の内側で荒ぶる炎のように、冷たくも怒気を滲ませていた。
——考えてごらんよ。君はね、私の腹の中に閉じ込められたのも同然なんだ。要するに、いつでも君を殺せる。
(無論、そんなことは承知している。そのうえで、貴様にこの爪を突きつけてやる。自然の摂理の調停者として、貴様の邪悪な魂を根こそぎ抉り取ってくれるッ‼︎)
——そうか。なら、たっぷり痛めつけてあげようか。
静かな処刑宣告。
盛大に、フラスコが砕け散る。
——さぁ、みんな……狩りの時間だよ。勝ち取った血肉を肴に、宴でも開こうじゃないか!
渾沌とした酸の海から、ありし日の王国が浮かび上がる。そして、もがき苦しむ民たちが大群となって襲いかかった。
「イギヂィッ⁉︎ イギヂヲヨゴゼェェッ‼︎」
「アヅイッ⁉︎ アヅイアヅイアヅイィッ⁉︎」
「ノドガガワグ……アッダガイ、ヂ。ニグモヨゴゼッ‼︎」
「アビャビャビャビャッ! ガリノジガンダァッ‼︎」
皮膚下に突き刺さる、数多の狂気の視線。
対する風狼は、物悲しげに瞳を細めた。
(すまない……。せめて、我が牙であの悪魔を屠ってやる)
守護者としての誇りと信念。
二つを乗せた銀の烈風が、寂れた街に吹き荒れる。




