第31話 猛る竜、猛る逆鱗
「キァァァァンッ‼︎」
黒鉄竜が勢いよく飛び上がる。
(むっ⁉︎ 飛んだぞっ!)
「あの見た目で飛べるのかッ⁉︎」
巨体からは想像もつかない軽やかな飛翔。そのまま二人めがけて急降下してくる。
「ッ!」
二人は咄嗟に跳び退いた。
直後——黒鉄の鋭爪が、火花を散らしながら地面を深々と抉った。
「それでいてこの威力……ッ⁉︎」
だが、黒鉄竜はそれだけでは終わらなかった。
——ズズズ………シュガガガッ‼︎
間髪入れずに、滞空したまま全身から無数の棘を乱れ撃ってきた。
「くっ⁉︎ 展開——《聖盾》ッ‼︎」
ルーカスは咄嗟にペンダントをかざし、光の大盾を発現させる。
刹那——幾本もの棘が雨霰と降り注ぎ、大盾を覆い尽くす。
風狼は風を纏い、弾幕を軽やかに躱していく。それでも、完全には避けきれず、小さな刃片が身体に微かな傷痕を刻んだ。
(なかなか嫌な攻撃をしてくるものだな……)
「だね……それじゃあ、今度はこっちの番だッ‼︎ 展開——《赤熱化》ッ‼︎」
ルーカスはホルダーに手をかけると、灼熱剣を抜きざまに投げつけた。赤熱した刀身が風を切り、狙い違わず竜の腹部へ突き進む。
——しかし。
ガキィンッ!
灼熱剣は、呆気なく弾き飛ばされた。
黒鉄竜は気にも留めない。
直後、高く跳び上がった風狼が、竜の脳天めがけて《魔力刃》を叩き込む。
(ぬぅんッ‼︎)
歴戦の爪は、もはや戦斧と言っても過言ではない。
それでも——火花を散らしただけだった。
黒鉄の鎧には、僅かな擦り傷が残ったのみ。
「……ッ!」
ルーカスは息を呑む。
想定外の戦いになることは覚悟していた。だが、これほどまでに硬い敵に遭遇するとは、思ってもいなかった。
「キアァンッ!」
黒鉄竜が咆える。
その口元で、蒼い雷光が微かに瞬いた。
(またなにか来るぞッ! 構えろッ‼︎)
「クソッ! ——ッ‼︎」
ルーカスは咄嗟にペンダントに魔力を流し込み、光の大盾をさらに強固にする。
次の瞬間——地面を稲妻が駆け抜けた。広範囲に迸る、“地を這う雷”だ。
「あがッ⁉」
(ぐッ⁉ 電撃かッ!)
不規則な雷光が、ルーカスたちを襲う。四方八方から襲いくる電撃は、《聖盾》では防ぎきれなかった。
瞬時に身体が灼かれ、骨の髄まで痺れる。
それでも、倒れなかった。
幸いにも、錬金術師用の作業着には特殊な絶縁素材が織り込まれている。電撃を完全に遮断することはできないが、その威力を大きく軽減してくれた。
「ぐっ、ああ……!」
(ルカッ! ええいっ——守護者を舐めるなっ!)
しかし、このままでは危険だ。そう判断した風狼は、すかさずルーカスの周囲に風を巻き起こす。
同時に、大きく息を吸い込んで——咆哮で応戦した。
「ヴァォォォォンッ‼︎」
渦巻く風とともに、大気が震える。
その衝撃が雷を霧散させ、黒鉄竜を真正面から打ち抜いた。
「キァンッ⁉︎」
竜は気圧され、途端に雷光が収まった。
その隙に、風狼が声をかける。
(おい、しっかりしろ!)
「な、なんとか……動……けるッ!)
