第27話 頼れる強さ
「これで……これでいいんだ」
“後悔はもうしない”。
そう自分に言い聞かせながら、ルーカスは夕暮れ時の路地を歩く。正直なところ、あの笑みは張り付けた仮面だった。
その裏側では、二つの正しさがぶつかり合い、混じらぬまま渦巻いている。
シルヴィを救いたい。
けれど、マーガレッタへの恩も返さないといけない。
どちらも間違いではない。だからこそ、ルーカスは苦しんでいた。
「……とは言っても、この街で見つかるのかな……」
ゼルドアは商売が盛んな街だ。行商人を通じて、スクロールの代わりになる《浄化魔法》の魔道具が流入している可能性もある。
もっとも、取引される現場はほとんどが闇市場。何せ回復や浄化といった特殊な魔法——【神聖魔法】は聖母教会の管轄下に置かれている。探す際は慎重になる必要があった。
仮に見つかっても、スクロールよりも高額ならば本末転倒だ。
考えるだけでも胃が痛くなる。度重なる徹夜のせいだろう。頭もぼんやりしている。
「クソッ……眠気が……やること、あるのに……」
一瞬、身体がグラつく。その途端——
「きゃっ⁉︎」
「うわっ⁉︎ す、すみません!」
誰かにぶつかってしまった。ルーカスは咄嗟に頭を下げる。
ふと視界の端で、ふわっと揺れる清らかな水色の髪が映った。おっとりした柔らかな声にも、聞き覚えがある。
「って、ルカ君じゃない⁉︎ 大丈夫?」
「えっと……マリンさん⁉︎」
見上げた先には、驚いた表情のマリンがいた。
「どうしたの? ぶつかるなんて、ルカ君らしくないわね」
「すみません……ちょっと、ぼーっとしちゃって……」
「そうなの? お仕事、無理しすぎなんじゃない?」
「あはは……すみません」
「笑えないわよ!」
ぶつかった拍子に飛んだと思った眠気が、再び襲いかかってくる。視界がぼんやりと霞み、頭も上手く回らない。
そんなルーカスを見兼ねたマリンが、慌てて肩を支えた。
「よく見たら窶れてるし、ちゃんとご飯食べて寝てるの?」
「いろいろやることあって……ここ数日は……」
「もう〜ダメじゃない! 仕事熱心なのは良いけど……身体のことはちゃんと考えなきゃ。取り敢えず、今日は私の家に泊まっていきなさい」
「大丈夫ですよ……僕にはまだやることが……」
「そんな状態で取り掛かっても、空回りするだけよ。つべこべ言わずに、ゆっくりしていきなさい」
「……はい……」
力なく、ルーカスはそう返す。マリンの声色は怒気こそ感じられないものの、いつにもなく鋭かった。あのまま抵抗していたら、気絶させてでも連れていかれたかもしれない。
マリンの言うことには一理ある。健康なくして、満足に動くこともできない。それに、久しぶりの人の手料理をいただくのも、悪くない待遇だ。
もっとも、マリンの狙いは別のところにあるようだが……
(ルカ君のことだし……何か厄介事でこうなってるのかもしれないわ。洗いざらい吐いてもらいましょ)
陽の落ちる空の下、二人はゆっくりと帰路を辿った。
------
【水妖精の雑貨屋】のすぐ隣。店と軒を連ねる家屋へ、ルーカスは連れ込まれた。
「ただいま〜」
「あ、おかえり」
出迎えてくれたのは、鯔背な金髪の男性。街中では自警団長として名が知られている、マリンの夫・アベルである。
「——って、ルーカス君も来てるのか!」
「ええ。ちょっと色々あって、保護したのよ」
「お……お邪魔します……」
「ああ、そういう……」
困惑が滲む反応。とはいえ、仲睦まじい夫婦なだけあって、皆まで言わずともわかるらしい。
「取り敢えず、好きな席に座りなよ。ちょうど、ご飯にしようと思っていたんだ」
「すみません……ご馳走になります」
