第35話 あの日の悪夢
真っ暗な闇の中へ、僕は意識を落としていく。
その際、ふと昔の記憶を思い出した。
そうだ。これは……両親を失った、あの日までの光景だ。
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錬金術を教わって以降、僕は父の副業である“薬売り”を手伝うようになった。持てる限りの薬瓶を運んだり、時折、父の代わりに薬を調合したり。もちろん、僕に作れるものに限ってだけど。
父さんは日雇いの労働者だった。一日あたりの収入は、一家庭を養うには心許ない。それでも、文句はなかった。周りの人々も、似たような暮らしをしていたからだ。
もちろん、冒険者として稼ぎを得て、仕送りするという方法もあったんだろう。
疑問に思った僕は、手伝いの傍ら、ふと聞いてみた。
「ねぇ、父さん。どうして冒険者やめちゃったの?」
「痛いところを突くなぁ。まぁ、そうだなぁ……どうやら向いていなかったみたいなんだ」
「そんなことないよ! 父さんだったら、おとぎ話の英雄様みたいになっていたよ!」
「あはは。ありがとう、ルカ。だけどな、世の中には凄い人がわんさかいる。あの暦に刻まれている“神様”みたいにな」
十二烈神の名が刻まれた暦紙に視線を向けながら、父はこう続けた。
「父さんはな、“剣神”にも、“戦神”にも連なるような人間にはなれなかった。けど……それで良かったんだ」
「どうして?」
「今こうして、ルカや母さんと三人で一緒に居られるからさ」
思えば、父は自分自身を「不甲斐ない」と嘆くことはあっても、暮らしについてあれこれと不満を口にすることはなかった。
大層な名誉などいらない。
身の丈に合った幸せを掴んだこと。それこそが、父にとってかけがえのないものだったのだろう。
その深い愛情が、僕にはたまらなく嬉しくなった。純粋だった僕は、その愛情に報いようと、錬金術師を目指した。
「それじゃあ、大きくなったらりっぱな錬金術師になって、父さんたちを楽にさせる!」
「そうかそうか。そりゃ楽しみだなぁ。よし! こうなったら父さんもかっこいいところ見せてやろうか!」
これが、第一の目標だった。
それ以来、僕は錬金術の勉強に励み、少しずつできることを増やしていった。傷薬の調合を上達させたのはもちろん、簡単な鉱物の加工も覚えていった。
錬金術ならなんでもできる。そう信じて疑わなかった。
———あの日までは。
いつものように初級錬金術書を読みながら、練習を始めようとしていた矢先だった。
バタンッ!!
大きな音が台所から響いた。
そこには、口から血を垂らしながら苦しそうに倒れ込む、母の姿があった。
「母さんッ⁉」
「おい、どうした……ッ⁉ ロマニエッ! 大丈夫かッ⁉ しっかりしろッ⁉」
母は、流行り病に侵された。
幸い、父がすぐに治癒の神官様を呼んできてくれたおかげで一命を取り留めた。けれど、それはあくまで応急手当に過ぎず、母の具合が回復したわけではない。
その後、僕と父さんは、神官様から母の病状について説明を受けた。
「ご婦人の身体機能が弱まっています。応急用の治癒魔法で少しは安定していますが……恐らく、このままでは長くとも半年が限界かと……」
「そんなっ……妻を……ロマニエを治す方法はないのですかッ⁉」
「申し訳ありません。今のところ、確立された治療法は……。ただ、鎮静剤を使い続ければ、症状を抑えることが……」
「ではその鎮静剤の処方をッ!」
「心苦しいのですが……材料が不足しておりまして。薬剤の供給そのものが追いついていないのです……」
「では……ではどうしろとッ‼」
普段は穏やかな父も、このときばかりは焦燥の色が浮かび上がっていた。もちろん、僕も同じだった。
延命方法はあれど、肝心の薬の材料がない。いくら錬金術を上達させようと、それでは意味をなさない。
「……今は、待つしかないかと。事態を重く見た冒険者ギルドも、材料の収集に力を入れてくれたそうですので」
「そ、そうでしたか……」
「それなら……母さんは……」
材料が集まれば、母を助けられる。そう思った僕たちは、ほっと安堵の息を吐いた。
けれど、神官様は首を横に振った。
「しかし、鎮静剤が供給されたとしても……早い者勝ちになるでしょうね」
「早い者勝ち……?」
「特に、この病に罹っているのは貧民街の者たちばかりですから……。薬師たちも、慈善事業で薬を配っているわけではありません」
「なるほど……」
「それに、薬が不足している以上、相当な金額を要求してくるでしょう」
「……ッ⁉ そんなッ! 人の命がかかってるのに、酷いッ‼」
「ルカ。落ち着け……」
お金のない僕たちにとって、理不尽と言ってもいい逆境。それでも、父は冷静に神官様の言葉を聞き入れていた。
「それなら……私たちがすべきことは、鎮静剤の費用を捻出すること、というわけですね」
「そうなりますね。……本来ならば、我々が治癒魔法の開発を進めて救えればよかったのですが」
「いいえ。情勢が情勢です。無理もありません」
話を締めくくり、僕たちは母の待つ家に戻った。
母さんは、気を失ったように眠っていた。息はしている。それだけで、僕は少しだけ安心した。
その日の夜、僕は父さんとこれからのことについて話し合った。
「……ルカ。父さんな、炭鉱で働こうと思うんだ」
「たん……こう?」
「そうだ。いっぱい稼げる仕事なんだ。少し前に、ビラを貰ってな」