脂汗を流しながらも、ルーカスはどうにか答えた。痺れも少しずつ引いてきて、ようやく身体が動くようになったところだ。
「……グガゥ……キィ……」
地に降り立った黒鉄竜がこちらを見据える。
細めた瞳孔には、「しぶとい奴らめ」と言いたげな色が浮かんでいた。
ルーカスたちもまた、黒鉄竜の様子を窺う。
「……あの外殻。どうにかして突破する方法は……いくらなんでも硬すぎる」
(同感だ。我が渾身の《魔力刃》ですら歯が立たなかった……)
灼熱剣も、歴戦の《魔力刃》も、あの外殻には通じなかった。
特に灼熱剣は、ルーカスの手持ちの中でも切り札と呼べる代物だ。
それすら効かない。
ならば、《風刃》も、錬成剣も、氷結剣も——恐らく通用しない。
「……どうする……?」
ルーカスの脳裏に、初めて焦りが浮かんだ。
考えようにも、思考はもはや崖っぷち。このまま進めば、そのまま奈落へ落ちてしまいそうだった。
だが——そんな彼の肩を、叩くような声がかかった。
(ルカ。奴の外殻に《錬金術》は使えんのか?)
「……えっ?」
思わず、ルーカスは黒鉄竜の外殻を見つめる。
「あの外殻に? 無理だよ。生物の身体は、錬金術じゃ干渉できない……」
(そうなのか? あの外殻、切りつけたときに岩肌のような感触があったのだが……それでも肉体と同じなのか?)
「……」
ルーカスの思考が止まる。
そして——
「……いや。あり得るのかも」
その可能性を、ルーカスは考えてもみなかった。
基本的に、《錬金術》は生体への干渉ができない。生物の肉体が、術による分解作用に強く抵抗するからだ。
だが、もし風狼の言う通り、あの外殻が鉱物なら——
「錬金術で……突破できる!」
ルーカスの瞳に、再び光が宿った。錬金術の原則に囚われすぎていたがゆえの盲点だ。
素朴な疑問ではある。だが、試してみなければ始まらない。
(ならば、狙うべきはやはり腹か)
「そうだね……そっちの方が急所を狙いやすいかも」
(ふむ。では、我はルカの支援をしよう)
「そうしてくれると助かるよ」
方向性は決まった。
今こそ、反撃の狼煙を上げるときだ。
気を引き締めたルーカスは、錬成手袋を嵌め直す。
「それじゃあ、援護を——ッ⁉︎」
(ッ⁉︎ なんだっ⁉︎)
その直後だった。
黒鉄竜の全身を、蒼白い雷光が駆け抜けた。
角が、爪が、翼が——まるで巨大な避雷針のように輝いていく。
「キィィィィ……」
低い唸り声。喉元が、仄かに蒼白く光る。
次の瞬間——
ズドォォォォォンッ‼︎
視界が、白く染まった。
「——ッ⁉︎」
(ぬおッ⁉︎)
二人は反射的に身を伏せる。
轟音とともに、漆黒の大広間を一直線に閃雷が駆け抜けた。
その余波だけで、壁面の黒鉄が赤熱する。
「……は?」
ルーカスは、言葉を失った。
——これが、黒鉄竜の本気なのか。
戦慄に身体を震わせながら、ルーカスたちは黒鉄竜の方へ視線を向けた。
紅い瞳が、二人を鋭く射抜いている。
その眼差しには、先ほどまでにはなかった苛立ちが滲んでいた。
「キィィ……ッ!」
再び、喉元が蒼白く光り出す。
(……マズイな)
「言ってる場合かッ!」
本能が、けたたましく警鐘を鳴らした。
ルーカスたちは反射的に身を翻し、一目散に駆け出す。
ズドォォォォンッ‼︎
二発目の閃雷が、背後で轟いた。
「クソッ! 耳が麻痺してきたッ!」
轟音が鼓膜を容赦なく叩きつける。これでは武器を手に近づくどころか、まともに立っていることすら難しい。
今はただ、両耳を塞ぎながら走るしかなかった。
そんなルーカスの耳元へ、風に乗って声が届く。
(ルカッ! 聴こえるかっ!)
「ふ、風狼っ⁉︎ これは一体……!」
思わず叫び返す。
轟音の中でも、風狼の声だけは不思議なほど鮮明に届いていた。
(ふむ、聴こえるようだな。端的に言えば——我は今、奴に矛先を向けられている!)
