第33話 妖花の悪霊
階段を降りた先には、妖しい木々がざわめく森のような空間が広がっていた。岩肌に根を張った花々が、ざわわと首を揺らしている。
「ここが……妖花の魔女の根城……なのか?」
(ああ……間違いない)
息をするたびに、冷たい空気が肺を満たす。当然、陽の光など差すはずもない。
そのときだった。
「あら……来たのね。まったく、懲りないわね」
怪しげな霧の奥から、少女の声が響いた。
聞き覚えのある声。
けれど、その言葉を発しているのは、決して彼女ではない。
やがて、霧の向こうに人影が浮かび上がった。
ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
そして、その姿が露わになった瞬間―――
「ッ⁉ そ……そんな……シルヴィ!」
(その姿は……おのれ。一体何をしたというのだッ⁉)
二人は、驚愕に目を見開いた。
そこに、かつてのシルヴィの面影はない。
シルクのように白く艶やかだった肌は、緑がかった茨に侵蝕されている。華奢な手からは、不格好な枯れ木の鉤爪が伸びていた。
そして、身に纏っていた衣服さえも、血に濡れたような深紅の花弁へと変わり果てている。
妖花の魔女は、そんな二人を見て妖しく微笑んだ。
「うふふ……見惚れて声も出ないのかしら?」
「……なん……だとッ!」
ルーカスの心拍が跳ね上がった。
花の妖精のようだった少女を、コイツは異形へと変え、弄んでいる。その事実に、腸が煮えくり返りそうな怒りが込み上げてきた。
(……はは。花を愛でるとは、なるほど可愛い趣味をしている)
「……風狼?」
予想だにしなかった発言に、ルーカスは風狼に視線を向けた。
一瞬、疑念すら抱く。
——この状況で何を言っているんだ?
だが、風狼の目は、笑っていなかった。
むしろ、これ以上ないほど冷静だった。
(そんな貴様にいいことを教えてやろう。古来より、常世には美しい花畑が広がっているのだそうだ……)
「……だから何?」
魔女は怪訝そうに首を傾げる。
「私は地上を花の楽園にしたいだけ。私の天国を作り出す。それが私の望みよ」
(そのような事をせずとも……我々が送り出してやる)
風狼の眼が、ぎらりと光った。
(もっとも……天国に行けるかどうかは、保障せんがなッ‼︎)
そう啖呵を切るとともに、風狼は大きく息を吸い込む。
直後——
「ヴァォォォォンッ‼︎」
渦巻く風の咆哮が、魔女へと迫った。
対する魔女は、即座に蔓の大盾を呼び起こす。
「……所詮は獣の喚き声。今の私には届かないわッ!」
堅牢に編まれた蔓は、歴戦の大音声も、風に乗った鋭い刃片すらものともしない。
だが、風狼の切り替えは速い。
(ぬぅんッ‼︎)
大盾を飛び越え、縮地法の如く肉薄する。そのまま 《魔力刃》を纏わせた爪を縦に振るった。幾多もの無法者を屠ってきた、【守護者】の鋭爪。
しかし、魔女は軽々と鉤爪で振り払った。自慢の刃をもってしても、斬り伏せられないとは……
もんどり打って、風狼は睨みを利かせた。
(この根城で……ずっと力を蓄えていたということか!)
「当然じゃない。おかげで、妖花の女王の名に恥じぬ力を得たわっ!」
地面を喰い破るように、蔓の槍が突き出した。以前とは違い、その切先は毒々しい紫色に染まっている。
(くっ……⁉︎)
風狼は突風を足場にし、軽やかに切先を躱す。そのまま華麗な爪捌きで半ばから斬り刻んだ。飛び散った毒液は、反射的に纏った風で軌道を逸らす。
(斬れば斬るほど飛び散る毒液か……また厄介な)
「あら? 気づいた? そうよ。試しに色々作ってるの。丁度いいわ、実験台になってちょうだい———」
魔女が手を掲げた。
そこへ、背後からスパークの走る音が響く。
「展開——《岩穿杭》ッ!」
ルーカスの錬成剣によって生み出された、三本の岩杭が射出された。
ズガァァンッ!
土砂を巻き上げながら、岩杭が魔女へと迫る。
「迎え撃て。我が眷属たちよ」
魔女の命令に応じ、幾多もの花の怪物たちが不気味な産声を上げて立ちはだかった。緑の壁が、砲弾の如き岩杭を受け止める。
そして、弾き返した。
(クソッ……《岩穿杭》が効いていない……!)
