第24話 妖花の囁き
(ルカッ‼︎)
背筋を氷でなぞられたような悪寒が走る。冷や汗が一気に噴き出した。
「くッ——⁉︎」
風狼の警告もあって、間一髪のところでルーカスは手刀を躱せた。手刀が空を裂き、遅れて風切り音が耳を打つ。
「えっ……私……今なに……を?」
「ッ⁉︎」
奇妙なことに、シルヴィも困惑していた。勝手に身体が動いていたことに、頭が真っ白になる。
(もしや……魔女の支配下に? しかし、確かに消滅させたはずだ)
「ッ! そ、そんな——うっ⁉︎」
そのとき、シルヴィの脳裏に聞き覚えのある妖艶な声が響き渡った。
——殺せ。
直後、視界が赤く染まる。頭がズキズキと締め付けられていき——次の瞬間には、花に抱かれるような甘い安堵が全身を満たしていく。
「シルヴィ!」
「すべては……女王様のために……」
「返事をしてくれッ‼︎」
(馬鹿者ッ‼︎ 離れろッ‼︎)
風狼の怒号が飛んだその直後、岩肌を喰い破るように四方八方から蔓が伸び出した。
「「「キシャアァァァ‼︎」」」
先端に咲いた喰らい花が不気味な産声を上げると、すかさずルーカスたちに襲いかかる。
「クソッ! こんなときにっ‼︎」
(そう来るかっ‼︎ 小賢しい‼︎)
ルーカスは咄嗟に錬金短剣の《風刃》を解放する。風狼もまた全身に風を纏い、《魔力刃》で迎え撃った。二人の連携で襲い来る喰らい花たちを粉微塵に切り裂いていく。
(よもや……あの魔女め、小娘を奪いおったか……‼︎)
「そんな……シルヴィは……!」
「——ご名答よ」
突如としてシルヴィが口を開く。だが、口調からして彼女の人格ではない。
「ふふ……遂に手に入れたわ。この器……膨大な魔力を秘めた至高の肉体……」
「至高の……」
(器だと……?)
「ええ、そうよ。この娘は選ばれしアルラウネ。気配は薄々感じていたのだけれど……なかなか見つけられなかったのよ」
——他のアルラウネとの繋がりが感じられない。
風狼の言葉が脳裏をよぎる。魔女の言う「気配」がそれなのだろう。
「私の器を連れてきてくれたこと……感謝するわ♪ たっぷりお礼を……してあげるっ‼︎」
魔女はニヤリと笑みを浮かべると、幾多もの喰らい花たちが岩肌を突き破って一斉に咲き誇る。けれど、それらは今までとは違う冷たさすら感じさせる青藍色の花弁。
「まずはオマエたちを捕まえて、骨まで残さず溶かしてあげるわ。やれ——溶かし花」
主の命令に従い、獰猛な青の花々が蔓を伸ばす。周りの喰らい花たちも、喰いちぎらんと矛先を向けた。
襲い来る蔓の猛攻。対してルーカスと風狼は刃ので次々と迎え撃つ。だが、魔女の力が増したせいか、一筋縄ではいかない。いくら断ち切ろうと、次の瞬間には新たな蔓が牙を剥いていた。
「クソッ! 威力が上がっている⁉︎」
(小娘を取り込んだせいか⁉︎ 次から次へと湧いて出てきおる!)
