第21話 疑惑の朝、淀んだ風
翌日、ルーカスはまた森に赴いた。山脈から顔を覗かせた太陽が、清々しい空気を運んでくれる。実に良い朝だ。
もっとも、ルーカスの心は晴れ模様とはいかなかった。
(魔物は狡猾な生き物……か。でも……シルヴィは僕を助けて……)
心が揺らいでいた。昨日のマリンの言葉が頭をよぎる度に、シルヴィの姿が脳裏に浮かぶ。信ずるべき教訓と、否定したい気持ちが、胸の内でせめぎ合っていた。
背負子にはいつもの小棚。そこに積まれたのは小型の錬金釜と採取用具。
そして、いつもより多めに用意した——護身用の魔道具。この森の物騒な噂が後を絶たないので、万が一を想定して用意したものだ。
(——ッ! いやいやっ! これは大型の魔物から身を守る武器なんだ! ……ただ、もしも——)
基本的に狂爪大熊と同等、あるいはそれ以上の魔物に対処するためだが……シルヴィに向けることも起こり得るのではないかという不安もあった。
心の雲りは晴れないまま、仮拠点にした大樹に到着した。
——のだが。思わずルーカスは目を見開いた。
「——ッ! あれっ? こんな大きな植物なんてあったっけ?」
そこには、大きな桃色の蕾が一つ。中には薄っすらと、少女のシルエットが浮かび上がっている。
(もしかして……)
もしかしなくても、その予想は当たっていた。恐る恐るルーカスが蕾に触れると、ピクリと蠢いた。蕾はゆっくり花開き、眠り姫に朝を告げた。
「うぅん……眩しい……あれ? ルカ?」
目も綾な眠り姫は眠たげな目をパチクリさせ、上半身を起こす。さらさらとした薄紫色の髪は、陽光を浴びて妖艶さを醸し出していた。
「おはよう……シルヴィ」
腰の錬金短剣に無意識に手を添えてしまう。
しかし、蕾から現れた彼女の寝ぼけた顔を見て、その手は力なく離れた。
「そんな薄着で寒くないの?」
「えっ? 平気だけど……」
シルヴィの寝巻きだろうか。少しだけ色の濃い花弁を重ねたワンピースなのだが、寒さに堪えそうな服装だ。さらに、寝起きが原因か若干着崩れしている。
もっとも、彼女は恥じらう様子もなく、崩れたワンピースを整えて蕾からふわっと降りてきた。
「ふふ。おはよう、ルカ」
屈託なく笑うシルヴィ。花の香りがふわりと鼻先をかすめる。理由もなく、胸が少しだけ騒いだ。
「……」
「どうしたの? 熱でもあるの?」
「……いや、なんでもないよ。それより、風狼はまだ来ていないみたいだね」
「ホントだ。いつもなら起こしに来るのに」
「えっ、そうなの?」
シルヴィはコクリと頷く。しれっと出てきた真事実に、ルーカスは先ほどとは別方向で驚いた。シルヴィもまた、風狼との交流を深めていたということらしい。
なお、その内容を聞いてみたのだが……
「朝から果物をせびってくる」
「相変わらず食いしん坊だな~、風狼」
「うん。でも魔術のいい練習になる。朝の日課なの」
風狼の欲望のままのリクエストは、シルヴィにも波及していた。甘い果実はもちろん、時にビターなものや酸っぱいものも要求されていたそうだ。
「『肉の後に食べられるさっぱりした果実が欲しい』とか、『肉に使える果実はないのか』ってさ」
「あ、そういうことね。風狼らしいや」
「ちょっと可愛く見えるね」
ルーカスの頭の中で、果実をねだる風狼の姿が浮かび上がる。威厳のある風格を漂わせながら「我は果実を所望するぞ」と言っているのが容易に想像できてしまう。【森の守護者】らしからぬ甘えっぷりだ。もっとも、今に始まったことではないのだが。
そんな風狼の話に花を咲かせるうちに、ルーカスたちは空腹を感じてきた。