眷属たちもまた、以前とは比べ物にならないほど強化されている。
だが、ルーカスとて負けるわけにはいかない。
「それなら……これでどうだッ!」
咄嗟に投げつけたのは、電撃石。起動音とともに、表面を蒼白い線が走る。
「展開 ——《召雷》ッ!」
刹那、雷が爆ぜた。
歪な電撃が瞬時に空間を駆け抜け、花々を次々と貫いていく。灼雷に焼かれた怪物たちは、灰となって崩れ落ちた。
その先で、魔女が口元を三日月のように吊り上げる。
「あらあら……よそ見していていいのかしら?」
「ッ!」
背後から、夥しい数の殺気が迫る。
だが、ルーカスは慌てない。迫りくる気配を捉えるや否や、反射的に迎撃の一手を放った。
「赤く熱く、滾れ鋼の魂 ——《赤熱化》ッ!」
抜きざまに投げつけた灼熱剣が、眩い光を放つ。刀身から迸る膨大な熱量に晒され、妖花たちは成す術なく炭化していった。
(流石は黒鉄っ! 火魔法との相性は抜群だっ!)
刀身の素材には、あの黒鉄竜の金属を用いた。高温に晒されても熔解せず、熱を維持する性質を見込んで採用したが、植物系の魔物にはこれ以上ない有効打となった。
あまりの高温に、周囲の草木までもが火の海に包まれていく。
「へぇ~。なかなかやるわね。だけど、それがいつまで続くのか——ッ!」
魔女の意識の隙間を縫うように、風狼が攻め込んだ。
爪と牙による、疾風怒濤の四連撃。
(ぬぅ……これも防ぐか……)
「危なっかしいことしてくれるじゃない……‼︎」
苛立ちを露わにしながら、魔女は鉤爪を振り回す。同時に眷属たちを呼び出し、後退した風狼へ一斉攻撃を仕掛けてきた。
毒蔓の槍、強力な溶解液、回転しながら飛んでくる刃葉。風狼はそれらを最小限の動きで躱しつつ、迎撃とともに言葉を交わす。
(馬鹿を言え。貴様を屠るためにここに来ておるのだ! そうでもしなければ、散っていった我が同胞たちが浮かばれんッ!)
「同胞? あの養分になっていった奴らね……くだらない。所詮は駒でしかないというのに」
(駒か……そんな考えをしているうちは、森の長はおろか一族の長にすらなれんッ!)
「古い考えはよしなさい、おじいちゃん?」
(古臭いと言われるのは否定せんが……古きを嘲笑うと、痛い目を見るぞ?)
風狼の眼光が、鋭く魔女を射抜く。
魔女は動じていない。けれど、その瞳の奥には殺意が宿っていた。
風狼はそれを見逃さない。
ヒュンッ——バチバチバチィッ!
突如、背後から蒼雷を纏ったナイフが迫る。
「くッ……⁉」
魔女は咄嗟に蔓を伸ばし、投げつけられた刃を受け止めた。その直後、刀身に刻まれた魔法陣が淡い光を放つ。
「展開——《雷縛》ッ!」
ルーカスの叫びとともに、刀身から蒼雷が迸った。
「うがががぁぁぁッ⁉」
鋭い灼雷の棘が、魔女の身体を枝分かれしながら貫く。その衝撃に、細胞の一つ一つが痙攣していく。
(纏雷剣も通用する! これなら……ッ⁉)
しかし、魔女は苦悶の表情を浮かべながらも、凄まじい怒りを露わにした。
「ぐぅ……小癪な真似をッ! 殺れッ‼︎」
魔女の命令に呼応し、また新たな怪物たちが産声を上げる。天井から、岩肌から、先ほどの倍にも上る数の敵が、目の前を覆い尽くした。
圧倒的な物量による猛攻が、ルーカスたちへ迫る。
それでも、二人に絶望の色はない。
むしろ、筋書き通りだった。
(来たッ! ここからが正念場だ‼︎)
(うむッ! 気を引き締めろ、ルカッ‼︎)
魔女の力を消耗させることこそ、シルヴィ救出の糸口。激昂したときこそ、紛れもない好機だ。
それでも魔女は、無駄だと言わんばかりに嘲笑う。
「いくら貴様らが抗おうと、私には傷一つつけられないわ。それに……忘れてないかしら? この肉体はあの小娘のものよ? 私が死ねばこの娘も——!」
(——そうかな? 我々が生半可な覚悟で挑んできたと思ったら大間違いだッ!)