シルヴィのポテンシャルは、それほどまでに規格外だった。味方ならこれほど心強いものはない。だが、敵の手に渡ってしまった今となっては――最悪の敵だ。
蔓の連撃に気を取られていたのも束の間、溶かし花が牙を剥く。花弁型の口から、黄色の液体を噴射してきたのだ。
「うわっ⁉︎」
間一髪のところでルーカスは咄嗟に飛び退いた。そして、着弾点を横目にして背筋が凍る。鉱物質の岩肌が、湯気を上げて蒸発していたのだ。
(この色……この反応……まさか、王水かッ⁉︎)
色合いと性質から、真っ先に思いついたのは。魔物由来ゆえ本物とは性質が異なるかもしれない。だが危険性だけは同じだ。飛沫一粒とて浴びれば致命傷になりうる。
「風狼ッ‼︎ あの溶解液は絶対に浴びちゃダメだ‼︎」
(見ればわかるっ‼︎ とはいえ、岩肌を容易く溶かすとは……ッ! 来るぞ‼︎)
「うわッ⁉」
言葉を交わしたのも束の間、四方から喰らい花たちの蔓が迫る。ある蔓は絡め取るために。またある蔓は槍となって貫くために。
「きゃははは‼︎ 逃げ惑いなさい! 四肢を千切ってから骨も残さず溶かしてやるわ‼︎」
もはや、ここは魔女の領域。生ける罠蠢く、狡猾な蜘蛛の巣に、ルーカスたちはまんまと嵌ってしまった。
蔓の猛攻は止まることを知らない。断ち切っても、次の瞬間には新たな蔓が地を割って現れる。そこへ容赦なく降り注ぐ王水の奔流。攻める隙など、一瞬たりとも与えてはくれなかった。
このままでは逃げることもままならない。ルーカスは一本の魔剣に希望を託し、ありったけの魔力を込めて濁流に投げつけた。
「全部……凍らせる‼︎ 展開——《氷精の悪戯》ッ‼︎」
霜を纏った魔剣——氷結剣から迸る眩い光。暴れ狂う蔓は氷像と化し、激流は一瞬にして巨大な氷壁へと姿を変えた。
「はぁ……はぁ……食い……止めた……」
氷漬けになったシルヴィを見て、ルーカスは身体中から力が抜けていった。
「ごめん……シルヴィ……」
凍りついた彼女から、ルーカスは目を逸らせなかった。
(ルカ……仕方のないことだ。あやつに魂を喰われた以上、おまえは悪くない)
「……わかっているさ。戦場である以上……やらなくちゃこっちがやられる……」
それでも、信頼を深めた少女を手にかけたことに変わりはない。やむを得なかったと何度言い聞かせても、罪悪感と後悔だけが胸の奥で膨らみ続けていく。
(……引き揚げるぞ。魔女を仕留めた以上、もうここに用はない。それに……ここに居ては身体を冷やす)
「……ッ!」
その言葉にルーカスは瞳孔を大きく見開いた。胸の奥が、再び熱を帯びていく。
(……ぼーっとしていても……彼女はもう帰ってこない。あれではもはや助からぬだろう)
「わかってるよっ!! でも……せめてっ!……せめて森で眠らせてあげようよ……」
(……好きにすればよい)
言葉が喉を通るたびに、胸が締めつけられる。仲間の「死」を口に出すことが、否応なく現実の再確認を強いるようで、ただただ苦痛でしかなかった。
風狼は微動だにしない。長寿種であるがゆえ折り合いがついているのだろうが、その落ち着きが今のルーカスにはどこか冷たく映った。
風狼はふと言葉をこぼす。
(……不満げのようだが……まぁ、致し方ない。今まで何千何万の死を目の当たりにして、感覚が麻痺してしまった。すまんな……)
「……」
ルーカスは返す言葉を失った。胸に渦巻く怒りも、風狼の一言で行き場をなくしてしまう。
(……亡骸を葬るというのであれば……我もできることはしよう)
——あら、勝手に殺されたら困るわね。
「……ッ⁉」
(むっ⁉)
不意を突くように、妖艶な声が洞穴内に響き渡る。その直後、ピキッ……ピキキッ、と氷に亀裂が走る音が響いた。
「改めて思うんだけど、結構威力があるのね。さっきの魔剣」
「……ッ⁉︎」
思わずルーカスは顔を上げる。氷漬けになったはずの魔女は余裕綽々といった様子で凍結を解除していた。
驚愕に目を見開いたのは、風狼も同じだった。
(貴様……なぜその状態で動ける……⁉︎)
「さぁね。この娘の身体が特別なのかしら? おかげで助かったわ♪」
氷結剣が効いていない。その事実だけで、ルーカスの思考は止まった。震えながらホルダーに手をかけ、一瞬止まる。
「あら? そういえば、さっき私の足に投げつけた魔剣は使ってこないのかしら? もしかして弾切れ? それとも……」
魔女はニヤリと笑みを浮かべた。弾切れではない。実際、灼熱剣のストックはあと五本ほど残している。
言葉の意図を悟り、ルーカスは内心歯噛みする。
「この娘には傷を付けたくないってことかしら?」
「うっ……」
理性では理解している。この魔女を今ここで封じ込めなければならないと。
だが、これまで信頼しあってきた少女を、なんの躊躇いもなく手にかけることができようか。