「そんなにお金貰えるの? でも、どうして今なの?」
日雇いの仕事と薬売りでやっとの生活だった。
それなのに、どうして今になって、そんな高収入な仕事に就こうと思ったのか。このときの僕は、少し不満げな表情を浮かべた。
けれど、その理由は至極単純で、優しいものだった。
「ルカたち二人を、置いてけぼりには……できなかった」
「父さん……」
家族想いな父らしい答えだった。いくら貧しくても、両親がいる生活は明るくて、何より楽しい。
だけど、もうそんなことを言ってはいられない。母を助けたい気持ちは、僕も同じだ。
そう思ったからこそ、僕は勇気を振り絞って、言葉を紡いだ。
「……わかった。僕、お留守番してる。母さんの看病も、洗濯もお料理も、僕がやる。だから……お薬のお金、いっぱいもらってきてね!」
「ルカ……ああ。もちろんだ。母さんのこと、頼んだぞ」
「うんっ!」
そう約束を交わし、翌日、父は家を出ていった。
それ以来、僕は錬金術で作った傷薬を売りながら、母さんの看病と家事をこなしていった。六歳だった当時の僕には、かなりの重労働だった。
「……ルカ。ちゃんとご飯は食べてる?」
「大丈夫だよ。それよりも、母さんこそご飯食べてよ。前よりも顔色が……」
「お母さんは平気よ……コホッコホッ!」
「ッ⁉︎ 母さん⁉︎」
「大丈夫……ちょっと咳が出ただけよ……」
栄養のあるものを食べさせてあげられない。それどころか母さんは、毎日休まずに働く僕のことを気にかけていたようだった。
苦痛なんかじゃなかった。僕は父さんに信頼されて、母さんの看病を任されたんだ。家族として、当然の役割を果たしているだけ。
そんなことよりも、大好きな母が、日に日に窶れていく姿を見届けることしかできないのが、何よりも苦痛だった。
「大丈夫だよ、母さん。僕とお父さんで、お薬持ってくるから」
「……そう。でも……無理はしないで」
看病をしながら、来る日も来る日も、父が仕事を終えて帰ってくる日を待ち続けた。雨が激しく降る日も、風が吹き荒ぶ日も……ずっと待ち続けた。
けれど、そんな僕を嘲笑うかのように——悲劇は起こった。
ゼルドアの街を、未曾有の大地震が襲ったんだ。
僕はそのとき、母さんにお粥を食べさせていたところだった。凄まじい揺れだった。母が病弱ながらも、がっしりと僕を抱きしめて守ってくれたのを、覚えている。
貧民街の被害は壊滅的だった。ほとんどの家屋はボロ屋だったので、呆気なく倒壊して多くの死傷者を出した。
不幸中の幸いと言うべきか、僕らの家は倒壊を免れた。棚が倒れたり、腐った屋根が落ちてきたりこそしたものの、錬金術で修繕していたおかげで助かったんだ。
いや……今思えば、下敷きになってしまった方が幸せだったのかもしれない。
大地震から数日経ったある日、恐れていた知らせを耳にした。
「……おい。炭鉱の坑道が崩落したってよ」
「聞いたぜ、その話……被害拡大を防ぐために、自警団が一時閉鎖したんだよな」
「救助隊を編成中とのことだが……あの坑道狭いからな。しかも、比較的掘りやすい区域での作業だったから……」
「ああ……出稼ぎに行った連中が不憫でならねぇぜ……」
「ッ……⁉」
背中に氷の刃を突きつけられたような感覚に襲われ、血の気が引いていく。酷い耳鳴りがして、すぐさま僕は家へと走っていった。
それでも、あの言葉が耳腔で嫌というほど反響した。
「大丈夫だ……大丈夫……救助隊が助けてくれるんだ……き、きっと、父さんは……」
そう呟きながら、現実から目を逸らした。母には何も言うことなく、今まで通り看病しながらの生活を続けた。
でも、遂にその時が来てしまった。
自警団の団員が、報告しにやって来たんだ。
その男性は、病床に伏した母を一瞥すると、僕だけを外に呼び出した。
「君のお父さん……アレクさんは……うぅっ……」
「そう……ですか」
僕は妙に冷静になっていた。薄々気づいていたからか。それとも、母に見せないよう感情を押し殺そうとしていたのか。そのあたりは曖昧で、なんとも言えない。
けれど、心拍はあり得ないほど速くなっていた。まるで、凍ってしまいそうな肉体を温めるかのように。その原動力はきっと、“恐怖”だったんだ。
そんな僕のただならぬ雰囲気を、母は汲み取っていたらしい。いつものように看病をしていると、母はふとこんな事を口にした。
「……どうしたの、ルカ? 最近ちょっと変よ?」
「……なんでもない」
「あら……隠し事? 良くないわよ。悩みをそのままにしちゃ……」
「……」
僕は答えを避けるしかなかった。母は父ととても仲が良かった。だからこそ、父の話を切り出すわけにはいかなかった。
「……ルカが何考えているのか。お母さん、全部お見通しよ……」
「……実はね……」
それでも、優しい包容力に満ちた母には敵わなかった。根本的に、僕は甘えん坊だ。
後悔したところで、もう遅かった。
翌日———母は冷たくなっていた。
目を閉じて、寝息一つ立てず、ベッドの中でただ眠りにつく。物言わぬその姿は、まるで氷でできた彫刻のようで、触れたら指先の熱で溶けて、ゆっくりと消えてしまいそうだった。
後日、母の知り合いが立ち会って、葬儀を行ってくれた。合わせて、父の葬儀も行われた。
結局……僕は、約束を果たせなかった。
父も母も失った……
僕の力では……どうしようもなかった。
後日、あの男二人組が僕を連れていこうとした。きっとそれは、約束を反故にした僕への罰だったのかもしれない。