魔女の言葉を遮り、風狼がさらに風を巻き起こす。風の流れに混じる魔力の色は、元来の緑色だけではない。怒りと敵意を煮詰めたような、ドス黒い紫色が滲んでいる。
それはまさに、“殺意の暴風”と呼ぶに相応しかった。
「くッ⁉ まさか、本気じゃなかったっていうの⁉」
(少し……試していただけだ。やはり、まだまだ未熟よなッ‼︎)
風狼は身を翻すと、《魔力刃》を放射状に乱れ撃つ。飛び交う刃が怪物たちを容易に切り裂き、無惨な塵芥へと変えていった。
だが、斬り伏せたそばから、別の怪物たちが襲いかかってくる。
流石は妖花の本拠地。外敵対策は万全といったところか。
「まだまだっ! 叩き落としてやるわよッ!」
(ふんッ! やってみろ‼︎ まとめて吹き飛ばしてくれるわッ‼︎)
一方で、ルーカスも眷属たちの猛攻を、真正面から凌いでいく。出し惜しみなどしない。自慢の魔道具たちが次々と火を吹いた。
「展開——《召雷》ッ! 《赤熱化》ッ!」
電撃石と、灼熱剣の合わせ技。空を裂く電撃が怪物たちの肉を焼き、灼熱の刃が断末魔を上げる暇さえ与えずに熔かしていく。
その熱気によって、火の海はさらに燃え広がり、妖花たちを次々と焼き尽くしていった。
もっとも、ルーカスの消耗は体力、魔道具ともに激しい。四方八方からの攻撃に対応しなければならないうえ、できる限り最大火力で迎え撃たなければ呑まれる。手を止めている暇などない。
しかし、そのおかげか魔女の方も燃料切れになってきているようだった。
「はぁ……はぁ……どこまでもしぶとい小童どもが……」
(魔力切れか? 妖花の女王と抜かしていた割には、大したことないのだな?)
「な……なんだとッ⁉︎」
(ふっ……だから貴様は三流なのだ)
風狼の言葉に、魔女は思わず気色ばんだ。
咄嗟に振り返ったその先には。
短剣を構えたルーカスがいた。
振り向きざまに、繰り出された一撃を魔女は腕で受け止める。細身の刃が、その腕へ深々と突き刺さった。
「ッ⁉︎ 貴様ッ! 正気かッ⁉ この肉体は小娘のもの!」
「だからこそ……返してもらうッ!」
ルーカスが人差し指でトリガーを引く。すると、短剣の切先から薬液が注ぎ込まれた。
「なにを……ッ⁉」
異変を察した魔女が、咄嗟にルーカスを突き飛ばす。
しかし、もう遅い。
魔女の身体から、みるみる力が抜けていく。
「——うぐッ⁉︎ き、貴様……我が肉体に……何をした……⁉︎」
苦悶する魔女を前に、ルーカスは息を切らしながらも言い放つ。
「か、簡単なことさ……特製の除草剤を打ち込んだだけだ!」
「じょ……除草剤だとッ⁉︎ うぐッ!」
短剣に仕込んでいたのは、ちょっとばかり効き目を強くした除草剤。アルラウネが植物系の魔物ならば、その肉体に直接打ち込むことで弱体化させられる。
魔女の魂を消耗させるほどの効果があるかは、正直なところ賭けだった。
しかし、その心配は杞憂に終わった。除草剤は確かな効果を発揮していた。
「……私を殺すというのか?……血迷ったか⁉」
「何度も言わせるな……その身体、シルヴィへ返してもらうぞッ!」
ルーカスは懐から鐘型の魔道具を取り出し、すかさず浄化の呪いを言葉に乗せた。
「迷える魂よ、穢れを捨てよ。迷いし者よ、名を思い出せ——」
「そ、その詠唱はっ……や、止めろ! 女王たる私を祓おうというのか。身のほどを——がはッ⁉」
抵抗する魔女の四肢に、子犬たちが一斉に噛みついた。小さな牙は肉に食い込むほどのものではないが、それでも、指一つ動かすことすら許さない。
四肢を押さえつけられたその様は、まさにだった。
(身のほどを弁えるのは貴様のほうだったようだな。)
「この犬畜生どもがッ……⁉」
「——肉体に宿りし偽りの魂を退け、あるべき場所へ灯を還せ」
「あ……ああぁぁぁぁぁッ⁉」
魔女の必死の抵抗も、もはや届かない。
ルーカスは鐘を掲げる。
「——《悪霊祓いの鐘》ッ!」
——カァァンッ!
浄化を告げる鐘の音が、妖樹蠢く領域に鳴り響いた。紛い物の魔女の器に、優しく、そして忌々しい天使の声が降り注ぐ。
「ま、まさか……私をおちょくっていたのは、このためだったというのか……!」
「その通りだ。けど……もう遅い」
ルーカスは真っ直ぐに魔女を見据える。
「さっさとあの世に行って、大好きなお花畑にでも囲まれていろ!」
魔女の身体を光が包み込み、その禍々しいオーラを消し去っていく。同時に、鉤爪も、侵蝕されつつあった肌も、深紅のワンピースも、元のシルヴィの姿へと戻っていった。
浄化は成功した。
けれど——魔女は再び不気味な笑みを浮かべた。
「……ふふっ」
「ッ⁉」
ルーカスが目を見開く。その笑みの裏側に隠された真意を、彼はまだ知らなかった。




