第38話 怨嗟の墟城
「怨嗟の……霊薬?」
“霊薬”なら、まだわかる。錬金術の歴史を語るうえでは欠かせない、伝説の錬金術師が生み出したとされる、神秘の万能薬だ。
だが、“怨嗟”と銘打った代物は、聞いたことがなかった。
(……いかにも物騒な呼び名だな)
——はははっ、よく言われるよ~。私だって好きでこんな名前になったわけじゃない。本当に……人間は自分勝手な生き物だよ……
(名付けた者がいたのか?)
——もちろんさ。もっとも、もう何百年も前のことだから忘れてしまったがね……ニヒィ……
風狼の歯に衣着せぬ物言いを面白がっているのか、ガープはニヤニヤと笑うような声でそう返す。
——それにしても……可哀想に。彼女はただ、生き血を啜りたいだけだというのに……
「生き血ッ⁉ どうしてそんなものをッ⁉」
——それが……彼女を救う方法だからさ。
はっきりとわかる。
これは、嘘だ。
そう理解しながらも、ルーカスは生唾を呑み込んだ。
——ここ数百年、彼女は苦しんでいるんだ。飢えと、渇きにね。身体がちょっとばかり特殊だから、普通の食べ物は受け付けないのさ……。ほら、あの通り。
『ううッ……』
自然と、ルーカスたちの視線が少女へと引き寄せられる。
真っ二つにされたはずの少女は、切断面を合わせるようにして身体を修復していた。
「ッ⁉︎ なんでッ……即死のはずじゃ……⁉︎」
(……なるほど。どうりで手応えがなかったわけだ……!)
「それに、あの王様は……ッ⁉︎」
その一方で、同じく真っ二つにされたはずの王は、身体をまるでヘドロのように溶かし、玉座へと染み込むように姿を消していた。
『はぁ……はぁ……飲み……たい……』
——さあ……お待ちかねのご馳走だよ~。
『ご……ちそう……ッ!!』
ガープの言葉に触発されて、少女がぽたぽたと唾液を垂らす。獣のように鋭い歯を剥き出しにしながら、ルーカスたちを鋭い眼光で射抜いた。
――さて、久々のお客人だ……存分に楽しませてもらおうかな。
直後――世界の所々が歪み始めた。
「ッ!! 展開――《氷精の悪戯》ッ!!」
異変を察知したルーカスが、抜きざまに氷結剣を投げつける。考えるよりも先に、身体が動いた。
『――あぐっ……⁉』
透き通った水色の刃は、少女の胸元を突き刺し、内側から凍らせていった。
――君、酷いなぁ~。心は痛まないのかい?
「痛みなら、もう十分耐えた。だからこそ、剣を抜いた。それだけだッ!」
――ふぅん……。見た目に依らず逞しいねぇ……。遊び甲斐がありそうだ。
そう言葉を交わしたのも束の間。
歪みから黒い触手が一斉に飛び出してきた。
(むっ⁉ 来るぞッ!)
「展開――《聖盾》ッ!!」
ルーカスは咄嗟にペンダントをかざし、光の大盾を顕現させる。さらに風狼が、烈風の防護壁で死角を潰す。
師弟の見事な連携は、踊るように迫り狂う触手たちを、全方位で弾き返した。
——これは……なかなかの結界だね。だけど、少し読みが甘いかな。
「ッ⁉︎ 押されて……クソッ!」
大盾が輝きを弱め、その分厚い装甲が溶かされ始めていく。風狼もまた、苦悶の声を漏らしていた。
(ぬぅッ……防ぎきれんのかッ)
「この触手、魔力を分解するのかッ⁉」
きっと魔力だけではない。ありとあらゆるものを溶かしてしまうだろう。このまま防御に徹するのは、悪手だ。
風狼もまた、それが最善だと考えたらしい。
(ルカッ! 我が合図をしたら全力で走れッ!)
「わかったッ!!」
じりじりと防御が擦り減っていく。袋小路に迷い込んだネズミを弄ぶように、ガープは小さく笑っていた。
——さあ、どう動くかな? 人間って、窮地に追い詰められた時が、一番面白い反応をしてくれるんだよねぇ~。
パキッ……パキパキッ。ヒュウゥゥゥ……
(今だッ!)
ビュオォォォォォッ!!
合図とともに、突風が巻き起こる。同時に、ルーカスたちは防御を解除し、全力で地を蹴った。
『……にが……さないっ……!』
「ッ⁉ 凍らせたはずだろッ⁉」
凍結を解いた少女が手を伸ばし、ぼそっと呪いを口にする。
『……愚者の火玉……!』
彼女の周りに、妖しく揺らめく火の玉が灯っていく。それらは彼女の指揮に従い、次々とルーカスたちに襲い掛かった。
「魔法も使うのかッ!」
(ええいッ、使い魔ぁ!!)
風狼は咄嗟に子狼たちを呼び寄せる。すると、子狼たちはすかさず大きく息を吸い込んだ。
「「ガオォォォォォッ‼︎」」
渦巻く風の咆哮が、真正面から蒼炎を迎え撃つ。烈風に揺さぶられ、怪火たちがその姿を縮めていった。
だが——
(うわっ、消えないよ!)
(しかも、怒ってるみたい⁉)
吹き飛ばない。それどころか、風が収まれば苛立っているかのようにメラメラと燃え盛った。
(消えぬとは厄介なっ!)
「それだけ魔力を注げるってことだっ!」
あの少女が魔力の供給を続ける限り、魔法の蒼炎は消えない。であれば、少女の動きが止められればいい。
ルーカスはもう一本、小型魔剣を投げつけた。
「展開——《雷縛》ッ!!」
輝く纏雷剣から、蒼白い電流が迸る。
玉座の間は一瞬にして、灼雷の餌食となった。
『あががぁぁッ……⁉』
——おおおおおっ⁉ この痺れはぁぁぁぁっ⁉ ……見事だぁ! やるじゃないか~!
最大出力の《雷縛》。少女の魔法は止められた。
しかし、ガープは依然として余裕綽々のようだ。ルーカスたちは、迷路のように入り組んだ通路を走りながら、その耳障りな声にますます嫌悪の色を示す。
「クソッ⁉ まるで効いてないじゃないかッ! それに、あの子もなんなんだッ⁉︎ いくら攻撃しても倒れないッ!」
(ふむ……死なざる魔女と言ったところか……。手の打ちようがないな)
冷静そうな風狼も、冷や汗を滲ませている。こうして逃げに徹することしかないことに、半ば苛立ちを覚えていた。
だが、そんなことに気を取られている暇はなかった。
「ぐッ⁉︎」
壁から飛び出した触手が、ルーカスを突き飛ばす。咄嗟に錬金短剣を盾にしたが……衝撃を十分に受け流せなかった。
凄まじい勢いで叩きつけられ、壁を突き破る。
その先は——底の見えぬ、奈落だった。
「うわぁぁぁッ⁉︎」
(ルカッ⁉︎ ええい邪魔だぁッ‼︎)
風狼が突風を巻き起こし、次々と現れる触手たちを押し退けていく。
それでも、埒が明かない。
斬っても斬っても、ルーカスの姿が触手たちによって掻き消される。
(このままでは……ッ!)
救助できない。
(ルカお兄ちゃんッ!)
そう思った矢先に、子狼が飛び出した。ふわりと浮かんだかと思うと、風圧を動力に宙を蹴り飛ばす。
「うわぁぁぁぁッ⁉︎」
(お兄ちゃぁぁんッ!)
必死に追いつこうとするが、自由落下には敵わない。
二人はそのまま、奈落へと落ちていった。




