第22話 長の資格
(はぁ……はぁ……我を、ここまで……手こずらせるとはな……)
森の奥地。岩肌にぽっかり空いた洞穴にて、風狼は傷だらけの姿で立っていた。光の差さない洞穴にもかかわらず、鮮やかな花々が咲き乱れている。
ここは戦場。歴戦の魔獣は冷静さを欠かなかった。
だが、風狼の心は怒りに震えていた。
花々が咲き乱れるその地面。
その下には、同胞の亡骸が眠っていた。
(よくも……我が同胞を嬲ってくれたな。妖花の魔女……!)
「きゃっはははは!」
彼の怒りを嘲るように、不気味な狂笑が木霊する。その笑いに共鳴するように、花々も妖しく揺れ始めた。
風狼にとって、アルラウネなど苦戦するような敵ではない。風で吹き飛ばし、心の臓を貫くだけ。ただそれだけで瞬殺できるはずなのだ。
しかし、そんな彼が劣勢に立たされている。その原因は——亡骸を食い破って咲き誇る、あの花々だった。
(この匂い、いや、この花粉はかなり厄介だ……妙に甘ったるいくせに……鼻を鋭く突いてくる……!)
【守護者】という格を持った風狼でさえ、この匂いは堪え難かった。今まで経験したことがない奇妙な感覚が、鍛え上げられた身体を蝕んでいく。
「キィヤッ!」
「ギャギャッ‼︎」
配下の耳障りな鳴き声とともに、追い打ちと言わんばかりの蔓の槍が迫る。風狼は瞬時に殺気を感じ取ると、苦悶の表情を漏らしながらも爪の【魔力刃】で半ばから切り落とす。
(我が風ならば蹴散らすなど容易いが……如何せん相性が悪い……‼︎)
風狼は風を起こせずにいた。無闇に風を起こせば、猛毒の花粉がばら撒かれてしまう。風狼でも苦悶の表情を浮かべるほどの刺激物なのだ。それが他の生物たちにも及ぶともなれば——間違いなく、森は壊滅的な被害を受ける。
力ある森の守護者として、それだけは避けなければならなかった。
「ふふふ……生ぬるいわね〜。風狼族は地上の森の主とは聞いていたけれど……その程度だとは思っていなかったわ……」
(おのれ……どこまでも癪に障る奴よ……!)
目の前のアルラウネは、風狼が知るどの個体とも違っていた。本能のまま暴れるだけの魔物ではない。その性格は理性的で、狡猾にして凶悪だ。
風狼は今更ながら慢心していたことに気づく。
(長年生きすぎたか、勘が鈍っていたな……なんたる失態か)
今の状況では、勝ち目がない。やむなく風狼は撤退を決めた。ここで逃げ帰るのは屈辱だったが、最高戦力が潰れて侵略を許すよりかは幾分か巻き返しが利く。そのことを考えれば賢明な判断だった。
けれども、目の前の妖花の魔女は、彼の行動を読んでいたようにニヤリと笑みを浮かべる。
「……そろそろ頃合いね」
一歩退こうとした途端、風狼の身体が力なく崩れ落ちる。次第にはっきりと痺れが回ってきた。
(まさか……毒か⁉ それもゆっくり蝕む神経毒!)
きっとあの花粉の毒だ。嫌な予感がしたので極力吸わぬよう耐えていたが、間に合わなかったらしい。
「お仲間さんも……み〜んな、眷属の養分になっていったわ。魔獣とはいえ、所詮は魔力をたっぷり持っただけの犬っころ」
(お、おのれ……)
痺れに抗い、風狼は眼光を光らせた。
「ふふ……そう怖い目を向けないでちょうだい。あなたもすぐに養分にしてあげるから……まずは身体に穴を空けるわ」
魔女は手をかざすと、両隣から眷属を呼び出した。
「おいでなさい——“喰らい花”」
硬い地面を突き破り、花弁が凶悪な牙を剥いた口になった、獰猛な肉食植物が姿を現す。花弁の隙間から糸を引く涎が滴る。植物というより、飢えた獣だった。
(ぐっ……よもや、我が草花に貪られることになろうとは……このうえない屈辱よ……)
「あら? 私にとってはこのうえない賞賛ね。次の森の主の席は、この私に譲ってくれるってことでしょ」
(ほう……我の座を乗っ取ろうというわけか……はは……)
「その為に、生贄になってちょうだい‼︎ おまえを殺して、玉座を手に入れる! 森の支配者に、私はなる‼︎」
魔女の掛け声に続き、鼻をひくつかせた喰らい花が風狼へ迫った。
——そのとき、風狼の顔つきがキリッと変わる。
(そうか……ならばやってみろッ‼︎)
刹那、轟風が洞穴を吹き抜ける。その中から、二匹の子狼が飛び出した。
「ギャウッ!」
「ギャンッ! ギャンッ!」
「何ッ⁉︎」
不意を突かれた魔女の動きが、一瞬止まる。
(葉っぱの青い小童如きに、主が務まると思うなッ!)
