第34話 零れた光
魔女の力は、確かに浄化されつつある。
それでも、本人は何が可笑しいのか、再び嘲笑を浮かべた。
「……ほんとうに……ほんとうにそれでいいのね……?」
「何を言って——」
「良いこと教えてあげるわ……」
胸の奥を、嫌な予感が駆け抜けた。魔女は息も絶え絶えになりながらも、なお憎たらしく言葉を紡ぐ。
「……この身体にはね……もういないわよ」
(なぬッ⁉︎)
「いない……だとッ⁉︎」
「そうよ。おまえたちがここに来るまでに……あの小娘の精神は、私が呑み込んだわ……」
「それって……まさかッ⁉︎」
ルーカスの顔から血の気が引いていく。魔女の言葉が意味するところを理解してしまった。
「そのまさかよ……私がこの肉体から浄化されるということは……あの小娘の魂も消えるのよ……」
「そんな……そんな……!」
シルヴィ救うために、今日まで東奔西走してきた。作戦を練り、準備も念入りに行った。葛藤や修羅場を駆け抜けて、ようやくここまで辿り着いた。
それなのに。
それなのに……。
遅すぎたがために、最後の最後でしくじった。
「……僕が……シルヴィを……」
「そうよ……他ならぬ、おまえが“殺した”」
嫌味ったらしい魔女の言葉が、否応なくルーカスの胸に突き刺さる。ようやく掴みかけた大切なものが、するりと手から零れ落ちていく。その現実を前に、ルーカスの頭は真っ白になった。
魔女の口元がさらに吊り上がる。
「ねぇ?……聞こえてくるでしょう?」
「……ッ⁉」
魔女の周囲に、毒々しい妖花たちが咲き誇っていた。風もないのにざわめく花々。その様は、まるで彼を嘲笑っているかのようだった。
その中でも一際目立つ一輪の花に、ふと視線が吸い込まれる。
そして、聞こえた。
———ルカのせいだ……ずっと待ってたのに……来てくれなかった。ルカは私を見捨てた……私を見殺しにした。
「……シ、シルヴィ……違うんだ……決して見殺しにしようだなんて……」
シルヴィの肉体が、浄化の光を浴びながら、少しずつ塵へと変わっていく。それは、天使のようだった無垢な少女が、魔性に染まってしまった証左に他ならなかった。
傍らで、妖花たちが踊り狂う。
(ルカッ! 奴の言葉に乗るなッ! 動けッ、ルカッ‼︎)
「……はッ⁉」
横から飛んできた風狼の叱咤の声に、ルーカスは我に返る。しかし、気づいたところでもう遅かった。
ゴゴゴゴッ……
「キシャァァァァッ‼︎」
魔女の眷属たちが、最後の足掻きと言わんばかりにルーカスを包囲し、呑み込まんと迫る。風狼は咄嗟に風を巻き起こし、無数の刃を飛ばす。
(ルカッ! くっ、邪魔だッ! まどろっこしいッ‼︎)
けれど、その攻撃は届かない。火事場の馬鹿力とでも言うべきか、眷属たちは束となって行く手を阻む。
風狼の必死の叫びも届かない。それでもルーカスは、散っていく少女の亡骸をただ見つめることしかできなかった。
——これは、自分への罰だ。
心の中で、諦念が木霊する。
——諦めないで……!
「……ッ! シル……ヴィ……なのか⁉︎ どこにっ……うっ⁉︎」
どこからともなく、少女の声が聞こえた。
その直後、眩い光が亡骸から放たれる。光に気圧されたように、眷属たちが次々と消滅していった。
ひらひらと灰が降り注ぐ中、ルーカスは朽ち果てた心の臓に目をやる。
そこにあったのは、仄かに光る、小さな芽だった。
——私は……ここにいるよ。
「……シルヴィ?」
——だけど……時間がない。
「時間がないって……どういう……」
——アイツはまだ……生きてる。
微かな光が、ふっと明滅する。
——気配が……まだ残ってる。傷を癒して……復活しようとしてる……。
「そんなッ⁉︎」
ルーカスは周囲を見渡した。
あの魔女の姿は、どこにもない。
けれど、確かに感じる。まだ終わっていない。
——だから……アイツの息の根を……止めて。
「でも、魔女は……どこに?」
その問いに応えるように、芽の光が強くなった。
ふわりと、光が一本の糸となって伸びていく。それは迷うことなく、暗闇の奥へと進んでいった。
その先にあるのは、魔女の“核”。
——私ができることは……これしかない。
光の糸が、微かに震える。
——だから……ルカが、アイツを……討って……!