ルーカスは横目に風狼を見る。
たしかに、黒鉄竜の攻撃は風狼へと集中していた。
「でも、どうして⁉︎」
(よくは知らんッ! だが、今こそが好機だっ! 作戦通りにいくぞっ‼︎)
「……了解ッ!」
ルーカスはそれだけ答えた。
理由はわからない。
だが——好機であることだけは確かだ。
風狼が囮になっている間に、黒鉄竜の甲殻を突破する。
今、成すべきことはそれだけだ。
黒鉄竜めがけて、ルーカスは駆け出した。
「キァァンッ!」
黒鉄竜の咆哮に呼応するように、外殻から鋭い棘が放たれる。
行く手を阻む、無数の黒鉄。
「くっ……!」
ルーカスは錬金短剣を振るい、迫り来る棘を弾き飛ばす。
一撃、二撃、三撃——。
風狼との訓練で培った動体視力と直感が、飛来する棘の隙間を見抜いていく。
右へ。次は左。
さらに一歩、踏み込む。
最短の経路を、ルーカスは迷うことなく駆け抜けた。
一方——囮となった風狼はというと。
(ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ⁉)
文字通り、必死になって猛攻を凌いでいた。
(くっ……竜は気高き生き物と聞くが、ここまで執着してくるものとは思わなんだッ⁉︎ 我が何か、逆鱗に触れるようなことをしたかっ⁉︎)
黒鉄竜の紅い瞳は、風狼だけを捉えている。殺意を剥き出しにした棘が、次々と襲いかかってくる。
(逆恨みも甚だ——しいッ!)
ズドォォォォンッ‼︎
三度目の閃雷。
風狼は爆発的な脚力で跳び上がり、紙一重で雷撃を躱す。
直後、その頭上を無数の棘が通過した。
(ぬおっ……!)
止まることを知らない猛攻。
数々の修羅場を駆け抜けてきた風狼でさえ、一歩間違えれば“死”が確定する——そんな危機感を肌で感じていた。
それでも——
(……なるほど)
風狼は、ただ逃げ回っているわけではなかった。砲撃を掻い潜りながら黒鉄竜の動きを、既に見切りつつある。
(あの極太の雷……口の礫が本体か。この棘も……やはり、微かに電気の走った場所を狙っている。そして——)
無論、弱点となりうる所作も織り込み済みだ。
(——大技の雷を放つ際は、下を向けないッ!)
風狼が口角を上げる。
——その隙を突くように、ルーカスが黒鉄竜の懐へ潜り込み、手を伸ばす。
「行くぞッ——《鉱物錬成》ッ‼︎」
刹那、淡い蒼白色の光が、掌から放たれる。
(くっ……錬成に抵抗してくるッ⁉︎ だけど、負けるもんかぁッ‼︎)
緻密な操作はいらない。
もっと大雑把に——手のひらに走るスパークで黒鉄を熔かす。
そうイメージし、《錬金術》へと反映させる。
やがて、そのイメージが形となった。
黒鉄の甲殻が溶け、薄い皮膜が露わになる。
「キァァァァァァァンッ⁉︎」
黒鉄竜が咆哮した。
「うぐっ⁉︎」
至近距離から叩きつけられた金属音に、ルーカスの意識が揺さぶられる。
気絶しそうだった。
それでも——この千載一遇の好機を逃すわけにはいかない。
たとえ鼓膜が破れようとも。
この竜を倒して、先に進む。
今のルーカスには、確固たる覚悟があった。
「これで……どうだぁぁッ‼︎」
突き立てた錬金短剣が、皮膜を突き破る。
刃が、肉へと食い込んだ。
(急所には届いてない……けど、想定内だっ!)
