第36話 自然の摂理
「……ん?」
悪夢の逡巡から遠ざかり、ルーカスは目を覚ました。おぼろげな視界が次第に晴れ、仄暗い岩肌の天井が目に入る。
その一方で、ごつごつとした床の感触はない。柔らかで肌触りの良い銀毛が、ルーカスを包んでいた。
(……む? ほう、起きたか。ルカ)
「……風狼……。ごめん。もしかして僕、寝てたよね? すぐ降りるよ」
(構わん。もう少し寝ていてもよいのだぞ。なんせ、あの戦いの後だからな……)
「あの戦い……ッ! そうだッ! シルヴィは……」
風狼の一言で、乱雑に散らばっていた思考が収斂する。そして……現実を呑み込んだ。
「……シルヴィは、もう……いないんだね」
(……ああ)
最後の最後まで、シルヴィは彼らを支えてくれた。たとえその身が敵の手に堕ちようと、待ち続けてくれた。
だからこそ……助けられなかったことが、心底悔やまれる。
(ところで、酷く魘されていたようだが……)
「……幼い頃の夢を見たんだ。両親が亡くなる夢を……」
(そうか……さぞ辛かろう……)
「うん……辛かったよ」
虚な空に、ルーカスは手を伸ばす。
「どれだけ必死に足掻いても、どんなに手を伸ばして努力しても……現実はそれを悉く無視をして……さらに牙を剥くんだ」
(……)
思い返せば、今までの人生で掴みきれなかったものは多かった。掴んでも掴んでも、このひんやりとした空気のように、温もりを伝えられないまま、すり抜けてしまう。
父も、母も、シルヴィも。救いたかった大切な人たちが、手のひらからポロポロと零れ落ちていく。無力な自分に、これ以上ないほどのやるせなさを感じた。
「僕は……結局、弱いままだ。一生懸命に錬金術の腕を磨いても、戦う術を身に付けても……肝心なところで躓くんだ……」
ルーカスの言葉を受け止め、風狼の瞳が揺らぐ。
(……その気持ちは、痛いほどわかる。だがな……それが現実というものだ)
「何がわかるっていうんだ……! 風狼は強いからそう言えるだけだろッ!」
ルーカスが声を荒げる。それでも、風狼は依然として落ち着いていた。
(ああ、わかるとも。なんせ我とて、初めから“強者”であったことなどないからな)
長年を生きた者だからこそ、彼の言葉には深く共感できる。だからこそ、冷静に俯瞰して言葉を紡いだ。
(風神——ルドリファ様の眷属として力を授かり、森の【守護者】として、使命を果たすために奔走した。この力があれば、森の安寧は成すべくして為されるのだと……そう思い込んでいた)
「……」
(けれど、それは大いなる勘違いだった)
どこか遠くを見据えたように、風狼は天を仰ぐ。
(どんなに力を振るおうと、我でも手に負えないことが多かった。多くの同胞が死に、森全体が混乱に見舞われた。我が人間とのいざこざを招き、多くの犠牲を出したこともあった……)
かつての惨劇が、風狼の脳裏を巡る。森の【守護者】たる彼は、皮肉にも“破壊者”になってしまった。その記憶を語りながら、風狼は自嘲気味に口角を上げる。
(我ながら、傲慢だったな……。使命を帯びたとて、所詮、我は魔獣。生ける者の一人にすぎなかったのだ)
「……そんなことが……」
それ以降の言葉が出てこなかった。
人語で意思疎通ができ、強力な魔物すらもものともしない風狼は、至高の存在だと思ってばかりいた。
けれど、違った。
(だが、ルドリファ様は……お咎めなさらなかった。我に何のお言葉もかけることなく、引き続き【守護者】の任を認めてくださったのだ)
「……それって、もしかして……」
先が読めたルーカスに、風狼は短く頷く。
(はは……聡いな。そう、きっとルドリファ様は……これが自然の摂理だと伝えてくださったのだ)
「自然の……摂理……」
(無論、理不尽をそのまま受け入れろとは、我も思わん。森がいつ何処でざわめくか分からぬのと同じく、寸分の狂いもなく、未来を読むなどできぬ)
「足掻くことは……無駄じゃないんだ」
(ああ。そうだ……)
ようやく、理解できた気がした。人や自然の、その一挙手一投足が重なることで現象は起こる。雨が降るのも、風が吹くのも、人との繋がりが生まれることも。
そして——誰かを救うことも。
「……ありがとう。なんか、頭がすっきりした気がするよ」
(それはよかった。そうと決まれば、今後のことを考えなければな)
「そうだね……」
心なしか、身体に力が戻ってくる。
戦いの傷は、いまだに癒えていない。
それでも、心の傷は少しだけ和らいだ気がした。
「ん? そういえば、なんでまだ迷宮の中なの? 魔女を倒したなら、もうここにいる必要は……」
(うむ。我も一度はそう考えたのだが……来た道が見つからんのだ)
「そんな……見つからないって」
(使い魔たちに周辺の探索をさせたが、どうもそれらしき道が見つからん。先の戦いで崩落したか、あるいは……意図的に閉じ込められたか、だな)
その推測は十分にあり得る。迷宮の構造からして、侵入者を逃さないために通路を封鎖することは、何ら不思議なことではない。黒鉄竜のときもそうだった。
「まぁ、仕方ないか。不測の事態が起こるのは重々承知していたことだし。魔物に狙われない部屋があってよかったよ……」
(いや、ここは先客がいたので、我が片付けておいたのだぞ?)
「……えっ?」
そう大きくはないはずの間抜けな声が、仄暗い空間でやけに響いた。
(灯りを点ければわかる。ほれっ)
「あ、ありがと——うぇッ⁉」
ルーカスは困惑しながらも、風狼から受け取った発光石ランタンに灯りを点けた途端、さらに絶句した。
そこにあったのは、異様な変化を遂げた魔物たちの、見るも無惨な屍山血河。大型の甲虫や蜂型の魔物、さらには一角獣らしきものも混ざっていた。
(こやつら、意外にも手強かったぞ。他種族にもかかわらず、見事な連携を繰り広げてきたものだ)
「その割には、余裕そうに言うね……」
(まぁな。あくまでも、我の経験での基準なのでな。ちょいと風で吹き飛ばしてから、首を刎ねるなり急所を突くなりすれば、一瞬だ……)
「そうだったんだ……」
(もっとも、美味しいところは使い魔たちに譲ったのだがな)
とは言っても、動けないルーカスを守りながらの交戦だったため、かなり慎重に立ち回っていたようだ。普段は戦いで使役しない使い魔たちにも、このときばかりは前衛として働いてもらったらしい。
得意げに話す風狼は、視線をちらつかせながら、わざとらしく舌舐めずりした。
(おかげで、腹が減ってしまったぞ。ひと仕事した後の飯は、ひとしお美味かろうなぁ~……)
「……そうだね。僕も今後の準備のための時間が欲しいし。ひとまず、ここで休憩しよう」
野営をする道具には事欠かない。荷物を詰めた背負子も、使い魔が運んでくれたらしい。
次なる目標は、“迷宮からの脱出”。
そのために、二人は英気を養うのだった。