「あはははッ‼︎ 滑稽ねぇ〜‼︎ この身体は人質として都合が良かったってことだわ!」
身じろぎ一つできない彼の様子を面白がって、魔女は言葉を続けた。
「ねぇ〜……もしかして、まだこの娘の魂が残ってるとでも思ってるの? 残念だけど、既にもぬけの殻よ」
「……は……?」
思わず、そんな呟きが漏れた。魔女の言葉一つ一つが耳に入る度に、バクバクと心臓が昂っていく。信じたくない。視界が揺れる。呼吸が浅くなっていく。
「彼女はもう——帰ってこないわ」
——ブチッ。
ルーカスの中で、何かが切れた。
「……き、貴様ぁぁッ‼︎」
(待てルカッ‼︎ 罠だっ‼︎)
風狼が咄嗟に叫ぶが、怒りに我を忘れたルーカスは短剣を構えて飛びかかった。
しかし、その刃が魔女を突くことはない。
「うぐっ……⁉︎」
凄まじい勢いで飛び出した蔓がルーカスの自由を奪う。動揺のせいか、まったく気がつかなかった。魔女の術中にまたもや嵌められてしまった。
「あはははっ! 仲間想いな性格が足枷になるなんて、誰でもわかるのに。未熟なものね。でも、そういうの嫌いじゃないわ。扱いやすくて助かるもの♪」
(おのれ! どこまでも癪に障る女だッ‼︎)
風狼の牙がギリッと軋んだ。
そんな風狼に、魔女は嘲りの笑みを向ける。
「ふぅん……あなたもこの娘を気にかけていたのかしら? だったら好都合ね。——この男が弄ばれながら散っていく様を、せいぜい頑張って見届けなさい……」
(させぬわッ‼ この下衆がぁ‼)
不穏な空気を感じ取り、風狼はルーカスを助けるべく素早く《魔力刃》を飛ばした。しかし——
(……此奴らッ⁉︎)
地を割って現れた数体の妖花たちが、重厚な壁となって行手を阻んだ。
「さてと……あなたもすぐにあの子の元に送ってあげるわね」
「う、ぐぐ……」
ミシ……ミシ……と、太くしなやかな蔓がルーカスの身体を締めつける。まるで巨大な蛇に巻きつかれているような感覚で、力強く圧迫していく。
「それにしても……思わぬご馳走ね。魔力量はそれなりにあるみたいだわ。吸収すれば、私はもっと力を着けられる……ふふ」
魔女の——シルヴィの舌舐めずりは妖しさに満ち溢れ、気を抜けば次の瞬間には意識を失ってしまいそうな悍ましさがあった。
「さぁ……甘い夢の中で、私の糧になりなさい……」
「……シル……ヴィ……やめて……くれ……」
「だから……あの娘はもういないのよ。どれだけ足掻こうと、全部無駄……」
大きな喰らい花がガバッと口を開ける。凶悪な牙が恐怖心を煽る一方、むわっと漂う甘い香りが意識を白く塗り潰そうと侵食してきた。
「あ……あぁ……」
(ルカッ‼ 気をしっかり保てっ‼)
苦戦する風狼から叱咤の声が飛ぶが、もはやルーカスは返事すらできなかった。意識が朦朧とし、必死の呼びかけも霧のように崩れてゆく。
(こんな……ところで……)
魔性の香に飲まれ、恐怖が薄れていく。段々とふわりとした感覚が包み込んでいき……
——パァンッ!
頬に鋭い衝撃が走った。痛い。
けれど、その痛みには覚えがあった。まるであのとき——シルヴィに平手を打たれたあの日と同じだ。
意識が引き戻される中、力強い少女の声が聞こえた。
——ルカッ! 私は生きてるッ! ここにいる!
(シルヴィ……?)
——諦めないで……生きてッ! 絶対に死なせたりしない! 必ず待ってるから……だから、ルカも負けないで‼
私も……あいつになんか負けないから‼
直後、暗闇に包まれていた視界に、一筋の光が差し込んだ。
「なんだっ⁉ 蔓が勝手に……何が起こっている⁉」
(この魔力の気配……シルヴィかッ!)
「あの小娘め……抗おうというのか!」
地を割って伸びた蔓が喰らい花をこじ開け、ルーカスを放り出す。
(ルカッ!)
咄嗟に風狼が飛び上がり、自由落下するルーカスを風で受け止め、ふわっと背中に乗せる。
その光景に魔女は顔を顰めて歯軋りした。
「女王たる私に楯突くなんてッ! ただじゃ済まさないわッ! コイツらを皆殺しにしてから、貴様の魂も——ッ!」
(むっ⁉︎)
ゴゴゴゴッ……‼︎
眷属を呼び出そうと手をかざす魔女。しかし、それを遮るように洞穴内が悲鳴を上げ、震えだす。次の瞬間、幾本もの強靭な蔓が天井を叩きはじめた。
パラパラと降り注ぐ礫の雨。それはやがて洞穴の号泣へと変わった。
ズガガガガァァッ‼︎
天井が崩れ落ち、無数の岩塊が雪崩れ込む。
(シルヴィ……感謝するっ‼︎)
巨岩打ち合う轟音を背に、風狼は光差す出口へと地を蹴った。
「そんな……シルヴィ……‼︎」
思わず手を伸ばす。だが、その指先は虚しく空を掻くだけだった。
土砂の奥へ沈み、暗闇に消えていく少女。その姿を、ルーカスは見送ることしかできなかった。