「そういえば、朝ごはんがまだだったね」
「私も……お腹空いてきた。ルカのご飯、楽しみ♪」
シルヴィの嬉しそうな声を受けて、ルーカスはつい頬が緩んだ。それは、いつものシルヴィがそこにいたという、安心感ゆえであった。
背負子の棚から、パンが入ったバスケットと、分厚い瓶に入った魚のオイル漬けを取り出す。ルーカスの故郷では“アンチョビ”と呼ばれている。
先日の朝市で見つけたものなのだが、ここ最近肉ばかりだったので、たまには魚にしたいと買ってきたのだ。
ルーカスは少し堅めのパンをスライスし、葉野菜とアンチョビを挟んたサンドイッチを二つ作る。そして、出来上がった一つを、切り株に座るシルヴィに手渡した。
「いただきます」
そう言って、シルヴィはぱくっと出来たてのアンチョビサンドを口にする。
「〜〜ッ! これ美味しい!塩気が程よくて、お肉とは違った濃厚な味わいが口の中で広がってく!」
初めて食べるアンチョビに、シルヴィは頬が落ちそうになっていた。美味しいものを食べると饒舌になるのは、ルーカスの個人的な新発見だった。
「ところで、このお魚は?」
「これはね、ザルデレっていうんだ。海で獲れる魚でね、店の親父さんが言うには、東部の港町から仕入れてきたんだってさ」
「へぇ〜。これ好き……」
「だろ? 僕の好物なんだ。気に入ってもらえて嬉しいよ」
ルーカスの心の中で、言葉通りの嬉しさが湧き上がる。その傍らで、安堵の表情も滲んでいた。
(魔獣以外の肉も食べられる……のか)
これは彼女の正体を探るためのものでもあった。マリンの話によれば、魔物は生物の魔力を摂取するために食事をするらしい。特にアルラウネは魔獣の肉を好み、逆に魔力の薄い魚などは好んで摂らないのだという。
もちろん、個人差かもしれないのは否定できない。ただ、そもそも魔獣の肉に懸念を示していたことも加味すれば、危険な魔物には見えなかった。
「? どうかしたの? 食べないの?」
「い、いや、食べるよ。ただ、シルヴィがこんなにも美味しそうに食べるんだなって」
「ッ⁉︎ か、顔に出てた? ちょ、ちょっと恥ずかしい……かも」
頬を赤らめて視線を逸らすシルヴィ。恥ずかしがるほどのことかとルーカスは一瞬思ったが、隠れた一面を見せてしまったことに抵抗があるのは当然かと思い直した。
「それにしても、風狼遅いなあ。いつもならご飯の匂いで飛んでくるのに」
「そうだよね。何かあったのかな?」
気のせいではないらしい。森の空気が普段と違い、どこかざわついていた。風に揺れる草木が、まるで異変を知らせるように音を鳴らしていた。
直後、聞き覚えのある鳴き声がルーカスたちに近づいてくる。
「キャンッ!」
「キャンッ!」
疾風の如く駆けつけたのは、あの子狼たちだった。
「あっ! ワンちゃん!」
「ッ‼ どうして君たちが……まさか!!」
ルーカスの第六感は間違っていなかった。風狼本人でなく使い魔を遣したということは、本人は動けない状況なのだろう。
(ご主人様が危ないんだっ‼︎)
(お願いっ! 早く来てっ!)
二体の子狼は息を荒げてそう告げる。もはや食事どころではない。
「ルカ……どうするの……」
「もちろん、行くよ。風狼のところへ!」
(ありがとう! お兄ちゃん、お姉ちゃん!)
(僕たちについてきて!)
子狼たちは「キャンッ!」とひと吠えすると、踵を返して森の奥へと走っていく。シルヴィは裸足のまま二匹についていき、ルーカスは腰の短剣と魔道具を素早く確かめ、その後を追っていった。