「私もお腹空いちゃった。さっ、ご飯食べましょ♪」
テーブルには出来立ての料理が並んでいた。香ばしい香りが、鼻を通じて胃袋を駆り立てる。
料理を口にすると、ルーカスはたちまち活気を取り戻していった。誰かと食卓を囲むことが、こんなにも心地よいものだったとは。
ここ最近は時間に追われて、すっかり忘れていた感覚だった。思えば、こんなふうに何も考えず誰かと過ごす時間など、いつ以来だろう。今はこの穏やかな時間に、身を委ねていたい。
「相変わらず、良い食べっぷりだね」
「そうね。やっぱり元気なルカ君が一番だわ」
元気に食事にがっつくルーカスに、マリンたちも安心したようだった。
やがて食事を終える頃には、先ほどまでの疲労も幾分か和らいでいた。食後はお茶を啜りながら、しばし世間話に興じた。
「ルーカス君。お茶、もう一杯いるかい?」
「それじゃあ、いただきます」
「マリンは?」
「私もお願い。あ、ミルクも持ってきてちょうだい。角砂糖はいらないわ」
「わかった。お湯沸かすから、ちょっと待っててね」
アベルはティーポットを持って、台所へと向かっていく。
「本当に、ご馳走様でした。急にお世話になっちゃって、すみません」
「いいのよ。流石にあの状態は看過できなかったし。こうやってご飯食べるのも、初めてじゃないでしょ?」
「そうでしたね。何回かお邪魔していますし……どう恩を返せばいいのやら」
「そんな心配いらないわ。だって……」
ふわりとした声色が、神妙に変わる。唐突な変化に、ルーカスは思わず息を呑んだ。
「ルカ君には、色々聞きたいことがあったから」
眼光がルーカスを射抜く。逃さないと言わんばかりに。
「聞きたいこと……ですか……」
「そうよ。単刀直入に聞くけど、前に言っていたアルラウネ絡みのことで振り回されてるんでしょ?」
マリンの推理眼がここぞとばかりに光る。
「そ、そうですけど……」
「やっぱりね……ふぅん」
その表情には、呆れとも心配ともつかない複雑な色が浮かんでいた。
ルーカスは返事に困る。なんとなく、お説教が始まるのだと身構えた。
だが、意外にもその空気を変えたのは——マリン本人だった。
「ルカ君……一人で抱え込まなくていいのよ」
「えっ……?」
いつもの優しい声に、ルーカスは顔を上げる。そこには、先ほどまでの鋭さなど微塵もない。母親のような優しさが滲んでいた。
「私ね、思ったの。ルカ君はもう子どもじゃないんだって。立派な一人の大人として、できることは自分でしたいんだよね」
「……はい」
図星だった。言葉にしていなかった胸の内まで、すっかり見透かされている。
「でもね、大人こそ人に頼る強さがあるのよ」
「頼る強さ……ですか」
「うん。だからね、何があったのか教えてほしいな。私にできることなら、協力してあげるから……ね?」
嘘偽りのない、蒼海のように澄んだ瞳。その眼差しから伝わる包容力に、ルーカスは自然と引き込まれていった。
「わかりました。お話しします……」
やはり、この人には敵わないな。そう思いつつ、ルーカスはあの日の出来事について語った。
そして、シルヴィを助けるために準備をしていることも、すべて話した。
「なるほど……それで、《浄化魔法》が必要なわけね……」
「はい。教会にスクロールはあったんですけど、とても高くて買えるようなものじゃなくて……魔道具の存在は聞いています。でも、やっぱり特別な代物ですから、表立って流通することはなさそうですし……」
「あるわよ。ウチに」
「そうですよね。流石にマリンさんの品揃えでも——」
ルーカスは、そこで言葉を止めた。
「……えっ?」
「だから、《浄化魔法》の魔道具、持っているわよ。ルカ君が言っていた通り、棚に出そうとは思ってないんだけどね」