「ああ……」
ルーカスは拳を握り締めた。
「ああ、討ってやるさッ!」
涙を拭う暇さえ惜しむように、顔を上げる。
「あの魔女を止める。そして……シルヴィも助けるッ!」
——……うん。
「だから……」
声が震えた。
「だから、先に逝かないでくれ……」
返事は、すぐには返ってこなかった。
やがて、か細い声が響く。
——ごめんね……私はもう……この世界には……いられないみたい。
「……そんな……」
ルーカスの唇が震える。
「そんなこと言わないでよ……」
——ありがとう……でも、もう良いの。
「良くないッ!」
思わず叫んだ。
「僕が必ず助ける! 絶対に助けるから……!」
——ルカ……。
「ここで君を救えなかったら……僕は、この先ずっと、“人殺し”として生きることになる……」
言葉が詰まる。
「一緒に帰るって……約束したんだ。風狼とも……約束したんだッ!」
——自分を責めないで……。
声は、どこまでも穏やかだった。
——ルカは……とっても優しくて……人殺しなんかじゃ……ないよ。
その言葉が、優しくも深々と胸に突き刺さる。死力を振り絞って紡がれた言葉は、まるで微笑んでいるようだった。
だからこそ、ルーカスの胸は、いっそう強く締めつけられた。
……ドゴォォォォォンッ!
(くっ⁉ 奴め……まだ生きているというのかッ!)
岩肌が崩れ落ちる音が遠くから聞こえた。きっと眷属を盾に、逃げおおせようという魂胆だ。シルヴィが言ったように、時間がない。
——ルカなら……きっとできるよ……。
その言葉を最後に、彼女の声はぷつりと途絶えた。
ルーカスは託された。
たった一人の少女の、最後の願いを。
「妖花の魔女を完全に——滅ぼすッ!!」
光の糸は、今にも消えようとしている。道しるべが完全に潰えるまでに魔女の核を破壊しなければならない。
ルーカスは、黒鉄で強化したブーツに目をやった。まだ使い慣れていないギミック。使えば、足が潰れるかもしれない。
それでも、やるしかない。
ルーカスはイチかバチかの賭けに出た。
「……展開——《迅雷脚》ッ!!」
黒鉄のブーツに仕込まれた魔法陣が、淡く輝きだす。直後、稲光を纏った黒鉄が蒼白い筋を浮き上がらせ、足元から雷を放出した。
そして——地が爆ぜる。
ドガァァァァァァァァァァンッ!!!
ルーカスは雷光になった。立ちはだかる敵を灼き貫く、蒼き雷光に。
視界が真っ白になる。有り余る電撃が身体を蝕み始めた。
「うぐッ……負けるかぁぁぁッ!!」
それでも、己を奮起させ、壁となった眷属たちを次々と焼き払い——ついに辿り着いた。
妖樹の中で、一層禍々しく輝く紫の魔石へ。
(見つけたッ‼ 今度こそ、終わりだッ‼)
神速の世界。痺れる身体に鞭を打ち、ルーカスは錬金短剣を構える。
「風は一つとなりて、荒ぶる風の矛とならん——」
その目の前に、眷属たちが壁となって立ちはだかった。だが、そうはさせぬと《魔力刃》が切り刻んでいく。
(行けぇぇッ! ルカァァァッ!!)
「穿てッ!——《旋風槍》ォォッ!!」
バチバチィィッ! ビュオォォォォォッ‼︎
短剣の切っ先から噴き出した烈風の槍が、蒼雷を巻き込んで迸った。それはまさに必殺の一撃となって、魔女の核を貫く。
——ウギャァァァァァァァァッ⁉︎
醜い魔女の断末魔が、大気を震わせる。途端に、核は輝きを失った。ピシッと音を立てて亀裂が走り、そのまま粉々に砕け散った。
烈風に吹き飛ばされた紫の破片が、燃え盛る骸の森へと散らばっていく。
——わ……わたしの……楽園……が……
無情にも、その断末魔すらも灰燼と化した森の中へ消えていくのだった。
ルーカスはその場に立ち尽くしたまま、肩で荒く息をする。
「はぁ……はぁ……終わった……のか……」
(そうだ……終わったのだ。同胞よ……おまえたちの名誉、長として挽回したぞ……)
「でも……シルヴィは……」
ルーカスは握りしめていた拳を開いた。けれど、そこにはもう、小さな芽はなかった。
約束通り、魔女は滅した。
それなのに、届きそうだった大切な光を、ついに救うことはできなかった。
「もう……いないのか……ッ……」
(……ッ⁉︎ ルカッ⁉︎ しっかりしろッ⁉︎)
ルーカスの身体から、ふっと力が抜け落ちる。
そして——そのまま意識を闇へと落とし、崩れ落ちた。