巨体に対して、浅い一撃。
だが——だからこそ。
ここからが、錬金術師の本領だ。
「風は一つとなりて、荒ぶる風の矛とならん……」
突き刺さった短剣の魔法陣が、淡く緑色に輝き出す。
「穿てッ!——《旋風槍》ッ‼︎」
刹那、圧縮された風が、黒鉄竜の身体の内側で爆ぜた。
ボゴォォォォォンッ‼︎
「キァァァァ……⁉︎ キァン……」
今までとは比べ物にならないほどの大音声。
けれど、その金属音は——ほどなくして鳴り止んだ。
その様子に、ルーカスは安堵の表情を浮かべる。
「終わった……やっと——」
——直後。
「うぇッ⁉︎」
緩んだ身体に、巨大な影がぐらりと、崩れ落ちてきた。
避けなければ。そう思うのに、身体に力が入らない。
(嘘だろ……せっかく倒したのに……)
——試練を乗り越えた、その先で。
こんな不憫な形で生を終える——
(ふんッ‼︎)
……とはならなかった。
風狼が咄嗟に駆けつけ、ルーカスの襟腰を咥えて飛び退いたのだ。
「あ……ありがとう、風狼……」
(ぼさっとするな。危うく潰れるところだったぞ……)
「ごめん……身体が動かなくってさ」
(……はぁ、仕方がないか。我のほうが重労働だったがな……)
風狼は肩で息をしていた。さしもの【守護者】も、あれだけの猛攻を凌ぎ続けた疲労は隠せないらしい。
「でも、そのおかげで倒せたことだし……帰ったら、特大のお肉を焼いてあげようかな」
(ふむ。それならば不満はない。ひと仕事した後の肉ほど至高のものはないからな!)
「そうだね……!」
肉の話になれば途端に元気になる風狼を見て、ルーカスは「相変わらずだな」と微笑んだ。
「そのためにも、先に進もう……」
(うむ。祝杯は……三人で上げるに限る……)
風狼の言葉に、ルーカスは小さく頷いた。
まだ、目的地には辿り着いていない。
二人は黒鉄竜の横を通り抜け、奥の扉へと歩き出した。
「……ん?」
(どうした?)
——おかしい。
「なんで……まだ閉まってるんだ?」
たしか、この錠前は黒鉄竜が現れたときに閉じられたはずだ。ならば、竜が絶命した今、解除されているはずなのに。
その直後——微かな音が、耳に届いた。
「……キァァンッ……」
「ッ⁉︎」
二度と聴くことがないと思っていた、金属音。
「生きてる……ッ⁉︎」
(ルカッ! 何か……仕掛けてくるぞッ‼︎)
バチッ……バチバチッ……‼︎
黒鉄竜の全身を、蒼白い雷光が駆け抜ける。息も絶え絶えになりながら、竜は必死に力を振り絞ろうとしていた。
肉を引き裂かれ、骨を砕かれてもなお、敵を駆逐する。
その強い意志を、ルーカスたちは感じ取った。
(なるほど……最期の足掻きといったところか……体内の雷を大放出するつもりだ)
「大放電だってッ⁉︎」
それはきっと、“地を這う雷”など比べ物にならない大規模攻撃になる。
《聖盾》でも、風狼の風でも対処のしようがない。
全滅の未来は、火を見るよりも明らかだ。
(いや、考えろ……情報を整理するんだ……)
絶対絶命の状況。
けれど、だからこそ冷静に思考を巡らせる。
(周りの鉱物は、見た目も性質も……そうかッ! 磁鉄鉱だッ!)
脳裏に舞い降りた、知恵の天啓。
ルーカスは、その可能性に賭けた。
「風狼ッ! 風で防壁を張ってくれッ!」
(なぬッ⁉︎ 風でも完全には防ぎきれんぞッ⁉︎)
「いいからッ! イチかバチかだけど、今はこれしかないッ!」
(……了解したッ‼︎)
風狼は言われるがまま、周囲に風の防壁を張る。
そしてルーカスは——地面へ氷結剣を突きつけた。
「展開——《氷精の悪戯》ッ‼︎」
刀身が淡く光る。
そこから溢れ出した冷気が地面を這い、黒鉄の床を瞬く間に凍てつかせていく。霜が広がり、薄氷が一面を覆った。
「キァァァァァァァァァンッ‼︎」
直後——咆哮とともに、雷光が激しく迸った。
バチバチバチバチィィィッ‼︎
視界を埋め尽くすほどの閃光。
——ルーカスの視界が、白く染まった。