「そ、そうなんですかっ⁉︎」
あまりにも出来すぎた話に、ルーカスは思わず疑念を抱いた。
「ええ。たしか、冒険者時代に使っていたものがあって……ねぇ、アベル。昔の魔道具とか倉庫に仕舞っていたわよね?」
「ああ。たぶん、そうだったはずだよ」
それを聞いて、ルーカスも納得した。冒険者時代の所持品だというなら、迷宮から入手した魔道具があっても不思議ではない。
「ちょっと倉庫の方探してくるから、お茶でも飲んで待ってて」
「それなら、僕も一緒に探しますよ」
「大丈夫よ。一応、我が家の私物だし」
「そんな……泥棒なんかしませんって」
「泥棒するかもなんて、流石に思ってないわよ。ほら……乙女には見られて恥ずかしいものとかあるし? ルカ君には刺激が強いものも眠ってるだろうし……ね?」
「そこまで言うなら待ちますけど……」
一体何があるというのやら。
そしてしれっと“乙女”などと名乗っている。ルーカスは内心ツッコミを入れた。
——アンタ、もうすぐ三十路だろ。
無論、口にはしない。この一線だけは越えてはならない。大人しく言われた通り、ここで待つのが賢明だ。
奥の部屋からガサガサと物を漁る音と、「あれ? こっちの箱だっけ?」というマリンの声が微かに聞こえてくる。それ以外に、これといった進捗はなかった。
「はい。お茶、出来たよ」
「ありがとうございます。すみません、色々と……」
「あはは、気にしないでよ。それより、砂糖はいるかい?」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
アベルが淹れてくれた茶のおかわりを啜りながら、しばらく待つ。
それでも何か大きな変化があった訳ではない。やがて、マリンが戻ってきた。
「ごめんね、ルカ君。いくら探しても見つからなくて……昔のことだから、もう処分しちゃったのかもしれないわ」
「そう……ですか。なら、仕方ないですね……」
表情豊かなマリンのことだ。努めて平静を装っているようにも見えたが、なんとなく察しはついた。けれども、期待していただけに落胆は大きい。
また、遠のいた。
淹れたばかりだったはずの紅茶が、心なしか温くなったように感じられた。
二人のやり取りを聞いていたアベルが、ふと口を挟む。
「店の陳列棚には置いていないのか?」
「置いていないわよ。さっきも言ったじゃない」
「う~ん。マリンのことだから、うっかりそこに紛れてるかもしれないんだよな」
「私だってそんなヘマしないわ。もし発覚したら、営業停止処分もあり得るんだから」
「どうだろう? ルーカス君はどう思う?」
「……たしかにマリンさんなら、あり得るかも」
「もうっ~! ルカ君まで~!」
心外な!と言わんばかりに、マリンは頬をぷんすか膨らませる。
しかし、アベルの言うことにも一理あった。ややもすると、しれっと商品棚に紛れ込んでいるかもしれない。
「はぁ……でも、言ってる場合じゃないわよね。 出入り口はこっち。着いてきて」
「わかりました」
マリンに案内され、ルーカスは店内に出る。日用品や、冒険者御用達の医薬品。見慣れた店内の一角には、魔道具らしき品々も並んでいる。
「魔道具の棚……意外と少ないんですね」
「そうね……って、私これでもちゃんと店主してるんだから! 不良品まで売りつけようとは思わないわよ」
「別に、マリンさんが適当だなんて思っていませんよ。とはいえ……少ないのは確かですし」
「むぅ……」
軽口を交わしながら、棚を一つずつ目で追っていく。
だが、それらしきものは見当たらない。
流石のマリンも、問題の魔道具を商品として紛れ込ませてはいたわけではないらしい。
これで、望みは潰えた——。