「ッ! まだ手を隠していたのッ⁉︎」
魔女は咄嗟に喰らい花の狙いを子狼へと変えさせる。しかし、二匹は訓練された猟犬さながらに、魔女の首筋に躍りかかった。
「くっ⁉︎ 離れろッ! この畜生どもがッ!」
(卑怯とは言うまい。貴様の住まう迷宮も、屍山血河が常であっただろう!)
形勢逆転。
啖呵を切った風狼は口をガバッと開く。喉奥で圧縮された暴風が唸りを上げる。
(我ら風狼族を舐めてくれるなッ! その首、撥ね飛ばしてくれるッ!)
「……この犬っころめがぁッ‼︎ 今の私の敵じゃないわッ!」
妖花の魔女は腕で二匹の噛みつきを防御しつつ、威勢よく叫ぶ。喰らい花たちはすかさず蔓を伸ばし、風狼に噛みついた。
(うぐッ……思いのほか鋭いなッ……⁉︎)
並大抵の刃物なら容易く弾く毛皮だが、これには風狼も目を見開いた。ズキッとくる鋭い痛みとは別に、傷口が焼けるように熱を帯びる。
「その首に猛毒を注入して、骨の髄までドロドロに溶かしてくれようッ! はぁッ!」
魔女は裂帛の雄叫びを上げ、腕に喰らいついていた子狼を吹き飛ばす。
「キャウンッ……⁉︎」
「キャッ! クゥ……」
子狼たちは岩壁へ叩きつけられる。力なくずり落ちた次の瞬間、その身体は光の粒となって霧散していった。
「きゃははは! もう詰みよッ! 地上で私の可愛いお花たちの楽園を築き上げてあげる! アンタは草葉の陰から見ていなさいな!」
喰らい花の噛みつきが、喉笛を喰い千切らんとばかりに力強さを増していく。毒も回って並の生き物なら即死するほどの激痛が、風狼を襲った。
(……支配者に……なると……貴様は……声高に……叫んだな……残念だが……貴様に……その資質など……ない……)
「あら? 今さらお説教かしら?」
風狼の言葉を、魔女は嘲りながら一蹴する。
「強き者が上に立つ。それが自然の摂理よ」
(若造が……まるで解っておらんな……)
「……もう良いわよ。楽にしてあげるから……さっさと席を譲りなさいな、お爺ちゃん♪」
魔女は不気味に口角を上げ、風狼にとどめを刺そうと蔓を伸ばした。
(強いだけでは、支配者になど成れぬ……上に立つ者が真に持つべきものは——信頼だ)
「……もう終わりにしましょう。黙って死になさい」
今度こそとどめを——そう思った、そのとき。
一本のナイフが魔女の足元に突き刺さる。その刀身は、真っ赤に灼けていた。
「ぐッ⁉︎ なんだっ⁉ あ、熱いッ⁉︎」
激痛に悶えたのも束の間、今度は鋭い種弾が魔女の肩に風穴を空ける。
「風狼っ!!」
「……ま、間に合った!」
風狼の背後から、ランプを持った二人の影が駆け込んできた。ルーカスとシルヴィだ。
(はは……年長者の言葉は有り難く聴いておくものだぞ、小童)
援軍の到着に安堵しつつ、風狼はカッと目を見開き、再び魔女を睨みつけた。
(信頼とは——時に種族の垣根を越えるのだッ‼︎)




