第39話 寂れた記憶
ポチャン……ポチャン……
「……んんっ……?」
心地良い雫の音に、ルーカスは目を覚ます。少しだけ頭が痛い。視界もぼやけている。
だが、後頭部を包み込むフサフサとした感触が、ぼやけた意識を少しずつ現実へと戻していった。
「……あれ? ここは……」
(あっ! お兄ちゃん起きた!)
すぐ近くで、幼げな声がした。
もしかしなくとも、この感触は……
「……使い魔? なんでここに?」
(すごく高い所から落ちて、危なそうだったから……)
「高いところ……ッ! そうだッ! たしか、ガープの触手に突き落とされて……」
最後に見たのは、重力に引きずられながら遠のいていく風狼の姿。そこから先は……覚えていない。きっと、落下の衝撃で気を失ってしまったのだろう。
「ってことは、君が助けてくれたのか?」
(うん。僕ね、頑張ったのっ! ブワーって風起こして、ふわって浮かせて。そしたらね、ここに降りたんだ)
「そ、そっか……大変だったろうに。ありがとう」
(えへへ~。どういたしまして!)
子狼は相変わらず、可愛らしい表情を見せてくれる。状況が状況なだけに、空気の落差は激しい。けれど、これが使い魔なりの励ましなのだろう。
そうと考えれば、自然と活力が湧いてきたような気がした。
「それにしても、ここは一体……ん?」
(どうしたの?)
辺りを見回したルーカスの視線が、ふと一点に止まる。
「光?」
それも、ランプのような暖かみのある光が、岩陰からこぼれていた。誰かいるのだろうか。一足先に光のほうへ向かった子狼を追い、ルーカスも足を運ぶ。
(お兄ちゃん! こんなところに小さなお家があるよ!)
「家? いや……小屋か」
(誰かいるのかな?)
「待ってッ! 迂闊に近づくのは危ない」
こんなところに小屋があるなど、どう考えても怪しい。ここにも、怨嗟の霊薬が潜んでいるかもしれない。万一に備えて、ルーカスが先頭に立つのがベストだった。
咄嗟に、腰のホルダーに手をかける。
「纏雷剣は……あるな」
(あのビリビリしてた剣?)
ルーカスは短く頷く。ガープ相手には痛手とはならなかったものの、動きを封じることはできていた。錬金短剣を紛失してしまった以上、今や貴重な命綱となる。
「ゆっくり、進むよ」
(うん……)
ギィィ……
慎重に扉を開けると、木材の土臭さが鼻腔を突く。二、三個のランプに照らされた室内には、作業に使うと思わしき道具や、実験道具の類が置かれていた。
「ここは……工房?」
(古いお家みたいだけど……なんだかキレイ)
「本当だ。埃一つないや」
あの少女と出会った通路と同じような空気だ。生活感は漂っているものの、人ひとりの気配すらしない。
不意に、机の上に積み上げられた本が目に入る。
「まさか、また何も書かれていなかったりして……」
つい先ほどの体験を思い出し、冗談交じりに苦笑いしながら、本を一冊手に取って開いてみた。
「……ちゃんと書いてあるんかい」
見事に読みが外れた。
(ルカお兄ちゃん、その本読めるの?)
「読めないよ~。なんて書いてあるかわからないもん」
とはいえ、肝心の内容についてはよくわからない。ページを埋め尽くしているのは、相変わらず見慣れない文字ばかり。その現実に、ルーカスは額に若干青筋を浮かべていた。
「はぁ……せっかく本があるのに、読めないんじゃ意味ないよな……」
奈落の工房に本があるならば、怨嗟の霊薬について、少なからず情報が得られるはずだと思っていた。だからこそ、落胆は大きい。
(でも、なんか変な絵が描いてある! 変な器みたいなの! あとね、怖いお顔も!)
「それは絵じゃなくて、図って言うんだよ。あと、それはフラスコ――ん? フラスコ⁉」
ルーカスは思わず二度見した。そして、よくよく目を通してみると、見覚えのある単語が幾つか記述されている。
「……この単語は……そうだ。錬金術書にも載っていた。たしか意味は……そう、“酸”だ。ってことは、図式の反対側の単語は……“塩基”」
これだけなら読める。図解と自分の持つ知識を頼りに、ルーカスは読解を試みた。全ての文を理解する必要は、今はない。
「この文字の読みが……エリクシル……ッ! “霊薬”だ! で、その頭に付いた単語は……なんだろう……」
(怖いお顔のことじゃないかな?)
「フラスコの中の怖い顔……これはどっちかというと不気味で、まるで悪意を孕んでいるような……はっ! もしかして“怨嗟”ッ! となると……」
おぼろげだった言葉の輪郭が、はっきりとしていく。散らばっていた知識のシナプスが、一つの推論を導き出した。
「怨嗟の霊薬は極酸性。滅するならば、極塩基性の物質で中和するべし……ってところかな」
(きょく……さんせー?)
「簡単に言えば、いろんなものを溶かしちゃうんだよ」
(すごい!……けど、なんか怖い)
「そうだよね。だから、それを和らげるものを奴に打ち込む必要があるんだと思う」
方向性は見えた。
あとは、中和剤をどう用意するか。
ルーカスは、棚に並べられた幾つかの薬品を確認した。幸いにも、ここは工房。きっと、メジャーな強塩基物質くらいはあるはず。
そう、たとえば……
「苛性ソーダとか……これかな?」
(白くてまんまる〜)
薄く蝋が塗られたガラス容器の奥。ペレット状の白い粒が、瓶いっぱいに詰まっている。触れれば皮膚を焼く、生粋の劇物だ。
(ねぇ。“きょくえんき”って、どうやって作るの?)
「どうだろう。石鹼は作ったことがあるんだけど……」
極塩基にどう変性させるか。
この工房の設備はいかにも旧式のものだ。超危険な物質を作れるような設計だとは、到底思えなかった。
万事休す、か……。
(ねぇねぇ。おっきな緑の鳥さんの羽を使ってみるのはどう?)
諦めかけた思考に、場違いなほど明るい声が割り込んだ。
「緑の鳥……バジリスクのこと?」
(そうそう。狩りのときに、主様が言ってたんだ。『あの羽は近づくだけでも危険かもしれない』って)
「羽……それだっ!!」
すかさず、ルーカスは腰のポーチを漁った。たしか、バジリスクから採れた粉を、小瓶に詰めていたはずだ。
そして――見つけた。
「これを使えば、作れるかも!」
(えっ? 本当にっ⁉)
「ああ、本当だとも。大手柄だよ!」
(えへへ~。嬉しいな~)
「そうと決まれば、早速調合に取り掛かろう」
旧式ではあるものの、錬金釜もある。
反撃の一手が、ここから始まった。
近いうちに修正するかもしれません。ご了承ください。