「……ん?」
ふとルーカスの視線が、会計カウンターの片隅で止まる。
「マリンさん。アレは?」
ルーカスが指差した先にあったのは鐘を模した金属製のオブジェが置かれていた。
「この置き物? ただの飾りよ。ほら、なんか小さくてオシャレじゃない? お店の雰囲気に合うかな〜って」
「へぇ〜……」
ルーカスは近づき、オブジェを手に取る。
鈍い黄金色の鐘。表面には僅かな傷がいくつかある。研磨の際に擦ったのだろうか。
「……ん?」
裏返してみる。すると、そこには溶接跡のようなものがぼんやりと浮かんでいた。
その瞬間——錬金術師としての勘が、鋭く働いた。
「どうしたの? じーっと見つめて」
「これ……もしかして溶接……いや、錬成した痕ですかね?」
「え? 錬成痕?」
「すみません、ちょっといじります」
「別にいいけど……」
ルーカスは一言断ると、仕事用の錬成手袋を利き手に嵌めた。
「——《鉱物錬成》」
指先に仄かな蒼光が走る。そのまま錬成痕を慎重になぞり、表面の金属だけを切り抜いていく。
やがて、ぽっかりと開いた穴の奥から——小さな円形の魔法陣が姿を現した。
「これ、魔道具ですよ」
「そうなの? ちょっと見せて」
今度はマリンがオブジェを手に取る。片手でポケットから鑑定用の虫眼鏡取り出し、覗き込む。
「この術式……そうだわ、《浄化魔法》よ‼︎」
「えっ! ほ、本当ですかっ⁉︎ ということがこれが……」
ルーカスの探し求めていた《浄化魔法》の魔道具。
それは決して、マリンの記憶違いなどではなかった。
まさに——灯台下暗しである。
「お、見つかったのかな?」
「アベルさん。はい、無事に見つかりました!」
「この鐘の置き物だったのよ。魔法陣を覆うように蓋がしてあったの」
「ん? あぁ〜、それか〜!」
アベルは、何かを思い出したように手を叩いた。
「たしか、それってマリンが昔、魔法陣を隠すために蓋をしてもらったやつだよ」
「えっ? そうだったんですか?」
マリンも目を丸くする。
「すっかり忘れてたわ……そうよ。販売検査に引っかからないようにって……」
「目立つところに置いていたのにね。本当に、マリンらしいや」
「い、忙しくて覚えていなかっただけよ! うっかりしていたのは、そうなんだけど……」
「そういうところが、可愛いんだよな」
「〜〜もうっ、お客さんの前でそんなこと言わないでよ〜!」
そんなおしどり夫婦のやり取りを横目に、ルーカスは鐘の置き物を見つめていた。
——やっと見つけた。
これなら、シルヴィを救えるかもしれない。
「でも、この魔法陣。旧式だね。よく見たらちょっとだけ埃も詰まってる」
「あら、本当だわ」
「ッ⁉︎ もしかして、使えないってことは……」
「そんなことないわ。整備さえすれば使えるはずよ。今夜のうちに、私がやっておくわ。これでも、伊達に魔道具師やっていないんだから!」
魔道具に造詣のあるマリンであれば、任せても安心だろう。
ルーカスは改めて、二人に向かって深々と頭を下げた。
「マリンさん……アベルさん。本当に、ありがとうございます……‼︎」
マリンたちの厚意がなければ、きっと成し得なかった。
お世話になりっぱなしで、頭が下がる思いだった。
「大袈裟だなぁ。ま、ルーカス君の力になれたなら、それで良かったよ」
「私もよ。ルカ君は昔から弟みたいなものだし、支えるのは当然でしょ? それに言ったでしょ。頼るのも大人としての強さだって」
相変わらず他人行儀なルーカスに、二人は困ったように顔を見合わせる。
その後、夫妻のご厚意に甘え、その夜は二人の家で休むことにした。
「明日も、頑張ろう……!」
掴んだ希望を胸に、ルーカスは床に就くのだった。




