第30話 黒鉄の番人
ルーカスたちは、迷宮の入り口へと足を踏み入れた。
そこは、石造りの遺跡だった。
草木が生い茂り、壁面には苔がびっしりと張り付いている。悠久の時を経た、いかにも太古の遺物といった風貌だ。
内部は仄暗い。
しかし、魔物どころか、何者かが潜んでいる気配すらなかった。
「……静かだね」
(うむ。だが、油断は禁物だ)
風狼の警戒をよそに、二人は慎重に奥へ進んでいく。
やがて、その先に開けた空間が現れた。
床には、大きな魔法陣が描かれている。
「これが……転移魔法の陣?」
(そうだ。ここから先があの森の階層になるはずだ)
風狼の話では、この先に妖花の魔女の根城を構えている。その事前情報を信じるなら、この魔法陣を抜ければ、目的地へ辿りつけるはず。
「この先に……魔女の根城が……」
ルーカスは魔法陣を見つめる。もう後戻りするつもりはない。覚悟は既にできていた。
(では……行くぞっ!)
「うんっ!」
二人は同時に、転移の陣に足を踏み入れた。
その瞬間——
魔法陣が、激しい光を放った。
「うっ……⁉︎」
(ぬっ……!)
視界が白く染まる。
次の瞬間、ルーカスの意識は途切れた。
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「こ……ここは一体……」
目を覚ましたルーカスは、困惑の声を漏らした。
(なんだ……我が見た景色と違うではないか……)
風狼もまた、周囲を見回している。
二人の目の前に広がっていたのは、森ではなかった。
漆黒の物質で造られた、異様な空間。随所に発光石のランプが灯り、その先には、炭鉱を思わせる一本道が続いている。
「……森は?」
(我にもわからぬ……)
風狼の事前情報と、目の前の光景。
二つは、あまりにもかけ離れていた。
(ふむ……おかしい。使い魔が踏み入ったときは、間違いなく森の階層に出ていた。こんなことがあろうか……)
「……いや、あるのかもしれない」
風狼の証言と、持ちうる知識を照らし合わせ、ルーカスは一つの仮説を導き出した。
「たぶん、あの転移魔法の陣は、決まった場所に転送するものじゃないんだと思う。前に聞いたことがあるんだ。転移陣には、あえてそういう構造を採用しているものがあるって」
迷宮の大半は大昔の建築物だ。
巨大な迷宮となれば、それは権力者の居城や施設だったこともある。そして歴史を紐解けば、権力者の暗殺や、その未遂に終わった事件は数多く存在する。
そのため、当時の権力者たちは、緊急時に備えて複数の非常口を設けていたという。
「つまり、この転移魔法陣も、その名残なんじゃないかな?」
(ほう……面白い推察だな)
一貫性のある推測に、風狼は感心したように口角を上げる。
その直後、単純明快な閃きが、脳天を突き抜けた。
(それならば、一度陣に戻って入り直すというのはどうだろうか?)
「ッ! それだっ‼︎」
思わず感嘆の声を漏らすルーカス。
さっそく仕切り直すべく、二人は転移魔法陣へと戻った。
そして、再びその上へ足を踏み入れる。
……が、魔法陣は、うんともすんとも言わない。
「……どうやら、一方通行みたいだね……」
(ふむ、そう甘くはいかんか)
現実は厳しい。
諦めて、奥へ進むしかない。
「それにしても、この壁……なんなんだろう。石炭っぽく見えるけど……」
(ルカ。その“石炭”とはなんだ?)
「簡単に言えば、燃料だよ」
(よく燃えるもの……なのか)
「まぁ、そういうこと。でも、どうも石炭じゃないっぽいんだよね……」
坑道のような造りの通路。
だが、炭鉱ではないことはすぐにわかった。工房で仕事をするルーカスには馴染み深い、石炭特有の焦げ臭さがない。
代わりに漂っていたのは——錆びた鉄のような匂いだった。
「この匂い……たぶん、鉄が主成分だね。しかも黒色……“磁鉄鉱”の鉱床なのかな?」
(我より鼻が利くではないか……)
「そりゃ、錬金術師だし」
(……もはや、話についていけんな……)
仕事柄、素材の性質を見抜くのが得意なのは理解できる。しかし、ここまで来ると、もはや職業病ではないかと風狼は疑っていた。
「……ん?」
(おっと……ここは……広間か?)
「本当だ。しかも、灯りが点いてる」
二人は足を止めた。
目の前に広がっていたのは、辺り一面が黒鉄で出来た大広間。
壁や天井からは、蒼白い鉱石が顔を覗かせている。淡い光を放つそれらは、まるで夜空の輝く星々のようだった。
「ッ! 風狼っ! あれっ!」
ルーカスが指を差した先に、壁と同化した扉が見える。
(あの先へ進めばよいということか。だが——どうやら簡単には通してくれぬらしいぞ?)
「えっ? それってどういう——」
ズドンッ‼︎
ルーカスの言葉を遮るように、何かが重い音を立てて落下した。
それは、ゴツゴツとした黒い鉱物の塊。
しかし、その姿はどこか奇妙だった。
まるで、名のある芸術家が戯れで削り出した、異形の彫刻のように見えた。
いかにも、天然物とは思えない大きな金属塊。
けれども、これは紛れもなく自然が生み出したものだった。
何を言おう———れっきとした魔物なのだから。
———ギリィ……ゴゴゴッ
物言わぬ金属塊とばかり思われたそれが、ゆっくりと動き出す。
翼を広げ、四肢を伸ばし、首をもたげる。
そして、鋭い眼が見開かれた。
刺々しい外殻に覆われた、黒鉄の怪物。
きっと、こう呼ぶのが相応しいだろう。
——黒鉄竜、と。
紅い瞳がルーカスたちを射抜く。
どうやら、縄張りに踏み入った不届き者として敵認定されたらしい。
「キァァァァァァァンッ‼︎」
金属を打ち鳴らしたかのような凄まじい咆哮。
「ぐっ⁉︎」
鼓膜を激しく突き刺すような音に、堪らずルーカスは耳を塞いだ。
血の気が引くほど悍ましい雄叫び。
縄張りを荒らす侵入者を排除せんという怒りが、ひしひしと伝わってくる。
(ほう……我が風を以てしても、完全には防ぎきれんか……厄介な)
「風狼より……格上なのか……」
(うむ……流石は迷宮。殺意の剥き出し方がまるで違う)
かつてのルーカスは、狂爪大熊に明確な殺意を向けられたこともあった。
だが、この竜はまるで違う。
こいつに比べれば、大熊など矮小な獣に等しい。
大熊が“蛮族”なら、この竜は“騎士”。
ただ暴れ回る獣ではない。
その巨体と研ぎ澄まされた爪牙を以て、侵入者を阻む——まさしく、“黒鉄の番人”だ。
呆気に取られていたうちに、既に来た道は塞がれていた。奥の扉も、いつの間にか黒の錠前が掛けられている。
退路はない。
だが、恐れもない。
「悪いけど、さっさと倒して先に進ませてもらうッ!」
(ふんっ、肩慣らしにはちょうど良い。その首、我が同胞への土産としてくれようッ‼︎)
啖呵を切る。
同時に——開戦の火蓋が切られたのだった。




